名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

再戦

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 カールはいつものように鶏の鳴き声で起きた。ここ数日に渡って体を蝕んでいた筋肉痛もとうに過ぎ去り、以前よりずっと体が軽く感じられた。爽やかな空気に身が引き締まる。

 リディアから速く走る方法を教わり、練習を繰り返してきた。以前よりずっと速く走れるようになったはずだ。



 だから、今度こそは勝てるはず。





 昼前、村の中央でカールはソフィの高笑いを聞いた。



「フハハハ! 再び妾に挑もうとは! しかし、妾は兎を狩るのにも全力を尽くす女なのじゃ! コテンパンなのじゃ!」

「こてんぱーん!!」



 ソフィは腕組みをしたまま嘲るように笑っている。その隣ではイレーネが明るい笑顔ではしゃぎまわっていた。

 イレーネはソフィの体の回りをぐるぐる走り回りながら快活な声を上げていた。

 ソフィはそんなイレーネの肩に手を置き、真面目な表情で言う。



「よいかイレーネよ、ソフィお姉ちゃんがカールよりも速く走るところをしっかりと見るのじゃ」

「見るーっ!」



 ソフィはイレーネを見物人として連れてきたらしい。それだけでなく、村のチビたちや村長もいた。村長は大きな石の上に腰掛けてゆっくりと頷いている。長い顎ヒゲをさすり、ことの事態を見守っているようだ。

 村長はヒゲの代わりにチビの頭を撫で、ゆっくりした声で言う。



「二人とも怪我をせぬようにな」

「ふふふ、心配無用なのじゃ。妾は何の問題も無いのじゃ。カールは転んで怪我をするかもしれんが」



 ソフィはそんなことを言いながら頷いている。

 余裕の表情を見ていると、段々と心臓が速く動き始めた。ソフィに勝てるのだろうか。リディアから走り方を教わり、練習はした。以前よりも速く走れるようになったとは思う。

 しかし、ソフィもまた同じようにリディアの教えを受けている。ただ、自分はソフィが教わっていないことも教わった。



 リディアの言葉をしっかりと頭の中に思い返す。リディアはソフィにも走り方を教えたらしい。しかし、リディアはソフィにはまだ教えていないことを自分に教えてくれた。

 それを実践すればソフィよりも速く走れるかもしれない。

 だが、もしそうでなかったら。



 ソフィに駆けっこで負ける上、それをイレーネたちや村長にも見られてしまう。負けるところを見られるのは恥ずかしい。

 それに何より、自分が駆けっこでソフィに勝てないのは辛い。





「どうしたのじゃカール、さては怖気づいたのじゃな」

「ち、違うよ。ちょっと考えごとしてて」

「フン! 何を考えたところでカールの負けは決まっておるのじゃ。ふふふ、妾の背中でも眺めて絶望するがよい」



 ソフィはもう勝利を確信しているようだ。余裕の表情を崩さない。

 勝負のために、まずは地面に線を引く。それから二人で線から遠く離れた。ちょうど線のあたりで村長や村のおチビちゃんたちがこっちを遠巻きに見ていた。

 ただでさえ小さいイレーネがもはや豆粒のようになってしまっている。



 ソフィは動きやすさを重視した格好だった。膝丈ほどのズボンを穿いていて、上は白い長袖の服を着ている。黒く艶やかな髪はまるで馬の尻尾のように後頭部でくくられていた。

 その黒髪の揺れについ目がいってしまう。凛とした空気の中で、ソフィは同じく凛とした雰囲気を漂わせている。

 自信に満ちたその様は格好良く見えた。





 お互いに横並びになり、遠くに見える村長へ視線を向ける。村長は手を額の辺りに当てながらこちらを眺めている。村長は目が悪いからこの距離だとおそらく殆ど見えていないはずだ。

 それでもこちらが用意を終えたのを確認したらしく、手を上へと上げた。



 心臓が高鳴ってくる。本当に勝てるのだろうか。もし負けたらと考えてしまう。

 もう心を決めるしかないのだ。腹筋を強く収縮させた。村長の手を睨みつける。



 その手が振り下ろされた。同時に走り出す。地を蹴る。ソフィも同じく走り出したが、その姿は隣にあった。

 リディアの教えが頭の中によぎる。走り始めは体を前傾させたほうが良い。それだけで体は前へ進んだ。隣のソフィはこのことを教わっていないから、体がかなり起き上がったまま走り始めた。

 リディアとの練習の成果が出た。前へ前へと体が進む。最高速度に達しようという頃には体を起し、ひたすら足踏みを速くする。速く走ろうと地を蹴ったりはしない。

 体はグングン前へと進む。いつまでもこうやって走っていられたらいいのに。

 速度を保ったまま、ソフィよりも先に線を越えた。速く走れるのはいいが、リディアに教わった走法だと止まるまでに随分と時間がかかってしまう。



「わっ、と」



 何度かたたらを踏み、どうにか止まった。振り返ると、眉を吊り上げたソフィの顔が目に入った。走り終わったから、それとも怒りからかソフィの顔は真っ赤になっている。

 そのソフィの後ろからイレーネや村長がぞろぞろと出てきた。



「カールおにいちゃんはやーい!」



 イレーネは無邪気にそんなことを言っている。その言葉を聞いてソフィの眉がさらに吊りあがった。



「お、おのれカールめ! 妾に恥をかかせおって!」

「ええ?!」

「今のは無しじゃ、妾は今のは本気ではなかったのじゃ」

「そ、そうなの?」

「そうじゃ! ちょっとばかしカールが思っていたよりほんの少し速かったから、妾の心に動揺が生じたのじゃ。それに、元々、差をつけすぎてはカールに悪いと思って、ちょうど僅差で勝ってやろうと思っておって」



 ソフィがそこまで捲くし立てた時、凛とした声が響いた。



「はいソフィそこまでよ、言い訳は見苦しいわ」

「なんじゃ?!」



 いきなりの声に驚いた。いつの間にやってきたのか、リディアがこちらへと歩いてきた。

 おそらくさっきの勝負もどこかで見ていたのだろう。まったく気づかなかった。



 ソフィは怒りの中でも冷静な思考を持っていられるようだ。何かに気づいたのか目を見張った。



「ま、まさかリディアよ、カールに何か教えたのではなかろうな?!」

「あら、よくわかったわね。そうよ、カールちゃんに速く走る方法を教えてあげたの。ソフィに教えたみたいに」

「なんじゃと?! なんということをしてくれるのじゃ! 妾を裏切ってカールに味方するなど!」

「何が裏切りよ、ソフィにも教えたでしょ。それで調子に乗ってカールちゃんに勝って」

「そうじゃ、妾が勝ったのじゃ。しかしリディアが余計なことをして」

「あのね、勝ち負けとか、誰かに勝っていい気分したいために走り方教えたわけじゃないわ。一回勝ったくらいで調子に乗って大笑いしちゃって、そんなんじゃダメよ」



 二人は言い争いを始めてしまった。村長は事情がわからないらしく、長いあごひげをさすって静観を決め込んでいる。おチビちゃんたちは二人の争いはどうでもいいらしく、仲良く遊び始めてしまった。

 村の人たちもこちらに気づいて遠巻きに見ているが、特に面白いと思わなかったのかすぐに去ってゆく。



 二人の言い争いはもはや喧嘩のようにも見えてきた。こんなに言い争って大丈夫なのだろうか。二人は一緒に暮らしているというから、仲は良いはずだ。それにも関わらず今は言い合っている。いや、激昂しているのはソフィだけで、リディアは冷静そのものだ。



「とにかく、ソフィはまだ調子に乗るほど出来るわけじゃないの。それなのに一回勝ったからってもう速く走るのやめちゃったじゃない。その間、カールちゃんは一生懸命練習してたのよ。それに、カールちゃんは最後まで冷静に走ったわ。ソフィは最初いきなりカールちゃんが前に出たから焦って変に力が入ってたもの、それじゃ勝てないわ」

「ぐぬぬ……」



 ソフィは歯噛みしている。何か言い返そうとしているのだろうが、何も思いつかないのかもしれない。段々ソフィが可哀想になってきた。勝負に負けたのが本当に悔しかったのだろう。

 それに、わざわざ村長やおチビちゃんたちまで呼んでおいて負けたのだ。相当恥ずかしかったに違いない。



 二人の仲が険悪になる前に、何か行動を起こしたほうがいいのかもしれない。

 ただ、余計な口を挟めばソフィの機嫌をまた悪くしてしまう可能性もある。静観しておいたほうがいいのか、それとも何か言ったほうがいいのか。











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