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第二部 第三章
鷲を飛ばす
しおりを挟むシシィは上機嫌で子どもの虎を胸に抱いていた。小さな白い虎がシシィの豊かな胸の谷間に顔を埋めている。
魔法の練習をすると言っていたが、今回はこうやって鷲と虎を出せるようになるだけで終わりそうだった。もちろん、こんな魔法が使えるというのは普通の魔法使いにとってはとても難しいことなのだろうとは思う。
ただ、自分にとってはこの魔法を繰り出すこと自体は特に難しくはなかった。
ただ、こうやって出すだけではなくもっと大きく出せるようにしなければいけないし、それらを自在に操れるように練習もしなければいけない。
しかし、魔法で出した虎は今のところシシィの胸に抱きかかえられながら暢気に欠伸などしている。
「シシィよ、やはり自在に動かせるように練習したほうがよいのではないのか」
「それはまた今度にする」
「おお、なんと」
大掛かりなことをすると言っていたから、相当辛い修行が待っているのだろうと思っていた。鷲の王と雪白虎を出せるようになるというのは、確かに重要な進歩かもしれないが、これだけで終わりだとは思ってもいなかった。
シシィは虎の背中を撫でながら体をくねらせている。もしかするとシシィは猫の類が好きなのかもしれない。
あの大きな白い虎では顔が怖すぎてまったく可愛げがないが、自分が出した小さな虎は猫のようでまだ可愛げがある。成猫と比べれば足は太く、ずんぐりした体型に見えるがそれもまた可愛らしい。
ただ、可愛いだけで役に立たないのでは困りものだ。
「ふむ……、仕方が無い。妾は妾で別の練習をするのじゃ。顕現せよ、鷲の王!」
さっき教わったばかりの魔法を使い、ソフィは炎の鷲を空中に浮かべた。とりあえずその鷲を自在に飛ばせるようになるほうがよいだろう。そう思ってソフィは炎の鷲を木々の間で飛ばしてみた。
炎の鷲は明るさと火の粉を撒き散らしながら空中を飛び回る。そうやって練習していると段々と楽しくなってきた。何かを飛ばしたりするよりも、何かを操るという行為のほうがもしかすると自分にとって面白いのかもしれない。思い返してみると、アデルに肩車をされた時もアデルを操ることに愉快さを覚えたような気がする。
何かを思い通りに操るというのはきっと楽しいことなのだろう。
「回るのじゃ!」
意味は無いが声に出して命令してみる。炎の鷲はくるくると回りながら上昇し、木々の間をすり抜けて空へと突き抜けた。そこからさらに急降下させ、地面すれすれで一気に上体を起こさせる。鷲が羽ばたく度に炎の粉がその軌跡を彩り、薄暗い森の中に光の線を描き出す。
鷲の飛ぶ速さには目を見張るものがあり、自分が何かを思い切り投げた時よりもずっと速かった。
操るのにも慣れてくると、攻撃のほうも試してみたくなる。しかし、この森の中で炎の魔法を放つのはさすがに気が引けた。もし火事が起これば消すのは大変なことになるだろう。
もちろん、シシィと自分がいれば多少の火であれば消せるはずだが、シシィは小さな虎に夢中でこちらを見てもいない。
このあたりで練習を切り上げたほうがいいのかもしれない。しかし、この炎の鷲を自在に飛ばせるような場所は家の近くには無いし、せっかくこうやって人目につかない場所に来たのだからもう少し練習したい気にもなる。
「ふーむ、どうしたものか悩むのじゃ」
炎の鷲を近くでばっさばっさと羽ばたかせて止めておく。そうやって悩んでいると、がさがさと足音がした。どうやらリディアが戻ってきたらしい。どこまで行っていたのかはわからないが、一仕事を終えてさっぱりとした顔をしている。
額にかかっていた髪を左右に流して、目に髪が入らないようにしていた。
「あら、魔法のお稽古?」
「うむ、そうなのじゃ。今日はシシィに凄い魔法を教わったのじゃ」
「その鳥がそうなの? すっごい燃えてるけど」
「うむ、これはなかなか愉快なのじゃ。シシィのものと比べるとかなり小さいが、妾も精進を重ねてじゃな、シシィのもののように大きくするのじゃ」
「そういえばシシィもそんな魔法使ってたわねぇ」
リディアは布で包んだ剣を肩に担ぎ直し、あまり興味なさそうに炎の鷲に目を留めた。リディアほどの剣士からすれば、この程度の魔法はどうということはないのかもしれない。
シシィの出した雪白虎でさえ一刀両断にするくらいだから、この程度の炎の鷲に脅威を覚えたりはしないのだろう。
リディアも来たことだし、練習は切り上げたほうがいいだろう。そう思ってソフィは軽く杖を振った。炎の鷲が渦を巻き、そして空中から消失する。
もっと広い場所で思い切り飛ばしてみたいものだが、そこに辿り着くまでそこそこの時間がかかってしまう。
リディアは次にシシィへと視線を移した。シシィは赤ちゃん虎を抱いて満足そうにしている。相当冷たいだろうに、その背中を撫でながら笑みを浮かべていた。シシィのほうな可愛らしい少女がそうしているのはある意味普通のことかもしれない。
しかし、普段のシシィを知っているだけあって、シシィが無防備に笑みを浮かべて小さな可愛い生き物を可愛がっているというのは奇妙な光景に見えてしまう。
リディアもそんな姿が変に思えたのか、眉を寄せてじーっとシシィを見つめている。
「ちょっとシシィちゃん? そろそろ帰るわよ」
声をかけられて、シシィはようやくリディアがいることに気づいたようだった。急に表情を引き締めてリディアに目を向ける。
そうやって格好付けようとしたところで今更遅い気もする。
リディアは無遠慮に手を伸ばして、シシィが胸に抱いている虎の首に手を当てた。それから虎の首の後ろをぎゅっと抓んで持ち上げる。
哀れにも宙吊りになった虎は脚をばたばたと動かしていた。リディアは虎の向きをくるりと変えてその顔を覗きこんだ。
「まぁ、変な顔の猫ね。もうちょっと目が丸いほうが可愛いんじゃない」
リディアがそう言うと、シシィがむっと唇を硬くした。
「リディア、それは猫ではなく虎。それと、そうやって首の後ろを持つのは好ましくない。負担になる」
「いや、これはソフィが魔法で出したんでしょ。関係ないじゃない」
「それでも見た目がよくない」
「見た目って……。別にいいけど」
そう言ってから、リディアはゆっくりと地面の上に虎を置いた。もういいだろうと、ソフィは杖を軽く振って小さな虎を消した。同時にシシィが悲しげに表情を変えた。
もうちょっと可愛がっていたかったのかもしれないが、そんなことをしている場合ではない。
ソフィは杖をスカートの中に仕舞ってから、リディアのほうへ視線を向けた。
「リディアよ、もう木を切り終えたというのか?」
「うん、終わったわよ。とりあえず、太いのは放置しておいて、で、ちょっと細めの軽そうな奴だけ持って帰るわ。とりあえず、木材を扱う練習台になってもらわないとね」
「練習とな」
「さすがにノミとかタガネとかなんかよくわからないけど、そういうのはちゃんとしないとダメでしょ。まぁ多分アデルがそういうの得意だと思うから、なんとかなるわよ」
「ふむ、ちゃんとすると言っておいてすぐさま人任せというのも驚きじゃが、それよりもまずアデルを説得せねばなるまい。家を建てるというのは大変なことではないか」
「大丈夫よ、アデルだって賛成してくれるわ。そうしたらみんなで一緒に、ひとつ屋根の下で暮すのよ。きっと楽しくなるわ」
リディアは明るい表情でそう言った。森のひんやりとした空気に当てられ続けたせいか、ソフィはほんの少し寒気を覚えた。
楽しそうにしているリディアを見ていると妙な不安が膨らんだ。
ソフィが表情を曇らせていると、シシィがリディアに続くように言葉を重ねる。
「どちらにしても、あの家はそろそろ建て替えなければいけないと思う。あのままではもう長くはもたない」
「なんと?!」
「今まで建っていたのが不思議なくらいだと思う」
「い、いやしかし、しっかりと手入れをすれば長持ちするはずなのじゃ」
「もう難しい」
シシィがゆっくりと首を振った。
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