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第二部 第三章
王さま
しおりを挟むルキウスの長い話を聞き終えてから、マリーは天井を見上げた。時間の流れというものが、この空に浮かぶ宮殿にあるのかどうかわからなかった。ただ、話を聞き終えた今、随分と夜も深まったはずだ。
時計もなければ空に星も無いので、正確な時間はわからない。
マリーは宮殿の一室で、ルキウスと並んでベッドの縁に腰掛けていた。話を終えたルキウスがぼんやりと天井を見上げている。
この話を聞き終えて何よりも気になったことがあった。マリーがわずかに首を傾げてルキウスの横顔を眺める。
「色々と思うところはあるけど、そのリオナっていう人がルキウスの奥さんなの?」
「いやまったく違うが?」
何を言ってるんだと言わんばかりの表情でルキウスが視線を向けてくる。
マリーが目を大きく開いた。
「違うの?!」
「うむ、違う。余の妻はそれから数年後に出会った女だ」
「じゃあ今の話は一体なんだったのよ?!」
「ふむ、昔の余は何かと傲慢であったと思う。その辺りの話をした」
「確かにちょっと色々と思うところはあったけど、これだけ長い話をしておいてそれを話したかっただけなの?」
そう言うとルキウスは少しばつが悪そうに頬を掻いた。別に責めたてるつもりは無いが、何かしら重たい話が始まるのだと思っていたから拍子抜けしてしまう。
全体的な流れを追うと、ルキウスがカディスカという部族をたった一人で制圧したというただそれだけの話だった。
ルキウスは鼻からゆっくりと息を吐き、それから話を続けた。
「それでだな、余はリオナを屈服させた。その後、たっぷりとリオナを可愛がってやったものだ」
「あっそ」
「そうしていると部族の女どもも余に興味を持ったらしくてな、数十を超える女たちが余の寵愛を求めて美しい裸体を惜しげもなく晒し、余を悦ばせるために雌の体を存分に捧げてくれたものだ」
その当時のことを思い出しているのか、ルキウスは目を閉じて唇の端をやや持ち上げた。
「さすがの余も精が尽き果てるかと思うほどであった。美しい女の裸体に取り囲まれ、肌という肌は女の柔らかさに包まれた。桃尻を並べ、端から端へとその蜜を味わうというのは素晴らしい心地であった」
「いやあのねルキウス、確かにそんな状況は男としては嬉しいでしょうけど、わたしはそういう話が聞きたいわけじゃなかったのよ」
「……いかんな、思い出していたらどうにも疼いてしまった。マリーよ、その時の様子がどうであったかを再現して見せようと思う。さぁ、余にその美しい体を見せてくれ」
ルキウスはそう言って手を胸に伸ばしてきた。手は大きいものの、指はやはほっそりとしている。その手で胸を揉まれて、マリーは呆れてしまった。
そっと手を上げて、ルキウスの手の甲を抓る。この程度で痛みを感じるのかどうかはわからなかったが、ルキウスは嫌そうに眉を寄せている。
「あのねルキウス、こんなことしてる場合じゃなかったんでしょ?」
「うむ、しかしあの時のことを思い出すとな」
「もしかしてルキウス、あなたが一人で敵の真っ只中に向かったのって、その使者の人が敵の首領が美しいとかなんとか言ってたからなの?」
「よくわかったな。それ以前にも敵は美女揃いだと聞いていてな、それで興味が出た」
そんなスケベな感情に基づいて王が単身で向かってしまったのだ。部下の心痛はさぞ酷いものだっただろう。
ルキウスは手の甲を抓られているにも関わらず指先をマリーの乳房に埋めてその感触を楽しんでいた。
「耳にした通り、容姿の美しい者たちが多くてな。そのようなものたちから子種を求められ奉仕を受けるというのはまさに快楽の極みであった。翌日の昼に戻ると告げて出たことを後悔したほどだ」
「あら、一応時間には戻ったの」
「さすがに放っておくわけにはいかなかったからな」
大将でありながら敵の本拠地へ単独で赴くくせに、そういうところは律儀なようだった。
ルキウスがやや真面目な表情で視線を落とす。
「戦うことよりも、戦った後のことのほうが面倒な場合が多い。あの時は魔王軍の中でもそれなりに精強な軍団が、王と共に出陣したわけだからな。結果が芳しくなければ権威に関わる」
「まぁ確かに、魔王が出て戦っておきながら負けましたじゃ舐められるわね」
「臣従の証として何かを差し出せと言おうにも、カディスカの民はこれといって何か優れた特産品があるわけでも金を持っているわけでもない。こちらも返礼として権威を損ねない程度に良い物を用意しなければならないが、こちらが渡すだけではこちらの敗北のように見えてしまう」
王とはいえ色々と気にかけなければいけないことがあるようだった。
確かに何も得ずにそのまますごすごと帰ったのでは、本当にカディスカの民に対して勝利を収めて征服したのかが周囲の者たちにはわからないだろう。
ルキウスが軽く首を振りながら息を吐いた。
「昼過ぎにリオナを伴って幕に戻った。停戦やら今後のことで色々と約定を交わすにも、リオナは文字が読めぬと言う。それで誰か頭が良いものはいないのかと訪ねたら自信満々にこう言った。うちの部族には割り算が出来る奴がいます、とな」
「それは……」
「自信満々で胸を叩くリオナは可愛らしかったが、こちらはどうすればよいのかと悩んだものだ。幸いなことに、カディスカの戦士の中にも読み書きが出来るものがいて、どうにか色々なことが済んだが」
「結局、カディスカの民が住む場所は王領とし、神官を数名派遣することになった。余はその中で様々な実験を行った。カディスカの民はまさしくタブラ・ラーサであった」
「なに? たぶら?」
「タブラというのは板のことだ。転じて、未だ何も書き込まれていない白紙の状態とも言える。神官を通じて余はいずれ国で行おうと思っていたことをカディスカの民を通じて行ってみた。そのひとつが読み書きは計算などの基礎的な教育、そこで我が国が持つ様々な神話を教えてみることにした」
「神話ねぇ……」
魔王の治める国がどういった神話を持っているのかは知らない。おそらく自分が今まで聞いてきたような神話とはまったく異なっているのだろう。
ルキウスはさらに表情を引き締めた。そうしていると本当に理知的で、多くの女がうっとりとした心地で見つめてしまうだろうと思えた。もっとも、ルキウスの手は胸の感触を楽しみ続けていたが。
「我が国には様々な部族がある。それゆえに統一性に欠ける。部族同士での対立もあった。それらを解消するために、何か一つの芯が必要だと思っていたのだ。それこそが神話ではないかと余は考えた」
「ふぅん」
よくわからないが、ルキウスにとっては大事なことのようだった。
「神話の共有こそが肝要だと思い、それをカディスカの民に教え込むよう神官に依頼した。それらの反応を得て余は確信した。物語は精神をも変えてしまうのだと。物語は倫理を、道徳を変えてしまうのだと」
「そう」
力説するルキウスだったが、マリーはあまり興味が持てなかった。
「法というのは一日で変えられる。しかし、倫理、道徳は決して一日では変わらぬ。それぞれの部族が異なる道徳観念を持ち、それに従う形で存在していた。そして法には発行者や、その権利を付与されたものがいる。しかし倫理においてはそういうものが見られぬ。そして多くの者たちが、法とは倫理に裏打ちされたものでなければいけないと考えている。しかし実態は」
「ねぇルキウス、その話まだ続くの?」
「……つまりだな、国を発展させる法と倫理の間には結構な乖離があるということだ。倫理が復讐を肯定したとしても法はそれを許してはならない。それをされると国力が著しく低下する」
そこまで言い切ってからルキウスがゆっくりと立ち上がった。それから机の上に置いてあった杖を手に取り、何か呪文のようなものを唱えた。
「あら何? 怒ったの?」
「違う」
「そう」
ルキウスの正面に二つの輪が現れた。輪は肩幅程度の距離を保って離れており、縦になって浮かんでいる。ルクウスは片方の輪に手を突っ込み、そこから何かを引っ張り出した。
魔法の凄さは十分に見せ付けられたが、それでもこうやって見ていると驚いてしまう。何も無い空間から何かを取り出したのだ。一体何を出したのかと思って視線を向ける。
ルキウスが手に持っていたのはどうやら石鹸のようだった。
この宮殿に来る前に色々な日用品を買い込んだ。それらは荷物としてまとめてルキウスが持っていたが、持ちきれない分はこうやって魔法でどうにかしていたらしい。
ルキウスがくるりと振り返る。裸にシーツを巻いただけの格好だったが、男性らしい逆三角形の美しい体にそれはよく似合っていた。腿や足が出ていなければ神話の登場人物のようにも見えただろう。
「マリーよ、この宮殿には立派な風呂がある。行くぞ」
「お風呂? そんなものまであるの?」
「うむ、体を清め、疲れを癒し、活力を蓄えようではないか」
「一緒に入るの?」
「当然であろう」
「やらしいことはダメよ」
「馬鹿なことを言うな。余から楽しみを奪うつもりか」
ルキウスは胸を張った。
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