名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

のじゃのじゃ

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 アデルはボロの入った重たい桶を片手に提げ、早足で家路を歩いた。随分と遅くなってしまったが、みんなはどうしているのだろう。もう先に夕食を食べているかもしれない。
 空の色は紫をすでに追い越して黒い夜空へと変わろうとしていた。多くの星が夜空の中で瞬きを繰り返している。秋口の夜の空気はひやりとした冷たさに満ちていて、体の芯にまでするりと入り込もうとしていた。
 寒気を振り払うように体を動かし、熱を体に蓄える。

 ようやく家まで辿り着き、アデルはボロの入った桶を家の裏に置いた。それから井戸の傍で手を洗う。村の水場で軽く体を拭きはしたが、その後で厩舎に入ったから少し体が臭うかもしれない。
 自分ではよくわからないが、鼻を肩や腕などに近づけて臭いを確かめる。おそらく大丈夫だろうとは思うが、家には若い娘さんが三人もいる。身奇麗にしておかないと困るだろう。

「よし、大丈夫じゃな」

 夕食には作り置きのスープを温め、ジルヴェスターパン店の黒パンを合わせれば十分だろう。
 質素ではあるが、毎日のようにご馳走を食べられるほど裕福ではない。

 家のほうへ視線を向けると、窓からほんの少し光が漏れていた。どうやら魔法のランタンを使っているようだ。
 普通ならば灯りに蝋燭を使わなければいけないだろうが、魔法使いのいる我が家ではあのような便利な道具を使うことが出来た。もしかしたら火を使わずに明かりを灯せるような時代がいつか来るかもしれない。

 老齢の我が家を見ていると、ついさきほどロルフの祖母が言っていた言葉が頭の中で蘇った。ロルフの住む家は、ロルフの祖父と祖母の代に建てられたものだという。ロルフの祖母にとってあの家は非常に大切なもので、あの家を守ろうと火傷を負いながら火を消したとのことだ。

「家か……」

 生まれてからずっとこの小さな家で過ごしてきた。これを建てたのも確か自分の祖父だったはずだ。
 どのような人物かはまったく知らないが、おそらく働き者ではあったのだろう。もうあちこちにガタが来ているが、手を加え続ければまだ住めるはずだ。
 父と母、そして妹と暮したこの小さな家、生まれてからずっと過ごしてきたこの家、大事にしていかなければいけない。

 今日壁に出来た穴には庭のテーブルがあてがわれていた。壁の残った上部とテーブルの間には板が挟み込んであって、穴自体はどうにか塞がっている。
 おそらくリディアとシシィがやったのだろう。当座の処置としてはこれで十分かもしれない。



「さて、と」

 家の正面に回りこんで、アデルは扉に手をかけた。暗い顔で帰ってきてはみんなが盛り下がる。
 アデルは一度顔の筋肉を動かしてからパチパチと素早く瞬きをした。それから笑みを浮かべて扉を開けた。

「ただいま、みんな元気にしておったか?!」

 リディア、シシィ、ソフィ、三人を順番に見渡してから、もう一人誰かがいることに気づいた。

「ん? なんじゃこのおチビちゃんは」

 栗色の髪をした六歳か七歳くらいの女の子が家の中にいた。髪はあちこちに跳ねているし、服もところどころ汚れている。
 格好はややみすぼらしいが、大きく綺麗な瞳がきらきらと光っていて実に子どもらしい。

 帰ってきたことに気づいたのか、リディアが顔をこちらに向けた。

「おかえりアデル、遅かったわね」
「う、うむ。ただいま。ところでリディアよ、どうしたんじゃこの子は。この子は確か村の子じゃろ、エッケルさんとこの」
「そうそう、エッケルさんのところのイレーネちゃんよ」
「ああ、そんな名前じゃったのう」

 聞いたことはあったはずだが、チビちゃんたちの名前は頭の中から抜けかかっていた。名前のことはともかくとして、どうしてここにイレーネがいるのかがわからない。
 尋ねようと思った瞬間にリディアが口を開く。

「あのね、この子、探検してたんだって。それで迷子になって、ついさっきこの家に来たのよ」
「ほう……、探検か。一人でそんなことをしてはいかんな」
「それはソフィが怒ってたわ」
「そうか、ならわしが重ねて何か言うのもあれじゃな」

 おそらく家に帰れば怒られてしまうのだろう。ここで何か言ってこの子の気分を害する必要もないはずだ。
 帰ってきたばかりではあったが、この子を送り届けに再び村の中央まで戻らなければいけない。

 イレーネは嬉しそうにソフィと戯れている。ソフィのほうはやや迷惑そうではあったが、それでもイレーネと向き合って無碍に扱おうとはしていない。


「こんな時間じゃし、この子を送り届けなければならんな。帰ってきたばかりでなんじゃが、もう一度出かけてくる」

 そう言ってからアデルはイレーネの背後に回りこんだ。イレーネはソフィと戯れることに夢中でこちらに気づいてはいない。
 アデルはイレーネの肩を叩いた。

「ほれおチビちゃん。おうちに帰らねばならんぞ」
「えー? もっとのじゃのじゃと遊びたい」
「そうは言うがソフィもそろそろ夕食の時間じゃし、おチビちゃんもお腹が空いたじゃろ」
「アデル! 何故そののじゃのじゃが妾じゃとすぐ気づくのじゃ!」

 ソフィがこちらを睨んできて、アデルは苦笑した。

「まぁソフィ落ち着け、そんなことはともかく、わしはこの子を送り届けてくるでな」

 アデルはイレーネの両腰に自分の両手を当てると、その小さな体をぐっと持ち上げた。
 急に視線が高くなったイレーネが感嘆の声を漏らす。

「ふわーっ」
「はっはっは、高いじゃろ。ほーれ」

 イレーネの体をさらに高く持ち上げて、アデルはイレーネの両脚の間に頭を入れた。それからイレーネを自分の首の後ろに座らせて肩車をしてやる。
 子どもの暖かな体温を首筋に感じながら、アデルはテーブルの上にあったランタンに目を留めた。

「ソフィよ、これを借りていってもよいか?」
「別に構わんが、しかしアデルよ、そのように肩車で行くつもりか」
「なに、こっちのほうが早いじゃろ。この子の歩く速さに合わせておっては少々時間がかかる」

 ソフィの了承も取り付け、アデルはテーブルの上のランタンに向かって手を伸ばした。アデルの手がランタンに触れようとしたその瞬間に、横から素早く手が伸びてきてランタンが奪われた。空を切ったアデルの手がテーブルの上で止まる。
 アデルは突如表れた手の持ち主へと視線を向けた。

 リディアがランタンを片手に持ってにんまりと笑みを浮かべている。どういうつもりなのかわからず、アデルはその表情をしばらく眺めた。

「あたしもついていくわ」
「いや、別に一人でも大丈夫じゃが」
「何言ってるのよ、あんたがイレーネちゃんをしっかり肩車して、そんで手のあいたあたしがランタンで前を照らすのよ。役割分担よ」
「ふむ……、そうじゃな、そうしようか」

 そう言うとリディアがさらに嬉しそうに唇の端を持ち上げた。おそらくだが、リディアが語った言葉はただの口実で、本当はのんびりと歩きながら会話でもしたいのだろう。
 しばらく忙しくなるとリディアに告げたから、少しは会話をする時間を作りたいのかもしれない。

 アデルは家の扉のほうへと近づき、それからソフィとシシィの顔を交互に眺めた。

「それではちょっと行って来るでな。もしお腹が空いたようであれば先にさっさと食べていてくれてもよいでな」

 シシィが緑がかった瞳でこちらをじっと見つめてきた。

「待ってる」
「妾も待っておるのじゃ。スープを温めておけばよいのであろう? 妾に任せるがよい」
「そうか、二人とも待っていてくれるのか。まぁすぐ帰ってくる。シシィ、悪いがスープを温めておいてくれ」
「わかった」

 シシィがこくりと頷き、ソフィが目つきを鋭くした。

「妾がやると言っておるではないか!」
「いや、一応火を使うわけじゃしな、そこはほれ大人がおらんと」
「妾も十分に大人じゃ、なんの問題もない。火であろうが水であろうがちょちょいのちょいじゃ」
「いかんいかん、火を使う時はちゃんと大人の見ておるところでやらねば」
「ぬ、妾は十分に大人じゃと言っておるのじゃ」
「わかったわかった、シシィと一緒にやるんじゃぞ」
「わかっておらんではないか!」

 これ以上ソフィと問答をしていても仕方が無い。

「ほれ、落ち着けソフィ。わしはちょっと行ってくるでな」

 ソフィはまだ不満そうではあったが、言葉は飲み込んでくれたようだった。今のうちにさっさと行くとしよう。
 アデルは扉を開けてから、低く身を屈めた。普通に出て行こうとすればイレーネが頭を打ってしまう。注意深く扉をくぐって外に出ると、太陽の痕跡はほぼ地平から消え去っていた。本格的な夜が訪れようとしている。
 さすがにこれはまずい。こんな時間にイレーネが帰っていないことを知ったら、大騒ぎになってしまう。

「いかん、ちょいと急がねばならんな。リディア、少々早歩きになるが大丈夫か?」
「あたしはまったく問題ないわ」
「うむ、頼りになるのう。では明かりのほうを頼む」
「任せなさい」

 リディアが自分の胸をとんと叩いた。




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