名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

農作業

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 土の匂いが辺り一面に溢れていた。秋の午後の日差しは薄絹をそっと掛けるかのように柔らかく、遠くまで広がった畑の上にかぶさっていた。薄い雲は綿を引っ張ったかのように長く伸びていて、空の高い場所でゆっくりと風に流されている。
 アデルは重量すきの舵を握って早足で駆けた。

「なんともまぁ力強い馬じゃな」

 アデルは呆れつつ馬の尻を眺めた。重量すき輓獣ばんじゅうかせて使うのが普通だが、この村では毎年牛を輓獣として使っていた。
 だが、今年は違っている。リディアがロルフに預けている馬が、重量犂を曳いていた。

 ロルフは馬の横を小走りで駆けながら、はぁはぁと荒い息を吐いている。どうやらこの程度の速さで走ることさえロルフにとっては辛いようだ。アデルの隣をカールが顔を上気させながら走っている。
 ロルフと同じく、この速さで走るのは辛いようだ。それでももうしばらく頑張ってもらわなければいけない。

 カールは肩にまで届きそうな金髪を揺らしながら一生懸命に走っている。走り続けているせいか、白い肌には朱色が差していた。十二か十三歳のカールはまだ背も低く、足もそれほど長くない。
 大人であるロルフが片息を吐くほどの速さで走るのは辛いだろう。

 アデルは隣を走るカールに声をかけた。

「よいかカール、こうやって犂の舵を握ってじゃな、しっかりと握ってブレぬように持つ。それで、犂の穂先がしっかりと土に入るように、って聞いておらんな」

 カールはこちらの言葉など耳に入っていないようだった。走るのだけでもう頭が一杯になっているのだろう。
 これ以上カールを走らせるのもまずい。そう思ってアデルは一度大声を上げた。

「カール! 今は休んでよし、よいか、また戻ってくるからその時についてくるんじゃぞ」
「う、うん!」

 大きな返事をしてから、カールはもう限界とばかりに足を止めた。両手を膝の上に置いて、肩を上下させながら呼吸を整えている。


 アデルは前方に視線を向けた。リディアの馬は、疲れを知らないのではないかと思うほどに安定した速度で走り続けている。
 有輪の犂とはいえそれなりに重たいはずだが、たった一頭でぐんぐん引っ張っていた。

 耕作地の端まで来て、ロルフは一度馬を止めた。ここで方向転換をしなければいけない。馬に犂を曳かせてる時は楽なものだが、この方向転換だけは馬の力を頼りにするわけにはいかない。
 アデルは重量犂の舵をぐっと押し下げて、土の中に埋まっていた犂の穂先を地上に出した。ロルフは呼吸を整えながら馬の端綱を引いて馬の向きを変える。

「よっこらせっと」

 車輪の部分だけが設置するように重量犂の先を浮かせ、どうにか反転する。それから地面の中に犂先を再びめり込ませるため、犂のヘラの部分の後ろに体重をかけた。
 犂先がしっかりと地面に入ったのを見て、アデルは前方にいるロルフへ声をかけた。

「よし、ロルフよ、行くぞ」
「あ、ああ」

 ロルフはもう少し休みたかったのかもしれないが、残念ながら時間が無い。


 秋ともなれば日照時間は段々と短くなる。冬至ともなれば六時間か七時間ほどしか太陽は顔を出してくれない。
 今の時期にしっかりと準備をしておかないと、冬が越せなくなる。日が出ているうちにしっかりと働いておかなければ、後で困るのは村のみんなだ。

 今日は朝に色々とあって出かけるのが遅くなってしまった。その遅れを取り戻してくれたのが、重量犂を曳いている馬だ。
 遅れを取り戻すどころか、未だかつて無いほどに早く終わりそうに思えた。普通は二頭立てで曳く犂を、リディアの馬は一頭で軽々と曳いている。よっぽど良い馬でなければこんなことは出来ないだろう。

 しばらく走っていると、休憩していたカールを合流した。カールにとっては短い休憩だっただろうに、カールは再び併走してくる。
 その様子を見ながら、アデルは大きめの声で言う。

「よいかカール、犂というのはこのように、あー、なんじゃ、船底がひっくり返ったような形のヘラがついておってな、それで土をこう、ざっぱーんと割って持ち上げるわけじゃ。鍬ではここまで深く耕し続けるのは無理じゃでな、こうやって犂を使う。この犂先の前には包丁みたいな刃物がついておって、それがまず土を切り分け、そこに犂先が入ることでより効率よく土を耕せるわけじゃな」

 そこまで一気に言うと、カールが小走りで走りながら頷いた。それを見てアデルがさらに続ける。

「このように便利な犂ではあるが、方向転換が面倒くさい。そこで畑のほうをこのように細長くして、方向転換する回数を減らしておるわけじゃ。で、この犂じゃが、今はほれ、この馬が良いからまっすぐ走ってくれておるが、普通は牛でも馬でもここまでまっすぐは動いてくれん。そこで端綱を曳く前の相手と、こうやって重量犂を操る方で呼吸を合わせて出来るだけまっすぐになるよう耕起するわけじゃな」
「アデル兄ちゃん、こーきって何?」
「耕起というのはまぁ、耕すことじゃ。耕して土を柔らかくし、空気を混ぜ込み、植物にとってよい環境を作ってやるわけじゃな」
「うん!」

 一生懸命走っているせいか、カールの返事も大きかった。
 アデルは犂の柄を両手で握り締めながら小走りで走る。

「とにかく、よく耕さねばならんということじゃ。本当は犂の動かし方も覚えてもらおうかと思ったが、まぁ今日はいいじゃろ。次に端まで行ったらしばらく休んでおれ」
「う、うん!」

 カールは大きな声で返事をした。後少しで休めるという時に、最後だと張り切ってしまう人と気を抜いてしまう人がいるが、カールはどうやら前者のようだった。
 最後なのだから力を抜けばよいのではないかと思わないでもないが、カールは一生懸命走ってついてきた。

 前を走っていたロルフが大声で言う。

「俺も休みたい!」
「ロルフにはまだ走ってもらわんと困る!」

 前を走る馬が優れているのはこうやって見ていればわかるが、残念なことにロルフの言うことしか聞かない。
 自分が端綱を引いてみたが、馬はそっぽを向いて動こうとはしなかった。どうやらロルフの役に立ちたいとは思っているようだが、他の誰かに使われるのは癪に障るらしい。
 馬のくせに随分と面倒くさい精神構造をしているようだ。

 アデルは馬の尻越しにロルフへ声を出した。

「なに、あと少しで今日の分は終わりじゃ!」







 太陽の色が褪せてくる頃には、割り当てられた箇所の耕起を終えてしまった。ロルフはようやく終わったとばかりに草むらの上でしゃがみこんでいる。
 その近くでカールが大きな目を開いて畑を眺め回していた。

「アデル兄ちゃん、凄いね。こんなに沢山耕したんだ」
「ん? そうじゃな、まぁ一日でこれだけ出来るというのは上出来というものよ。それもこれもあの馬のおかげじゃな」

 リディアがこの村に連れてきた馬は二頭いて、その両方に名前がついている。ただ、自分にはどっちがどっちなのかわからない。
 確かエクゥとアトだったはずだが、今あそこにいる馬がどっちなのかはわからない。その馬は青草をぽりぽりと食みながら、しゃがみこんでいるロルフの傍で馬糞をぼとりと落としていた。

「おお、なんとお下劣な。どうせなら畑の上でやってくれればいいものを」

 アデルはそこでふと思い出した。

「ああそうじゃロルフ、帰りにボロを貰ってもよいか?」

 そう尋ねるとロルフが眉間に皺を寄せた。元から細い目がさらに細められている。

「いや別にいいけどさ」
「そうか、なら帰りにちょろっと貰って帰るでな」

 了承を得られたところで、村長がゆっくりと歩いてくるのが視界の端に入った。どうやらあちこちを見て回っているらしい。
 村長は縁の短い緑の帽子を被っていて、杖をつきながらのんびりと歩いてくる。それからロルフの近くにまで寄っていった。

「随分と早く終わったようじゃな」

 ロルフも少し休んだおかげか呼吸も元に戻ったらしく、野太い声で答えた。

「ああ、全部アトのおかげだけど」
「ふむ、良い馬じゃと思っておったが、ワシの想像以上じゃな」

 村長は馬のほうに視線を向けて、ゆっくりと手を伸ばした。しかし馬は村長の手を見てすっと首を背けてしまう。
 アデルはそれを見て思わず笑ってしまった。

「はっはっは、村長もどうやら馬に嫌われておるようじゃな」
「なんじゃアデル、お前もこの馬にそっぽを向かれたのか」
「うむ、どうやらロルフにしか懐かんようじゃな」

 アデルも馬に向かって手を伸ばしてみたが、馬は首をすっと横に向けてとことこと離れていった。
 それから、馬はカールの隣に来て尻尾を振りはじめる。ロルフだけでなく、カールにも懐いているようだ。
 その様子を見た村長が長いあごひげを擦りながら呟く。

「この馬は、ワシやお前のような心の汚いものには懐かんようじゃな」
「おいおい村長、わしの心は清らかじゃぞ」
「アホか、お前はワシと同じで性根が小汚い」
「おお、なんと酷い言いがかりじゃ」

 村長はこちらの文句に耳を傾けることなく、座り込んでいたロルフに近づいた。

「おいロルフよ、お前にはこの後少しばかり話したいことがある。ワシの家に寄っていけ」
「ええっ?!」

 ロルフは嫌そうに眉を寄せ、背の低い村長の顔を見上げた。

「ふん、別に説教とかではない。冬が来る前に村の食料やら日用品やら色々と調べておかねばならん。それからいずれあちこちの村と会合がある。それにお前も出てもらう」
「うわぁ……、面倒くさい」
「馬鹿者! 面倒とはなんじゃ! 重要な仕事じゃろう」
「いや、それはわかるけど……」

 ロルフはなおも嫌そうに目を細めている。確かに面倒な仕事ではあるだろう。ロルフは体を動かしたり何かを作ったりするのは好きな性質だが、在庫を調べたりとか誰かと会議に出るような仕事は苦手だ。
 とはいえ、誰かがそういうことをしなければ困る。

 カールが立ち上がり、お尻を叩きながらこちらに近づいてきた。可愛らしい顔に微笑みを浮かべている。

「ロルフ兄ちゃんも大変だね」
「そうじゃな、まぁ仕方ない。重要なことじゃからな」

 まだ幼いカールには冬を越すということがどれだけ重要かよくわかっていないだろう。カールもそれなりに成長してきたし、それとなく話してやってもいいかもしれない。
 アデルは重量犂の柄に手を掛けて、犂先を浮かせた。馬に引っ張ってもらうほうが楽だが、あの馬はロルフ以外の言うことを聞いてはくれない。自分で押して帰るとしよう。

「では村長、ロルフ、わしとカールは先に村のほうに戻るでな」

 そう声をかけるとロルフが恨めしそうな目でこちらを見てきた。

「おいアデル、俺を見捨てる気か」
「はっはっは、わしが友を見捨てるわけがなかろう。なに、心の中で応援しておる」
「手伝ってくれよ! そういうのはアデルのがほうが得意だろ」
「手伝ってやりたいのはやまやまじゃが、なに、わしも忙しいでな」

 村長はロルフにその仕事をやってもらいたいのだろう。自分が今からでしゃばるべきではない。
 いずれ力を貸さなければいけない時に、それとなく手伝ってやることにしよう。
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