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第二部 第三章
ハンス・ジムプリチウス
しおりを挟む「どういうことだよアデル!」
家の中にハンスの声が響く。どうやら戸惑っているらしく、アデルのほうを見ながら目を見開いている。
元々体つきの細い男だったが、背が伸びたことでその印象はさらに強くなっている。手首と二の腕の太さがほとんど変わらないのではないかと思うほどだ。
肩幅も男にしては狭いし、顔つきにもまだ幼さが残っている。
そのハンスはいつもの眠たげな目を大きめに開けてこちらを凝視していた。
アデルは鷹揚に頷き、どうするべきか考えた。
出来ることならハンスと三人を引き合わせたくなかった。ハンスのことだから面倒なことにまで嘴の先を突っ込んで来る可能性がある。
さすがにすべてをありのまま話すわけにもいかない。
「まぁ落ち着けハンス。と、その前に……」
我が家の三人娘もさぞ戸惑っていることだろう。まったく知らない男が夕食後の私的な時間にやってきたのだから驚くのも無理はない。
そう思ったが、よくよく見れば戸惑っているのはソフィ一人だけだった。シシィの表情はいつもと変わり無い。何を考えているのかよくわからなかった。
リディアは絵の中にでも閉じ込められたかのように無表情だ。ソフィは怪しい男がいるとばかりに疑いの目をハンスに向けている。
「一応紹介しておくとするか。この男はハンスと言ってな、わしの友人じゃ」
「何言ってんだよアデル、俺たちマブダチだろ?! な!」
ハンスはそんなことを言いながらアデルの肩を叩いた。この男がこうやって気軽に自分の肩を叩けるほど背が伸びているという事実に今更驚いてしまう。
アデルはハンスの顔を見つつ尋ねた。
「まぶだち? なんじゃそれは」
「おっと、いっけね。ほら俺ずっと都会にいたからさ、つい都会の言葉が出るんだよなぁ。マブダチってのは親友って意味だ」
「それが言いたいだけじゃろおぬし」
都会にいたことがあると訴えたいだけに思えてしまう。
ともかく、ハンスの紹介は終わった。
「うむ、紹介も終わったことじゃしハンスよ、もう帰ってよいぞ」
「なんでだよ?!」
「いや寒くならんうちに帰ったらどうじゃ? どうせ我が家に泊めることは出来んしな」
「いやいや、何冷たいこと言ってんだよ。今度はそっちを紹介するのが流れだろ、っていうかなんだよどうなってんだよアデル! なんでお前の家に女がいるんだよ?!」
気になるのは仕方ないにしても、もう少し尋ね方というものがあるのではないかと思えた。我が家の三人娘を順番に紹介するというのも気が引ける。
「うむ、色々と事情があってな、今はこの三人と同居しておる」
「同居ッ! マジで?! 同居ってなんだよ?! どういう関係なんだよ?!」
「家主と同居人じゃ。うむ、疑問も解けたであろう。そろそろ帰ってはどうじゃ」
「おいっ! 人を追い出そうと必死になりやがって、チクショウ、どういうことだよ、っていうかなんなんだよ」
ハンスは憤懣やるせないと言った様子だ。どうやら、ハンスはリディアとシシィに対して腰が引けているらしい。普段のハンスであれば、相手が女であっても馴れ馴れしく話しかけてゆく。
しかし、今回は相手が違う。おそらく、普通の男であればリディアに対して話しかけることを躊躇うだろう。手の届かない存在だとその容姿がはっきり示している。
シシィもこんな田舎には不似合いなほど可愛らしい。妖精が間違えてやってきたのではないかと思うほどだ。
ハンスは心を落ち着かせるためか胸に手を当てて呼吸を繰り返した。
「と、とりあえず、なんだ、嫁とかじゃねぇんだろ?」
「……」
「なんで黙るんだよアデル! まさかあの二人のどっちかが嫁とか言うつもりか?!」
「落ち着けハンス」
「いや、直接言ったほうが早ぇな。あー、こほん、アデルの嫁いんの? いたら手ぇ上げて」
その言葉に三人がすっと手を挙げた。それを見てハンスが顎を落とす。
「はぁっ?! おいアデルどういうことだよ、なんで全員手ぇ挙げてんだよ! しかも幼女まで!」
「落ち着けと言っておるじゃろ」
「お、おう……、今のはなんかの間違いだな。そうに決まってる」
ハンスは再び薄い胸に手を当てて呼吸を繰り返した。それから小声で尋ねてくる。
「ところでこの可愛い子の名前は?」
「この娘はシシィと言う」
「へー……、あー、こほん。えっと、シシィだっけ? あのさ、マジでアデルの嫁なの?」
いきなり馴れ馴れしい態度だ。シシィが気分を害さないかと心配になってしまう。
シシィの表情はさっきからまったく変わっていないが、その顔の下で何を考えているのかまではわからない。シシィはハンスの言葉を無視するのかと思いきや、顔を上げてハンスに視線を向けた。
「わたしは」
「うわっ! 声かわいっ?! おいアデル、この子声まで可愛いぞ!!」
「ああ、わかっておる。落ち着け」
シシィが喋ろうとしているのを遮るのは失礼というものだ。シシィもさぞ気分を損ねただろう。その表情からはよくわからないが。
ハンスの非礼に怯むこともなく、シシィは短く答えた。
「わたしは、この人のもの」
バーン、と音を立ててハンスが扉を開いた。外にまで駆け出ると、地面に両膝をつき、指を組んで夜空を見上げた。
「神さま! アデルに天罰お願いしまっす! キツイやつ! めっちゃキツイやつでお願いします!」
「こらあっ! 何を祈っておるんじゃ!」
「神よ! あの男をハゲさせてやってください! おなしゃっす!!」
「ハゲてたまるか!」
ハンスは立ち上がり、家の中に戻ってきた。そのまま扉を閉めてやればよかったかと思ってしまう。
首を振りながらハンスが息を吐く。
「ふぅ……、俺の聞き間違いか。こんな可愛い子がお前、自分からアデルのものとか言うわけねぇよな」
「聞き間違いではない、わたしのすべては、この人の物」
「……」
シシィの素早い返答にハンスは言葉を失ったようだ。
何を思ったのか、ハンスはさらに尋ねた。
「す、すべて? っていうと……、か、体も含めて?」
「そう」
バーンと扉を蹴っ飛ばしてハンスが外へと駆け出す。膝を地面について夜空を仰ぐとハンスは大声で言った。
「神さま!! お願いします! アデルをハゲさせてやってください! 完パゲでおねがいしやっす!!」
「アホか!!」
戻ってきたハンスは再び息を吐き、首を振った。
「ふぅ、残念だったなハゲル、ハゲ決定だ」
「人を不吉な名前で呼ぶでない。それにわしはハゲたりせん」
「いーや、ハゲる。そんでこの子に嫌われるんだって」
「わたしはこの人の髪を好きになったわけではない。髪が無くなっても気にしない」
ドーンと音を立ててハンスが外へと飛び出して行った。
「神よ! 悪魔よ! 完パゲじゃ生ぬるい! もうアデルのチンコもげさせてやってください!」
「こらああああああああああっ!!!!」
人の家の前で何を口走っているのだ。うちには三人の娘がいるのに、下品なことを大声で叫んでいる。
祈りを終えたハンスが物凄い勢いで戻って来た。
「ふざけんなよモゲル!」
「誰がモゲルじゃ、モゲてたまるか!」
「いや、モゲるに決まってる! つーかもぐぞ!」
そんな馬鹿な言い争いをしていると、シシィが頬をやや赤く染めながら言った。
「もげるのは……、困る」
ドゴーンと音を立ててハンスは再び外へ。
「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム! アデルとかもう死んでいいと思います!! 人類みんなそう思ってます!!」
「こらああああっ!!」
祈りを終えたハンスが再び猛烈な勢いで戻ってきた。ハンスが出入りする度に冷たい空気が入り込むので迷惑なこと甚だしい。
そろそろハンスの口を塞いでおいたほうがいいのではないかと思うほどだ。
よほど体力が無いのか、ハンスは荒い息を吐いている。
「はぁ……、はぁ……」
「ハンス、そろそろ本気で怒るぞ」
「バカ! 怒ってるのは人類のみなさんだ! どういうことだよ、こんな可愛い子がお前、なんでアデルの嫁なんだよ!」
「色々あったからじゃ。もうよかろう、ほれそろそろ帰ったらどうじゃ」
「あっ、こら! 話を終わらせようとすんなよ! はぁはぁ……、い、いやまぁ百万歩譲ってだな、アデルに嫁が来るのはまだいいとしてもだな」
「そのまま百万歩ほど遠ざかってくれんか」
「遠ざかるかぁ! 何遠ざけようとしてんだよ?! 俺たちマブダチだろ!」
「案ずるでない、遠く離れてもわしらの友情は変わりはせん。安心して神のもとへ旅立て」
「友情も俺も死んでるじゃねぇか! とんだ一方通行じゃねぇか!」
ハンスは怒声を上げながら抗議してくる。いい加減この男を追い出さないと、うちの三人娘も怒りを覚えるかもしれない。
もう力づくで外へ連れ出してしまおうか。
ハンスが額を袖で拭いながら言う。
「はぁはぁ……、ふぅ、あまりのことについ冷静さを失っちまったぜ」
「尊い命も失わぬうちに帰ったらどうじゃ?」
「何で息の根止めようとしてんだよ。息の根止められるべきなのはどう考えてもお前だろうが、何で女を囲ってんだよ。しかも幼女まで」
「囲っておらんわ」
「なんなのこの幼女、他の二人と違って見てて落ち着くからいいけどさ。幼女まで囲うとか、マジでヤバイだろ」
幼女と連発されて、ソフィはむっと表情を曇らせた。
「その幼女というのは妾のことか?」
「あ、幼女が喋った」
「うぬぬ、さっきから黙って聞いておればなんじゃおぬしは! 失礼にも程があるではないか! 人の家にやってきてうるさいこと甚だしいのじゃ!」
「おいアデル、この幼女喋り方変だぞ」
ハンスは暢気にそんなことを言っている。リディアやシシィの前だと緊張するが、ソフィの前では特にそんなこともないようだ。
その気持ちはわからなくもないが、ハンスとソフィを心置きなく喋らせるのは遠慮したい。ハンスのような男は、ソフィに悪影響を与える可能性もある。
ソフィは椅子から立ち上がるとハンスを指差した。
「ええい、なんじゃ貴様は! アデルの友人じゃというから黙っておればズケズケと! 妾は幼女などではない、立派な大人で、アデルの嫁なのじゃ!」
「って幼女が言ってるけど嫁なのか?」
ハンスに尋ねられてアデルは眉を寄せた。肯定しても面倒だし、否定しても面倒なことになる。ここは話を逸らすしかないだろう。
「まぁソフィも落ち着け。今この男を叩き出すでな」
「おいこら! マブダチ追い出そうとしてんじゃねぇよ!」
「わかったわかった、また今度話を聞くでな」
「追い出す気満々じゃねぇか! チクショウ! 幼女囲ってるって言いふらすぞコラ!」
「アホか、囲っておらんわ」
変なことを言いふらされては困る。ただでさえ妙な評判があるのに、これ以上増やすわけにはいかない。
とりあえずさっさとお引取り願うしかないだろう。
アデルはハンスの肩を掴み、ぐいぐいと押した。ハンスは押し返そうと躍起になっているが、体重差の前に押し流されてゆく。
このままハンスを外へ出そうとしたところで、ソフィはさらに声を荒げた。
「ええい、ハンスとか言ったなこの阿呆! 妾を虚仮にしておいてそのまま去るつもりか!」
「苔? なんだよ苔って。変なこと言う幼女だな」
「幼女ではないわ! うぬぬ、なんという阿呆じゃ、妾は立派な女なのじゃ」
「チビじゃん」
「チビではないわ! 確かに今は小さいかもしれんが、妾は痛みに耐えて股を開く練習をしておる。いずれグングン成長するのじゃ」
「マジかよ?! アデルお前こんな子にまで手ぇ出してんのか?!」
「出すかああああっ!!」
ハンスは驚愕を顔に張り付かせてこちらを凝視している。ソフィの言い方では酷い誤解が生じてしまう。
「ア、アデル、いくら可愛いからってまだ子どもじゃねぇか、やべー、お前にそんな趣味あったのかよ」
「アホか、何にもしておらんわ!」
「いやでも股開かせてんだろ。育てて食うにしてももうちょっと待てよ」
「食うか! いいから落ち着け」
「美女二人囲うだけじゃなくて幼女にまで手ぇ出すとか……。はっ、まさかお前、女の美味しい時期を全部味わい尽くすつもりか?! どんだけ外道だよ!」
「味わい……」
アデルは右腕を振りかぶった。
「尽くすかあああっ!!」
握った拳をハンスの脳天に叩き込む。
懐かしい感触が拳に伝わってきた。ハンスの背が伸びたせいで、頭が殴りにくい位置にまで来ている。
ゴン、と鈍い音が家に響き渡った。
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