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第二部 第三章
脱ぐ女
しおりを挟むソフィは蔵の中を移動しながら熱風を撒き散らした。
この広い蔵を暖めようと思うと、結構な量の熱風を生み出さなければいけない。炎を出す魔法を使ったほうが早いかもしれないが、さすがに室内で火を出すのは恐ろしい。
その間にリディアは壁から少し離れたところで木材を積み始めていた。
まだ伐られて間もないらしく、樹液のツンとした匂いが漂ってくる。乱雑に積み上げると、リディアは満足したのか腰に手を置いて胸を張った。
蔵の中がある程度暖まったところで、リディアは床に置いた桶を指さした。
「じゃあソフィ、この中にお湯お願いね。熱々でいいから」
「なんとも人使いの荒い」
そうは言いつつも、ソフィは魔法で熱湯を生み出し桶の中を満たした。その様子を見ながらリディアが頷く。
「さすがだわソフィ」
「妾にかかればちょちょいのちょいなのじゃ」
リディアは頭に巻いていたスカーフをベッドの上に放り投げ、代わりに布を持ってきた。さらに上に着ていた服を脱いでぽいぽい投げてゆく。
それだけでなく、リディアは首の後ろあたりに手を回した。どうやら紐を解いたらしい。腕を袖から引き抜いたかと思えば、ワンピースを一気にずり下げて上半身を露出させた。
豊かな胸を覆っていた下着も外し、ベッドの上に放り出す。
「おお……」
あまりの脱ぎっぷりに驚いてしまう。リディアの上半身は素っ裸で、何も身につけていない。その背中を眺めていたが、思わず見とれてしまった。
腹周りは細いのに、腰からお尻にかけて豊かな膨らみが美しい曲線を描いている。背中には結構な筋肉がついているようで、背骨のごつごつした形はまったく見て取れなかった。代わりに大きな縦のくぼみが背を貫いている。
リディアは布を桶に浸し、それから強めに絞った。
「ふぅ、寒くて嫌になっちゃうわね。ソフィ、暖かい風もっとちょうだい」
「そんな格好をすれば寒いのも当然なのじゃ」
リディアは体を拭き始めた。おそらく木々を伐るなり薪を集めるなりをしていて、汗をかいたのだろう。ソフィは魔法で熱風を送りながら、リディアの姿を眺めた。
こうやって見ているだけで美しいと思ってしまう。
神が自らペンを執って描けばこんな曲線になるのかもしれない。
リディアの腕が動く度に肩甲骨が移動し、体の曲線は艶かしく揺れ動く。このような光景を眺めていられるというのは、おそらく幸運なことに違いない。
「アデルがこのような姿のリディアを見れば、おそらく大喜びなのじゃ」
「何言ってるのよ、体を拭いてるとこなんて見せられないわよ。色気も何も無いじゃない」
「そうかのう」
「そうよ、脇の下を拭いてるとこなんて恥ずかしくて見せられないわ」
そうは言うが、この世の多くの人はリディアの姿を見て喜ぶに違いない。
こうやって自分の目に写るものが美しいのかどうかは判断できる。しかし、自分のこととなるとまた違ってくるのだろうか。
自分の感性はどこまで普遍的なものなのだろうか。
「リディアよ、リディアほどの美人であれば、今まで出会った者たちすべてに美しいと褒め称えられたのではないのか」
「ん? まぁそうね」
誇るでもなく、まるで些事のように肯定してしまった。こんなことが言える女などこの世に一体どれだけいるのだろう。
ともかく、リディアを美しいと思う自分の感覚は世間一般のものと相違が無いようだ。
「ところでリディアよ、妾の容姿は可愛いかのう?」
「あら、変なこと言っちゃって。大丈夫よ、誰が見たって可愛い女の子よ」
「本当にそう思っておるか?」
「なんでこんなことで嘘つかなきゃいけないのよ」
上半身を拭き終えると、リディアは放り投げていた下着を再び身に着け、服をずり上げて袖を通した。上着を着込んだ後で椅子に座り、今度は脚を拭き始めた。
めくれ上がったスカートからリディアの脚が覗いている。艶かしい様子につい視線が行ってしまった。
桶の中の湯で布を洗った後、リディアは靴を脱ぎ、桶の中に素足を突っ込んだ。
「やーん、あったかいわ」
足から伝わってくる熱がよほど心地よかったらしい。そういえば足を暖めるのは良いことだと聞いたことがある。
昔、リーゼが足湯について話していたのだ。その時は大して興味をそそられなかったが、こうやってリディアが気持ち良さそうにしているのを見ていると体験したくなってくる。
リディアはふぅと息を吐いて背もたれに背を深く預けた。どうやらまったりした気分を味わっているらしい。
ソフィは熱風を送るのをやめて、椅子に腰掛けた。杖を軽く振りながら肘をテーブルの上に置く。今日は掃き掃除ばかりしていたから少し疲れてしまった。
リディアは桶の中でばしゃばしゃと足を動かしている。
「ふー、今日はもう大変だったわ。シシィの奴隷かっていうくらいシシィにあれこれ言われながら働いたんだから」
「ほう」
「まぁ仕方ないわね、あたしがやったほうが早いし、あたしのほうが力があるし」
「適材適所なのじゃ」
「それにしても早く雪降らないかしら」
「どういう話の流れじゃ」
何故いきなり雪の話になったのかさっぱりわからない。それに、雪が降るほど寒くなるのは困る。
リディアは首を振りながら言った。
「違うわよ、木材を運ぶのに都合がいいのよ。さすがに家を建てるのに使うような量だと、エクゥとアトに引っ張ってもらわなきゃ。その時に雪があると雪の上をこう滑らせるから、一回で沢山運べるのよ」
「ほう……」
確かに丸太を引っ張るのであれば、乾いた土地よりも雪の上のほうが摩擦が少ないかもしれない。
今までそんなことを考えたことが無かったから、リディアの示した方法は新鮮なものに感じられた。
「それにね、今日森の中に入ってて気づいたんだけど、ちょこちょこ人が出入りしてるみたいなのよね」
「死の森にか?」
「そうそう、それにしてもそんな名前付けた人ってどんな感性してるのかしら」
「いやそれは魔物がおるとか、森の木々が死にかけておるとか、そういう理由であろう。安直ではあるが」
「なるほどね、まぁともかく、なんか人が出入りしてるっぽいのよね。困ったわ」
「魔物がおらぬようになったのじゃ。あの森もいずれはどこぞの偉い人のものになってしまうであろう」
「そうよね、だから早いうちに必要な木材を運ばなくちゃいけないんだけど……」
リディアは首を上に向けて天井を眺めた。どうやら快適さがリディアから思考能力を奪っているようだ。
「木材を運んでも乾燥させなきゃいけないもの。とりあえず、シシィは今日運んできたので色々実験してみるって言ってたけど」
「あれか」
ソフィは乱雑に積まれた木材へ目を向けた。
「そう、薪にするにしても本当だったら半年か一年、それ以上かけて乾燥させなきゃ使いにくいんだけど、魔法でなんとかしてみるって言ってたわ」
「ほう、そのようなことまで出来るとは」
「出来るかどうかは知らないけど、シシィだったらまぁ大丈夫でしょ」
そのあたりについてはシシィを信頼しているようだ。
リディアは大きく息を吐くと、お湯の中から足を引き抜いた。ほこほこと白い蒸気がリディアの足からも上がっている。
布で足を拭き取ると、そのまま靴下と靴を履いた。
「ふぅ、ソフィのおかげで随分あったまっちゃったわ。次は家をあっためなきゃ」
「それはシシィがやっておるのではないのか」
「ま、そうだけど、それ以外にもあるでしょ。ほら、暖かい料理を用意するとか、可愛い娘たちが暖かいお出迎えをしてあげるとか、そしたらお父さんも喜ぶわ」
「お父さん? なんじゃ、アデルのことか?」
「他に誰がいるのよ」
リディアは当然とばかりに断言した。椅子から立ち上がると、湯の入った桶を拾い上げる。
どうやらもう家に戻るつもりでいるらしい。
「さて、行きましょ」
「うむ?」
ソフィも立ち上がり、桶を持ったリディアの後に続いた。どうやら家に戻るつもりのようだ。
行くなどとリディアが言うから、どこに行くのかと一瞬戸惑ってしまった。戻ると言わずに行くと言うのは、自分からすれば少し奇妙に思えてしまう。
今のは無意識のうちに選んだ言葉だったのだろう。
なら、アデルをお父さんと呼んだのは意識的だったのだろうか。
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