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第二部 第三章
爪切り
しおりを挟む夕食の準備が終わったところで、リディアはアデルのベッドの上に座り込んだ。ぎしっ、と小さく音が鳴る。それからリディアが隣をぽんぽんと叩いた。
そこに座れという意味らしい。今はすることもないし、リディアと隣あってお喋りするのも悪くない。
アデルはリディアの隣にゆっくりと腰掛けた。体重のせいでベッドがさらに大きな悲鳴をあげる。
「あのね、アデルが水場で足を洗ってる時に気になったんだけど」
「ん、なんじゃ?」
「足の爪が伸びすぎてるわ」
「ふむ……、そうじゃな」
そういえばここ最近は足の爪を切っていなかったような気がする。そろそろ切り時かもしれないが、さすがに食事の前に切るのは憚られた。それに夜中に爪を切るのは危なっかしい。
「うむ、明日切るとしよう」
「ダメよ、気づいた時に切っとかないと。あたしが切ってあげるから。ねぇ、爪切り鋏はどこ?」
「いやいや、ちょっと待て。別にそんな急がんでもよかろう」
「そうやって伸ばし伸ばしにしてるから爪が伸び伸びしちゃうのよ、思い立ったらすぐやらなきゃ」
どうしてそんなに乗り気なのだろう。これ以上反論しても、リディアが機嫌を悪くするだけのような気もしてしまう。夜の薄暗い中で爪を切るのはあまり好ましくないが、リディアがここまで言うのならやってしまったほうがいいかもしれない。
深爪しないようにだけ気をつければいいだろう。
アデルは立ち上がり、私物入れから爪切り鋏を取り出した。蝋燭を椅子の上に置いて、その隣の椅子に座り、ブントシューを脱ぐ。確かにリディアが言う通り、足の爪が結構伸びている。
前の椅子に置いた蝋燭から光が届いているのを確認し、アデルは爪切り鋏を握った。
爪切り鋏は刃の長さが小指の第一関節分くらいで、持ち手が手の平とちょうど合うように作られている。梃子の原理が働くので、爪のような硬い物でもそれほど力を入れずに切ることが出来た。
じっと目を凝らしていると、リディアがベッドから立ち上がった。
「だから、あたしが切ってあげるって」
「へ?」
「ほら、こっちに座って」
「いやいや、待て。別に爪くらい自分で切れるし」
「いいからいいから、アデルの爪はあたしが切ってあげるの」
どうしてこう強引なのかさっぱりわからない。男の爪など切ったところで何も面白くないだろうし、大体、人の足の爪など切りたがるものでもないはずだ。
しかしリディアは自分がやると言っている。正直、リディアに任せるのは怖い。間違って足の指を切ったりしないだろうかと不安になってしまう。
もちろんリディアが特別不器用だから任せたくないというわけではなく、人に爪を切らせるという行為自体に抵抗があった。
「いや、リディアにそのような仕事をさせるわけにはいかん。身綺麗にするのは自分の責任でやるべきであろう。わしも子どもではないし、自分でやらねば」
「普段から気をつけてたら爪もそんなに伸びないでしょ」
「ま、まぁそうかもしれんが」
「いいからこっちに来て座って」
リディアがベッドがバシバシ叩いた。そんなに強く叩いたら食事の前に埃が立ってしまう。
恐ろしいことこの上ないが、もはや抗えそうになかった。
アデルは観念してリディアの隣に座った。するとリディアが立ち上がり、こちらの手から爪切り鋏を受け取る。一体どうするつもりなのかと思っていると、リディアが背を向けた。
「ほら、もうちょっと奥に座って」
「あ、ああ」
これ以上抵抗しても無駄なのだろう。アデルはベッドの奥へ腰をずらした。するとリディアはこちらの両脚の間に座り込んだ。
「は?」
疑問をよそに、リディアが腰をずらしながらこちらの股の間へとぐいぐい腰を押し付けてきた。それから、こちらの両足を持ち上げ、リディアの腿の上に置く。
まるで両脚でリディアの胴体を挟んでいるような格好になった。
「リディア、ちょっと待った」
「あっ、動かないでよ。危ないじゃない」
「いや危ないとかでなく、なんじゃこの格好は」
「こうすれば切った爪がエプロンに落ちるでしょ。後でまとめて捨てられるじゃない」
「いや……」
「ほら、もうごちゃごちゃ言わないの」
「ぬ……」
リディアはまったく気にしていないようだが、この体勢は少々辛い。自分の足が腰より上にあるし、何よりも両脚の間にリディアがいる。リディアは背中をこちらに預けてきた。三つ編みに編んだ髪が眼前に迫ってきて、アデルは首を横にずらした。
自分の足をリディアの肩越しに覗き込もうとしたが、今ひとつはっきりと見えない。
両脚を思い切り開いた状態で、その間にリディアのような美女を挟み込んでいる。しかもリディアは背中をこちらに預けてきて、これからまさに男の足の爪なんぞを切ろうとしていた。
考えれば考えるほど、よく分からない状況だと思えた。
リディアがこちらの足に指を当てた。そのくすぐったさについ肩が跳ねてしまう。
「それじゃ爪切るから、動いちゃダメよ」
そう言ってからリディアはアデルの足を引き寄せた。
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