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第二部 第三章
嫌な発見
しおりを挟む地平の上に橙色の太陽がぽっかりと浮かんでいる。すっかりと肥えて大きくなった太陽はその重みに耐えかねて地平の海に溺れようとしていた。
今日が終わろうとする中、ソフィは長く伸びた影を引き連れて歩いた。
アデルが村長に呼び出されてしまったため、リディアと二人で歩いて帰ることになった。畑を走り回った疲れが今頃になって体にずしんと圧し掛かってくる。夕日の色が眠気を誘った。
人々と同じように、太陽も今日の仕事を終えて、地平へ帰ろうとしている。空の紫は深くなり、天球にぽつぽつと星を滲ませていた。
これから始まる夜は冷たくなることだろう。
夕日のせいか妙に感傷的な気分になってしまう。穏やかに過ぎてゆく時間が心に小さな寂しさの風を吹かせていた。
けれどそれは決して不快ではなく、温かみを伴った寂しさだった。
今日という日が生まれ変わろうとする中で、ソフィは遠くへと視線を移した。
もう少しこの感傷に浸っていたいと思っていた時だった。隣を歩いていたリディアが声をかけてきた。
「そうそうソフィ、あのね、言おうと思ってたことがあったんだけど」
「む? なんじゃ?」
リディアの声音はいつもと変わらないものだった。それが感傷から現実へと心を引き戻す。
「ソフィ、頭にシラミがいるわよ」
「はああぁぁああぁ?!」
「何よその顔、可愛さ台無しだわ」
「ありえんのじゃ、妾は常日頃から髪の手入れを怠っておらぬ。魔法で熱風を出し、髪の間に通しておるのじゃ。櫛も毎日使っておる。シラミなどおるはずがない」
「そんなこと言われても、いるんだから仕方ないじゃない」
「大体、妾は別に頭が痒くなったりしておらんのじゃ」
例えシラミといえども、魔法で熱風を当てれば死ぬ。十分に熱くし、その上で櫛を通しているのだから、シラミの入り込む余地などない。
リディアが見たのはゴミか何かだろう。
「とにかく、いるものはいるんだから仕方ないでしょ」
「まったく……、どうせ見間違いなのじゃ」
「いいから、家に帰ったらとりあえず調べてみましょ」
「その必要はないのじゃ、そんなもの今すぐ出来る」
ソフィは周囲に目を配った。誰もいないことを確かめ、スカートの中から杖を取り出す。その杖を握ったまま、ソフィは魔法で鏡を作り出した。
頭頂が見えるように、鏡は二つ用意しておく。その上で、小さな光の球を魔法で作り出し、光源にする。
リディアは感心したように声を漏らした。
「凄いわね、さすがソフィ」
「こんなものなんということもないのじゃ」
最強の武人とはいえ、リディアから見ればこんな魔法でも凄いもののように思えたようだ。とりあえず、鏡の位置を調整して頭がよく見えるようにする。
光源に照らされた黒髪はいつもと変わりが無い。指先で髪を掻き分けて、シラミがいないことを確かめようとした。
だが、それはいた。
「な、なんじゃこれは?!」
黒髪の中で、シラミらしき小さな虫が髪の間にいるのが見えた。思わず声を上げてしまう。
「ほら、いるじゃない」
「そ、そんな馬鹿な。ありえんのじゃ」
髪のことには普段から気をつけていたのに、どうしてこんなことに。
大体、誰かからシラミを移されるようなことをした覚えはない。そこで気づいた。
「リディア、これはリディアの仕業なのじゃ!」
「なんであたしなのよ」
「いや、そうに違いないのじゃ。妾は普段から気をつけておる。誰かにシラミを移されるようなことなどしておらん。したとすれば、昨日、リディアの隣で寝たことだけなのじゃ」
「ソフィったら人のせいにしちゃって」
「御託はよいのじゃ、調べれば済む」
ソフィは光源と鏡の位置を動かし、リディアの前へと持って来た。リディアは呆れつつ頭を覆っていたスカーフを外し、その鏡を覗き込んだ。
「あたしだって別に頭は痒くないし……、っていた?! ええええっ?!」
「やはりおるではないか」
リディアは両目を見開いて鏡に顔を近づけた。よっぽど信じがたかったのか、口がぽかんと開いている。小さく震えているのを見るに、リディアにとっても予想外だったのだろう。
その姿はリディアの本心がそのまま表に現れているように見えた。
リディアがこちらに視線を向ける。
「ちょ、ちょっと! どういうことなのよ?! ええっ?!」
「どういうことと言われても、と、いうかやはりリディアが原因ではないか! おのれ、人のシラミに気づいて自分のシラミに気づかぬとは」
「そんなことはどうでもいいのよ、と、とにかく、なんとかしなきゃ!」
「対策せねばならんのはわかるが、なんじゃ人のせいにしおって」
「わかったわよ、あたしが悪かったから、そんなことよりなんとかしなきゃ、嘘でしょもう」
まだ信じられないのか、リディアは驚きで目を見張っている。
シラミは小さな虫だから、気づかないこともあるかもしれない。だが、聞くところによるとシラミがいると頭がとんでもなく痒くなるのだという。
気づかなかったのだとすれば、リディアはよっぽど鈍いのだろうか。
「ソフィ! ど、どうしましょ」
「どうすればと言われてもじゃな、やはり髪の間に熱風を通すしかないのじゃ。他の対策については妾はよく知らぬ」
そもそも縁がなかったのだから、詳しいわけがない。こうなったら詳しい誰かに駆除方法を教えてもらうしかないのだろうか。
そこではたと気づいた。
「いや、シシィが持っておる本の中に対策が書かれているものがあるかもしれんのじゃ」
「それよ! 善は急げ、走るわよ!」
「なぬっ?!」
「早くしないとアデルが帰ってきちゃうでしょ、ダメよ、アデルにこんなこと知られたくないもの」
「いや、まぁそうではあるが、何も走る必要など」
「いいから急ぐわよ」
リディアは異論を受け付ける気が無いようだった。こちらににじり寄り、抱え上げられてしまった。
「ちょ、ちょっと待つのじゃリディア」
「さぁ行くわよ」
「ぎゃあああああっ!」
リディアは自分を腕の間で抱え上げると、勢いよく走り出した。その速さに恐怖が沸き起こる。その速さは自分がどれだけ頑張っても辿り着けないようなもので、風ですらも置き去りにするかのようだった。
こんな速さで走っているのを誰かに見られたら、お化けでも現れたのかと話題になってしまうだろう。
「さぁソフィ! アデルが帰ってくるまでになんとかするのよ!」
威勢のいい声も後ろへと流れてゆく。そもそも、そんな短時間でどうにかなるものなのかどうか知らない。
結局、蔵の前まで抱きかかえられたまま連れてこられた。リディアはフンと鼻息を荒くして大きな声で言う。
「さぁソフィ、なんとかするわよ」
リディアに地面へ降ろされ、ソフィがたたらを踏む。
ようやく地面に足をつけることが出来た。大地のありがたさを感じながら、ソフィは弱弱しい声で言う。
「なんとかと言われてもじゃな、まずはシシィの本を調べてみるしかないのじゃ。いずれにせよ、櫛で落とすことになるはずなのじゃ」
「なるほど」
蔵の中へ入ると、ほぼ真っ暗だった。魔法のランタンに明かりを灯して光源を確保した後、ソフィはまずシシィの本棚に目を向けた。
何かしら医学に関する本が無いかと探すと、ちょうどよさそうなものを見つけた。その目次を眺め、目的の字を探す。
「ふむふむ、おっ、あったのじゃ、シラミに関することが書いてるようじゃ」
「でかしたわソフィ! さすが。で、どうすればいいの?」
「えーと、この辺りじゃな」
目次から中身へと飛び、その記述に目を向ける。リディアも隣から熱心に覗きこんでいる。
駆除の方法は載っていないかと探したところ、それらしきものを見つけた。
「あったのじゃ」
「これね、なんて書いてあるの?」
「ふむ、虱を駆除せんが為には梳ることこそ肝要なれ。然るに其の卵の除去には注意を要すが故に駆除は一日にて成らず」
「くしけずるってなに?」
「櫛を通すことなのじゃ。ふむふむ、なるほど……。わかったのじゃ」
「もう読んだの?!」
「うむ」
本を閉じて本棚へと戻す。
「リディアよ、とりあえず外でやったほうが良さそうなのじゃ」
「生活するところにシラミを落とさないってことね」
「そうじゃ」
「さすがだわソフィ、頼りにしてるわよ」
リディアが肩を叩いてきた。
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