418 / 586
第二部 第三章
敗北
しおりを挟む何が起こったのか一瞬理解ができなかった。
エクゥとアトの二頭は、原っぱの上で横たわったまま身動きもしない。
その横では、若い騎士がエクゥとアトから取り外した荷物を漁っている。
あの二頭は人に捕まるような間抜けではない。一体どうやってあの騎士はエクゥとアトを捕えたのか。
ふっと、騎士が振り返った。その驚きに満ちた表情を見て、シシィは愕然とする。
あの騎士は、城門の前でルイゼに報告をしていた若い青年だった。
そこで全てに気づく。
馬の扱いに長けた騎士に、ルイゼは何を渡した。ルイゼの匂いが染みこんだ上着だ。
エクゥとアトは、元々誰のものだったか。騎士団の馬は、すべてルイゼのものだ。あの二頭も例外ではない。
エクゥとアトは、懐かしいルイゼの匂いに警戒心を解き、あの騎士に近づいた。
そこを狙われたのだ。いくらあの二頭でも、不意を突かれればどうしようもない。
ルイゼは、自分が逐電したことについては責めてきた。だが、エクゥとアトを連れ去ったことについては何も言わなかった。
軍馬は高価で貴重なものだ。公爵家のルイゼからその馬を盗んだとあれば、処刑されてもおかしくはないほどの罪になる。
だが、ルイゼはそんなことは一言も言わなかった。いや、故意にそうしたのだ。
ルイゼは、自分がエクゥかアトに乗ってやってきたのではないかと疑い、調べさせた。
その結果、あの騎士は二頭の姿を認め、ルイゼに報告した。ルイゼは二頭を封じるために上着をあの若い騎士に渡し、エクゥとアトを殺すように命じたのだ。
「くっ」
勢いを殺さないまま飛翔魔法を解除する。地面に着地すると同時に走り出し、間を置かずに魔法で風を起す。
若い騎士は慌てふためいていたが、思い出したように鞘から剣を引き抜いた。だが遅い。
風が地面を削り取る。
ガガガガッ、と地面を削る音が若い騎士に襲い掛かった。
「うわあああぁっ!!」
剣を構えた騎士が吹き飛ぶ。それだけで済ます気はなかった。後ろに向かって倒れこんだ騎士に向かって、氷の矢を放つ。
鋭く尖った氷が、若い騎士の肩を貫いた。
どうやら馬の扱いを得意としているようだが、戦闘に関しては大したことがないようだ。
シシィは走りながらエクゥとアトに声をかけた。
「エクゥ! アト!」
今まで長い旅を共にしてきた二頭が、自分の読み違いのせいで殺されてしまった。胸の中で膨張する怒りが、ちりちりと痛みをもたらす。怒りと後悔の感情が交じり合う中、二頭の亡骸に近づいた。
自分の力が足りなかったばかりに、馬を死なせてしまった。
「ごめんなさい」
悔恨の言葉をかけた瞬間、エクゥとアトはむくりと体を起した。そのまま立ち上がり、いつもと同じ澄んだ目でこちらを見てくる。
「えっ?」
二頭は生きていた。慌てて怪我が無いかその体を眺め回す。どうやら傷ひとつ無いようだ。
あの若い騎士はこの二頭を殺さなかったらしい。ルイゼの命令に従っただけだろうが、どうしてルイゼがこの二頭を見逃したのかがわからない。
足を奪うつもりなら、例え貴重な軍馬とはいえ始末するのが最も良いはずだ。馬を殺すのが躊躇われたのだろうか。
ルイゼが何を考えているのかはわからないが、それを考えている場合ではない。
杖を地面に置き、すぐさま散らばった荷物を集める。二頭に鞍を載せ、ハミを噛ませた。焦りの中で馬具を装着してゆく。
ルイゼがこちらの場所に気づくまでにはまだ時間がかかるはずだ。そもそも、都市の中央から城壁まで辿り着くのに時間がかかる。
この都市の交通事情を考えれば、馬を駆けさせるなど不可能だ。ルイゼは今頃、苛立ちながら人の波をかきわけているのだろう。
パニエを馬に取り付け、荷物を馬の尻の辺りに固定する。
エクゥの肢の下へ手を回した瞬間、エクゥが突然動き出した。
「待って、まだ終わってない」
エクゥが動き出した理由がわからずにいると、視界の端で何かが動くのが見えた。
あの若い騎士が、口に笛を当てていた。こちらを睨みながら、笛を吹いている。あの笛は馬に指示を与えるために使うものだ。
「なっ?!」
騎士団の馬は笛でも動かせるように調教されている。それを利用された。
すぐに杖を拾い、若い騎士を風魔法で吹き飛ばす。怒りのせいで力みが生じ、騎士の体は牛に体当たりされたかのように転がった。
早くしなければ。ルイゼが来る前に行方をくらます必要がある。
どこへ逃げたのかがわからなければ、例えルイゼでもこちらを追いかけることなど出来ないはずだ。
焦りながらもようやく馬具を取り付け終えた。すぐさま馬に飛び乗って逃げようと思った瞬間、目の端に入ったもののせいで血の気が引いた。
城門が馬群を吐き出している。その先頭にいるのはルイゼだ。
早すぎる。ルイゼは都市の中央にいたはずだ。そこから馬を走らせたとしても、あの街中を疾走することはできない。
だが現実にルイゼは現れた。それはつまり、こうなることを見越して道を用意しておいたのだ。
背筋が凍りそうになる。このまま騎士たちに囲まれれば、さすがに勝てる見込みはない。こちらは魔力をかなり消費しているのに対し、ルイゼは十分に力を残している。
今すぐ馬に乗って逃げたとしても、ルイゼの馬ならばこちらに追いつくだろう。エクゥもアトも荷物を載せているし、そもそもルイゼが馬に命令をすればルイゼの指示に従う可能性もある。
どうすべきかわからない。再び飛んで逃げる。どこへ。
平原の中で飛んだところでいつかは魔力が切れ、落下してしまう。しかも飛んだところで馬の速度には到底及ばない。魔力が切れるまで追い掛け回されるだけだろう。
なら再び都市の中へ逃げ込むか。だが、エクゥとアトは確実に捕えられてしまう。
馬が無ければ街道を町伝いで行くしかないが、ルイゼがそこに目を光らせるのは確実だ。
都市の中に逃げられたとしても、潜伏出来なければ意味が無い。もしシャルロッテやヒルベルトのような猛者に追い立てられれば、こちらはずっと魔力を消費し続けなければいけないだろう。
教会へ逃げても、避難所として利用する代わりに杖は取り上げられてしまう。その上、エクゥとアトを盗んだ罪を責められれば、最終的に裁判で有罪が確定するのは明らかだ。
血の気が引いてゆく。
打つ手が無い。
完全に読み負けた。ルイゼのことを出し抜いたとばかり思っていたが、ルイゼの手の平の上で足掻いていただけだった。
例え正面から戦ったとしても、数を従えたあのルイゼには勝てない。じりじりと削られて、最後には杖を奪われるだろう。
捕えられ、ルイゼの考え次第でこの首を斬り落とされてしまう。
二度とあの家に帰れない、二度とあの人に会えない。
まっすぐこちらへ向かってくる騎馬隊を見ながら、シシィは歯を噛み締めた。
0
お気に入りに追加
253
あなたにおすすめの小説
婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ!
タヌキ汁
ファンタジー
国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。
これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。
婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。
夢草 蝶
恋愛
侯爵家の末姫で、人付き合いが好きではないシェーラは、邸の敷地から出ることなく過ごしていた。
そのため、当然婚約者もいない。
なのにある日、何故かシェーラ宛に離縁状が届く。
差出人の名前に覚えのなかったシェーラは、間違いだろうとその離縁状を燃やしてしまう。
すると後日、見知らぬ男が怒りの形相で邸に押し掛けてきて──?
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
一族に捨てられたので、何とか頑張ってみる。
ユニー
ファンタジー
魔法至上主義の貴族選民思想を持っている一族から、魔法の素質が無いと言う理由だけで過酷な環境に名前ごと捨てられた俺はあの一族の事を感情的に憤怒する余裕もなく、生きていくだけで手一杯になった!知識チート&主人公SUGEEEE!です。
□長編になると思う多分□年齢は加算されるが、見た目は幼いまま成長しません。□暴力・残虐表現が多数発生する可能性が有るのでR15を付けました□シリアルなのかコメディなのか若干カオスです。□感想を頂くと嬉しいです。□小説家になろうに投稿しています。
http://ncode.syosetu.com/n8863cn/
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな
カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界
魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた
「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね?
それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」
小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く
塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう
一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが……
◇◇◇
親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります
(『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です)
◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです
魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます
ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう
どんどん更新していきます。
ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる