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第二部 第三章
シャルロッテのお屋敷
しおりを挟むフランケスコの家を出た後、シシィは大通りを歩いた。背負った荷物がずしりと肩に食い込む。人通りの多さは相変わらずで、前をしっかり見て人を避けないといけない。
ここ最近は田舎で暮らしていたから、人の間を縫うのが下手になったようだ。何より、自分のように小柄な相手には道を譲ろうとしない者も多い。
昼過ぎの陽光は柔らかいが、気温が高いせいで少し歩くと汗をかいてしまう。建物は記憶の中とあまり変わっていなかったが、女性の装いが変わっているのには慣れない。
長い髪をさっと翻しながら、年頃の乙女たちが短いスカートを翻す。この都市を彩る花のように、彼女たちの表情も明るく咲いていた。
冬至が近いせいか、昼でも影は長い。背の高い建物は通りに影を落とし、その中で喧騒が次々と弾けてゆく。
この都市に思い入れは無いが、それでもこの賑やかさは楽しげなものに見えてしまう。
アデルと一緒にこういう場所を回れれば楽しいのかもしれない。
しばらく歩き続け、ようやくシャルロッテの住む屋敷へと辿り着いた。シャルロッテの家は自身の領地を代官に任せ、今はこの都市で生活をしている。宮廷に出入りする以上はこの都市に住むしかないのだろう。
屋敷の面積はあの村の広場だったらすっぽりと入りそうなほど広い。人口の多いこの都市でこれだけの土地を確保しているのだから、シャルロッテの家がどれほど裕福かよくわかる。
門の向こうに見える建物からは炊煙がもくもくと上がっていた。一体いくつの煙突があるのかは知らないが、白い屋敷はその巨体に似合った量の煙を吐き続けている。
昼間だからか、屋敷正面の門は半分だけ開いていてすぐにでも入れそうだった。
「ふぅ……」
荷物の中からシャルロッテに渡すものを取り出す。果たしてシャルロッテがいるのかどうか。もしかしたら、シャルロッテは結婚してこの家を出てしまっているかもしれない。
そうなればこの都市まで来た意味が無くなってしまう。シャルロッテは気が強くてがさつなところもあるが、凛々しく美しい容姿をしている。彼女ほどの美人であれば結婚をしていてもおかしくはない。
それにシャルロッテほどの貴族なら、まだ結婚していないほうがおかしい。
シシィはローブの前を大きく開け、騎士団の制服を晒した。門の向こう側で、中年の女性が屈みこんで何かをしているのが目に入った。
おそらく使用人なのだろう。その使用人はゆっくりと立ち上がり、額の汗を腕で拭った。エプロンで手を拭いた後、こちらに目を向ける。
ちょうどいい、まずはシャルロッテがまだ屋敷に住んでいるのかどうかを尋ねよう。
シシィは杖を軽く上げ、門を叩いてみた。使用人が目を細めながら近づいてくる。機嫌が悪くなったというよりは、こちらの姿をよく見ようとしているのだろう。
「はい、ただいま参りますよ」
エプロンで手を拭いながら使用人の中年女性が近づいてくる。
「あら? もしかしまして、あなたはお嬢さまのいる騎士団の?」
「そう、今日はシャルロッテに用事があって来た。シャルロッテがこの屋敷にいるのかどうか教えてほしい」
「お嬢さまならもうすぐ帰られると思うのですが」
よかった、どうやらシャルロッテはまだこの屋敷に住んでいるらしい。家を離れていたら面倒なことになっていただろう。
シシィは片手に持った荷物を示した。
「わたしはこの荷物をシャルロッテに届けるために来た。これをシャルロッテに渡してほしい」
「はぁ……、ちょっと待ってください」
中年女性は門の外にまで出てきて、こちらの荷物を受け取ってくれた。これで用事は済んだのだが、もうひとつだけ保険を掛けておきたい。
シシィは杖を持ち、使用人の女性に声をかけた。
「わたしの見た目が幼いから、あなたがわたしを疑うのもわかる。だから、わたしは騎士として十分な力があることを証明しようと思う」
「いえ別に疑ってなど」
その言葉を無視して、シシィは横を向いた。杖を軽く掲げて素早く唱える。
「顕現せよ、雪白虎」
冷気が渦を巻く。氷の白を撒き散らしながら、青白い虎が現れた。使用人は牛ほどの巨体が急に現れたことで、目を見開いて一歩下がった。
驚かせてしまったのは悪いと思うが、今すぐ雪白虎を消し去るわけにはいかない。
「この通り、わたしは優れた魔法を使いこなすことが出来る。シャルロッテの仲間として、何度も戦いに赴いたこともある」
「は、はいっ」
使用人はまだ驚いているのか、顔を引きつらせて虎の顔を見下ろしている。これ以上怖がらせるのは悪いと思うが、まだやっておきたいことがある。
シシィは虎へと声をかけた。
「上に向かって冷たい息を吐いて」
こんなことを言わなくても白虎を自在に動かせるが、この使用人に自分が何をしようとしているのか理解させておいたほうがいい。
白虎は重たい頭を上げ、人の頭なら丸呑みにできそうなほど大きく口を開く。長い牙が陽光の中で鈍く光いた。
その喉の奥から、冷気が放たれる。渦を巻きながら空へと昇り、屋敷の屋根よりも高い場所まで氷の混じった白い吐息が溢れ出す。
ひゅごおおっ、と北風のような音が周囲に響いた。
「ひゃあああっ?!」
使用人の女性は悲鳴を上げてさらに一歩後ろへ下がった。このくらいでいいだろう。シシィは杖を振って白虎を消し去った。
使用人は今にも腰を抜かしそうなほど震えている。シシィは周囲を見渡した。
「わたしがそれなりに優れた魔法使いだとわかってもらえたと思う」
使用人の女性がこくこくと素早く頷いた。それと同時に、屋敷のほうから他の使用人が数人顔を覗かせた。先ほどの白い吐息が見えたのだろう。
遠巻きにこちらを見ているが、近寄ってこない。どうせなら近づいてきて欲しいのだが、上手くは行かなかったようだ。
本当なら数人の前で語りたかったのだが、失敗してしまった。
溜め息が漏れた。この方法はまずかったかもしれない。
それでも続けるしかないだろう。
「あなたに話したいことがある」
「は、はい? なんでしょう?」
裏返りそうな声で使用人が応えた。シシィは息を吸い込み、使用人の顔を見ながら告げた。
「その荷物の中には、シャルロッテに宛てた手紙と、ルイゼに、公国の姫に宛てた手紙が入っている。わたしはシャルロッテに、リディアが、紅の勇者が死んだことを伝えに来た」
「えっ?!」
「紅の勇者は死んだ。その荷物には紅の勇者の遺髪、つまり勇者の髪も入っている」
「ええっ?」
使用人が眉を吊り上げてこちらの目を凝視した。急なことで理解が追いついていないのかもしれない。もう一度伝えておこう。
「紅の勇者は死んだ。詳しい事情については手紙に記してあるので、その荷物をシャルロッテに渡しておいてほしい」
「あ、ああ、そ、そんな……」
使用人の女性は自身が持った荷物を持って震え始めた。ここで屋敷のほうから他の使用人がぞろぞろと門のほうへと近づいてきた。先頭に居たのは背が高く、上半身が筋肉で盛り上がっている中年男性だったた。
その男は怯えを押し殺したような硬い顔をしている。こちらのほうまでずんずん歩み寄ってきて、一度唇をぎゅっと閉じて唾を飲み込んだ。
体格に似合った低い声で男が尋ねてくる。
「あ、あのう、あなたさまは?」
「わたしはシャルロッテと同じく騎士団のひとり。今日は彼女に荷物を届けに来た。わたしの見た目が頼りないから、騎士としての力を証明するために魔法を使った。誰かを傷つけようとしたわけではない」
「は、はぁ……、お嬢さまのお仲間で……、金髪で、その瞳の色は、まさか、あの、翡翠の魔法使いさまですか?」
「そう呼ばれることもある。それより、その荷物をシャルロッテに届けておいてほしい。わたしは、紅の勇者が死んだことをシャルロッテに伝えるために来た」
「ゆ、勇者さまが?!」
「リディアは死んだ。詳しい事情はシャルロッテへの手紙に書いてある。その手紙とリディアの遺髪を渡しておいてほしい」
そう告げて、シシィは背を向けた。このまま去ろうとしたところで、中年男性が駆け寄ってきた。
「あのっ、お、お待ちください! お嬢さまはそろそろ帰られるはずです。それまで屋敷で」
「急いでいるから」
さすがにシャルロッテと顔を合わせるつもりはない。使用人たちはみんな一様に驚きの表情を浮かべている。若いメイドなど口元を覆ったまま瞬きさえしていない。
ここにいる人たちは、リディアが死んだという事実を知った。驚きを持って受け止めた事実は胸の中に留めておけないだろう。いつか口から溢れ、人から人へと伝わってゆくはずだ。
彼らには詳しい事情がわからない。そうなると、本当のことを知りたいと思うようになるだろう。もしかしたらシャルロッテにそれとなく尋ねるかもしれない。
完全に揃った情報よりも、所々が欠けた情報のほうが人の口に上る。その欠けた部分がどのように埋められるのかまではわからないが、リディアが死んだという話が伝わればよいのであって、枝葉がどのように伸びようと構わない。
フランケスコに本を出版してもらえれば一番良かったが、この方法でも少しずつ噂は広がるはずだ。
最善の手ではなかったが、これでシャルロッテとルイゼには話が伝わる。
この都市での用事は終えた。
早くあの村へ帰ろう。
シシィは足早に歩き出した。
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