名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

襲来

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 乾いた薪は香気を散らしながら炎を揺らめかせている。炎は差し出された餌に煌々と照る舌を伸ばし、薪の表面を舐め上げた。

 味見をするかのようにその表を覆った後、軽い音を立てて薪を咀嚼してゆく。パチパチと鳴る炎の歯音が家の中に響き、夜の静けさに相槌を打った。

 炎は暖炉の檻に閉じ込められ、不満そうに縮こまっている。アデルは暖炉の中に太めの薪を差し入れて、炎を肥えさせにかかった。



 薪を足した後で椅子に腰掛け、ふぅと息を吐いた。

 夕食を食べ終えた後に、気だるい空気が訪れている。夜はすでにその勢力で地上を覆い尽くしてしまったが、眠るにはまだ少々早い。



 リディアはソフィの隣に座って何やら話しかけているし、シシィは満腹になったのか少し眠そうに目を伏せていた。

 実に平和な時間だ。こういう時間こそが人生の中で大切なのだろう。



 平穏は華美に勝る。心労の無い生活こそが何よりも重要なのだ。

 富と名声を手に入れたことなどないので比較はできないが、そういうものより大切な誰かと過ごす夜のほうがきっと価値があるに違いない。



 静かな夜もいいが、時には少し賑やかでもいいだろう。

 アデルは村長から借りてきたギターに目を向けた。長さは自分の片腕にも満たない小さな弦楽器で、胴は梨のように中央がくぼんでいる。

 その胴体には拳が入るほどの穴が開いていて、弦を鳴らした音がそこで増幅される仕組みになっている。



 概ね、弦を弾いて鳴らす楽器というのはあまり音が大きくない。笛やラッパはどこまでもその音色を響かせることが出来るが、弦楽器というのは総じて音が小さい。

 胴を大きくしたり、胴の中で音を共鳴させても、他の楽器には及ばないのだ。

 このギターも、音の小ささを補うために低音弦は復弦になっている。つまり、弦を近いところに二つ並べているのだ。

 これによって微妙にズレた音が鳴るようになっている。一番奥の、最も高い音が鳴る弦だけは一本になっているが、他の三コースはすべて復弦になっている。



 おかげで調弦するのも一苦労だ。ギター奏者は調弦のために人生の一割を費やすなどと言われているくらいで、より良い演奏をしようと思えば調弦に心を砕かなければいけない。

 アデルは椅子から立ち上がり、ギターのほうへと手を伸ばした。



「あ、誰か来たわ」



 リディアが急にそんなことを言った。こんな時間に一体誰が来たというのだろう。

 すでに夜の帳は降りてしまっている。それをくぐってやってくるのだから、何か重要な用があるに違いない。



 アデルが扉のほうへ目を向けた瞬間、若い男の声が扉の向こうから聞こえた。



「おーいアデル、いるんだろ」



 今の軽い声はハンスのものだ。さらに扉をドンドンと叩いてくる。

 アデルの眉間に深い皺が寄った。ハンスが何をしに来たのかは知らないが、今はハンスを家に招くわけにはいかない。

 なにせ家にはリディアとシシィとソフィがいる。この三人についてハンスに色々と説明するのは骨が折れるだろう。



 アデルは扉の向こうへと声をかけた。



「その声はハンスか?」

「おう! 遊びに来たぜ」

「おお、よく来たのう、帰っていいぞ」

「なんでだよ?!」



 ハンスの怒った声が届く。このままでは無理矢理扉を開けかねない。我が家の三人娘は怪訝そうにこちらを見ている。その顔を順番に見渡しながら、アデルは人差し指を唇の前に立てた。

 少しの間黙っていてほしい。



 アデルは扉を開けられてしまわないように手を扉にかけ、向こうにいるであろうハンスに声をかけた。



「ハンス、こんな時間に一体何の用じゃ」

「なんだよ、用が無きゃ来るなってことかよ。別にいいだろ、こないだ久しぶりに会ったのにそれから全然会ってねぇし、つーか今日泊めてくれよ、腹減ったしなんか食わせてくれよ」

「いやいや、泊めるわけにはいかん」

「つーか話するにしても入れてくれよ、寒いっつの」

「まぁ落ち着けハンス、おぬしもこんなところまで来て寒い思いをしておるじゃろう。しかし我が家は少々散らかっておってな」

「気にしねぇって、俺の部屋のほうが絶対汚ねぇし」

「なんと、わしがあれほど口を酸っぱくして言ったのに、まだ部屋が散らかっておるのか。もっとこまめに掃除をせんか」

「はぁ? だったらアデルも掃除しろよ」



 いけない、今のはハンスの言葉のほうが正しい。

 まずい。このままハンスにお引取り願いたいが、向こうは中に入れろと迫っている。ハンスを三人に会わせると面倒なことになりかねない。



 何か良い案は無いか。

 とにかく、家の中に入れさえしなければいいのだ。別にハンスと話すのが嫌なわけではない。この際だから外に出てしまおうか。

 どこへ行くか。今からロルフの家に行くのはさすがに迷惑だろう。町まで行って、どこかの居酒屋にでも入るか。



 今の時間ならどこかの店が開いているだろう。とりあえずはそこで行くのがいいかもしれない。

 ただ、外に出るためには扉を開ける必要がある。扉を開ければハンスは家の中を見るだろう。そうなれば誰かがいることに気づく。



 どうする。三人には扉が小さく開いても見えない場所へ移動してもらうか。

 しかしそんな指示を出せばハンスにも聞こえてしまいかねない。それに、三人ともこちらの様子を興味深げに見ている。何をしているのかが分からないのだろう。

 そもそも外にいるのが誰なのかも分かっていないのだ。



 こうなったらハンスの視線を逸らすしかない。



「おお! ハンス、おぬしの後ろに裸の美女が立っておるぞ!」

「マジでっ?!」



 アデルは扉をさっと開けると自身の体を滑らせて外へ出た。冷たい空気が肌を刺し、身震いしてしまう。

 ハンスはランタンを持ったまま後ろに首を向けている。着込んでも細い体は、見ているだけで寒々しい。

 後ろに裸の美女がいないことに気づき、ハンスが首を戻す。



「いねーじゃねぇか! ってうわ、びっくりした。いきなり出てくんなよ」

「おお、ハンスよ久しぶりじゃな。いや元気そうで何より」

「元気じゃねぇよ、寒くて凍えそうだっての。家の中入ろうぜ」



 こちらの体を避けてハンスが家の扉に手をかけようとした。アデルがその手首をガシッと掴む。



「まぁ待てハンス、積もる話も色々あるじゃろう。このまま居酒屋にでも繰り出そうではないか、わしも久しぶりに美味しいものが食べたいでな」

「はぁ? なんだよ、アデルの料理のほうがウマイって。なんか作ってくれよ」

「生憎じゃが食材が無くてのう。まぁよいではないか、酒でも飲みながらのんびりと」

「ふーん、まぁ別にいいけど」



 よし、このままハンスを連れて町へ行こう。今ハンスと三人を引き合わせるのはまずい。どうやって説明したらいいものかわからない。

 一応それらしい嘘なら並べ立てることが出来るが、ハンスは何の遠慮もなくもっと深く踏み込んでくるだろう。



 あまり多くのことを人に尋ねれば失礼になるが、ハンスはそんなことを気にしたりしない。面倒なことにまで首を突っ込んでくるはずだ。

 このままさっさと居酒屋に行ってしまおう。



「さぁハンス、善は急げじゃ。行こうではないか」

「でも俺金持ってねぇからさ、アデル、代わりに払ってくれよ」

「は? わしこそハンスに立て替えてもらおうかと思っておったが」

「なんでだよ、家の中に戻って金持って来いよ」



 ハンスの言い分はもっともだ。家の中から金を持ってくるのが筋というものだろう。

 しかし今は扉を開けるわけにはいかないのだ。



「う、うむ……。実は財布を失くしてしまってのう、金が無い」

「だったら居酒屋行ってる場合じゃねぇだろ」



 ごもっともである。ハンスはいつもの眠たげな目をさらに細めて、じーっとこちらを見てきた。何かを怪しんでいるかのようで、アデルは冷や汗をかいた。

 こうなったら面倒ではあるが、一旦ロルフの家に行くほうがいいかもしれない。ロルフも誘い出し、ロルフに代金を立て替えてもらう。

 そうすればすべてが丸く収まるはずだ。



「ねぇアデル、財布あったわよ、はい」

「おお、悪いのうリディア」



 アデルは後ろから差し出された財布を受け取り、ポケットの中に仕舞った。

 ぱたん、と軽い音を立てて扉が閉まる。



「ってなんで出てくるんじゃ?!」



 アデルは振り返って扉を見た。扉が物を言うわけもない。



「おいアデル、今のなんだ?! 今家からなんかすげぇ美人が出てきたような気が」

「見間違い、見間違いじゃ」

「ってんなわけあるか! お前何隠してんだよ!」



 さすがにもう隠しきれそうにない。

 アデルは大きく溜め息を吐いた。白く濁ったその息が、闇夜の中へ消えてゆく。











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