名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

紡がれるもの

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 厩舎の中は家畜の匂いで満ちていた。夜が訪れたため、厩舎の中は暗い。蝋燭の乏しい光だけがこの場所を照らしている。

 村長の皺だらけの顔は、蝋燭の明かりの中でさらに陰影を濃いものにしていた。目を細めてこちらに視線を向ける。

 すっと息を吸い、こちらへ言葉を投げかける。



「アデルもクニッゲも、疲れたじゃろう。よく頑張った」

「いや、わしは別に」

「俺も」

「二人とも子牛がもう死んでおるものじゃと思っておったようじゃな。対してロルフはまだ生きておると確信しておった。ロルフも困った男で、ワシがこうやって尋ねるまでその根拠を話しておらんかったのじゃろう。そんな男じゃから、信用してよいのかどうか悩むのもわかる」



 村長は顎から伸びる長いヒゲを擦りながらさらに続けた。



「しかし、ロルフはのんびりしておるようで、意外と考えておる。その理由を話すのが下手というのはロルフの悪いところではあるが、これからロルフが直してゆくじゃろう」



 そう言いながら村長はロルフを見る。その眼差しに非難の色はなく、どちらかといえば優しさに満ちたものだった。

 怒られるでもなく、注意されたわけでもないが、ロルフは小さく頷いた。

 それを見て村長が語り始める。



「ワシは自分の後釜に誰を据えるか色々と悩んでな、その結果ロルフを選んだ。他にも男はおるし、そちらを選んでもよかったかもしれん。しかし、ワシは、失敗した。クニッゲ」



 じろりと見上げられて、クニッゲが肩を震わせた。



「今日、カウフさんとの取引でロルフが頼りないところを見せたようじゃな」

「あ、ああ……」

「ロルフを叱責するのは構わん。だが、その時に何故おぬしは自分でその取引の内容を確認しようとせんかった?」

「そ、それは……」

「エッケルも、他の者もそうじゃ。わかっておる、これはワシの過ちじゃ。ワシが、何もかもを決めすぎた。みんなの生活のために、ワシは必死じゃった。異論を挟ませんほどに、ワシはみんなに指示を出し、みんなの力を借りた」

「う……」

「ワシは村のみんなに読み書きと計算を教えた。しかし、今、本を読む者はアデルとロルフとリーゼくらいのものじゃ。他の者は勉強などしようとせん。わかっておる、何もかもをワシの判断に委ねておれば、生活が出来るのじゃからな」



 クニッゲは俯き、肩を落とした。それでも村長は続ける。



「みんなよく働いてくれる。本当に、それは素晴らしい。しかし、誰かにあれこれやらせるということを、誰もしようとはせん。ワシはあれこれ口を出して、あれをしろこれをしろと指図ばかりしておったがな。そして、その結果やら責任はワシが負う。そういうことを出来るものが育たんかった。いや、ワシが出しゃばりすぎた」

「そ、村長がそうしてくれなきゃ、村はここまで安定しなかっただろ」

「うむ、その通りじゃ。しかしワシはもうこの世を去らねばならん。さすがに死んでまであれこれ言うことは出来ん。そこで、新しい世代に期待することにした。アデル、ロルフ、リーゼ、この三人はまったくもって問題ばかり起こしおって、どれだけワシの寿命を縮める気かと、まったく困った奴らであった。他の者のように素直であれば楽じゃったが、面倒くさいことばかり引き起こしおって」



 そう言いながら村長がこちらをぎろりと睨んでくる。傍にいたリーゼも気まずそうに顔を逸らした。村長は溜め息を吐き、何度か大きな瞬きをした。



「まぁそれでよかったのじゃろう。ワシの言うことを聞くだけでは、村はいつか困ったことになる。新しい何かが必要じゃった。その中で、ロルフはアデルやリーゼにない物を持っておった」



 村長がロルフを見やった。だがロルフには今ひとつピンと来なかったようで、きょとんとしている。

 ロルフ自身にはわかっていないのだろうが、自分にはなんとなくわかった。

 村長がやや大きな声を出した。



「ロルフは人に命令してあれこれやらせるのが上手い」



 村長の言葉にロルフは目を細めた。本人はそんなことは無いと思っているのかもしれない。しかし、自分には村長の言いたいことがよくわかる。

 何しろ、ロルフがあれこれしろと言う相手は自分だったのだから。



 あの遠い冬の日に、自分は最愛の妹を失ってしまった。天涯孤独になり、喪失感を埋めるように、誰かの役に立とうと働いていた。ロルフはそんな自分の内心を察して、あれこれと仕事を押し付けてきたのだ。

 文句を言いたくなったこともあったが、ロルフが朗らかな表情で感謝してくるので、こちらもついつい従っていた。本当は、ロルフがそうやって自分を必要としてくれることが嬉しかったのだ。

 誰かが必要としてくれるのなら、生きてゆける。



 誰かの役に立てば、一人になることはない。そう思って、必死になって色んな人と関わって、そして酷い失敗をした。





 村長は喋りすぎたせいか、一度ごほごほと咳払いをした。それで喉の調子が整ったのか、再び話し始める。



「ワシは常々思っておったが、クニッゲにしてもアデルにしても、何か困ったことがあれば自分が働いて自分でなんとかしようとしておるじゃろ? それはそれで美徳じゃが、ワシのように人にあれこれ言って自分は特に鍬も振らん者も必要じゃ。あれこれ指図して、偉そうにして、責任を取る。それが出来るものが、やはり村のみんなを導いてゆく者なのじゃと思う」



 村長はロルフに視線を向け、呆れの混じった溜め息を漏らした。



「まぁ、ワシの見たところ、そうやって人に指図できるのはロルフくらいのものじゃ。他の者はなんでもかんでも自分でやろうとしておる。自分のやったことに責任を持つのは容易いが、人にあれこれやらせたことに責任を持つのは、なかなか辛いぞ。胃が痛くなる。なにせ、ワシとて来年のことどころか、明日のことさえ分からんのじゃからな。それでも指図せねばならん、責任を、負わねばならん。クニッゲ、お前はやりたいか?」

「いや……、遠慮したい」

「アデルはどうじゃ?」

「勘弁してくれ、わしになど任せては村が滅びる」



 村長が時間をかけて頷いた。



「まぁロルフもロルフでまだ困ったところが多い。そこらへんはアデルや他の者が支えるしかなかろう。そしてロルフもロルフで、自分の考えをしっかり人に説明できるようにならねばならん。カウフとの取引でも、ロルフはロルフなりに結論を出すための根拠があったじゃろうし、さっきの出産でもロルフは色々と考えた末に産ませることを選んだのじゃろう。そういうことを説明できれば、みんなもあれこれ意見を出してくれたり力を貸してくれるじゃろう」



 村長の言葉にロルフが頷いた。村長は首をゆっくりと傾けてから、肩を軽く竦めた。



「まったく、今日は喋ってばかりで声が枯れてしまうわ。ワシはもう疲れた、後はお前たちでなんとかせい。忘れてる仕事も済ませておくんじゃぞ」



 呆れたように村長は首を振った



 その後、ロルフが新しい蝋燭を持ってきて、リーゼが持っていた蝋燭から火を分けてもらった。リーゼは村長を家まで送るために村長と一緒に厩舎を出て行き、男衆だけが厩舎に取り残される。

 その間に、子牛はついに立ち上がり、母牛の乳首に吸い付いて初乳を頬張っていた。ここまで来ればもう安心だ。後は母子ともに健康であるよう祈るしかない。





 ロルフは子牛が母牛の乳を飲んでいるところを穏やかな表情で眺めている。子牛が無事に成長してくれれば、村にとって大きな利益になるだろう。

 クニッゲは髪をがりがりと掻きながらロルフに言った。



「悪かったな、その子は、もうダメだとばかり思ってた」

「いや、俺こそちゃんと理由を説明しなかったし……、俺だって賭けみたいなものだったから」

「そうか……」



 クニッゲはゆっくりと息を吐いて肩を落とした。その様子を見る限り、ロルフに対する不信感は殆ど払拭されているように思えた。

 みんなそれぞれに欠点があって、それらを補いながら仕事に取り掛かるしかない。クニッゲは村長を尊敬するあまり、その決定に唯々諾々と従うようになっていた。

 もしかしたら、クニッゲ自身もそのことに薄々気づいていたのかもしれない。ただ、村長はいずれこの村の指導にはあたれなくなる。

 村長はその日のことを前々から考えていたのだろう。



 もしかしたら、こうやってロルフと村人たちの間で不和が生じることもお見通しだったのかもしれない。さっき、村長が冷たい態度を取ったのも、自分たちで解決しろと言ったのも、いつまでも村のことに関わっていられないと思っていたからそうしたのだろう。



 アデルは腕組みをしながら子牛を眺めていたが、そろそろ家に帰らなければいけないことを思い出した。家では腹を空かせた二人が待っているに違いない。



「ロルフ、わしはそろそろ帰らねばならん。ソフィがお腹を空かせておるでな」

「ああ、そうだな、もう大丈夫だし、気をつけて」

「おう、また明日」



 そう言ってからアデルはふと厩舎の様子がいつもと違うことに気づいた。そういえば、忘れている仕事を済ませろと村長が言っていた。

 それが何なのかに気づいてアデルは声をあげた。



「あっ、そうじゃロルフ、おぬし放牧に出してる牛、そのまんまではないか」

「うわっ、忘れてた」



 どうやら完全に失念していたらしく、ロルフがいつもより大きく目を開いていた。

 もう外は暗くなってきているだろう。牛を歩かせるのも一仕事になる。



「ううむ、今からじゃとどれくらい時間がかかるか……」



 アデルが唸っていると、クニッゲが小さく手を上げた。



「いや、俺がやろう。アデルはもう家に帰ってくれ。ロルフは子牛を見てればいい」

「む? なんじゃ、悪いのう、仕事を丸投げしてしもうて」

「いい、気にするな。村長の言う通り、俺はやっぱり人に使われるほうが性に合うらしい」

「まぁそうじゃな、そんで責任はロルフに丸投げするとしよう」

「ははは、そりゃいいな」



 クニッゲは笑ったが、ロルフは嫌そうに顔を強張らせた。











 アデルは厩舎を出た後、村の水場で手を洗った。さらに靴も脱いで足を洗う。水は冬の予兆を含んで冷たく、肌に刺さるかのような痛みをもたらした。

 太陽は山の向こう側へと隠れ、地上から光を奪い去る。空は藍色を失いはじめ、その中で星がぽつぽつと生まれてゆく。

 沈んだ太陽と入れ替わるように、月が空の端で体を持ち上げていた。月影が穏やかに地上を照らす中、アデルは首を傾けたり肩を回したりして体を解す。



「寒くなってきたのう……」



 もはや空気の冷たさも体に染み入るかのようだった。冬が近づいている。

 この空の遠いどこかで、シシィは何をしているのだろう。もうどこかの宿に入って体を休めているかもしれない。

 何があったとしても、無事に帰ってきて欲しい。







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