名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

大人になる前に

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 ハンスがいなくなると、家の中が随分と静かになったように感じられた。テーブルの上で揺れる蝋燭も疲れて痩せてしまったようだ。

 アデルは暖炉のほうまで歩いていって薪を足した。今日の気温はやや高かったが、今夜からまた冷えるかもしれない。



 ソフィは椅子に座ったまま腕組みをしている。



「うーむ、なんとも騒がしい男なのじゃ。あれこそハンス・ジムプリチウスに違いない」

「ははは、暗いよりは良いじゃろ」

「世の中にはハンスのように思慮の足らん大人もおるのじゃな」

「まぁそう言ってやるな。ハンスなどまだマシなほうじゃ」

「む? まことか?」

「世の中は広いでな、色々とよろしくない大人も多い」



 ソフィの驚きぶりを見ているとこちらも驚いてしまう。しかし、ソフィがハンスのような大人に衝撃を受けるのも無理はないかもしれない。

 子どもにとって大人というのはある意味では正しさに思えてしまうのだろう。特にソフィが見てきた大人というのは、この村の人だったり、町の人だったり、それぞれがまっとうに生きている人たちばかりだ。



 ハンスのように仕事を嫌がって遊びたがる大人というのは、ソフィにとっては初めて見るものなのかもしれない。ハンスはだらしないし、やかましいし、多少頭の悪いところもある。

 ソフィは今までそういう大人を見てこなかった。



 思えば自分も子どもの頃は大人というものを過大評価していたような気がする。その評価が下がったのは、自分が大人になってしまったからかもしれない。

 他にも、ハンスなどよりよっぽど性質の悪い大人を見てきたからというのもある。



 私益のために人を傷つける大人など世の中には沢山いる。将来、ソフィがそんな大人に傷つけられてしまわないよう、自分は細心の注意を払わなければいけない。

 アデルは梁を見上げながら呟いた。



「しかし、大人か……」



 ソフィは今日初めてハンスと出会ったから、ハンスのことを大人だと思っている。しかし自分はハンスがまだ小さい頃から知っているせいか、未だにハンスが大人だとは思えないでいる。

 もちろん歳や背格好などを考えれば、ハンスが大人であることに疑いの余地はない。それでも、頭の中にはまだ少年だった頃のハンスが残っていて、その像が今のハンスを押しのけようとしている。



 この錯覚はソフィが成長した時にも起こるかもしれない。当然ながら、ソフィもいつかは大人になるだろう。背は伸びるだろうし、胸も膨らみ、どんどん女になってゆく。

 その時になっても自分はソフィを子どもだと思ってしまうかもしれない。

 アデルは後頭をかりかりと掻いた。



「あまり考えたくないのう……」

「なんじゃ、どうしたのじゃ?」

「いや、なんでもない」







 とにかく、夜もそこそこ更けてきたし、そろそろ眠る準備をしなければいけない。

 その前にリディアとシシィに言っておくことがある。



「あー、さっきも言ったが、わしは明日の夜少々でかけてくるでな。二人には悪いが、ソフィの面倒を見てやってくれ」

「妾は面倒を見られるほどお子様ではないのじゃ。大体、この平和な村で何か起こることなどないのじゃ」

「いやまぁそうかもしれんが、さすがに一人にするわけにはいかんでな」



 いくらソフィが文句を言おうとも、そこだけは譲れない。

 まずはリディアの顔を窺った。



「あたしは大丈夫よ、可愛い妹の面倒くらい喜んでみるわよ」

「おお、そう言ってくれるのはありがたい」

「わたしも」

「シシィもか、これは頼もしい。まぁ実際のところ二人はわしなんぞよりよっぽど頼りになるが」



 この二人は自分などより遥かに強い。例え賊が十人や二十人押し寄せてきたところで返り討ちにできる。

 余計な心配は無用だろう。自分もこれからは家を開けて出稼ぎに行くことがあるかもしれない。そうなっても二人がいてくれるなら安心だ。



 アデルは大きく頷いた。



「わしだけ何やら良いものを食べるのも気が引けるし、明日の夕食はご馳走を作っておくでな」

「なんでそんなこと言うのよ」

「ん?」



 リディアは不満そうに唇を尖らせた。

 自分だけ外で良いものを食べ、三人にはいつもの粗食では不公平だと思える。だからこそご馳走を用意すると言ったのだが、リディアは納得がいかないようだ。



「いや、わしだけ外で楽しんでくるというのもな」

「気にしなくていいわよ、アデルだって色々と付き合いがあるんだから」

「しかし」

「それに、ご馳走だったらみんなで食べたほうが美味しいじゃない。あたしは、ご馳走を食べるんだったらアデルと一緒のほうがいいわ」

「おお……、なんと可愛らしいことを」



 リディアの言葉につい感じ入ってしまう。確かにご馳走ならみんなで食べたほうが美味しく感じられるかもしれない。

 アデルは目頭を指先で押さえた。



「うむ、そうか……。そのリディアの気持ちが何よりも嬉しい。ではいずれ機会を改めてご馳走を用意するとしようか」

「うん、そのほうがいいわ」



 他の二人もそれでいいのだろうか。ふと疑問に思って視線をシシィのほうへと向けた。普段と表情が変わり無いので何を考えているのかはよくわからない。

 シシィは意見を求められていると察したのか、小さな唇を開いた。



「わたしもそれで構わない。むしろ、わたしがご馳走を用意しなければいけないと思っている」

「なんと、そんなことまで考えてくれているとは……。うーむ、わしは幸せ者じゃな」



 その一方でソフィは不満そうに眉をしかめている。

 どうやら何か言いたいことがあるようだ。耳に痛いかもしれないが、無視するわけにもいかない。



「ソフィはどうじゃ?」

「妾も別に構わんのじゃ」

「そうか、構わんか」



 何か文句が出てくるかと思っていたが、ソフィは取り立てて反対することもなかった。それがソフィの本心なのかどうかはよくわからない。

 もし遠慮しているのであれば、そんな遠慮は無用だと伝えたほうがいいだろう。

 ただ、どうやってそれを伝えればいいのか悩んでしまう。



「本当によいのか?」

「なんじゃしつこい。妾はアデルだけが外で良いものを食べていても気にしたりはせんのじゃ。埋め合わせがしたいというのであれば、また今度でよい」

「ふむ……」



 これ以上深く尋ねないほうがいいかもしれない。文句があるのならこの段階で言うだろう。

 しかしそうなるとソフィが妙に不機嫌そうな理由がわからない。

 もしかすると、ソフィは自分に対してではなくリディアやシシィに対して不満を覚えたのだろうか。



 リディアとシシィは気にしなくていいと言ったが、一応それなりに美味しいものを用意しておいたほうがいいかもしれない。

 そう思ってアデルは顎の先を指で撫でた。









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