名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

射手

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 酒場の店主は店じまいをしている最中だった。竈の中の灰を壷に入れて外に運んだ時、夜空の遠くから破裂音が聞こえた。
 店主は夜空を見上げながら、まるで銃声のようだとぼんやり考えていた。すぐ後に、再び似たような音が夜空を渡ってくるのが聞こえた。

 何が起こっているのかはわからない。夜に狩りをするような酔狂な貴族がいるわけもないし、かといって銃が使われるような危険な状況が近づいているとも考えにくい。
 もし銃声が何度も響くようであれば、賊のような輩が町の近くにいるかもしれない。店主はその可能性を考えて、耳をすませた。

 通りでは銃声に気づいた町の住人数人が、不思議そうな顔で音のしてきた方向を探している。それなりに歳がいったものたちにとって、銃声には嫌な思い出があった。

 昔、傭兵戦争と呼ばれた長い長い戦争があり、この町にも銃声が響き続けたことがある。この町は大きな被害を被ることが無かったが、近隣の村では凄惨なことが起こったのだという。
 店主は用心深く耳をすませたが、しばらく待っても銃声らしき音はしなかった。

「なんだってんだ一体」

 壷に入れた灰や薪に火がついていないのを確認して、店主は壷の上に蓋を置いた。
 店の扉から再び店内に戻り、店主は笑みを浮かべた。

 今日は大きな臨時収入があった。まさか金貨で代金を払い、しかも釣りはいらないなど言う男がいるとは思いもしなかった。
 こんな幸運はもう二度と訪れないだろう。

 店主は懐の中から金貨を取り出し、その表面の刻印をまじまじと眺めた。この辺りで使われている金貨とは違う。

「ん? こりゃ、魔族の間で流通してる奴じゃないか」

 よくよく見てみると、金貨には牛の頭と杖の図柄が刻印されていた。あの男は魔族と関わりがあるのだろうか。

「ま、どっちでもいいや」

 明日のうちに両替商のところへ行って両替してこよう。店主はそう考えながら、金貨を再び懐へとしまいこんだ。








 赤毛の女は暗い夜道に尻餅をついて後ずさった。がたがたと震えながら、マントの男が平然と立っているのを見上げる。
 手の平に小石が食い込んだ。その痛みさえ殆ど感じられなかった。立ち上がろうと思っても、立ち上がれない。
 両脚は自分の意思を離れて、ただ小刻みに揺れていた。

 マントの男が両目を細めて馬に視線を向けている。馬の鞍上には胴体から上の無い男の体が乗っていた。
 馬が大きく鳴き声をあげて、その前肢を高く上げる。同時に、鞍の上から男の下半身が地面にぼたりと落ちた。

「な……、あ……」

 赤毛の女は恐怖の中で限界まで目を見開いた。
 ありえない。あのマントの男は銃で撃たれたはずだ。壮年の男が持っていた短銃は、確かに火薬を炸裂させ、その銃身から鋼鉄の弾丸を打ち出した。

 だが、その弾丸はマントの男の前でバチバチ音を立てて止まった。何が起こったのか誰もわからなかっただろう。その中で、マントの男が細い棒を持っているのに気づいた。
 マントの男が黒色の細い棒を軽く振ると、ほぼ同時に鼓膜が裂けるのではないかと思うほど猛烈な音が響いた。

 何が起こったのかはよくわからなかった。ただ、馬の上に乗っていた男の上半身は吹き飛び、その周囲にいた六人の男たちもその体は真っ二つに切断されていた。
 赤毛の女は自分の体に雨が降ってきたのを感じた。

「違う……」

 雨ではない。自分の体に降りかかってきたのは、男たちの血液だ。頼りない月明かりではその色までは確認できなかったが、自分の赤毛よりもなお赤い鮮血が降り注いだのは間違いない。


 マントの男は細い棒を持ったまま、馬の前まで歩み寄った。
 低い声音で、馬に向かって話しかける。

「おお、すまぬ。お前まで傷つけるつもりではなかった。今すぐ治してやるから落ち着いてくれ」

 マントの男が杖を高く掲げて、何事か呟いた。それと同時に、馬の首のあたりにぼわっとした光が灯る。
 魔法だ。この貴族、魔法使いに違いない。

 馬に何をしたのかまではわからなかったが、マントの男は満足そうに頷いて杖を下ろした。それからこちらに視線を向ける。
 その視線の先にいるだけで、女の体が吹雪に晒されたかのようにがたがたと震えた。

「いや……」

 赤毛の女は尻餅をついたまま口を開き、後ろへ下がろうと両手で地面を押した。
 その様子を見下ろして、マントの男が言う。

「ほう……、その勇者風スカートとやらの中はそうなっていたのか」
「やっ」

 男は遠慮もなく自分の股間に視線を落としていた。恐怖に支配されていたはずなのに、女の右手はスカートの裾に伸びた。
 手で股間を隠しながらも、女が尻を後ろへ必死でずらす。
 背の高い男を見上げながら、女は恐怖の中で声を漏らした。

「ま、魔法使い……」

 その言葉に、マントの男がぴくりと片頬を震えさせた。呆れたように男が息を吐き、小さく首を振る。
 夜空を背にして男が重々しい声で言った。

「魔法使いなどという呼称は相応しくないな。余は魔法使いの王にして魔族の王、魔界の王にして魔物の王、そう……」

 男はそこで言葉を区切り、一歩踏み出した。
 恐怖に歪んだ女の顔を見下ろし、男が言葉を落とす。


「魔王だ」




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