名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

昏天

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 空の中に生まれ来る星は瞬きを繰り返しながら地上を見つめていた。太陽は地平に飲み込まれ、光の尾を天に向かって放射している。

 太陽のいない空で月は我が物顔で欠けた姿を晒し、取り巻く星たちを従えてゆっくりと太陽を追いかけていた。



 冷たい空気が爪の間から忍び込んでくる。これ以上この寒さに耐えるのも辛い。

 その中で、リディアから伝わってくる熱は貴重なものに感じられた。

 リディアはこちらの両腰に手を置いて、腹部を押し付けてきている。服越しとはいえ、その温もりによって冷たい空気が押し出されていた。



 もっと強く触れ合ったなら、もっと暖かくなれるだろう。しかし、今はその時ではない。

 リディアは軽く背を反らしながら、まっすぐこちらの顔を見上げていた。





「アデルにとって、やっぱりソフィは妹さんの代わりなの?」

「……そういうわけではない」



 そう思いたい。しかし、否定が出来るほど確固たるものではなかった。



「アデルは妹さんを亡くして、代わりにソフィが立派な女になって、それでアデルの元から巣立って、幸せになるのを望んでるのよね」

「そうなればよいと思っておる」



 自分がソフィを引き取ったのは、自分の妻にするためなどではない。ソフィがあんな神殿で一人きりの暮らしを続けるのを不憫に思ったことが大きかった。

 それに、妹にはしてやれなかったことを、ソフィにしてやりたいとも思った。

 しかし、ソフィは何を間違ったのか自分に惚れてしまったようだ。農夫の嫁としてこの村にやってきたつもりになっている。



 リディアは軽く身をよじってから、穏やかな表情でアデルの瞳を見つめた。



「でもね、アデルはソフィがいなくなるのに耐えられるの? 変な夢を見て、ソフィに縋りついてたのに」

「……それは、わしの心がまだまだ弱いだけの話じゃ。ソフィもいずれは心配する必要が無いほど成長し、わしを安心させてくれるじゃろう」

「無理よ、アデルはね、ずっとソフィのことを心配し続けるわ。だって、シシィのことでもアデルはずっと心配してたんだもの」

「ぬ……」



 アデルは言葉に詰まって眉を顰めた。リディアが言う通り、シシィのような猛者が相手であっても、自分はその身を案じて眠れぬ日々を過ごした。

 シシィなら、自分のような男でも対処できない問題でさえ難なく打破できるはずだ。そう思っていながら、もしかしたら何かがあったのではないかと心は揺れ動いた。



 自分がどっしりと構えていれば、うろたえずに済んだかもしれない。



「わしも少々心配性というか、心の弱いところもある。しかしいつまでもそうやって弱いままではいかんと思っておる。ソフィの成長に負けぬよう、わしも強くならねばな」

「無理よ」



 リディアはすっぱりとアデルの言葉を断った。体を縦半分に斬り裂かれたかのような心地になってしまう。



「ねぇアデル、大切な人が去っていくのに耐えるのって、それって強さなの?」

「己の我がままでソフィをこの村に縛り付けるのは、わしの弱さゆえであろう」

「どうしてそれが我がままなの? 大切な人と一緒に居たいっていう気持ちは、弱さなんかじゃないわ、愛よ」

「その気持ちが通じ合っておらねば意味が無かろう。誰かを誘拐して我が物にすることを愛とは呼ばん」

「アデルとソフィの気持ちは通じ合ってるじゃない。ソフィもこの村に居たいって思ってるし、アデルと一緒に暮らしたいって思ってるわ」



 確かにソフィはそう思っているかもしれない。ただ、それは幼い女の子が今考えていることであって、いつかは考えを変えることもあるだろう。

 幼い時に何もかもを決め付ける必要などないのだ。



「ソフィはまだ小さい。将来のことを今決めるより、色々と学び、体験し、自身の成長と共に進むべき道を見つければよい」

「いくら幼くたって、一生大切な人が誰かくらい、ソフィは知ってるわ」

「ソフィがわしを素朴に慕ってくれるのは無論嬉しいことではある、しかし」



 続けようと思った時、リディアはさらに腰をひきつけてきた。リディアの腹部に自分の腰が押し付けられていて、どうにも居心地が悪い。

 それなのに、リディアは平気な顔でこちらを見つめてくる。その距離も段々と近くなっていた。



 太陽は地平の向こうへ沈もうとしていた。リディアが夕日を背で受けているせいで、リディアの顔は影の中に沈み、陰影の無いのっぺりしたものに見えた。

 冷たく吹く風が背中に冷たい。リディアと触れている部分だけが暖かく感じてしまう。だが、リディアと触れている箇所が熱くなるのは困る。



「ねぇアデル、強くなんかならなくてもいいじゃない」

「しかしそれでは」

「大切な人を失う辛さなんて、誰も乗り越えられないわ。でも、それが弱さなの?」

「……そうは思わんが」

「離れたくない人と、ずっと一緒にいたいって思うのは、弱いから? だったらあたしは、弱いほうがいいわ。ずっと弱くていい。アデルと、ソフィと、シシィと、みんなで暮らしたい。ずっと一緒にいたい」



 リディアがそう訴えてくる。とても自然な感情で、リディアの心の奥底から出てきたものだと思えた。

 そんな人生があれば、きっとリディアは幸せになれるだろう。

 リディアは表情を変えずに続ける。



「あたしも、シシィも、ソフィも、それを望んでるの。アデルが望めば、みんな手に入るわ」



 弱さは克服できないのだろうか。リディアが言うように、大切な人と離れるのはいつまで経っても辛いことなのかもしれない。

 人としての情を持つ限り、大切に思う人がいる限り、愛別離苦からは逃れることが出来ないのだろう。

 だからといって、誰かの成長を喜ばず、縛りつけるような真似はしたくない。もしソフィがさらなる飛躍のために村を出ようと思った時、自分はそれを応援してやる必要がある。

 寂しくても、辛くても、ソフィが望むのであれば耐えなければいけない。



 リディアが言うように、ソフィが大事である限りその寂しさは避けては通れないだろう。

 だが、人生には享受すべき痛みがある。いつまでも子どもではいられないように、大人は辛い現実の中で悪戦苦闘しなければいけない。



 リディアの吐息が胸に当たる。地上の昏さはリディアから色を奪い去っていた。

 空は星の装飾具を纏いはじめ、散りばめられた宝石の輝きを地上に投げかけている。

 夜に呑まれそうになっていても、リディアの美は星にさえ引けを取らない。穏やかな笑みが張り付いたようにリディアの顔を覆っている。



「ねぇアデル、きっと楽しいわよ。これからね、あたしもシシィもアデルの子を産むの。賑やかになって、騒がしくなって、大変なことも色々あるけど、みんな仲良く暮らしていくの」

「……そうじゃな、そうなればきっと愉快に違いない」



 そうなればリディアも寂しさを感じずに済むだろう。



「うん、あたしがね、お母さんになるの。アデルの赤ちゃん沢山産むの。アデルも、あたしに沢山産んで欲しいんでしょ。だからね、あたしいっぱい頑張るわ。アデルにもね、いっぱい気持ちいいことしてあげたいの。アデルのこと、喜ばせてあげたいの」



 言葉とともに、リディアがさらに腹を押し付けてくる。身長差のせいで、リディアの腹は自分の下腹部に当たっていた。その状態からリディアはやや背を反らし、こちらの顔をまっすぐに見上げている。



「それで、あたしがお母さんになって、アデルがお父さんになるの」

「うむ、わかっておる」

「家族になるのはね、みんなが幸せになるためなんだから、アデルもみんなの幸せのこといっぱい考えてね」

「無論、誰しもが愉快に暮らせるように尽力する」

「うん、お父さんもみんなが仲良くしてるほうがいいと思うでしょ?」

「お父さんて、気の早い」



 まだ子どももいないのに、父などと呼ばれるのはくすぐったい。そういうのはまだ先のことだろう。

 しかしリディアは小さく首を振った。



「別にいいじゃない。お父さんになるんだから、みんなのお父さんなの」

「まぁそういうのは、子どもが出来てからじゃな。わしもまだまだ若輩者じゃで、色々と迷惑をかけるかもしれんが」

「そんなお父さんをみんなで支えるのよ」



 リディアはそっと体を寄せてきた。二人の間にあった空気が押し出される。柔らかな感触が服越しに伝わってきて、胸が高鳴った。

 鎖骨の上にリディアが額を乗せる。むずがるようにリディアが体を捩らせた。



「あのね、アデルがあたしのこと幸せにしてくれるって、寂しい思いはさせないって言ってくれたの、すっごく嬉しかったの」

「その気持ちは変わっておらん」

「うん、だからね、そんなアデルのためなら、あたしなんでもしてあげたいなぁって思うの」

「なんでもって」

「なんでもはなんでもよ。ちゃんといい子にしてるから、いっぱい可愛がってね」



 可愛がるの内容が淫らな色を帯びそうになり、アデルは視線を上に向けた。

 これほどの美女にそこまで言われれば、男の奥底にある欲が刺激されないはずもない。だが、流されるのはまずいだろう。

 むしろ、そんなことを言わせてしまう時点で何かが間違っているのだ。



 見上げた空は夜の黒さに染まっていた。風の冷たさが指先を痺れさせてゆく。

 そろそろ帰らないと足元さえ覚束なくなるに違いない。アデルはリディアの背に手を回し、細い背をぽんぽんと叩いた。



「リディア、いい子ならそろそろお家に帰る時間じゃ」

「うん……」

「二人ともお腹を空かせておるかもしれん。ソフィとシシィの体調も気になるし、帰るとしようか」

「元気にしてるわよ」

「そうか」



 アデルはリディアの左手を取り、軽く引いた。手を繋いだまま歩き出す。

 夜は深い紺色を空に広げ、太陽の灯火を地平の向こうへと押しやっていた。日が沈むのも随分と早くなった。

 静けさの中に、鹿の鳴き声が紛れ込んだ。何処かの林の中で、鹿が鳴いている。雄鹿が雌鹿を求める声だ。

 きっと伴侶を探して歩き回っているのだろう。



 アデルはリディアの手を強く握り、歩調を速めた。

 愛のない幸せはないとリディアは言った。愛があるためには他の誰かがいなければいけない。

 リディアにとって、その中にはソフィも含まれているのだろう。ソフィの幸せが、リディアの幸せにも繋がるのだ。



 リディアが思い描く理想の中には、ソフィの姿も当然含まれている。

 その理想を現実にするために、リディアは色々なことを考えているに違いない。



 ただ、その理想を叶えてやれるかどうかはわからなかった。

 今の自分では何も決めることが出来ない。ソフィが成長する中で、自分も考えを変える日が来るのだろうか。





 

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