名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

救世主

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 これで本の売買は終了した。他の用件についても話を進めておきたい。

 シシィは椅子に座ったままフランケスコに話しかけた。



「あなたに儲け話を持ってきた。それでその代金を相殺できるかどうかはわからないけれど」

「儲け話? なんですか、そんなものは他の誰かに話してください。私は今からこの本とじっくりと語り合うのです」

「後にして」

「ああ、なんという外道でしょう。あなたはその可憐さを少しでも心に宿したほうがよいのでは?」

「わたしが可憐かどうかはともかく、あなたに協力して欲しいことがある」

「はぁ……」



 フランケスコは面倒くさそうに目を細めている。これだけ金を払った後に儲け話を持ち込またというのに、本を読みたいという理由で一蹴するのだから、なかなかの筋金入りだ。

 読書に勤しみたい気持ちは理解できるが、ここは話を聞いてもらいたい。



「あなたに話したいのは、紅の勇者がどうなったのかについて。わたしはその経緯を知っている。あなたがそれを本にすれば、この本に掛かった代金は簡単に取り戻せるはず」

「勇者さまの?」

「そう」



 この都市の住人ならば、リディアが一体どうなってしまったのかについて興味があるはずだ。そこにこの都市でも有名な知識人が、翡翠の魔法使いから得た情報を元にしてその話を本にすればきっと売れるだろう。

 風説などとは違い、情報元がはっきりしている。



 シシィは予め作り上げておいた嘘の話をフランケスコに語った。竜退治を終えた後、リディアは自分だけを伴って旅に出たこと、魔王に関する話を聞きつけ、とある神殿へと向かったこと、そこで激しい戦いがあったこと。

 魔王が隕石を落とす魔法を使ったことで、リディアと魔王は共倒れになった。自分は辛くも生き延びたが重傷を負い、しばらくは動けなかったこと。



 フランケスコは頷きながらこちらの話に耳を傾けていた。



「ああ、なんということでしょう。今日はもう驚きすぎて、私の華奢な心が壊れてしまいそうです」

「あなたは体も心も図太いから問題ない」

「どうして私は自分の娘よりも遥かに幼い少女から罵られているのでしょう……」

「罵っているつもりはない。事実を述べただけ」

「事実ほど人を傷つけるものはありませんよ。しかし、ああ、勇者さまが戦いの中で命を落としてしまったとは……」



 嘆きの中にあるフランケスコをよそに、シシィは鞄の中から紙の包みを取り出した。包みを開き、その中身をフランケスコに示す。

 フランケスコが目を細めて体を乗り出した。



「これはもしや、勇者さまの髪?」

「そう、わたしは髪と、いくつかの遺品をルイゼに渡すためにヴェアンボナまで来た」

「おいたわしい、姫殿下は勇者さまを心底お慕いさしあげていましたから、きっと心をお痛めになることでしょう」

「それでもルイゼは事実を受け止めなければいけない。事実が人を傷つけるのだとしても」

「ふむ……、しかし……、いや」



 フランケスコは壁へと視線を向けて、手を顎に添えた。目を細めたまま、じっと壁に視線を固定している。

 何を思案しているのかはわからないが、今は人の感傷にまで構っていられない。



「あなたにも毛髪のいくつかを渡す。そしてわたしが語った話を本にして出版してほしい。あなたならいくつもの書肆に顔が利くから、すぐ出版にこぎつけられるはず」

「それは、まぁそうですが……、しかし」

「迷う必要はない。本が売れれば痩せるどころかさらに贅肉を蓄えられる」

「これ以上蓄える気はありませんよ。私が危惧しているのは、売れるかどうかということではありません」



 ごほんとひとつ咳払いをして、フランケスコが胸を張った。



「いいですか、あなたは少々疎いようですから言っておきますが、紅の勇者さまはこの都市で、人間たちの世界で敬愛されています」

「それは知っている」

「いいえ、あなたは知らないのです。どうやらあなたは久しぶりにヴェアンボナを訪れたようですから、よくわかっていないのでしょう。この都市の女性たちのスカート丈が短くなっていることに気づきましたか?」



 こちらがこくりと頷くと、フランケスコは神妙な表情で続けた。



「古来よりこの都市は様々な人たちが住み着くようになったので、服装は多岐に渡っていました。しかし、あの魔族の侵攻が終わった後から、この都市の人たちは考えるようになったのです。バラバラではいけない、何かこの都市ならではの一体感が必要なのだと」

「何が言いたいのかよくわからない」

「まだわかりませんか。その一体感の象徴として、紅の勇者さまが選ばれたのです。魔物を打ち倒し、賊を殲滅し、魔族の大軍を追い返しただけではなく、竜退治まで済ませたあの英雄ですよ。憧れるのもおこがましいほどの英傑です。この都市にいる誰もが、魔族の軍勢に囲まれて希望を無くしていたのです。いつまで続くか分からない包囲、来ない援軍、消えてゆく食料、ネズミの肉ですら銀貨で取引されるその状況を、あの勇者さまはひっくり返したのですよ」



 フランケスコは熱の篭った声でそう語った。

 確かにすべて事実ではある。特に、このヴェアンボナが包囲された時は辛い状況が続いた。肉の腐った臭いが立ちこめ、体の弱いものは次々と息絶えてゆく。

 家族の食い扶持を減らしたくないという理由で自死を選んだ老人もいたと聞く。魔族は城壁に向かって塹壕を掘り進め、じりじりと近づいてくる。その上、地下に穴を掘って城壁の下をくぐろうとしてきた。

 半月堡のひとつは、魔族が地下に仕掛けた火薬によって爆破され、それによって堀に浅い部分が出来た。



 食料は底を尽き、配給の量も目に見えて減り続けた。水の使用にも制限が課され、ひげも剃れなくなった男たちが虚ろな目で食糧配給の列に並んだ。

 自分は騎士の身分だったから、食料の面では何一つ苦労をしていない。しかし、市井の人々はいつまで続くかわからない窮乏に陥ったのだ。



 その中で、誰もがみなリディアに縋った。

 冷静に考えれば、いくらリディアが強くとも二十万の軍勢を相手に戦えるはずがないと理解できる。それでも、人々はリディアに救いを求めた。

 紅の勇者さまなら、きっと自分たちを救ってくれると信じていた。



 そして、リディアは成し遂げた。

 もちろん、自分を含めた騎士団の面々もあの戦いに加わったが、それもリディアがいたから無謀な戦いに赴いたのだ。

 窮地の中で夢見たすべてを、リディアが現実のものへと変えてしまった。





 フランケスコはやや低い声で続けた。



「街の人たちは、勇者さまは何処かで生きていると信じているのです。胡散臭い目撃談ですらよく売れるほどに、街の人たちは勇者さまの生存を信じているのです。そこに私がそのような、つまり勇者さまが死んだという本を出せば、控えめに言って私は袋叩きにされますよ」

「それでも、街の人たちは事実を受け入れなければいけない。もう二度とあの勇者は現れない」

「事実に傷つくくらいなら夢を見ているほうが良いのです、少なくとも、私のように弱き者たちは」



 フランケスコはゆったりとした仕草で背もたれにもたれかかった。

 椅子の軋む音が耳に障った。







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