名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

揣摩

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 怒りが腹の中で滾る。ソフィは歯を剥き出し、カールに向かって大股で歩いた。

 午前の村には平和な時間が流れていて、争いの気配などどこにもない。その中にあって、ソフィは穏やかな時間を突き破るように大音声を上げた。



「カール! そのような卑怯な振る舞い、決して許しはせんのじゃ!」

「え?」



 カールはとぼけた顔をしている。その顔を見ているとさらに怒りが沸いてきた。

 自分が何をしているのかわかっていないのだろう。



「よいかカール! イレーネは家から勝手にそのスポンジを持ち出したのじゃ。人の物を勝手に持ってくるような行為を看過しておってはイレーネの将来のためにならん。ここは厳しくしてでもイレーネにそのようなことをしてはならんと言わねばならんのじゃ」

「え、でも……」

「でもも何も無いわ!」



 厳しくして、イレーネにわからせてやるのが本当の優しさのはずだ。それなのにカールはイレーネを甘やかすかのようにイレーネの機嫌を取ろうとしている。

 こんな振る舞いが卑怯でなくて何なのか。



 さらにカールに向かって一歩足を進めた。目から火花が飛ぶのではないかと思うほど顔が熱い。



「おのれ卑怯者め! 妾がその性根を叩きなおしてやるのじゃ!」



 そう言うとソフィは右足を前へと滑らせた。左足で地を蹴り、右腕を真っ直ぐに伸ばす。リディアに教わった動きが自然と出てきた。

 しかし、拳の握り方などについては習っていない。適当に握った拳がカールの胸を打つ。



 どん、と低い音が鳴った。拳はカールの肋骨を叩き、肺を鳴らしたようだ。同時に手に痛みが走った。まるで指の骨が折れたかのような痛みに、ソフィは目を見開く。

 拳を使って殴ったのはいいが、指に無理な力がかかってしまった。



「ぬ?!」



 しかし痛みに怯んでいる場合ではない。同じように拳で殴ることはできないが、手の平を叩きつけることはできる。

 ソフィは手を振り上げ、カールの頭に向かって振り下ろした。カールは咄嗟に頭を腕で守る。防がれたことに怒りを感じつつ、さらに何度もカールに向かって手を振り下ろした。

 もはや力が入っている感覚がない。



「おのれカール! やり返してみたらどうじゃ?!」

「ちょ、ちょっと待ってソフィちゃん、ごめん、僕が悪かったから」

「なんじゃおのれ心にも無いことを言いおって!」



 さらにポカポカと叩いてみるが、効いている気がしない。蹴っ飛ばしてやろうと足を振り上げたが、足先は空を切った。



「おのれ、避けるとは卑怯な! その下劣な品性叩きなおしてやるのじゃ!」

「やめてよ、ソフィちゃん、落ち着いて!」



 それでもカールを叩き続けていると、突然手首を後ろから掴まれた。その力の強さに思わず体勢を崩してしまう。一体誰かと思って振り向くと、焦った表情のアデルが目に入った。

 アデルはこちらの体を掴んであっさりとカールから引き離す。



「ソフィ! 一体何をやっておるんじゃ?!」

「離せ、離すのじゃ!」

「いやまずは落ちつかんか」

「離すのじゃ、妾はカールのひん曲がった性根を叩き直してやらねばならんのじゃ!」

「ひん曲がってなどおらんわ。とにかく、一旦落ち着いて話そうではないか」



 どれだけもがいたところで、アデルの力に敵うはずもない。まるで石の中に埋もれてしまったかのように体は動かず、カールからずるずると引き離された。

 そうこうしているうちに人が集まってきた。どうやらイレーネの泣き声に気づいたらしい。中にはイレーネの父、エッケルもいた。

 何が起こったのかはわかっていないのだろう、エッケルは当惑して目を瞬かせながら、それでもイレーネの近くへと駆け寄った。

 父が来てもイレーネが泣き止む様子はない。



 もはやこれ以上抵抗しても無駄だろう。アデルに掴まれた手首が痛む。どれだけ怒りを滾らせたところで、大人の力の前では無力だ。

 アデルはこちらの力が抜けたのを感じて、こちらが観念したと思ったらしい。



「よし、ソフィ、とにかくもう暴れるでない。暴力などいかん、暴力で何か解決しようなどとは間違っておる」

「なんじゃ、アデルめ、おのれは昨日喧嘩で物事を解決したくせに何を偉そうに」

「ぬ……、なんでそれを、ロルフか、まったく余計なことを。とにかく、相手はカールじゃ、カールがなんぞ悪いことをしたとは思えんが」

「そんなことはないのじゃ!」





 ソフィは手首を掴まれたまま、事情を一気にまくしたてた。イレーネがスポインジを勝手に持ち出してきたこと、それを咎め、返さなければいけないと言ったが、イレーネが嫌がったことなど。

 イレーネのためにここは厳しくしていたのに、卑劣なカールがイレーネを甘やかすようなことを言ったこと。



 概ねの事情を理解したのか、アデルは大きく頷いた。他の人たちはもう心配いらないとばかりに去ってゆき、今はアデルとエッケルだけがいる。

 エッケルはイレーネの頭を撫でながら話を聞いていたが、聞き終えた後に苦笑した。

 これでこちらが正しいことを理解してくれたはずだ。



 そう思ったが、アデルは渋い表情で唸っている。エッケルは曖昧に笑みを浮かべたまま乾いた笑い声を漏らしていた。

 エッケルはイレーネの頭を撫でながらイレーネに語りかけた。



「こら、勝手に持ってきちゃダメだよ」

「だって……」

「もう、仕方ないなぁ」



 エッケルは膝を曲げて娘の顔を覗き込み、苦笑を浮かべていた。それを見ているだけで、エッケルが怒っていないと分かる。

 おそらく、そんなスポンジごときでは怒る気にはなれないのだろう。しかし、今回はスポンジだったからよかったものの、もし本当に高価なものを勝手に持ち出していたのなら話は違ったはずだ。



 そんなことが起こらないよう、イレーネには注意しなければいけないはずだ。

 しかしエッケルはぐずぐず泣いている娘にそれ以上の言葉をかけることは出来ないらしく、苦笑いを浮かべたままだった。

 それから膝を伸ばし、腰の後ろをトントンと叩いた。こちらに視線を向けて、柔和な笑みを浮かべる。



「大体話はわかったよ。イレーネが勝手に持ってきて、ソフィちゃんが注意してくれたんだね」

「そうなのじゃ、そのようなことをしておったら、いつか本当に高価なものを勝手に持ち出しかねんのじゃ」

「はは、確かにそれは困る。でもまぁ、大目に見てあげてよ。イレーネは、きっと、家で面白い物を見つけて、大好きなソフィお姉ちゃんに見せてあげたかったんだよ」

「む……」



 そうだったのだろうか。イレーネは家でスポンジを見つけ、そのフワフワした感触を面白いと思ったのだろう。そして、その面白い物を自分に見せようとしたのだろうか。

 一気に走って近寄ってきたのも、自分と早く会いたかったからなのだろうか。



「むむ……、なんじゃ、イレーネめ、そんな可愛いことを」

「うん、だからイレーネは多分、大好きなソフィお姉ちゃんとスポンジで遊びたかったんだと思うよ。でも返さなきゃいけないって言われて嫌になったんだろうね」

「ふむ……、むぅ」



 父親だけあってイレーネの気持ちはよくわかっているようだ。

 イレーネは尊敬する姉貴分にスポンジを見せようと考えた。そしてそのスポンジで一緒に遊ぼうと思っていたのだろう。

 しかしスポンジを返さなければいけないと強く言われて悲しくなったに違いない。



 そんなことを考えていると、これ以上イレーネを責めようという気持ちは湧いてこなかった。

 溜め息を吐き、イレーネに近寄る。それから赤い頭巾越しにイレーネの頭を撫でた。



「わかったのじゃ、妾が間違っておった。うむ、イレーネの気持ちを考えずに強く言い過ぎてしまったのじゃ」



 イレーネはすでに泣き止んでいたが、瞳はまだ濡れて光っていた。大きな目でちらっと上目遣いにこちらを見てくる。眉の端は垂れ、小さな鼻は赤くなっていた。

 その顔に向かって静かに頷いてやる。



「もう泣くでない。今日は妾が一日中一緒に遊んでやるのじゃ」

「ほんと?」

「うむ、スポンジを見せてくれた礼をせねばならん。遊んでから算数のお勉強をするのじゃ」

「えー?」



 イレーネは嫌そうに首を振った。ここは姉貴分として厳しくするべきかもしれないが、今日くらいはいいだろう。



「うーむ、仕方ないのう。では今日は遊ぶとするのじゃ」

「うん!」



 ここでイレーネはようやく明るい笑顔を見せた。それからこちらの体にどーんとぶつかってきた。そのままグリグリと赤い頭巾を押し付けてくる。



「こりゃ、そのように引っ付かれては困るのじゃ」



 そうは言いつつも口元が緩んでしまう。

 可愛らしい妹分を見ていると、心が和んだ。姉貴分としては、こうやって可愛い面を見せてくれるのは嬉しい。これからも面倒を見てやろうという気になるし、頼りになるところを見せてやりたいと思えた。

 年下というものはこうあるべきなのだろうか。

 しかし、自分はそのような可愛げは持ち合わせていない。



「うーむ、妾もイレーネを見習ってたまには可愛い妹でいてやるべきかもしれん」



 リディアとシシィに対して冷たい態度を取ってしまった気がする。あんな二人だが、自分のことを大事にしてくれているし、色々なことを教えてくる。

 時には可愛らしい妹でいてやるのもいいかもしれない。



 そんなことを考えていると、アデルが大きく頷きながら近寄ってきた。



「ソフィよ、ひとつ成長したようじゃな。お兄ちゃんは嬉しいぞ」

「妾はアデルの妹ではないのじゃ。したがってアデルに可愛い妹として接するようなことはせん」

「なんと?! いや、しかし」 

「しかしも何も無いのじゃ」

「たまには可愛い妹でいるのではないのか?」

「アデルに対してではないのじゃ」

「そ、そうか……」



 アデルは口を閉じて腕を組んだ。不満そうにしているが、そんな願いを今更叶えてやるわけにはいかない。気持ちの整理がついたのか、アデルは鼻から息を吐いた。











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