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第二部 第三章
逃亡の果て
しおりを挟む重力のくびきが体を地へ引き寄せる。遠くの太陽は傾きの中で薄い光を放ち、地上から空へ向かって鋭い光線の束を放っていた。
体が宙に踊る。視界からシャルロッテの姿が消えたのと同時に、シシィは両脚にぐっと力を込めた。
重力の桎梏しっこくが音も無く崩れ去る。地へ引かれるはずの体は宙に舞い、鳥のように空中で跳ねた。
地上からは間欠泉のように悲鳴が上がっている。その声の届かない場所へ逃げなければいけない。
シシィは再び空中を蹴り、大聖堂から城壁へ向かって体を進ませた。
建物の間をすり抜けてゆく。地上の人々が顔を上げてこちらを見ていた。まるで奇跡でも見たかのように目を丸くしたり、口元を覆ったりしている。
二階か三階あたりの高さを飛びながら、城壁へ向かう。髪は風に暴れ、ローブの裾は鞭で打たれたかのようにのた打ち回る。
「あと少し」
シシィはそう呟いてさらに速度を上げた。
すべては上手く行った。色々と予定外のこともあったが、最終的にはこちらの勝利に終わるだろう。
あの城門の前で、ルイゼは多くの援軍が来たと告げた。もしその言葉が本当ならば、城門の外へ向かって逃げるわけにはいかなかった。
外へ逃げればすぐさま囲まれ、時間をかけていたぶられてしまっただろう。だからこそ外ではなく、内側へと逃げた。
ルイゼも馬鹿ではないから、狭い路地へむやみに兵を差し向けるようなことはしない。その機に乗じてひたすら教会を目指した。
その理由は、教会こそがこの都市で最も高い建築物だからだ。そこに登ればこの都市のすべてを見渡すことが出来る。それどころか遠くの平原まで見渡せるのだ。
屋根の上から城壁の外を眺めたが、そこには兵士らしき者の姿はなかった。どうやら本当に援軍は来なかったらしい。
そして、教会に向かった理由のもうひとつが、教会がアジールであることだった。
誰であろうと教会に武器を持ち込んだり、または犯罪者を追うために踏み込むことはできない。
ただ、ルイゼは自分を捕まえるために多くの兵で教会を囲むことはわかっていた。ルイゼ自身もそこに現れるだろうとも予想していた。
ルイゼの持つ戦力はすべて都市の中央に、つまり城壁から最も遠い場所に集められたのだ。
この時を待っていた。
自分が空を飛べることはルイゼにもシャルロッテにも明かしていない。リディアでさえ魔王を倒すために森の中へ入った時まで知らなかった。
さすがのルイゼもこればかりは予想できなかっただろう。
後はルイゼたちから見えないような高さを飛び、城壁の外へ出て、エクゥとアトを連れて一目散に逃げるだけだ。
ルイゼの馬はエクゥに並ぶほどの名馬だが、追いつけはしないだろう。そもそも、都市の中央から城壁の外に出るまでに時間がかかる。
さらに、こちらが一体どこへ逃げたのかも教会からは見えない。
色々とあったが、これでようやく帰途につけそうだ。
ルイゼはまだリディアの死を信じたくないようだが、他の者たちはこちらの話を信じている。
その話はいずれ大きく広がり、その勢いは止められなくなるだろう。これで目的のひとつを果たしたことになる。
この都市で大金を手に入れることも出来たから、良い家を建てることも出来るはずだ。
その新しい家で、これからずっとみんな一緒に暮らしてゆく。
穏やかで賑やかで、楽しい日々が待っているのだ。
あの村に帰ったら、アデルと早く子作りをしなければいけない。アデルには寂しい想いをさせてしまっているから、アデルの中の獣も腹を随分と空かせていることだろう。
高潔なアデルが自分という肉を前にどれだけ我慢ができるか少し楽しみでもある。
きっと耐え切れなくなって、この体を貪るのだろう。
この体を押し倒し、潰すように抱き締め、欲望を満たすためにこの体を使う。
体も心もどんどんアデルの物になってゆく。支配されてゆく。男を知らないこの体はアデルを悦ばせるために曝け出され、祭壇に乗せられた生け贄のように捧げられるのだ。
来年の今頃には、自分も子どもを持つ母親になっているかもしれない。アデルの子どもだから、きっと賢い子に育つだろう。
アデルならきっといい父親になるに違いない。優しくて真面目だけど、時にはおどけてみせたり、それでも時には厳しくしたり、そうやって愛の結晶に温かな愛情を注いでくれるはずだ。
生まれてくる子どもに少し嫉妬してしまいそうになる。
笑みがこぼれそうになった瞬間、眼前に何かが迫っていることに気づいた。
「あっ」
看板にぶつかりそうになって、シシィは慌てて体を空中で捻った。危ないところだった。少しぼんやりしすぎていたようだ。
色んなことを考えるのはもっと後でいい。
空中を飛ぶだけでなく、屋根の上も走った。空を飛ぶ魔法は便利ではあるが、魔力の消費量が大きい上に、これを使っている間は他の魔法は使えない。
戦いでは使い道はないが、こういう場面では威力を発揮する。
街の間をすり抜けて進むと、ようやく城壁が見てきた。そこで一気に高度を上げる。城壁の上にいた守備兵たちがぐんと小さくなる。
豆粒のように小さくなった守備兵を飛び越え、そして鉄壁を誇る堀をも飛び越える。
堅牢な作りの都市も、さすがに上を飛んでくる者までは想定していない。
都市の外に来たことで気持ちがやや緩む。
シシィは胸元から小さな笛を取り出した。この笛を吹けば、どこかにいるエクゥとアトが寄ってくるはずだ。
空中を飛びながら笛を吹く。おそらく朝の位置からあの二頭は殆ど移動をしていないだろう。
そちらへ向かって飛び続ける。
リンゴは買ってあげられなかったけど、あの二頭にはまた美味しいものを沢山食べさせてあげよう。
高度を落としながら辺りを見渡し、笛を吹き続ける。
笛を吹いてもあの二頭がどこかから現れる気配がない。空中からエクゥとアトの姿を探す。
信じられない光景を目の当たりにした。
エクゥとアトが、横になって転がっていた。その傍には一人の騎士と一頭の馬が立っていて、騎士はあの二頭に取り付けていた荷物をがさがさと漁っている。
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