名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

文字の大きさ
上 下
474 / 586
第二部 第三章

黄昏の中

しおりを挟む



 日が暮れるのも早いもので、昼から少し仕事をしただけで空の色は真っ赤に染まっていた。

 アデルは通りなれた帰り道を上機嫌で歩きながら、歌を口ずさんだ。



「おーおブント、ブント、わーれらーがブント、ブントシューはーいていーざすーすめーホイッ!」



 シシィが帰ってきたのだから機嫌も良くなる。シシィが帰ってこないかもしれないという最も恐れていた事態は無くなり、これからはみんなで楽しく過ごしてゆけるのだ。

 冷たい空気でさえ今は心地よく感じる。心の高揚は高らかな歌となってアデルの口から溢れ、誰もいない道の上をアデルの歌声が渡ってゆく。



「わーれらーがブント、おーおわーれらーがブント」

「ねぇ、それって何の歌なの?」

「おわあっ?! な、なんじゃ?!」



 誰もいないと思っていたが、木陰から突然リディアが踊りだしてきた。リディアは紅玉のように赤い髪をなびかせて、こちらへと小走りで駆け寄ってくる。



「おお、リディアか……。なんで隠れておったんじゃ」

「ビックリさせようと思って」



 リディアは笑みを浮かべ、手を腰の後ろに回した。そんな体勢を取ると、胸のあたりが前に突き出てしまう。

 アデルはその豊かな胸につい視線を落とし、それから慌てて空へと視線を移した。



「ああ、いやなに、ただの古い歌じゃ」

「ふーん、いい声で歌ってたから邪魔しちゃ悪いと思ったけど、あのね、話があるの」

「話とな」



 リディアは瞼をやや落とし、堅く締まった道へ目を向けた。思案するように口元に手を当てて、唇を閉ざしている。

 その憂い顔ですら美しく、時の中に閉じ込めて飾っておきたくなるほどだった。

 ただ、リディアの表情には喜びではなく不安がある。気分よく歌っていたが、どうやらリディアの話はその気分を沈めかねないもののようだ。



 よい気分に水を差されるのは避けたいものだが、そうも言ってられない。リディアも口ごもって話しにくそうにしている。

 こういう時、聞くのが嫌だからとそれを態度に出してはいけない。



「リディア、その話とやらを聞かせてくれると嬉しい」

「うん……」

「なんぞ言いにくいことなのか?」

「うーん、別にそういうわけじゃないんだけど、まぁいいわ、歩きながら話しましょ」



 そう言ってリディアはこちらの右隣に立ち、腕を取ってきた。自分の腕がリディアの胸元で抱かれている。ふと伝わってくる柔らかさが、心臓をぎゅっと締め付けた。

 リディアに促されてゆっくりと歩き出す。普段のリディアは歩くのが速いほうだが、今日は随分とゆっくりだ。



「あのねアデル、ソフィからお父さんとお母さんのことどれくらい聞いてる?」

「ん? ソフィの両親のことか? それならまぁ聞いておる。母を亡くし、そして父を亡くしたという」

「そうなんだけどね、今日、その辺りの話になったのよ。そしたら、ソフィが急に意識を失って、なんか倒れたっていうか」

「なぬっ?! ソフィは大丈夫なのか?」



 急な話に心臓が冷たく凍りつく。血流が止まったような気になって、アデルは努めてゆっくり息を吸い込んだ。



「ソフィは?」

「大丈夫よ、今は元気そうにしてるわ。っていうか、自分が意識を失ったことにも気づいてないっていうか、わかってなかったみたい」

「そ、そうか……」



 事態は今ひとつ飲み込めなかったが、リディアが大丈夫というからは大事ではないのだろう。それでも心配にはなる。

 おそらくリディアの話はこれで終わりではなく、まだ続きがあるはずだ。



「それで?」

「シシィが言ってたんだけどね、もしかしたら、ソフィは昔の辛いことを、こう、自分でも気づかないように忘れてるんじゃないかって」

「……ふむ」

「だって、お母さんを亡くしただけでも辛いのに、その後ソフィのお父さんはお母さんの後を追って死んじゃったわけでしょ。辛いなんてものじゃないわよ」

「そうじゃな」



 母を亡くし、そして父をも失った。そんなソフィは誰もいない神殿の一角で暮らしていたのだ。小さな女の子が、あんな寂しい場所で一人きりだった。

 心に負担がかかっていてもおかしくはないだろう。



 リディアはこちらの顔をすぐ近くから見つめてきた。



「ソフィは、すっごく大変な目に遭って、それで、辛いことを思い出さないようにしてるんじゃないかって」

「……そうか」



 おそらくシシィがそう言ったのだろう。その言葉は正しいのかもしれない。人の心は時として不思議な働きをする。きっと、自分が認識していない部分でも何かが働いているのだ。

 辛いことに対してどのような反応を取るのかは、人によって様々だろう。自分もある意味では辛い出来事から目を逸らすために、自暴自棄になったこともあった。

 泣いたり怒ったり、色々な対処によって自分の心を守ろうとする。だが、それでも耐え切れない時はどうなるのだろう。

 そして、経験が浅い子どもの場合はどうなるのか。



 ソフィは過去の出来事を記憶の箱に封じ込めたのだろうか。いかなる光も触れられない場所へ記憶を沈め、すべてが無かったかのように生きてゆく。

 小さな子どもにとって、それが自然な心の動きだったのかもしれない。



「しかしよくわからんな、わしが尋ねた時にはそんな反応はせんかったが……」



 ソフィは両親のことを自分に語ってくれた。そこに悲壮さは無かった。

 リディアはこちらの肩に頭を寄せ、首を小さく振る。



「あたしにもよくわかんない。多分、ソフィが昔のことをあれこれ考えるうちに、変なところまで思い出そうとしたのかも」

「ふむ……、かもしれんな」



 そういえば、出会った頃のソフィは自身の両親を亡くしておきながら、それほど悲壮感が無かったような気がする。

 居丈高で、お姫さまらしく偉そうにしていた。その様子は置き去りにされた幼な子などではなかったように思える。

 その時にはもう辛い記憶を封じていたのだろうか。



 あの神殿で孤独に暮らすうちに、ソフィの心は自分を守ろうともがき苦しみ、辛い過去を葬り去ったのかもしれない。

 リディアはこちらの腕をさらに強く抱き寄せた。



「だからね、ソフィの昔のことについてあんまり話したりしないほうがいいと思うの。アデルはどう思う?」

「ふむ、わしもそうすべきじゃと思う」

「そうよね、それがいいわよね。だって辛いことがあっても、今も、これからも、ずっと幸せだったらいいんだもの」

「そうじゃな」



 失ったものは二度と戻らない。それでも生きてゆかなければいけないのだ。

 悲しみなど忘れられるわけもない。後悔しないわけがない。深く傷ついた心はその傷跡をいつまでも残し続けるだろう。

 傷が疼いて痛むこともある。悲しい過去とは一生の付き合いになるだろう。

 それでも、生きてゆく。



 リディアは歩く速度をさらに落とした。このままでは夕日に追い抜かれて、帰る頃には夜になってしまうのではないかと思えてしまう。



「あたしはね、ソフィには幸せになって欲しいわ。シシィもそう思ってるの」

「無論わしもそう思っておる」

「うん、でもね、それは難しいわ」

「……なぜじゃ?」



 アデルは眉根を寄せ、リディアの横顔を眺めた。



「だってね、幸せになるには、愛が必要だもの。愛のない幸せなんてないわ」

「ならソフィはいつかそれを手に入れればよい。なに、ソフィならば」

「ダメよ、だってソフィは自分のことを、誰にも話せないもの。ソフィはこれから出会う人みんなにね、自分のことを隠すの。自分の生まれのことも、持っている力のことも、全部隠して、ずっと隠していくの。誰かと仲良くなればなるほど、秘密を抱えてることに罪悪感が出てくるのよ」



 リディアはそこまで一気に言ってから、すんと息を吸い込んだ。



「ソフィがかわいそうだわ。ソフィはもう、ありのままには生きられないの。誰もソフィのことを受け止めてくれないわ。ソフィがその気になれば、多分ヴェアンボナみたいな都市だって丸ごと灰に出来るのよ。そんなソフィを、誰が愛せるの?」

「……それは」



 以前にも話したことだ。まだ答えは出ていないが、今すぐ答えを出す必要があるとも思えない。



「それはまたいずれ考えればよい」

「そうかもしれないわね」



 リディアは素直に同意すると、急に立ち止まった。腕を取られていたアデルもそれに合わせて足を止める。

 するりと腕を離し、リディアはアデルの正面に立った。それからアデルの両腰に手を添えると、背を反らしながらゆっくりと距離を詰めてくる。

 リディアの腹部がアデルの腰に触れた。その近い距離から、リディアはやや背を反らしてアデルの顔を見上げる。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

チートな幼女に転生しました。【本編完結済み】

Nau
恋愛
道路に飛び出した子供を庇って死んだ北野優子。 でもその庇った子が結構すごい女神が転生した姿だった?! 感謝を込めて別世界で転生することに! めちゃくちゃ感謝されて…出来上がった新しい私もしかして規格外? しかも学園に通うことになって行ってみたら、女嫌いの公爵家嫡男に気に入られて?! どうなる?私の人生! ※R15は保険です。 ※しれっと改正することがあります。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

私のブルースター

くびのほきょう
恋愛
家で冷遇されてるかわいそうな侯爵令嬢。そんな侯爵令嬢を放って置けない優しい幼馴染のことが好きな伯爵令嬢のお話。

処理中です...