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第二部 第三章
騎士の襲撃
しおりを挟む人だかりから上がる声は段々と大きなものになっていた。この都市に出入りする人たちは多い。地方で買い入れた品物を持ち込んだり、都会で生産された品物が地方に出てゆくこともある。
そういった人たちにとって、門をくぐれないというのは大変な事態に違いない。
ただ、怒号じみた声が上がるというのは理解しがたい。緊急の時には昼間でも門が閉ざされることはある。その理由がわかっていれば、いくら商人でも納得して引き下がるだろう。
つまり、ここに集まっている人たちはどうして通れないのかがわかっていない。だからこそ大声を上げてまでその理由を問いただそうとしている。
商人は情報という風が無ければ立ち行かない船だ。もし戦乱の暴風が迫っているのだとすれば、彼らは進路を素早く変える必要がある。
自分にもこの通行制限の理由がわからない。いつ解除されるのか、他の門は通れるのか、それすらもわからない。
ここで待つか、他の門へと向かうか。
しばらく考え込んでいると、後ろから声をかけられた。
「おや、あなたは今朝の騎士様ではないですか!」
振り返ると、一人の男が立っていた。この男は確か、門兵のはずだ。今朝ここを通る時に見た覚えがある。こちらが騎士だとわかると、すんなりと通してくれた。
おそらく四十過ぎで、黒い口ひげを生やしている。門兵とはいえ、普段からごてごてと武装をしているわけではなく、平時は儀礼にでも使えそうな制服を着ている。
この都市に入る者は、まずこういった門兵を目にすることになる。いわばこの都市の顔のひとつで、それなりに見栄えの良い格好を求められるのだ。
門兵の男は小さく頷き、口ひげの端を撫でた。
「いやぁ、申し訳ありません。ただいま通行を制限しておりまして、制限が解除されるまで待機所でおくつろぎください」
「遠慮しておく、それより通れない理由を知りたい。長引くようであれば他の門に向かいたいから」
「……いや、他の門も同じように通行制限をしております。いつ解除されるかはまだわかりかねますので、そこの待機所へどうぞ。うちにカフェを作るのが上手い奴がいまして、そいつにカフェを用意させますから」
「どうして通れないのかが知りたい」
「……それはですね」
門兵は辺りに目を配ってから小声で話した。
「実はよくわからない武装集団がいるという情報が入りまして。今、斥候が確認を取りに行っているところなのです。場合によっては城門を閉じるかもしれないですし、ただの間違いであれば再び開くでしょうし、すべては情報が入り次第ですね」
「それならわたしを通してほしい。武装集団がいたところで問題はない」
「いやいや、そういうわけにもいかないのです。一人通せば他の者も通せと喚き散らすでしょうし、そうした人たちを通して何か問題が起これば困ったことになります。こちらは上の命令に従わなければなりませんので、さすがに特別扱いはできません」
シシィは歯を軽く噛み締めた。まさかこんなことが起こるとは思わなかった。運の悪い日にやってきたことになる。
門を預かる者たちは、その場を守るために命でさえ賭けかねない。何かの危険が迫っているかもしれないのなら、彼らは上からの命令を必死に守り通そうとするだろう。
門兵の男は両手をせわしなく擦り合わせながら目を逸らした。
「ですので、待機所でおもてなしをさせてもらえたらと思うのですが」
「……」
「実はですね、私の息子は士官学校に通っておりまして、将来は騎士団に入りたいと言っておりましてですね、その、騎士さまからそのあたりの話を聞かせてもらえたらと思っていまして、待機所にはお菓子もありますし、どうかのんびりしてもらえたらと思うのですが」
もしかしたら、この門兵は自分に何かしらの便宜を図ってもらいたいと思っているのかもしれない。残念なことにその願いには応えられない。
自分はもはや騎士団の一員ではないし、人事に口を出す権利などそもそも持っていなかった。
「騎士団に入りたいのなら、強くなればいいと思う」
「そ、それはそうなんですが……、まぁともかく、そのですね、色々なことをお聞かせ願えたらと思っておりまして、今は通行も出来ませんし、是非待機所のほうまで。なに、制限なんてすぐ解除されますよ、それまでの間のんびりと」
どうするべきか。この門兵の話に付き合うのは億劫だし、できれば遠慮したい。それならどこか人気のない場所で静かに本でも読んでいるほうがいい。
ただ、いつになったらこの制限が解除されるのかがわからないのは困る。門自体は閉ざしていないから、差し迫った脅威があるわけではないのだろう。
武装集団とやらがいるのならいるで構わない。ただ、何者かがいないということを確認するのは難しく、また時間もかかる。仮によくわからない集団がいたとしても、この都市を狙うのかどうかはわからない。
はっきり言って、この都市に攻撃を仕掛けようなどというのは自殺行為でしかない。
壁や門に近づくことすら出来ずに粉砕されてしまうだろう。壁の上には常に見張りがいるし、定期的に訓練をしているから守備兵は砲術にも長けている。
今頃は武装集団とやらが近づいてきても殲滅できるよう準備をしているはずだ。
そう思ってシシィは壁のほうへと目を向けた。それほど高くない城壁で、内側には大砲を通すための通路が設置してある。その通路を、兵士らしき男がのんびり歩いているのが目に入った。
「……どうして」
「どうかしましたか?」
門兵の男が両手を擦りながらそう言った。まるで焦っているかのようだ。よく見れば門兵の顔には汗が浮かんでいるのがわかった。
「騎士さま、こんなところにいても時間の無駄ですし、待機所のほうでくつろがれてはいかがですか?」
「武装集団がいるという情報が入ったにも関わらず、壁の上の兵は気が抜けているように見える」
「まぁまだ敵の姿が見えたわけではありませんし、そもそもいるのかどうかよくわかっていませんし」
「敵が見えなくても、確認が取れていなくても、有事に備えなければいけないはず」
「え、ええまぁその通りですが、気の抜けた奴はどこにでもいますから」
門兵はそう言いながら気まずそうに視線を逸らした。
敵の情報がまだ確定していないから、壁を守る兵たちに緊張が無いのだろうか。しかし、門の通行を制限している状況なら、もう少し緊張感があってもいいはずだ。
自分は文句をつけるような立場ではないし、これ以上気にしても仕方がない。
門兵の男が唾を飲み込み、こちらへ再び促した。
「とにかく、まだ時間がかかるようですし、待機所でゆっくりしていってはいかがですか」
「……遠慮しておく、しばらくどこかで時間を潰してからまた出直そうと思う」
「いやいや、そんな遠慮なさらず」
門兵の男は慌てた様子で再び誘ってきた。騎士をもてなしたところで、彼の息子に何かの便宜が図られるわけではない。こんな調子で話しかけられても、こちらは面白くない。
どこか別の場所で本を読むのが一番よいだろう。もし通行制限が長引くようなら、宿を取る必要もある。
背負った荷物が鉛に変わったかのような気分に陥ってしまう。その武装集団が何者なのかはわからないが、もしいるのなら怒りを直接ぶつけてやりたい。
ここに居ても時間が無駄になるだけだ。まずはどこか落ち着ける場所で本を読むことにしよう。
門兵の誘いを断るために、もう一度口を開こうとした時だった。ちょうど他の門兵たちもこちらを見ているのが目に入った。
それらの門兵には緊張感が見て取れた。それは外にいる敵に対してというより、こちらの様子に対してのもののように見える。
呼吸をすることさえ苦痛であるかのように、固唾を飲んでこちらを見ていた。
こちらに注目しているだけではなく、今にも崩れそうな崖を見ているかのような視線。
ふと、目の前にたつ男の瞳に視線を移した。自分の背が低いこともあり、その瞳に自分以外の何者かが映り込んでいるのが見えた。
横へ跳ぶ。背筋に冷たい危機感が走る。その勢いのまま振り返った。若い男が険しい表情で棒を横に薙いでいた。着地と同時にシシィは魔法で炎を作り出す。若い男がだじろいだ。
よく見れば、その男はこの都市の守備兵だった。手に持っていた棒は、先が鉤になっていて、相手の足に引っ掛けることで先端に取り付けられた縄が締まるようになっている。
犯罪者の拘束に使うもので、あれを足にかけられると身動きが取れなくなってしまう。
何が起こったのかはわからないが、自分が狙われているのはわかった。事情を考察するより、目の前の脅威から身を守らなければいけない。
どうやら自分を狙っていたのは一人だけではなかったようで、他の守備兵が投網を投げてきた。炎でその投網を振り払い、シシィは横へさらに跳んだ。
ほぼ同時に銃声が響き渡る。銃まで持ち出してきたのかと戦慄してしまう。
銃の位置を確かめようと目を配る。こちらを狙っていたのかと思ったが、どうやら違ったようだ。短銃を持っている男は空に向かって銃を放ったようだ。
それが何を意味しているのかはすぐにわかった。この場所を誰かに伝えようとしているのだ。
このままでは何者かが自分を捕らえるために集まって来るに違いない。
状況は理解できないが、逃げるのが最善手だろう。周囲にいた人たちは急な銃声に悲鳴をあげ、ばらばらに逃げ始めていた。商人はこんな時でも自分の荷が大事らしく、暴れ始めた馬をを宥めている。
城門は開いている。何が起こっているのかはわからないが、人を蹴散らしてでも逃げるしかないだろう。
シシィは杖を振って炎を撒き散らした。人が怪我しないように高い位置まで持ってゆく。さらに風を巻き起こし、守備兵たちをたじろがせた。
門兵たちは槍を持ち出してこちらを遠巻きに見ていたが、誰も寄ってこようとはしない。
周囲に目を光らせる。守備兵や門兵がこちらを取り囲もうとしているが、炎と風に怖気づいているのか一歩も近づいてこなかった。
人数はせいぜい十五人ほどで、自分を捕らえられるほどのものではない。
城門をくぐって外に逃げるしかない。そう思った瞬間だった。背の高い男がこちらに向かって猛烈な速さで駆けて来た。アデルよりも隆々とした筋骨の持ち主、それが馬のような速さで迫ってくる。
その手には小柄な自分の身長と同じくらいの長さの長剣が握られていた。
顔に見覚えがあった。
「ヒルベルト……」
騎士団の一人だ。
細い目は普段よりも細められ、目の上に張り出した眉は両目の間に入り込むかのように寄せられている。
何故あの男が自分に向かってくるのかはわからない。ただ、自分を狙っているのだけは確かだろう。
ヒルベルトは大声を上げながらさらに速度を上げた。
「うおおおおっ!!」
自分より遥かに背が高い男が迫ってくる。両手で剣の柄を握り、肩の上に担いでいた。
まずい、あのまま突っ込んでくるつもりだ。
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