名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

元傭兵の屋敷で

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 マリーは目の前の光景に恐れを覚えた。体が竦んで動かない。どこか現実離れした光景のように思えてならなかった。
 自分が生きているうちに、こんなことが起こるなど想像もできなかった。


 グッセンという男は元傭兵だった。ただの傭兵ではなく、長く続いた傭兵戦争でもそれなりの戦果を収めた男だ。
 歳はもう五十に達していて、口の周りをびっしりと覆っている短いひげは白くなっていた。髪もすでに白くなっていたが、茶色がかった目だけは異様に鋭くぎらぎらとしている。
 長年の戦働きのせいか筋骨は密度が高く、その膂力は普通の人間とは比べ物にならないほど高い。さらに、グッセンは魔法使いでもあり何種類もの魔法を自由自在に使うことができる。

 多くの者たちを従えて来たその風格は、元傭兵というよりは元将軍か何かかと思わせるようなものだった。
 ただ、その性格には難点があった。残忍で、他人に対して容赦が無い。狡猾で、自分の利益を何よりも優先する。

 グッセンは傭兵戦争が終わった後はこの町に来て、この町で暴力を生業にしてのし上がってきた。この町の住人は誰もがグッセンという男を恐れ、逆らわないように生きている。
 もし逆らえば酷い目に遭うのがわかりきっている。以前、グッセンに文句を言った誰かさんはいつのまにか家を焼かれていたのだという。
 商売をしている者も、グッセンの一味に逆らえば営業を続けていけなくなるとよく知っている。

 グッセンという男は鞭ばかりでなく、飴を与えることも忘れてはいなかった。庇護を与えるという名目で金を巻き上げているが、何か問題が起これば一応は対応に出てくる。
 その結果としてまた金を巻き上げ、グッセンの懐はどんどん潤っていった。


 その潤いが結果として実を結び、グッセンは町の外れに大きな屋敷を建てることさえ出来た。
 いずれは金で貴族になるのは確実だろうと思われていた。

 そのグッセンは、自慢のお屋敷の中で膝をついて血を流していた。



 膝立ちのグッセンは、激しい怒りと憎しみをその瞳に湛えながら、グッセンの目の前に立つ大男を見上げている。
 グッセンを見下ろしている男、ルキウスは両手で短銃を持ってそれを眺めていた。

「ふむ、余は最近の銃には疎くてな、なるほど、火打石を挟むこの機構はネジでしっかりと固定できるようになっていたのか。場合によってはこの火打石がズレてしまって、次の発射までにまた位置を直さねばならんかったからな」

 ルキウスは暢気な様子で短銃の右側面を見てぶつぶつと呟いている。

「ほう、火打石の形にも工夫があるな。鋼とぶつかる面に対してほぼ平行になるように削られている。これなら摩擦だけが大きくなり、火打石の位置を変えるような力にならないわけか。中も見せてもらうぞ」

 そう言った瞬間に、ルキウスの持っていた短銃はバラバラになった。銃身がごとりと音を立てて床に落ちる。
 ルキウスは銃の内部機構を見て、小さく頷いた。

「このバネはなかなか強力だな。焼きが入れてあるのか……、このように小さな鋼にどうやって焼き入れを施したのだ? この大きさなら下手をすれば白熱して熔けるであろう? いや、待て、もしかするとこのV字型の鋼は本来もっと長いもので、それに焼き入れをしてから小さく切り分けたのか?」

 ルキウスはそんな予測を立てながら、銃の内部機構に目を向けている。
 そんなことをしている場合ではないはずだ。


 夜は深まり、窓の外は黒色に染まっていた。町の外れにあるこの屋敷は、深い静謐にあるはずだった。だが、今は屋敷のあちこちから呻き声が聞こえてくる。
 目にも留まらぬ速さでルキウスが打ち倒してしまったのだ。グッセンの部下たちも、暴力で生きてきただけあって荒事には慣れているはずだ。
 だがその男たちは暖炉の煤のようにあっさりと落ちてしまった。


 ルキウスは銃の部品を床に放り投げ、グッセンを見下ろした。

「おっと、こんなことをしている場合ではなかったな。さて、余が言ったものを出してもらおうか」

 命令されたグッセンがその相貌を醜く歪める。グッセンが着ている服は、貴族が着るような煌びやかなものだった。十分な金を得たグッセンは、次に地位を得ようとしていたのだろう。
 いずれ貴族になるつもりで、高価な服を揃えたのだ。いくつもの傷がその自慢の服に走っていて、さらにグッセン自身の血で赤く濡れていた。

 グッセンにとっては屈辱だったのだろう。目を細めてルキウスを睨み上げている。

「て、てめぇ……」
「まったく、平和に話し合いをしようとしたというのに、どうして貴様は暴力で余を出迎えるというのだ? 早く契約書を出せと言っているだろう」

 ルキウスはそう言って軽く胸を反らした。ルキウスのように背の高い男が仁王立ちしていると、誰かが作り上げた彫像のように見えてしまう。
 マリーは何も言うことが出来ず、ただ成り行きを見つめていた。




 ルキウスは共に行動する相手として自分を選んだ。ルキウスが自分の何を気に入ったのかは知らないが、そう決めたのだ。有無を言わさぬその言動に腹は立ったが、何か言い返したとしてもこの男は聞き入れはしないだろう。
 この男に連れ去られるのはまだ構わない。しかし、マリーには懸念があった。

 自分の身柄はグッセンによって押さえられている。正確に言えば、グッセンに対して借金がある。
 悪事に手を染めてでもその金を返そうと必死になってきたが、まだ完済には至っていない。

 その話をすると、ルキウスは自分が立て替えてやろうと言ってきた。それにはさすがに驚いて、思わずその申し出を拒んでしまった。
 だが、ルキウスは強引な主張をし、お前はもう余の女なのだから、余が面倒を見る、などと偉そうなことを言い放った。

 どうするつもりなのかと思ったら、ルキウスはグッセンの屋敷にまでやってきて、直接話をつけにきた。
 夜分に現れた怪しい闖入者に、屋敷の人間はおおいに訝しがった。さらにルキウスに対して攻撃的な態度を取るようになり、結果としてルキウスは邪魔をする者たちをすべて薙ぎ払ってグッセンの前にまで来たのだ。

 おかげで秋の夜の静けさは呻き声によって妨害されている。

 ルキウスがマリーへと視線を向けた。突然横を向いたルキウスに、マリーがぎょっとしてしまう。
 何か言うつもりなのかと言葉を待っていると、膝立ちになっていたグッセンが自身の腰の後ろに手を回した。

 一瞬だった。さすが元傭兵というだけあって、グッセンが腰からナイフを引き抜く速さは目でも追えないほどだった。
 おそらくルキウスが隙を見せるのを耽々と待っていたのだろう。グッセンは膝立ちから一気に伸び上がり、右手に持ったナイフをルキウスの胸に向かって突き出した。


「ルキウス! 危な」

 思わず声が出た。その瞬間に、異様なことが起こった。グッセンの右手首から先が、ぽーんと高く天井にまで舞い上がった。
 何が起こったのかわからず、マリーは固まった。ルキウスは平然とした様子で、放物線を描いて落ちてきた手を空中で掴んだ。

「まったく、貴様はなぜそうも反抗的なのだ。余がいかに礼儀正しく、慈悲深い態度でここにいるのかはよくわかっているであろう?」

 グッセンにはその声が聞こえていなかっただろう。グッセンは尻餅をついて、無くなった右手首から先を見て悲鳴を上げていた。
 何が起こったのか、グッセンにもわからなかったに違いない。そのナイフがルキウスの胸を貫くと思った瞬間には、手首から先が切り落とされていたのだ。


 ルキウスは喚いているグッセンを見下ろして溜息を吐いた。

「やれやれ、今すぐ治してやるから待っていろ」

 そう言ってから、ルキウスは自身の手に持ったグッセンの右手を掲げた。それから、その指の骨を丁寧に一本ずつ折ってゆく。
 まるで鶏の関節を外すかのように、ルキウスはグッセンの右手の指を反り返らせてボキボキと折っていった。
 それからルキウスがグッセンの右腕を掴む。グッセンは右腕からだばだばと血を溢れさせていた。ルキウスはそこに切断された右手をくっつけると、何かを唱え始める。

 見たものを信じることが出来なかった。切断されたはずの手が、グッセンの腕にくっついたのだ。切断された箇所から、青白い光が溢れたかと思ったら、グッセンの腕が元に戻っていた。
 それと同時にグッセンが悲鳴をあげた。

 おそらく、右腕が元に戻ったのはいいが、折られた指が痛んだのだろう。
 その様子を見下ろしながら、ルキウスが改めて言う。

「余計なことをせぬように、指は折らせてもらったぞ。なに、心配するな。貴様が余の言うことを聞けば、後で治してやる」
「ひ、ひぃっ」

 歴戦の武人が、情けない悲鳴をあげた。グッセンほどの男が恐怖で顔を歪めるなど、想像したこともなかった。
 グッセンは自分のような弱い女から見れば、何も恐れたことが無いのではないかと思うほどに豪胆で、強引で、利己的だった。
 その男が悲鳴を上げている。
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