453 / 586
第二部 第三章
愚かなハンス
しおりを挟む町の一角で、アデルは手を振ってマリエを促した。マリエもこんな男にナンパされて困っていたのだろう、感謝するようにぺこりと頭を下げてきた。
こういう時は感謝の情など見せないほうがいい。その態度がナンパ男の癪に障る場合があるのだ。
どうやらこの娘さん、それなりに可愛い割には男に言い寄られることには慣れていないらしい。他の女であれば、こんな男を簡単にあしらうことが出来るだろう。
マリエは再び頭を下げながら横へと移動した。
「すみませんアデルさん」
「いやなに、気をつけてな」
礼を言うより、急いでいる振りをしてさっさと行ってしまうのが最も良いと思えたが、今更それを告げるわけにはいかない。
マリエが角を曲がって去っていくのを見届けてから、アデルはハンスの手を振り払った。それからハンスの眠そうな顔を正面から見る。
「まったく、ハンスよ、何を馬鹿なことをやっておる、あの子が嫌がっておるのがわからんのか」
「なんだよ、別に嫌がってねぇよ!」
「アホか、まったく、背も伸びたことじゃし、もう少し大人の振る舞いというものを身につけんか」
そう言うとハンスは不満そうに舌打ちをした。いじけた子どものようにそっぽを向いてしまう。
今のは自分が悪かったかもしれない。いきなり説教など食らっても面白くないだけだ。
「まぁともかく、ハンス、背が伸びたのう」
「そればっかかよ、つーかアデルお前生きてたのか」
「うむ、色々あったが生きておる。一年ほど前に戻ってきてな。風の噂ではおぬしは別の都市に行ってしまったと聞いたが」
「ああ、こんなクソ田舎じゃなくて都会にいたぞ。いや、都会の凄さを知っちゃうとさ、この田舎がマジであれっていうか、やばいよな」
ハンスは自慢気に鼻を鳴らした。確かに都会とこの町を比べれば、まったく比較にはならないだろうが、わざわざ故郷を悪く言うこともないとは思える。
しかし、ハンスのような若者は、自分が他の人より貴重な体験を持っているということを自慢して回りたいものなのだ。
自分も海を見た後は色んな人に自慢してしまったことがある。ロルフなど聞き飽きたと言って呆れていたくらいだ。
ここでハンスを非難するべきではないだろう。
「うむ、まぁ都会で良い体験をしたのであれば、それはそれで良いことじゃ」
「ま、色々あったけど、都会は都会でクソなところも多かったぜ。特に女とか」
「女に騙されて金でも取られたのか?」
「そ、そんなんじゃねーよ!」
ハンスの慌てぶりを見ていると、本当にそんなことがあったのではないかと思ってしまう。
「なんでもよいが、良いにしろ悪いにしろ、貴重な体験をしたのであればそれを糧にして、もう少し人様に迷惑をかけぬよう気をつけてはどうじゃ」
「うっせーな」
いけない、また説教じみたことを言ってしまった。ハンスに関しては昔からそうだった。ハンスはだらしなく、やるべきことをやらなかったりする。
そんなハンスについつい手を貸してしまっていた。
「ふむ、まぁ余計なお節介など焼くべきではないな」
「いや別にそこはいいんだけど。それにしても久しぶりだな、ロルフとか元気にしてんのか?」
「おお、元気にしておる。また顔を見せてやるといい」
「そんじゃ、またアデルの家で宴会しようぜ。ロルフも呼んでさ、俺、アデルの料理食いたいし」
「ぬ……」
アデルは目を細め唇を閉ざした。昔はハンスやロルフを家に呼び、料理を振舞うことが度々あった。自分のためだけに料理をするのはつまらなかったし、ハンスのように行儀作法そっちのけでガツガツ食べる男というのは、料理する側としてはなかなか好ましく見えてしまう。
だが、今は家にソフィがいる。この男を呼ぶわけにはいかないのだ。
「うむ、誘いはありがたいが、どこか居酒屋にでもせんか?」
「はぁ? なんだよ、俺アデルの料理食いたいのに。お前の料理めちゃくちゃ美味いもんなぁ、いやマジで。都会にも色々食い物あるけど、アデルの料理ほど美味いもん無かったぜ」
「そこまで褒めてくれるのは嬉しいが……」
「ほらあれ飲ませてくれよ、なんだっけ、白くてどろっとしたあれ。最近寒くなってきたし、俺あれ飲みたい。あれメチャクチャ美味かったし」
ハンスが言っているのは白いシチューのことだろう。小麦粉をバターでじっくりと炒め、そこに牛乳を少しずつ注いでゆく。そうすると白いソースが出来上がる。
そこに鶏がらで取ったダシを少しずつ加え、根菜や鶏肉などを加えて作る。
確かにあれは自分でも実に美味しいと思える一品だった。ただ、作るのが面倒くさい。
鶏がらでダシを引かなければいけないし、小麦粉をバターで炒めるのもじっくりやらないと粉っぽくなってしまう。
「うーむ、そうやって求めてくれるのは悪い気はせんでもないが」
「なんだよー、いいじゃねぇか、最近寒くなってきたし、あったかいのが飲みたい気分なんだって」
「いや、やはり問題が色々とあるでな」
「なんだよ冷たいな、いいじゃねぇかアレ飲ませてくれよ」
「わしも最近忙しくてな」
「別に迷惑かけねぇって、つーかお前ん家泊めさせてくれよ。で、あの白い奴をだな」
「家はまずい。他の場所でな」
「なんだよ、アデルのあの白いの飲ませてくれよ、忘れられないんだって」
「そう言ってくれるのは嬉しいが……、ん?」
そこでふと誰かに見られているような気がした。視界の端でチラッと何かが動いた気がしたのだ。そちらへ視線を向けると、角の向こう側からマリエが顔を覗かせているのが目に入った。
去っていたはずなのに、どうしてまだそこにいるのだろう。
しかもマリエの顔は真っ赤で、口は開いたまま瞬きさえせずにこちらを凝視している。こちらの会話を聞こうとしているのか手を耳のそばに当てていた。
こちらの視線に気づいたのか、マリエが首を振った。
「あ、どうぞ気にせず続けてください」
「いやお嬢さん、何かとんでもない勘違いをしておらんか……」
「わたしはキャベツです! キャベツのことは気にせず!」
「こんな可愛いキャベツがいてたまるか! と、いうかなんか物凄い勘違いをしておる気が」
「どうぞ気にせず! わたしのことは気にせず、アデルさんはその深い仲の人を泊めてあげて、ベッドで特製の白いドロッとしたのをその男の人にたっぷり飲ませてあげてください!」
「ちょっ! なんじゃその言い方?! いや、待て、お嬢さん、勘違いしておらんか?!」
何やら妙な誤解をしている気がする。これはまずい、こんな誤解を抱かせたままでは自分の評判に関わりかねない。
手を打つ必要がある。アデルは角のほうへと向かって一歩踏み出した。
「待て、なんぞ誤解をしておる。そのようなことを言いふらされてはわしの評判が」
「安心してください! ロルフさんには言いませんから!」
マリエはそれだけ言い残し、まるで小動物のようにヒュッと角から姿を消した。足音から察するに結構な速さで走り去ったようだ。
アデルは角を曲がり、マリエの背中を視界に捉えた。その背中に向かって叫ぶ。
「おおおっ!! ちょっ、ロルフには言わんってなんじゃ?! 誰にも言ってはならんじゃろ?!」
そもそも変な誤解をしてしまっているようだ。娘さんの小さな体が町の中へ消えてゆく。
アデルは手を伸ばしたまま立ち尽くし、動けずにいた。後ろからハンスがひょっこりと出てきて、不審そうに首を捻っている。
「なになに、どうした? あの子、やっぱ俺に興味あんのか?」
暢気にそう言うハンスの頭を、アデルはぽかりと殴りつけた。
0
お気に入りに追加
253
あなたにおすすめの小説
愛されなければお飾りなの?
まるまる⭐️
恋愛
リベリアはお飾り王太子妃だ。
夫には学生時代から恋人がいた。それでも王家には私の実家の力が必要だったのだ。それなのに…。リベリアと婚姻を結ぶと直ぐ、般例を破ってまで彼女を側妃として迎え入れた。余程彼女を愛しているらしい。結婚前は2人を別れさせると約束した陛下は、私が嫁ぐとあっさりそれを認めた。親バカにも程がある。これではまるで詐欺だ。
そして、その彼が愛する側妃、ルルナレッタは伯爵令嬢。側妃どころか正妃にさえ立てる立場の彼女は今、夫の子を宿している。だから私は王宮の中では、愛する2人を引き裂いた邪魔者扱いだ。
ね? 絵に描いた様なお飾り王太子妃でしょう?
今のところは…だけどね。
結構テンプレ、設定ゆるゆるです。ん?と思う所は大きな心で受け止めて頂けると嬉しいです。
完結 お飾り正妃も都合よい側妃もお断りします!
音爽(ネソウ)
恋愛
正妃サハンナと側妃アルメス、互いに支え合い国の為に働く……なんて言うのは幻想だ。
頭の緩い正妃は遊び惚け、側妃にばかりしわ寄せがくる。
都合良く働くだけの側妃は疑問をもちはじめた、だがやがて心労が重なり不慮の事故で儚くなった。
「ああどうして私は幸せになれなかったのだろう」
断末魔に涙した彼女は……
悪役令嬢の双子の兄、妹の婿候補に貞操を奪われる
アマネ
BL
重度のシスコンである主人公、ロジェは、日に日に美しさに磨きがかかる双子の妹の将来を案じ、いてもたってもいられなくなって勝手に妹の結婚相手を探すことにした。
高等部へ進学して半年後、目星をつけていた第二王子のシリルと、友人としていい感じに仲良くなるロジェ。
そろそろ妹とくっつけよう……と画策していた矢先、突然シリルからキスをされ、愛の告白までされてしまう。
甘い雰囲気に流され、シリルと完全に致してしまう直前、思わず逃げ出したロジェ。
シリルとの仲が気まずいまま参加した城の舞踏会では、可愛い可愛い妹が、クラスメイトの女子に“悪役令嬢“呼ばわりされている現場に遭遇する。
何事かと物陰からロジェが見守る中、妹はクラスメイトに嵌められ、大勢の目の前で悪女に仕立てあげられてしまう。
クラスメイトのあまりの手口にこの上ない怒りを覚えると同時に、ロジェは前世の記憶を思い出した。
そして、この世界が、前世でプレイしていた18禁乙女ゲームの世界であることに気付くのだった。
※R15、R18要素のある話に*を付けています。
あなた方はよく「平民のくせに」とおっしゃいますが…誰がいつ平民だと言ったのですか?
水姫
ファンタジー
頭の足りない王子とその婚約者はよく「これだから平民は…」「平民のくせに…」とおっしゃられるのですが…
私が平民だとどこで知ったのですか?
オーガ転生~疲れたおっさんが城塞都市で楽しく暮らすようです~
ユーリアル
ファンタジー
世界最強とも噂される種族、オーガ。
そんなオーガに転生した俺は……人間らしい暮らしにあこがれていた。
確かに強い種族さ! だけど寝ても覚めても獣を狩ってはそのまま食べ、
服や家なんてのもあってないような野生生活はもう嫌だ!
「人間のいる街で楽しく暮らしてやる!」
家出のように飛び出したのはいいけれど、俺はオーガ、なかなか上手く行かない。
流れ流れて暮らすうち、気が付けばおっさんオーガになっていた。
ちょこっと疲れた気持ちと体。
それでも夢はあきらめず、今日も頑張ろうと出かけたところで……獣人の姉妹を助けることになった。
1人は無防備なところのあるお嬢様っぽい子に、方や人懐っこい幼女。
別の意味でオーガと一緒にいてはいけなさそうな姉妹と出会うことで、俺の灰色の生活が色を取り戻していく。
おっさんだけどもう一度、立ち上がってもいいだろうか?
いいに決まっている! 俺の人生は俺が決めるのだ!
巻き戻り令息の脱・悪役計画
日村透
BL
※本編完結済。現在は番外後日談を連載中。
日本人男性だった『俺』は、目覚めたら赤い髪の美少年になっていた。
記憶を辿り、どうやらこれは乙女ゲームのキャラクターの子供時代だと気付く。
それも、自分が仕事で製作に関わっていたゲームの、個人的な不憫ランキングナンバー1に輝いていた悪役令息オルフェオ=ロッソだ。
しかしこの悪役、本当に悪だったのか? なんか違わない?
巻き戻って明らかになる真実に『俺』は激怒する。
表に出なかった裏設定の記憶を駆使し、ヒロインと元凶から何もかもを奪うべく、生まれ変わったオルフェオの脱・悪役計画が始まった。
モブ兄に転生した俺、弟の身代わりになって婚約破棄される予定です
深凪雪花
BL
テンプレBL小説のヒロイン♂の兄に異世界転生した主人公セラフィル。可愛い弟がバカ王太子タクトスに傷物にされる上、身に覚えのない罪で婚約破棄される未来が許せず、先にタクトスの婚約者になって代わりに婚約破棄される役どころを演じ、弟を守ることを決める。
どうにか婚約に持ち込み、あとは婚約破棄される時を待つだけ、だったはずなのだが……え、いつ婚約破棄してくれるんですか?
※★は性描写あり。
俺の異世界先は激重魔導騎士の懐の中
油淋丼
BL
少女漫画のような人生を送っていたクラスメイトがある日突然命を落とした。
背景の一部のようなモブは、卒業式の前日に事故に遭った。
魔王候補の一人として無能力のまま召喚され、魔物達に混じりこっそりと元の世界に戻る方法を探す。
魔物の脅威である魔導騎士は、不思議と初対面のようには感じなかった。
少女漫画のようなヒーローが本当に好きだったのは、モブ君だった。
異世界に転生したヒーローは、前世も含めて長年片思いをして愛が激重に変化した。
今度こそ必ず捕らえて囲って愛す事を誓います。
激重愛魔導最強転生騎士×魔王候補無能力転移モブ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる