名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

鋭い

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 蔵の中はうすぼんやりとしていて、何もかもをはっきりと見分けることは出来なかった。外が曇り空というのもあるし、冬至が近く太陽に力が無いのもあった。

 その蔵の中で、アデルはベッドに横たわるシシィの顔をじっと見つめた。シシィは怒りを感じているのか、眉の端を吊り上げている。

 シシィは視線をまっすぐ向けながら、こちらの手をさらに強く握ってきた。



「あなたが何と言おうと、わたしは、あなたがわたしを求めてくれたのが嬉しかった」

「う、うむ……」

「体が燃え上がりそうなほど、ドキドキして、気持ちよくて、わたしも、もっとあなたのことが欲しくなった」

「これ、あまりわしを惑わせるようなことを言うでない」

「だから、続きを」

「いかんいかん、まずは安静にして、疲れを癒してくれねば」



 シシィは不満そうに口を閉ざしたが、ここは譲れない。己の欲望よりも、シシィの体調のほうが大事だ。



「そういうのはしっかり休んでじゃな、体調も良くなってからじゃ」

「……そう」



 シシィは頭を枕の上に深く沈め、残念そうに息を吐いた。

 とにかく、今しばらくは休んでもらおう。この家のために、シシィはわざわざ遠出してくれたのだ。

 いずれその恩にも報いなければいけない。



「とにかく、シシィが無事に帰ってきてくれたのは何よりも嬉しい。ここのところ、シシィのことばかり考えていてわしはもう大変じゃったからな」

「遅れたのは、わたしが悪かったと思う」

「なに、気にするでない。シシィはまず体を休め、元気になってもらわねば」



 シシィは小さく頷いた。どこか幼い仕草で、普段のシシィとは似つかわしくない気がしてしまう。

 いつまでもベッドの横で話しかけていては、シシィが休めないに違いない。そろそろお暇したほうがいいだろう。



 アデルは立ち上がり、ベッドの天蓋から下がっているカーテンに手を伸ばした。



「今はゆっくり休んでくれ、わしはシシィのために滋味溢れる料理を用意するでな」

「ここに居て欲しい」

「そうしたいのは山々ではあるが、それではシシィが休めん。大人しくいい子にしてなさい」



 そう言うとシシィは再び小さく頷いた。カーテンを閉める前に、アデルはシシィの顔に手を伸ばした。顔にかかっていた髪を払ってやり、額を顕わにする。

 アデルはベッドの上に身を乗り出して、シシィの額に唇を軽く押し当てた。



 離れがたくなる前に、思い切って顔を離す。シシィはわずかに紅潮した顔でこちらを見ていた。その顔に向かって微笑みかけ、アデルはシシィの髪を撫でた。



「わしの可愛いシシィ、今は体を休めてくれ」



 シシィが頷いたのを見て、アデルはカーテンを閉めようと手を伸ばした。だが、シシィが小さな声をかけてくる。



「待って」

「ん? なんじゃ」

「少し寒いから、あなたの上着を掛けていってほしい」



 シシィはすでに毛布と掛け布団にくるまっているのだから、それで寒いとは思えなかった。それに上着をかけたところで保温に大した効果など無いだろう。

 アデルは上着を脱ぎ、シシィの掛け布団の上に掛けてやった。



「そのくらいならお安い御用じゃ」

「……ありがとう」



 礼を言われるほどのことではないとも思ったが、アデルは大きく頷いた。



















 蔵から出た後、アデルは日々の家事を終わらせ、その後でスープを作り始めた。

 シシィの体調を考慮して、ショウガや薬草をたっぷりと使ったスープに仕上げる。ショウガの辛味がピリッと利いていて、さらに根菜を加えたことで栄養もたっぷりだ。

 こういうスープには、全粒粉の茶色いパンがよく合う。



 正午を過ぎた頃になって、リディアとソフィの二人が帰ってきた。ソフィは何やら疲れているようで、肩を落としている。

 ソフィは帰ってくるなり暖炉の前に陣取って、手を温め始めた。



 一方のリディアは寒さなど感じていないかのようだった。

 リディアは暖炉の前のソフィをちらりと見てから、こちらへササッと近づいてきた。

 それからやや爪先立ちになって、こちらの耳に小声で囁いてくる。



「ねぇ、シシィは?」

「旅の疲れがまだ残っておるようでな、今は休んでおる」



 そう言うとリディアは眉を寄せて目を細めた。怪訝そうに首を傾げ、難しい表情で何かを考えている。

 リディアが何を考えているのかわからない。尋ねてみるべきか、それともそっとしておいたほうがよいのか。

 ただ、シシィに関わることであれば知っておきたい。もし話しにくいことであれば、リディアも適当に誤魔化すだろう。



「どうしたんじゃリディア、何やら難しい顔をして、シシィがどうかしたのか?」

「別にそういうわけじゃないけど……」



 リディアはそう言ってからさらにこちらに近づいてきた。思わず半歩横に移動してしまう。しかしリディアはお構いなしにこちらの胸元に顔を近づけてきた。



「これリディア、危ない。わしはまだ料理の最中じゃでな」

「んー、うーん」

「なんじゃ?」



 リディアは突然こちらの匂いを嗅ぎ始めた。すんすんと音を鳴らしながら、鼻の中に空気を送り込んでいる。

 それからこちらの目を見て短く言った。



「シシィの匂いがたっぷりするわ」

「……そうかのう?」

「正確にはシシィが今日つけてる香水の匂いだけど」

「ふむ……」



 何やら良い匂いがするとは思っていたが、シシィは香水をつけていたのか。その匂いが自分にも移ったようだ。それはつまり、匂いが移るほど接触していたということでもある。

 リディアの目を見ていられなくて、アデルはスープに視線を落とした。もうかき混ぜる必要はないが、スープをお玉でゆっくりとかき混ぜる。



 リディアはそのスープを隣から覗き込んできた。



「ねぇアデル、シシィはどうしてるの?」

「いやだから、疲れを癒すために休んでおる。なにせヴェアンボナまで行って帰ってきたわけじゃからのう、疲れも溜まっておる」

「ふーん……」



 リディアは何か含みのある相槌を打った。何か納得がいかないことでもあるのだろうか。

 しかしここは黙っているべきだろう。お玉でスープをかき混ぜていると、リディアはさらに続けた。



「アデルからシシィの匂いが沢山するのに、シシィは寝てるの?」

「……うむ、シシィもお疲れじゃからな」



 匂いがするのに寝てる、という接続は脈絡がまったく無い気もしたが、あえて指摘するべきではないだろう。

 アデルは暖炉の前でぬくぬく顔のソフィに声をかけた。



「ソフィ、随分と寒い思いをしたようじゃな。もうしばし待っておれ、ショウガがたっぷりの暖かいスープが出来るでな」

「む?」



 ソフィは暖炉に手をかざしたままこちらに視線を向けた。



「なんじゃ、妾をダシに話でも逸らしたのか?」

「いや別にそんなことはないぞ」

「ならばよいが。それより、シシィはどうしておるのじゃ?」

「シシィならば旅の疲れがあるでな、休んでおる」

「なんじゃ? シシィがそう言ったのか?」

「そういうわけではないが」



 むしろ疲れていないような振りをしていた。しかし、長旅の疲れは確実に溜まっているだろう。

 遅れを取り戻すために無理もしたはずだ。そんなシシィにはもう少し休んでいてもらわなければいけない。



 そう思った矢先に、リディアが明るい声で言った。



「じゃあシシィ呼んで来るわ」

「あ、いや、まだ休んでおるじゃろ」

「もう大丈夫でしょ、それにまだ休みたいなら休みたいって言うわよ、シシィだったら」

「そうかもしれんが、しかし無理はいかん」

「シシィなら大丈夫よ、自分の体調くらい自分で把握できるわ」



 果たしてそうだろうかと疑問に思ってしまう。シシィが自分の体調を把握していたなら、倒れるようなことは無かったはずだ。

 いや、把握していてもこちらの求めに応じようと無理をしたのかもしれない。

 リディアに行かせるべきか、それともまだシシィをそっとしておくべきかどちらが良いのだろう。



 少し悩んでから、アデルはリディアに向かって手を伸ばした。



「いや、やはりシシィはまだお疲れの様子。ここはまだ休んでもらおうではないか」

「心配しすぎよ、大体、あたしたちだけ先にお昼食べてたら、シシィはそっちのほうを嫌がるわ」

「そ、そうかのう」

「別にシシィがまだ休みたいって言うんだったら、無理に引っ張ってこないし」

「う、うむ……、しかし無理に誘ってはいかんぞ。シシィがまだ休みたいようであれば、そっとしておいてじゃな」

「わかってるわよ、もー、心配しすぎよ」



 リディアは苦笑しながら胸を張った。

 これ以上リディアを引き止める理由も思いつかない。それを察したのか、リディアは扉のほうへと一歩足を進めた。



「それじゃ言ってくるわ、シシィの身支度があるかもしれないし、ちょっと遅くなるかもだけど」



 身支度があるのであれば、女同士のほうがいいのかもしれない。シシィもリディア相手なら遠慮はしないだろう。

 寒い中帰ってきたリディアには悪いが、任せたほうがいいのかもしれない。



「うむ、では悪いがリディアに任せるとしよう。くれぐれも無理はさせんようにな」

「わかってるわよ」



 すぐに出て行くのかと思ったが、リディアはこちらをじっと見ている。



「なんじゃ、どうかしたか?」

「アデル、上着はどうしたの?」

「ああ、今はシシィに貸しておる。何やら寒いというのでな、掛け布団の上に掛けてやった」

「ふーん……」



 何やら意味ありげに相槌を打つと、リディアはすぐに背を向けた。



「じゃ、行ってくるわ。なかなか帰ってこなかったら、先に食べててね。こっちに来なくていいから」

「は?」



 こちらの疑問をよそにリディアは外へ出て行った。冷たい空気は扉が開いた一瞬を見逃さずに家の中へと入りこみ、背筋にひんやりとした震えを起こす。

 扉が閉まっても、アデルはしばらくその扉を見つめ続けた。

















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