名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

決意の朝

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 朝靄が村を覆っていた。冬の匂いをふんだんに含んだ空気が、地表をゆっくりと流れてゆく。冷たさは肌にじっとりとまとわりつき、体の中にまで染み込んできた。

 寒さに体を震わせながら、ソフィは胸を抱いた。



「うう、なんと寒い……」



 急に寒くなったものだから、まだ体が追いつかない。早朝ということもあって、余計に寒く感じられてしまう。

 鶏が順番に朝の鳴き声を奏でていた。その元気さが今は少しだけ羨ましい。

 村の中央の広場を横切り、ソフィは村人たちと挨拶を交わしながら、リーゼの家へと向かった。



 家の中に入った後、リーゼの部屋の前まで来て一応扉を叩いた。中から返事が返ってきたので、ソフィはゆっくりと扉を開けた。

 扉を開けた瞬間、むわっと花の匂いが溢れてくる。リーゼの部屋では、沢山の花が逆さまに吊るされていた。梁と梁の間に細めのロープが張られていて、そこに花が吊るされているのだ。

 一体なんのために花を逆さ吊りにしているのかはわからない。



 部屋に入っても体にまとわりついていた冷たさが消えてくれない。

 ソフィは背中を丸めながら部屋の中へと入った。



 部屋の中ではちょうどリディアが着替えを終えようとしていた。リーゼはその隣に立って、服の紐を引っ張ったり位置を整えたりしている。

 リディアがこちらの姿に気づいて微笑んできた。



「ねぇねぇソフィ、どう、似合う?」

「似合わんのじゃ」



 そう言うとリディアがむっと眉を寄せた。



「もー、ソフィったらなんでそんなこと言うのよ、そこは似合うって言っておきなさいよ」

「ならばわざわざ訊くでない」



 リディアは今、この村の女たちが着ているのと同じ服を着込んでいた。あまり上等とはいえない亜麻のワンピースで、腰のあたりにサロンエプロンをつけている。

 自分もある意味似たような格好だが、こちらは胸の高さまで覆うエプロンが一体になっていた。さらにリディアの場合は腰のあたりにコルセを着ている。

 革のコルセは、リディアの体のちょうど胸の下あたりから腰のあたりまでを緩やかに締め上げていた。

 おかげでただでさえ細いリディアの腰がさらに細くなっている。その上、胸の大きさが余計に強調されているようにも見えた。



 リディアはそこからケープを羽織り、腕には取り外せる袖をつけている。

 長い髪は左右に分けて三つ編みにになっており、それをスカーフで覆っていた。



 リディアは鏡を見ながら満足したように頷いた。



「うんうん、どこからどう見てもただの村娘って感じね」

「そうかのう?」



 地味な服を着ていても、リディアの美しさは損なわれていない。スカーフの中に髪を入れているから形のよい額も晒されていた。

 美人がそんな服を着ているせいか、妙にちぐはぐに見えてしまう。服は自然と人の動きを制限するもので、ズボンを穿く男とスカートを穿く女では歩き方や走り方に差が出る。

 なのにリディアはまるで服など無いかのように動くので、着慣れていないのが見ただけで分かる。

 ほつれやすい袖を擦らないようにしたり、屈んだ時に生地が変な伸び方をしないようにしたり、そういった動きとは無縁のように思えた。



 ただ、いちいちそういうことを言ってみたところでリディアにはすぐ理解できないだろう。例えばアデルやロルフに女の服を着せても、女のような歩き方などすぐに出来ない。

 いつもと同じようにのっしのっし歩いて、スカートの裾がまとわりついても力づくでどうにかしてしまうはずだ。



 ぼんやりとリディアを見ていると、リーゼが櫛を軽く振りながら声をかけてきた。



「じゃあソフィちゃんも髪まとめとかないと」

「む? 妾もか」



 重たいリーゼが一歩足を進めると同時に床が軋んだ。リーゼも栗色の髪をリディアと同じく三つ編みにしていている。

 ソフィはリーゼに促されて椅子に座り、なすがまま髪を任せた。リーゼがこちらの髪の間に櫛を通しながら感嘆の溜め息を吐く。



「いっつも思うんだけど、ソフィちゃんの髪って綺麗だよねー」

「うむ、妾もそう思うのじゃ」

「ほら、ロイゼカムがするすると入るし」

「ロイゼカム?」

「あー、いいなぁ、しっとりしてて滑らかで、本当羨ましい」



 リーゼはそんなことを言いながら目の細かい櫛で髪を梳ってきた。そこから髪を中央で左右に分け、慣れた手つきで素早く三つ編みにしてゆく。

 この村に来てからは、ずっとリーゼに髪を切ってもらっている。自分だけではなく、村の子どもたちもリーゼに髪を切ってもらっていた。

 そういった経験があるからか、リーゼの動きには淀みがない。刺繍も得意だし、元々手先が器用なのだろう。そういった器用さは自分には無いので素直に羨ましい。

 髪の話をしていたはずなのに、リーゼは窓の外を見てまったく違う話題を口にした。



「あー、それにしても寒いねー、もう冬が来ちゃう」

「うむ、実に寒いのじゃ」



 窓の外にはまだ朝靄がしつこく漂っていた。急に寒くなったせいか、体がまだ寒さに追いつかない。

 辛くはあるが、時間が経てば経つだけ自分は大人に近づいているので少し嬉しくもある。リーゼは三つ編みを片方編み上げて、小さなリボンで先を止めた。



「ねぇソフィちゃん、なんか髪の手入れにコツとかあるの?」

「む……、いや、特に何かはしておらんのじゃ」



 嘘だった。日々魔法で熱風を起し、髪の毛の間に通している。そうやって乾かしながらしっかりと櫛を入れていた。

 だが自分が魔法を使えることはリーゼには内緒にしているので、素直に教えるわけにはいかない。



「ふーん、じゃあ生まれつきなのかな。羨ましいなぁほんと」

「うむ、妾の黒髪はまさしく濡れ烏の如きなのじゃ」

「リディアも髪は綺麗なのに、あんまり大切にしてないでしょ」

「いやそれは妾にはわからんが……」

「だって枝毛があるし、なんか変なところで切れてる髪があるし」



 変なところで切れてる髪というのは、先日自分が切ったところだろう。リディアの髪をあちこちから少しずつ切り集めたが、これが意外と難しく、余計なところまで切ってしまった。

 ただ、リディアが自分の髪をどれほど大切にしているのかはよくわからない。シシィの鼻をくすぐるためだけに自分の髪を千切ったこともあった。普通の女ならまずそんなことを思いつきはしないし、思いついてもやらない。



 お喋りをしながらでもリーゼの手の動きは滑らかだった。あれこれ喋りながらよく手が動くものだと感心してしまう。そうしているうちに髪を編み終えて、リーゼはこちらの頭のほうへと圧し掛かってきた。



 頭の上に重たい何かがどっしりと乗っている。

 それが何なのかすぐには分からなかったが、視線を上に向けると理解できた。 



「って、妾の頭を乳置き場にするでない」

「いやー、ちょうどいい高さにあったからつい」



 そんなことを言いながらも、リーゼは自身の巨大な胸をこちらの頭の上に乗せっぱなしにしている。

 するとリディアの目がきらりと光った。



「ずるいわソフィ! あたしが代わってあげる、ううん、あたしがリーゼのおっぱいを支えてあげるわ!」



 リディアが素早く両手を伸ばしてくる。だがリーゼは手刀でリディアの頭をベシッと叩いた。



「いたっ」

「まったく、変なこと言ってないで、準備が出来たらもういかなきゃ。今日は大事な日なんだから」

「うう、酷いわリーゼ」



 リディアはスカーフ越しに頭を抑えている。しかし、リディアほどの達人がリーゼの攻撃は受けるのだから不思議で仕方が無い。

 実はリーゼは武術の達人、とういことはまず無いだろう。リディアが避けていないだけだ。



 ソフィは腰を椅子の前のほうへずらし、リーゼの胸の重みから逃れた。そのまま立ち上がり、扉のほうへと向かう。



「うむ、今日は村にとって大事な日なのじゃ。妾も去年の雪辱を晴らさねばならん」



 闘志を小さな胸に宿し、ソフィは拳を握り締めた。









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