名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

賊退治

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 こんな賊のせいで余計な時間を取られてしまった。

 こうやっているうちに、どうやら太陽もほぼ完全に沈んでしまったようだった。森の中だけあって、周囲は完全な闇に覆われようとしている。シシィは適当な位置に炎をいくつか浮かべた。

 もしこの賊に仲間がいれば、すぐに見つかってしまう危険もあるが、今は仕方が無い。自分の目が焼けてしまわないよう、それらの炎から出来るだけ目を逸らす。



 シシィは杖を握り締めた。ゆっくりと息を吸い込み、一度唾を飲み込む。

 自分の腕が鈍ったことも、体力が落ちたことも実感できた。しかし、今ここに来てさらに自分の心境に大きな変化が出ていることに気づいた。



 出来ることなら、これ以上人殺しをしたくない。馬鹿馬鹿しい発想だった。今まで数え切れないほど殺してきた。おそらく、この賊が殺めた人数より、自分が殺してきた人数のほうが多いに違いない。賊に容赦などしたこともないし、悪党を傷つけることに躊躇などなかった。

 それにも関わらず、今は人を殺すということが酷い罪のように思えてしまう。



 だが、これらの賊を放免してやるわけにはいかないし、かといって今から町へ行って事情を説明するのも時間がかかる。こんな賊を生かしておいたところで、世のためにはならない。

 今まで多くの人を殺め、傷つけてきたのだろう。殺されても文句は言えないはずだ。

 この賊を生かしたまま放っておけば、また誰かを傷つけるかもしれない。



 もし罪の無い誰かが被害に遭ってしまったなら、この賊を殺さなかったことを後悔するだろう。

 このような賊は生かしておくべきではない。殺したほうが世の中のためになるはずだ。

 賊が裁判にかけられたとしても、十中八九死罪を言い渡されるだろう。そのような輩を今ここで殺しても問題など無いはずだ。



 シシィは歯を強く噛み締めながら息を吸い込んだ。

 殺すべきだ。それですべてが解決する。余計な時間も取られないし、人々の安全にも貢献できる。

 ただ、そのためには自分の手を汚さなければいけない。もうすでに汚れきったこの手なのに、何を今更躊躇っているのだろう。



 きっと、あの穏やかな村で過ごすうちに変わってしまったのだ。

 あの綺麗な場所に帰らなければいけない。血まみれの手でアデルやソフィに触れるわけにはいかない。黙っていればいいのかもしれない。何事も無かったように接することも出来るだろう。



 それでも、アデルに隠し事を作るのは心が苦しかった。心配をかけないように吐く嘘ではなく、自分の心苦しさを隠すための嘘になってしまう。

 シシィは賊の頭領を見下ろしながら言った。



「これ以上何か悪事を働くつもりであれば殺す」

「ま、待ってくれ! 許してくれ! 仕方が無かったんだ、色んな事情があって、でももう金輪際こんなことはしねぇから!」



 頭領は顔を悲痛で歪ませながら言葉を並べ立てた。そのどれもが紙のように薄く、羽のように軽い。重みの無い言葉が針葉樹の森に吸い込まれて消える。頭領の右頬から耳にかけて、そばかすのような染みが沢山あった。あれは旧式の銃を扱っていたことがあるからついたのだろう。

 昔の銃は縄の先に火を灯し、銃身についた小さな皿に火薬を乗せて使う。その火薬が頬を焼くことがあるのだ。都会でそういった人を見たことがある。



 この男は、荒事の世界でずっと生きてきたのだろう。これから生き方を変えることは出来ないに違いない。

 やはり殺すか、それか二度と悪事を働けないように膝を破壊しておくか、それとも目を潰すか。



 シシィは唇をぎゅっと閉ざし、杖を強めに握った。森の木に語りかけるように、色の無い声を口から紡ぐ。



「あなたが自首し、罪を償い、まっとうに生きるのであれば、生かしておく」

「ああもちろんだ! もう二度と悪さなんかしねぇから!」



 自身の悪事を悪さなどと軽い表現で表してしまうあたり、罪の意識が無いことは明白だった。頭領は哀願するように唇の端をほんの少しだけ持ち上げて笑みを作っている。

 シシィはもうそれ以上この顔を見ていたくはなかった。



 時間が惜しい。

 シシィが口を開く。



「なら、生かしておく。そのうち誰かがあなたたちを見つけると思う。あなたたちは捕らえられ、罪を償う機会が与えられるはず。その先のことは、知らない」

「あ、ああ、ありがてぇ」

「あなたたちが再び悪事を重ねるというのであれば、わたしはあなたたちを殺しに行く」

「もう二度とそんなことは起こらねぇ、もう心を入れ替えたんだ、まっとうに生きるってよ」

「……そう」



 信用ならない言葉だったが、これ以上この賊のために時間を取りたくはなかった。この道を通る者がいずれ現れるだろう。その人物がどこかに知らせてくれれば、この程度の賊はすぐ捕縛されるはずだ。

 その後のことは知らない。



「あともうひとつ」

「な、なんだ……?」

「わたしのことは誰にも話さないように」

「わかった、何でも言う通りにする、へへ」



 頭領は首から下に土を被せられたままにも関わらず、どうにか顔を上げてこちらを窺おうとしていた。もうこれ以上は構っていられない。

 後は誰かがこの賊を捕らえ、正式な処罰がこの賊に下されることを願うだけだ。





 シシィは浮かべていたいくつもの火の玉をひとつに集めた。賊たちの頭上へそれを持ってきて、火球を膨らませる。その直径は人の身長ほどにまで達し、火球は周囲に熱と光をばら撒く。

 炎が森に長い影を作り出す。じりじりと燃え盛る火の玉を上空へと移動させた。木々の頭を超え、天の星へと近づける。遠くからでも見えるような位置にまで移動させてから、火球を爆発させた。



 どおおん、という鈍い音が降り注ぐ。



 木々の葉が震えだす。轟音は静寂を突き破り、木々を縫って駆けてゆく。その際に生まれた猛烈な光が賊たちの目を焼いた。轟音を押しのけるように賊たちが悲鳴をあげる。

 汚らしい声が重なりあう中、シシィは杖を握り直した。



「あなたたちがまっとうに生きないのであれば、その体が残らないほどバラバラにして、すべてを焼いてしまう」

「し、しねぇよ! もう悪さなんてしねぇから! 許してくれぇ!」



 大の男たちが恐怖の中で懇願をする。彼らの言葉など信用ならない。以前の自分なら、襲われた時点で数人を残して殺していたはずだ。

 今は、手を汚したくない。



 この心境の変化は、喜ぶべきものなのか、それとも嘆くべきなのかよくわからなかった。

 それでも、自分はアデルの傍で、アデルと一緒に生きてゆくのだ。綺麗なままで、傍にいたい。



 シシィはエクゥとアトを呼び寄せ、エクゥの鞍の上に乗った。雪白虎を消し去り、次に魔法で光球を三つ作り出す。その球を進路の先のほうへと配置してから、シシィは馬の腹を蹴った。

 森を後にする。



 馬の足音だけが静寂に響いていた。







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