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第二部 第三章
頼みごと
しおりを挟む冬を前にして季節は少しだけ後ずさりしたようだ。しばらくは寒い日が続いていたが、空気にわずかな暖かさが混じっていた。
ここ最近の寒さに慣れきっていたから、この程度でも暖かく感じられる。
アデルは朝から村の中央で落ち葉の掃除に精を出していた。自分だけではなく、村人たちも外に出てあちこち掃きまわっている。
こうやって掃除をしている間にも葉は少しずつ落ちてゆく。それを見ていると徒労のようにも思えてくるが、やらなければいけないのだ。
後回しにするとこういうのは段々と面倒くさくなってくる。
太陽が段々と高さを増してゆく。生暖かい風はやや強く、重なった落ち葉をすぐに運ぼうとしていた。
アデルは箒を片手に持ち、落ち葉を集めて回った。
「チビたちは暢気なものじゃのう」
そう呟いたものの、すぐ近くにいたロルフは反応してくれなかった。ロルフは黙々と落ち葉を集めている。
仕事に熱心なのはいいが、少しくらいお喋りに付き合ってくれてもいいだろうと思わないでもない。
村のおチビたちは、集められた落ち葉の上ではしゃぎまわっていた。落ち葉をすくいあげて投げ上げてみたり、落ち葉の上に倒れこんだり、やりたい放題だ。
せっかく積んだ落ち葉を乱されるのは困ったものだが、チビたちがはしゃいでいるのを止めるのも気が引けた。
それより気になるのがソフィだった。ソフィも朝から一緒に箒で落ち葉の掃除を手伝ってくれている。手伝いといっても、ソフィの主な担当はチビたちの世話だ。
カールもソフィと一緒になって落ち葉を掃き集めていた。
アデルはソフィのほうへと近寄った。村娘らしくエプロン付きの素朴な服を着ている。長い黒髪は三つ編みにしてあり、頭のてっぺんにはスカーフを巻いていた。
「ソフィもおチビちゃんたちと一緒に遊んだらどうじゃ」
「む? なんじゃ、妾はそんな子どもではないのじゃ。あっ、これイレーネ、落ち葉を乱すでない」
ソフィはお転婆なイレーネに注意を飛ばし、散らばった落ち葉を箒で寄せ始めた。やるべきことに取り組む姿は実に素晴らしいが、もう少し適当でもいいのではないかと思ってしまう。
自分が子どもの頃は遊びすぎて怒られていたような気がする。
ロルフはある程度落ち葉が溜まってきたのを見て、大きな箱を持ってきた。
のっしのっしと大柄な体で歩み寄ってくると、ロルフは箱を地面に置く。
それからチビたちに目を向けて、箱をバンッと叩いた。
「さぁ、集めた落ち葉をこれに入れておいてくれ。こぼさないように気をつけてな」
そう言うとロルフはさっさと元の位置へと戻ってしまった。集めた落ち葉は堆肥作りに利用することになっている。ロルフの家のすぐ近くに、村で使う堆肥を作る場所があり、そこへ落ち葉を運ぶのだ。
さすがに大量の落ち葉を一気に堆肥へ混ぜ込むと堆肥に悪い影響が出るので、間隔を置いて混ぜてゆくことになる。
ロルフから仕事を任されたチビたちは両手で落ち葉をすくいあげて箱の中へと放り込み始めた。非効率的に見えて、アデルは頬を掻いた。こんなもの、箱を横倒しにして、その中に落ち葉を掃き入れればすぐに終わるだろう。
ただ、ロルフは効率を重視するのではなく、子どもたちの楽しみと仕事という二つのことを考えているに違いない。
ソフィはチビたちの仕事ぶりを見つめ、箱に入らずこぼれてゆく落ち葉を箒で集めていた。
「こりゃ、もっと綺麗に入れるのじゃ。バラバラになっておるではないか」
ソフィにそう言われても、チビたちの動きには変化が無い。ソフィもそれ以上何かを言う気を無くしたのか、こぼれた落ち葉を掃き集めていた。こうやってチビたちを見守るのもソフィの仕事だ。
「さて、わしももう少し頑張るとするかのう」
ロルフもソフィも自分たちの仕事に精を出している。違う場所へ移動しようとした矢先、村長が杖を突きながらのんびり歩いてくるのが目に入った。
村長はフェルトの帽子を目深に被り、背を曲げたままゆっくりと歩いている。冬になったからか、鶏がらのように細い肩にケープを羽織っていた。
ちょうどいい機会だ。村長に頼みたいことがあった。
「おお、村長、今日も元気そうじゃのう」
村長は帽子の下からぎろりと細い目を光らせ、こちらに視線を向けた。村長は自分よりも背が低いから、こちらを見上げる時はどこか睨んでいるような目つきになる。
おそらく背を反らすとか首を上げるといった動作も、老齢の村長にとっては労力のいる仕事なのだろう。
「なんじゃアデルか」
「うむ、実は村長に頼みたいことがあってのう。村長の持っとるギターを貸してくれんか?」
「ギター? ふむ……、まぁよかろう」
「おお、本当か。それは助かる。いやなに、色々とあってじゃな、ソフィにも音楽やら歌の楽しみを知ってもらいたいと思っておってな」
「まぁ待て、代わりにワシの頼みも聞いてもらおう」
「は?」
村長は落ち着いた様子でこちらを制してきた。こちらの頼みを引き受ける代わりに、自分に何かをやらせようと思っているのだろう。
「と、いうかじゃな村長、わしがギターの話などせずとも、どうせわしに何か頼むつもりでおったのじゃろう」
「鋭いではないか」
こちらが村長に借りを作る格好になったから、村長が頼もうとしていることを引き受けなければいけない状況になってしまっている。
村長はいつもの枯れた声で言った。
「別に大したことではない」
「嫌な予感がするんじゃが……」
「ちょうどいい、ロルフにも頼もうと思っておった。ロルフも呼べ」
「ちょっと待った村長、なんぞ面倒ごとを頼もうとしておらんか?」
何故ロルフまで呼ぶ必要があるのだろう。自分ひとりでは出来ないようなことだろうか。
結局ロルフを呼びに行くことになった。わざわざ人気のない場所へと移動し、村長は長い白ひげをさすりながらこちらの顔を見つめてきた。
ロルフも何やら嫌な予感がしているらしい。
「村長、何の話だよ」
「別にそこまで緊張せんでもよい。頼みというのは他でもない、実は豚の屠殺をする日が決まったでな、おぬしたち二人に行ってもらいたい」
「それは、別にいいけど……」
ロルフは拍子抜けしたように大柄な体を縮めた。アデルも予想外の言葉に少々戸惑った。
豚の屠殺は確かに大事な仕事だ。昔はそれぞれの村がやっていたが、今では事情が異なっている。毎年それぞれの村が交代で屠殺場として選ばれ、そこでこの近隣の村が所有する豚を一気に屠殺することになっている。
豚の屠殺となるとなかなかの大仕事だ。大量の湯水と人手が必要になる。しかし、冬を前にやらなければいけない。
屠殺は、肉が腐らず、そして豚の脂が固まるような日に行う。
「村長、まだ何か言いたいことがあるじゃろ」
「よくわかったな。今年はやや大掛かりでのう、泊まりでの仕事になる」
「む? 泊まりか……」
その言葉を聞いてアデルは目を細めた。ソフィがこの村に来てからというものの、家を空けるような仕事は避けていた。どこかへ出稼ぎに行くということもなく、ずっと村にいるようにしている。
ただ、今は状況が違う。リディアとシシィがいるから、一日家を離れたところでどうということもないだろう。
村長はひげを撫でながら続けた。
「おぬしたちにももう少し屠殺の技術を磨いてもらいたい。まぁ勉強じゃな」
「ふむ……」
豚の屠殺ならロルフも自分も経験はしている。ただ、速さや正確さといった点では確かにまだまだだろう。その辺りの経験を積んでいくのは村長が言う通り重要かもしれない。
それくらいのことなら引き受けてもよいが、まだ気になることはあった。
こんな話であれば、わざわざ場所を変える必要などない。つまり、村長はまだこちらに伝えたいことがあるのだ。
しかも、その内容を他に漏らしてほしくないと考えている。
ロルフなどは話はまとまったとばかりに安堵しているが、こちらはまだ神経を緩める気分にはなれない。
どうやら村長はそんな自分の様子に気づいたようだ。
「アデル、おぬしも実に鋭くなったのう。喜ばしいかぎりじゃ」
「と、いうことは村長、まだわしとロルフに頼みたいことがあるということか」
「その通り」
村長が頷いたのを見て、ロルフが細い目を大きく開いた。まだ何かあるのかとハラハラしているようだ。
アデルは眉を寄せて小柄な村長を見下ろした。
「なに、大したことではない」
そう言ってから村長はその内容を語った。
村長の頼みごとを聞いて、アデルは胃袋が痛くなってゆくのを感じた。
「それを……、わしとロルフにやれ、と」
村長がこともなげに頷いた。
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