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第二部 第三章
家の修理
しおりを挟む寒くなるにつれて太陽もベッドから起き上がるのが辛くなったようだ。ようやく訪れた朝の光は黄色がかかった光を地上に投げかけ、気だるそうに青い空へと向かおうとしている。
肌寒い空気の中、アデルは家の壁に向かいながら機嫌よく歌を歌っていた。
色々とあって家の壁が壊れてしまったが、時間を見つけては補修の作業に取り組んできた。ちょうど忙しい時期だったというのもあって作業は遅れたが、今日でようやく塞ぐことが出来る。
壊れた壁一面をすべて取り払い、中に入っていたハシバミ材を取り去った。それから新しく取ってきたハシバミ材を編んで壁に取り付ける。
後は粘土や藁、石灰やボロなどを混ぜた土をハシバミの上に塗り付ければいい。
アデルは用意した土を練り、その硬さを確かめた。
空気はやや冷たいが、こうやって作業をしていると段々と体が暖まってくる。アデルは額に汗を流しながら土を練り続けた。
「ブント、ブント、おお我らがブント、ブントシュー履ーいていーざすーすめー」
こうやって土を捏ねるというのは楽しい作業だ。アデルが機嫌よく歌っていると、突然後ろから声をかけられた。
「あら、何してるの?」
「うおおっ?!」
近くに誰かがいるとは思ってなかったので、アデルが驚きで大きな声を漏らす。後ろを振り返るとリディアが興味深そうに土を覗き込んでいるのが見えた。
リディアが腰を曲げているせいで、その胸元が大きく開いている。リディアの豊かな胸の谷間が垣間見えて、アデルは慌てて目を逸らした。
「いやなに、この土をじゃな、壁にするわけじゃな」
壁材に使う泥も水分も十分に調節したし、練りも十分だ。枯れた藁も十分に水分を吸っている。
リディアは片手で髪を押さえながら壁材に使う泥を見つめていた。
「ふーん、こうやって壁を作るの?」
「まぁそうじゃな、金持ちなら全部レンガやら石で作れるじゃろうが、生憎わしは貧乏人。こうやって土で壁を作るより他無い」
「ふーん……、なんだか楽しそうね」
リディアはそう言ってから、髪の毛を頭の後ろでくるりと束ねて何か棒のようなものを間に差し込んだ。それだけでリディアの赤く長い髪が後頭部でまとめあげられ、白いうなじが晒された。
その手並みは鮮やかで、一体どうやったのか横で見ていてもよくわからなかった。
アデルはリディアの胸元へ移動としようとする視線をどうにか意思の力で押さえつけ、自分も土に目を落とした。十分に練った土を編んだハシバミの上にぺたりとなすりつける。
下のほうから順番に、円を描くように手の平で押さえつけてゆく。ハシバミの間に泥が均等に入り込まないと空気が入って腐りやすくなってしまう。
そんな作業を見ていたリディアが、泥の固まりに手を突っ込んだ。
「あたしもやるわ」
「おお、手伝ってくれるのか」
「うん、お手伝いする」
リディアは機嫌よさそうに笑みを浮かべ、アデルがやったのと同じようにハシバミに泥を塗りつけた。
「しかしリディアよ、手伝ってくれるのはありがたいが、服が汚れてしまう」
「え? 裸でやれってこと?」
「違うわい!」
そんな要求をするわけがない。まったく人をなんだと思っているのだろう。
「ねぇねぇ、こんな感じ?」
「ん? そうじゃな、いい感じじゃ」
泥の固まりというのは相当重たい。大の男でも自分の体から離れた場所で扱うのには力を要するものだが、リディアは難なくこなしている。
リディアは手を泥で汚しながら壁に土を盛り付けてゆく。それほど広い壁でもないし、厚みもさして必要ではない。一時間足らずで終わるだろう。
横から手伝ってくれていたリディアがふとこちらに目を向けてくる。
「ねぇ、この土って藁を混ぜて作るの?」
「ん? そうじゃな、土と石灰と藁とボロが主要な材料かのう」
「ボロ? なにそれ」
「うん?」
知らんのか、と言いそうになってアデルは口を噤んだ。リディアならば知っていてもおかしくないはずだが、どうやら本当に知らないようだ。
リディアが知らないとなると、もしかするとボロというのはこの辺りでしか通用しない方言なのではないかとさえ思ってしまう。
アデルは視線を右上に向けた。
「あー、あれじゃ、ボロというのは馬糞のことじゃ。あの二頭の馬がしっかりひりだしてくれた」
「きゃあああああっ!」
ずばんっ、と猛烈な勢いで土がアデルの顔にぶつかった。その衝撃で首が曲がってしまう。
アデルは口の中にまで入り込みそうになった土をペッと吐き出し、リディアに向かって怒鳴った。
「ぶへっ?! こらっ! 何をするんじゃ!」
「馬糞が入ってるなら先に言いなさいよ! 思いっきり揉み解しちゃったじゃないの!」
「何を言っておるんじゃ、草を食う動物の糞など肉食動物の糞に比べればマシじゃろう」
牛や馬の糞は農家にとっては大事なものだ。良い肥料になるし、このように壁材にも使える。ちょっとした炉を作るのにも役立つ。
リディアは憤懣やるせないといった様子だ。近くに置いてあった桶の中に手を突っ込んで手を洗っている。
丁寧に洗う様子を見ていると思わず文句が漏れてしまう。
「まったく、馬を所有しているのに馬糞がダメとは一体どういう理屈じゃ。馬が好きなのではないのか」
「馬が好きなのと馬の糞が好きなのは違うでしょ」
「それはそうかもしれんが、なんか納得がいかんのう」
「いやもちろん余計な粗相しちゃったらどうにかするけど、手を突っ込んでぐにぐに捏ね回すのは嫌よ」
リディアはつんと顎を上げて胸を張った。
説明しなかった自分も悪かったかもしれないが、何も投げつけなくてもいいだろうに。
アデルは自分の顔についた土をあらかた落としてから桶に入れておいた水に顔を突っ込んだ。水の中で顔を左右に振って土を落とし、それから手を洗う。
この水は作業の合間に手を綺麗にする必要があるかもしれないと用意しておいたのだが、汚れてしまった以上はまた汲んでこなければいけない。
「ふぅ、いかんいかん、作業に戻らねば」
今日もまだ用事がある。早い目に済ませて余裕を持たせておかないといけない。
手伝いをやめたにも関わらず、リディアはここから去ろうとしない。こちらの作業をじーっと見つめている。
もしかしたら暇なのだろうか。
何かお喋りでもしようかと思ったところで、リディアが口を開いた。
「そんなに気合入れる必要あるの?」
「ん? そりゃそうじゃろ、愛しの我が家じゃからな。しっかりと手入れせねば」
「……でももうボロいじゃないの」
「だからこその手入れというものよ。そうじゃな、今回は壁に漆喰など塗ってみるか。今なら石灰も格安で手に入るしのう」
「ふーん……、でもこんなボロっちい家にそんな気合を入れなくても」
「これこれ、それでも大事な家じゃ。思い出のいっぱい詰まった我が家、これからも住んでゆくのじゃから気合も入るというものよ」
「……ふーん」
「んあ?」
リディアの反応が微妙で、アデルは作業の手を止めてリディアに視線を向けた。リディアは何か言いたそうな無表情。一体どうしたというのか。
何か気になることがあるのか尋ねようかと思った矢先に、リディアが片手を上げた。
「ちょっと可愛い妹たちに用事が出来たから行くわ」
「は?」
「じゃあね」
それだけ言い残してリディアは蔵のほうへと小走りで駆けていった。
よくわからない娘さんだが、今日はとくによくわからない。
「なんなんじゃ……」
アデルはリディアの背中を見ながらそう呟いた。
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