名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

虚ろな衣

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 アデルは一度唇を舌で湿らせた。唾液が乾いてゆく。

 村長の言葉が頭の中で思い起こされる。確かに、ソフィと出合ったのは軍が壊滅してから結構な時間が経った後だ。

 その間、魔王を倒すために森の中をうろうろと歩いたり魔物と戦ったりを繰り返していた。

 この期間について村長へ説明するわけにはいかない。



 アデルは喉をごくりと鳴らし、ゆっくりと話し始めた。



「いや、一年も経ってはおらん。色々とあって、あちこちうろうろしながら上官殿の娘を探しておった。見つけてからしばらく一緒におったしな」

「それは嘘じゃな。ソフィちゃんは、お前と出会ってからすぐにこの村へ向かったと言っておった」

「っ……、いや」



 忘れていた。そういえばソフィがこの村に来てしばらく経った頃、ソフィと村長は二人きりで話をしたのだ。そして、自分はその話の内容については知らない。

 尋ねるのも何か失礼な気がしたし、ソフィが村長に信頼を寄せるようになったのならそれでいいと思っていた。

 だが、今ごろになって後悔してしまう。二人の間でどんなやり取りが交わされたのか知っておくべきだった。



 村長は机の上に手を置き、さらに尋ねてくる。



「そして、あの勇者さまじゃ。死んだとされておるようじゃが、生きてこんな田舎におる。あの勇者さまは何のためにこんな場所まで来た? そして、何故お前の家に住んでおる? 死の森であの勇者さまがソフィちゃんを魔物から助け、その礼のために留まってもらったというのであれば、まったく話がおかしなことになるではないか」



 どれもこれもが、返答に困る内容のものばかりだった。すべてを素直に話すことなどできない。

 だが、誤魔化さなければいけない。



「リディアがここに来た理由などわしは知らん。たまたま知り合って、あのような美人じゃからわしが惚れてしまってな、頑張って口説いたのよ」

「ほう」



 納得してるとは言いがたい相槌だった。

 焦る必要などない。いくら村長とはいえ、ソフィが魔王だなどと気づくはずがないだろう。そんなものは常識の範疇を超えている。

 気づけるはずがないのだ。むしろ、正直に話したところで信じてもらえるかどうかというくらいだろう。



 村長がじろりとこちらを睨みつけてくる。



「お前は確か、あの娘たちを一度は振ったはずじゃが」

「……気が変わっただけのことよ」

「ほう……」



 そんなことまで知っているとは思わなかった。以前、リディアと話した時にそういったことを聞いたのだろうか。

 慌てて繕った嘘は綻びだらけで、今にも解けてしまいそうになっている。

 このままではまずいとは思いつつも、どうすれば村長を納得させられるのか思いつかない。

 こちらが考えるよりも先に、村長は話を進めてくる。



「あの勇者さまは、もう勇者ではいたくないようじゃな。ただの村娘として生きてゆきたいのであろう」

「ああ、その通り。そういうわけで村長も内緒にしておいてくれ」

「それは構わんが、勘付くものもおるじゃろう」

「なに、なんの証拠もあるまい。しらばっくれておけばよい」

「あんな美人で、しかも名も同じでは隠すことなどできんじゃろう」

「はは、勇者さまならもう死んだ。死んだ人間は生き返らん」

「その話を誰もが信じるのであればよいが」



 勇者が死んだと信じたくない人もいるだろう。だが、いずれ流れは変わるはずだ。

 今はシシィがシャルロッテという知り合いの元を訪れている。シシィがリディアの死を語るのであれば、それは他の誰が言うよりも説得力があるに違いない。

 後はその話が大きく広がるのを待つだけだ。



「とにかく村長、何も心配するようなことなどない。村長はこう、心穏やかに過ごしておればよいではないか」

「はぐらかすにしてももっとやり方があるじゃろうに」



 呆れたのか、村長は首を振った。

 とにかく、はぐらかし続けるしかない。ソフィの正体を知られるわけにはいかないのだ。



 どこかで流れを変えなければいけない。村長が納得するような嘘を練り上げ、引き下がってもらわなければ。

 どのような方法でそれを可能にすればいいのか、今は思いつかなかった。



 大体、村長は今頃になってどうしてこんなことを尋ねてきたのだろう。

 何を知ろうとしているのかがわかれば、はぐらかすのも難しくはないはずだ。



 アデルは汗の滲んだ手を腿で拭った。



「まぁあれじゃ、わしも若い男なので、軍役が終わった後の金で少々ハメを外したところはある。人様に言うようなものでもないので黙っておっただけじゃ」

「ほう……」

「おかげで死ぬ思いをしたのにすっからかんじゃ。いやまったく、貧乏人が急に金など持つものではないな」

「人様に心配かけておいて随分と暢気なことじゃな。ワシもロルフもお前が死んだのではないかと心を痛めておったというのに、お前は遊びまわっておったというのか」

「悪かったとは思うが、ほれ、まぁ色々あったでな。気の良い奴も気に入らん奴も目の前でどんどん死んでゆく、理不尽と不条理を目の当たりにして、わしも相当心が参ってしまった」



 そう言うと村長は少し気まずそうに視線を逸らした。この返答は村長にとっては意外なことだったようだ。

 己の不幸な体験を利用するのは気が引けるが、村長の追及を逃れるためなら仕方が無い。



「恐ろしい体験じゃった。昨日まで一緒にいた者たちが魔物に襲われ命を落としてゆく。誰も悲惨な死に値するような悪行などしておらんのに、お構いなしじゃったからな。色んなことがむなしく思えて、生きるのが嫌になったこともあった」

「そうか……」



 今のところ、自分が軍役でどのような体験をしたのかはあまり話したことはない。話すようなことでもないと思っているし、無闇に詮索されるのも好きではない。

 誰かに話してしまうと、大切に思っている何かの価値が下がってしまうような気がしたのだ。

 何を大切に思っているのか自分でも上手く把握できていないのに妙な話だ。



「まぁなんじゃ、わしも阿呆ではあるが一応大人じゃでな、子どもの頃のように村長に何もかも明け透けに話すわけにはいかんということじゃ」

「話を終わらせようと必死じゃな」

「別にそういうわけではないが」

「何もかも話せとは言わん。しかし、この村で余計な何かが起こらんようワシは配慮する必要がある。アデル、お前が必死になって隠しておるのは、ソフィちゃんの出自についてではないのか」

「いや、わしも詳しいことなど知らんのでな」



 ソフィの出自については知っているが、それこそ話してはならないことだ。

 村長が白いヒゲを撫でながら言う。



「ソフィちゃんは、貴族ではないのか?」



 そう尋ねられ、アデルは目を細めた。確かにソフィは貴族ではある。それどころか王族だ。

 この辺りが落としどころかもしれない。村長の問いで、いかにも秘密がバレてしまったという演技をすれば、村長も納得して引き下がるだろう。

 何もかもを隠したままだと思われるより、多少の秘密を暴いたと思ったほうが村長も得心がゆくはずだ。



 アデルは唇の下を指先で掻き、それから頬を撫でた。



「まぁ貴族ではある。しかし今はただの村娘じゃ」

「そうか」

「誰にも言わんでくれ、余計なことを詮索されたくはない。ソフィにもそれを明かさぬように言いつけておる」

「ワシは、ソフィちゃんは貴族の庶子ではないかと思っておった」

「そんなところじゃ」



 貴族が他に女を囲うのはよくあることだ。愛人は容姿で選ばれることが多いので、その間に生まれた子もまた際立って美しい場合が多い。

 ソフィのように可愛い子であれば、村長が貴族の庶子だと思うのも無理はないだろう。



 これで村長もいくらか秘密を知った気になり、溜飲を下げるに違いない。

 今のうちに退散するとしよう。



「さて、村長、わしはもう帰らねばならん。お腹を空かした子がおるでな」

「そうか」

「うむ、村長も老人らしく早く寝たほうがよい」

「お前に言われるまでもなくそうしておる」



 アデルは立ち上がり、椅子を机の間に戻した。村長もゆっくりと立ち上がり、杖に手をかける。

 窓の外はすでに夜一色で、太陽の残り香さえも冷たい風に流されてしまったようだった。さすがに明かりが無いと帰り道は辛いかもしれない。

 何度も通った道だから、光が無くても殆ど支障はないが、一応村長にランタンを借りることにした。



 アデルは手燭とランタンを持って玄関まで移動した。見送りに出てきた村長に手燭を渡し、ランタンで玄関口を照らす。

 村長は麻布のようにガサガサした声で言った。



「アデルよ、明日は遅れるでないぞ」

「わかっておる」

「ソフィちゃんは魔法使いであろう」

「……いや、違うな」

「そうか」



 急に差し挟まれた言葉に対応できず、簡単な否定しかすることが出来なかった。いきなりそんなことを尋ねてくるのは卑怯にも程がある。

 こちらの気が緩んだ瞬間を狙って訊いてきたのだろう。



 村長が暢気な口調で言う。



「ワシはてっきりソフィちゃんは優れた魔法使いかとばかり思っておった」

「ははは、そうであったらワシの生活も楽になるかもしれんな」

「優れた魔法使い、いや、木を薙ぎ倒すほどの大魔法使いと言うべきか」

「あんな小さな子にそんなことが出来るわけがなかろう」

「そうじゃな、それほどの魔法使いなどそうそういるわけがない」



 村長がさらに何か言うのかと身構えていたが、村長はそれ以上何も言おうとはしなかった。

 大木を薙ぎ倒すほど、という言葉が引っかかる。確かに、自分はソフィに頼んで木を倒してもらった。あの木はどうなった。思い出せない。

 村長がその木を見ているとは思えない。村長が木と言ったのはただの偶然であって、ソフィに倒させた木のことを指しているわけではないだろう。



 村長はゆっくりとした声で尋ねてきた。



「アデル、死の森で火災があった。あれは魔物によるものではなかった。ならば何によって火災が起こったのか、お前は知らんか?」

「知らんな」

「そうか、ならばよい」



 色々と限界だ。綱渡りしながら数学の問題を解いているような気になってしまう。

 アデルは村長に別れの言葉を告げ、足早に歩き出した。



 冷たい空気に体の表面が張り詰める。まるで肌が凍りついたかのようだった。

 早く家に帰りたい。暖炉にでも当たってほっと息を吐き出したい。



 何かに転ばないよう気をつけながらも、アデルは大股で家へと向かって歩いた。













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