名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

文字の大きさ
上 下
450 / 586
第二部 第三章

シシィの帰還

しおりを挟む



 井戸の前で、アデルは汲んだ水の中に魚を入れた。ソフィにもよく見えるように体を横にずらし、桶の魚を示してやる。



 内臓はすでに抜いてあるが、アデルは腹の中に包丁を入れた。



「ほれソフィ、ここに魚の内臓が入っておってな、で、これが魚の体で一番大きな骨になる。ここのところに血合いが溜まっておることがあるから、包丁の先で軽く引っかいてやるとよい」

「ちあい? なんじゃそれは」

「説明するのは難しいが、魚の一番太い血管がこの中骨のすぐ下にあってな、魚が死んだ後、その血が固まっておるのじゃな」

「ほう」

「別に食べられんこともないが、あまり美味しくないので軽く取り除いておくわけじゃ」



 そうやって説明していると、ソフィは感心したように頷いた。

 魚の捌き方を教えつつ、アデルはソフィの横顔を眺めた。長い黒髪は後ろで束ねていて、料理の邪魔にならないようにしている。



「ところでソフィ、あー、今更あれじゃが」

「なんじゃ?」



 どう切り出したらいいのか悩んでしまった。



「あれじゃ、最近はどうじゃ?」

「なんじゃその曖昧な質問は」

「いやほれ、ソフィが何か心配事を抱えてはおらんかとわしは心配でな」

「人の心配を心配するとは」

「うむ、それでじゃな、まず理解しておいて欲しいのは、わしはソフィのことを疎ましくなど思ったりはせんということじゃ」

「その話か」

「その話じゃ」



 話そう話そうと思っていたのだが、ソフィの様子を見る限りでは何かとりたてて気にしているようではなかった。二人きりで話さなければいけないと思っていたのだが、色々と仕事に追われているうちに時間は過ぎ去ってしまった。

 リディアとソフィの間に亀裂のようなものは見て取れず、前と同じように仲良くしている。それは素晴らしいことがだが、二人の間にどのような会話があったのか知っておきたいとも思う。

 あまり深入りせずに見守っておいたほうがよいのかもしれないが、気になるものは仕方が無い。



「別にわしはじゃな、ソフィのことを悪く思ってもおらんし、いなければなどとは思っておらん。それをわしは伝えておきたい」

「わかったのじゃ」

「……わかったのか」



 なんてあっさりしているのだろう。別にこってりしていて欲しいわけではないが、こう淡白だと逆に心配になってしまった。



「あー、わしがソフィにいらぬ心痛を与えてしまったことはわしも心苦しく思ってる。その、ソフィがいなければとかではなく、ああいうのはあれじゃ、いくらソフィでもほれ、例えばわしが素っ裸で体を拭いておるところに同席させたくないように、別にソフィが疎ましいからソフィが寝ている間にリディアの元へと行こうとしたわけではない」

「なんじゃ長々と。浮気の言い訳をする男は話が長いとリーゼが言っておったが、まさにその通りではないか」

「リーゼの言葉は置いといてじゃな」



 またリーゼから変なことを吹き込まれたのか。教育に悪いこと甚だしい。

 何を言うべきか迷っていると、ソフィが先に口を開いた。



「アデルは、妾にここに居て欲しいと思っておるのであろう」

「うむ、その通りよ」

「では妾のことをさっさと嫁にするがよい」

「いやいや話が飛びすぎておるじゃろ」

「飛んでなどおらん。実に堅実に大地を歩んでおるのじゃ」

「そうかのう」

「妾を嫁にすれば、ずっと一緒にいられるではないか」

「う、うーむ……」



 自分の気のせいかもしれないが、ソフィは段々と手強くなっているように感じられた。以前ならこちらがそれなりに論理を尽くしておけばソフィを説得できるような気がしていたが、今はソフィを押しても持ちこたえてしまいそうに思えた。



「まず勘違いせんで欲しいが、わしはな、ソフィには幸せな人生を歩んでもらいたいと思っておる」

「ほう」

「ソフィは賢いし、そのまま健やかに成長すれば、実に素敵な女性になるであろう」

「うむ、妾ならばそうなるかもしれんのじゃ」

「そしてじゃな、立派に成長したソフィがわしの元から巣立って行って、ソフィが自分の幸せを掴んでくれればと思っておるわけじゃ」

「妾の幸せは妾が決める。アデルに決められるのであれば、それは間違っておるのじゃ」

「まぁそうかもしれんが、ソフィはまだ幼い。大人や社会のあれこれについてもよく知らん。まずは受け入れて、成長してから色々と判断すればよい」

「妾は今でも幸福なのじゃ。アデルがいて、村ではみんなと平和に過ごすことが出来ておる。では幼い妾が感じておるこの幸せは間違っておるのか?」

「いやそうは言わんが」

「その通りじゃ、いくら妾が幼かろうと、すでに善悪の区別はつくし、大切なものが何であるかくらいは知っておる。今が幸福であることも十分知っておる。今の幸せの延長を望んで何が悪いのじゃ」

「……わ、悪いとは思わんぞ、しかしじゃな」



 言葉に詰まってしまう。ソフィはすらすらと言葉を並べ立ててきた。その論理は重たく、覆そうにも自分の力は頼りない。

 何か言わねばと思っていると、やはりソフィが先に言葉を並べる。



「アデルは、妾のことを妹の代わりにしておる」

「そんなことはないぞ」

「いや、そうなのじゃ。アデルがアデルの妹にしてやれなかったことを妾にし、そして自分を慰めておる」

「いや……」

「それは別に構わぬ。しかし、妾を妹のように大事にし、いずれ妾を一人の立派な女と認め、妾を嫁にするのじゃ」

「待て待て」



 ややこしいことを言い始めた。一番最初については異論はない。ソフィを家族だと思って接するのは容易いことだ。ソフィが一人の立派な女になるのも、いつかはあり得ることだろう。

 ただその中には、妹ではなく異性として見るべきだという言外の意味まで含まれているように思えた。簡単には同意できない内容ではある。

 そして嫁にしろと続けてきた。



 反対しにくい内容を最初に持ってきて、言外の意味を含み、なおかつ同意しやすそうな言葉を続け、最後に主張を持って来たのだ。

 ぼーっとしている時だったら、何も考えず順番に頷いてしまっていたかもしれない。



 ソフィは眉を怒らせてこちらを睨みつけてくる。



「なんじゃ、妾を妹のように見るのも嫌と言うのか」

「そういうわけではない」

「妾はいずれ美人で賢い女になるのじゃから、アデルは妾を嫁にすることを考えておいたほうがよい」

「ややこしいことを言うでない」



 ソフィが才媛になることと、ソフィを娶ることには特に因果関係などない。だがソフィはそれをあっさりと繋げてきた。

 自分はまだソフィに言いくるめられるわけにはいかないのだ。



 アデルは魚を三枚に卸し終え、身が崩れないようにゆっくりと皿の上へと身を置いた。骨や頭にはまだ利用価値があるから置いておかなければいけない。

 後は身に白胡椒を降り、香草を合わせ、油を浸しておくのだ。



 ソフィはこちらの作業をずっと見ていたが、これで何かを教えられたのだろうか。

 口で説明したわけではないから、淡々と下ごしらえを見せただけになってしまった。別に今すぐソフィに魚の卸し方を覚えて欲しいわけではないから、構わないかもしれない。



 ソフィはたっぷりと溜め息を吐き、嘆くように言った。



「アデルはこうやって手を動かしながらでも余裕で妾の相手をすることが出来るのじゃな」

「失礼かもしれんが、手を止めるわけにはいかんでな」

「そういうことを言っておるのではない。わからんのであれば別にわからんでもよい」

「今日のソフィさんはなんじゃ、難しいことを言うのう」



 後は片付けをするだけになった。他の下ごしらえもほぼ終わっているし、後はシシィが帰ってきてから調理を始めればいいだろう。

 二人で家の中に戻り、リディアが続けていた下ごしらえを手伝った。今日はシシィが帰ってくる日だ。いつごろ帰ってくるのかはわからないが、夕方ごろには帰ってくるだろう。



 みんなでお出迎えをして、ご馳走の用意があることを告げればシシィもきっと喜ぶはずだ。

 シシィはみんなが平穏に暮らすために、わざわざ遠出をしてくれた。その恩に少しでも報いなければいけないだろう。



 夕方になり、そして夜が来た。



 シシィは帰ってこなかった。

















しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな

カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界 魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた 「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね? それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」 小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く 塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう 一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが…… ◇◇◇ 親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります (『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です) ◇◇◇ ようやく一区切りへの目処がついてきました 拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

チートな幼女に転生しました。【本編完結済み】

Nau
恋愛
道路に飛び出した子供を庇って死んだ北野優子。 でもその庇った子が結構すごい女神が転生した姿だった?! 感謝を込めて別世界で転生することに! めちゃくちゃ感謝されて…出来上がった新しい私もしかして規格外? しかも学園に通うことになって行ってみたら、女嫌いの公爵家嫡男に気に入られて?! どうなる?私の人生! ※R15は保険です。 ※しれっと改正することがあります。

婚約破棄……そちらの方が新しい聖女……ですか。ところで殿下、その方は聖女検定をお持ちで?

Ryo-k
ファンタジー
「アイリス・フローリア! 貴様との婚約を破棄する!」 私の婚約者のレオナルド・シュワルツ王太子殿下から、突然婚約破棄されてしまいました。 さらには隣の男爵令嬢が新しい聖女……ですか。 ところでその男爵令嬢……聖女検定はお持ちで?

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

処理中です...