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第二部 第三章
騎士としての戦い
しおりを挟むシャルロッテの姿が流れてゆく。打ち出された石のように狭い路地を駆けてゆく。
白い制服は猛烈な風に棚引き、栗色の髪は地を蹴る度に揺れた。路地裏には樽や木箱などが積み重なっていて、長身のシャルロッテには狭く感じられた。
だが、それらの障害もシャルロッテの進みを止められない。
シャルロッテは後ろを振り返り、必死でついてくる二人を見た。援護のために割り当てられた二人の騎士は、こちらの速さについてこれていない。
曲がり角を曲がる度に振り返り、その二人がついてきているのかどうかを確かめた。
日の当たらない路地にはカビの匂いが満ちている。風通しの悪さも相まって、すえた匂いがカビ臭さに混じっていた。
貴族に生まれた身にとって、こういった路地裏はあまり縁のあるものではない。他の騎士たちも細かな土地勘など無いだろう。
「むっ、これはシシィ殿の匂い」
などと言ってみたが、実際にそんなものが分かるはずもない。
シシィが通ったと思しき道は、白い虎が蹴散らしたのかやや荒れていた。立てかけてあった箒などが倒れていたり、虎のものと思しき足跡も残っている。
あのシシィがここまで痕跡を残すだろうか?
もしかしたら道を間違わせるための罠かもしれない。しかし、自分が何かを深く考えたところで頭脳であの魔法使いを上回ることなど出来ないのだ。
自分に出来るのは愚直に走りまわることだけ。考える暇があったら走ろう。
心が弾んでゆく。あのシシィと正面から戦えるかもしれない、そう思うと心が高鳴った。
今まで何度も戦ったことはあるが、それは訓練でのことだ。今のシシィはルイゼから逃れるため必死になっている。こちらとの戦いにも本気で臨むだろう。
幼い頃から自分の体を鍛えてきた。三人の兄もまた剣に長けていたが、自分が騎士団に入ってからはそんな兄たちも追い越してしまった。
騎士団に入り、あちこちで戦いを続けた。魔物を相手に、時には賊を相手に、そして最後は竜だった。
自分は強くなった。だが、リディアにはまったく及ばなかった。剣の腕も、心の強さも、到底敵わなかった。
幼い頃から、英雄物語を聞いて育った。自分もいつかは英雄のように戦い、輝かしい栄光を掴みたいと願った。強くなり、騎士団に入り、戦い続けた。
そんな自分に対して、両親も兄もあまりいい顔をしなかった。そろそろ結婚したほうがいいと諭され、何人かの男に会った。それでも心は震えなかった。
取りまとまらない縁談に、両親はついに頭を抱えてしまったが、生きながら死ぬような生活をするくらいなら、戦いで死んだほうがまだ遥かにマシだと思っていた。
あの日、竜と遭遇するまでは。
巨大な竜だった。三階建ての屋敷が虎のように暴れているのと同じで、もはや人の力が及ぶ相手ではなかった。
恐怖が心臓を凍らせる。今まで感じたこともない恐怖だった。目の前で落雷しようと、眼球の前に尖ったナイフを突きつけられても、あそこまで恐れることはないだろう。
だが、竜のもたらす恐怖は何よりも強烈で、心が壊れ、叫びだしてしまった。
死ぬ、確実に死ぬ。死が目に見える形で迫っていた。想像を遥かに超えた現実が脊髄を凍らせる。
もはや肉片すら残らないだろう。そう思った。
その中で、リディアは戦った。竜の尾を躱し、炎から逃れ、竜の体格からすれば針に過ぎない剣を振り回し、竜の体の上を駆け、宙に飛び上がり、竜の目を潰し、諦めることなく立ち向かった。
もはや人の立ち入れる領域ではなかった。
そこに、もう一人が加わった。シシィが、リディアを援護し、魔法を竜に放ち続けたのだ。信じがたい光景だった。
あの可憐な少女が、野に咲く花のようにか細い娘が、竜を相手に戦っていた。
リディアの戦いぶりによって、騎士団の面々もどうにか逃げる時間を得ることが出来た。しかし、自分は竜の爪によって右足がありえない方向へと曲がり、ルイゼも左腕が根元から千切れてしまいそうになっていた。
特にルイゼの負傷は激しく、このままでは出血によって死ぬのが目に見えていた。
きっと、リディアはルイゼを助けたかったのだろう。あの竜を相手にひたすら戦い続けた。
そして、奇跡を見た。リディアの剣が竜の首を斬り落としたのだ。
何もかもを理解した。リディアはもう人の領域を超えている。
自分は強いと思っていた。リディアと肩を並べて戦ったことは数え知れない。
稽古で何度も手合わせをした。だが、あれもリディアの全力などではなかったのだ。
リディアからすれば、自分など足手まといに過ぎないのだ。
自分は多くの魔物を倒してきた、魔族の大軍を相手にも戦った、ついて回る名声が鬱陶しいと思えるほどには戦果を残した。
それでも、リディアには遠く及ばない。リディアは同じ地平にはいない、遥か上の、天上の存在だった。
竜との戦いが終わり、ヴェアンボナに帰還した後、リディアはひっそりと姿を消した。シシィだけを連れて、旅立ってしまったのだ。
ルイゼはシシィのことを化け物と呼んだ。そう思うのも仕方が無いだろう。シシィと一緒に戦ってきたが、竜と戦った時のシシィはそれまでとは異なっていた。
見たことも無い強力な魔法を何度も放ち、この世のものとは思えないほど優れた回復魔法で自分とルイゼの傷を癒した。
こうやって走っていられるのもシシィのおかげだ。
そのシシィを相手に戦いたい。限りなく化け物に近い人間。今のこの地上で最も強い者。
きっと、ヒルベルトもただシシィと戦いたかっただけなのだろう。
シシィを捕まえることよりも、あの魔法使いと再び戦えることを喜んだのだ。ただ、真面目なルイゼは戦いの喜びに興味を持っていない。
リディアが去ってから、ルイゼは酷く取り乱した。あれだけ慕っていたリディアが去っていったこと、リディアがルイゼを選ばなかったこと、何もかもがルイゼを傷つけた。
騎士団の活動も縮小し、今では儀礼に関することばかりが多くなっている。
ヒルベルトも自分も、そんな状況に飽き飽きしているのだ。
強い者と戦いたい。敵わなくてもいい。
きっと、全力で戦ってもいい相手はシシィで最後なのだ。
走る、地面を蹴る度に体が軽くなってゆくようだった。この悪臭の道を抜ければ、白百合のシシィが待っている。
後ろを振り返ることさえ忘れた。
そして、ついに可憐な少女の背中を視界に捉えた。
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