上 下
14 / 22
第三章 婚約者編【完】

幸せの隠れ場所 《4》

しおりを挟む



 アリメアは家に帰ると、今日するべきはずだった使用人としての仕事を急いで済まし、自室へと向かった。

 そして書き物机へとアリメアは向かう。

 する事は、手紙を書く事。
 内容は精一杯の感謝を込めて、お別れの手紙を。
 ……そして、ごめんなさいの手紙を。

 お約束を守れなくてごめんなさい。
 やはり旦那さまの奥様にはなれそうにありませんと。
 少しの間夢を見れて幸せでした。ありがとうございましたと。

 お別れは自分のわがままですと。

 好きだからこそ、お傍にはいれませんとは書けなかった。
 そうすれば、旦那さまをもっと困らせてしまいそうで。

 公式の場に出ていないアリメアと旦那さまの仲は、まだ内々にしか知られていない口約束。
 今婚約が破談になっても、旦那さまの恥になることはない。

 荷物が少ないアリメアの準備は、すぐに終わった。
 鞄一個。
 それが彼女の全財産――それがアリメアの価値。
 沢山の思い出が詰まった、書き物机は借り物で、持っていく訳にはいかない。

 ここを出ていくとしても、後の事のためと、個人的に執事のオルティスさまだけにはご挨拶していかなければ……。
 そう考えながら、アリメアは旦那さまが一番手紙を発見しやすい居間に置く。そして自分の全てが入った鞄を持って、家を出ようと扉に手をかけた。
 途端、手が止まる。
 ……もしかしたら自分と旦那さまの家庭を築きあげるはずだった家。
 色んな思い出と感情が現れては消え、一度振り返って周りを見渡そうと思ったが、二度と動けなくなるような気がして、アリメアはしばらく扉が開けられない。やっと勇気を出して開けると、いつの間にか家の前に一台の豪華な馬車が停まっている。その馬車には見覚えがあった。

「お久しぶりね、アリメア」

 その馬車から颯爽と出てきたのは奥様……旦那さまのお母上のエイダさまだった。








 数年ぶりに会うエイダさまは、華美と質素のギリギリの線のドレスを身にまとい。本来の年を感じさせないほど、相変わらず若く美しく。そして旦那さまにそっくりだった。ただ雰囲気が違う。
 ……全てを見透かされてしまうような、少し厳しい瞳。
 そしてそれは思い違いではなく、鞄をもったアリメアを一目見ただけで、どうやらややこしい時にエイダさまは来てしまったと、すぐに理解したようだった。

「お話をしたいのだけれど、中に入れてもらえるかしら?」
 そう静かに微笑んで言われると、アリメアに拒否権はない。居間にお通しすると、まるでこの家の女主人の如く貴婦人然とした態度で、ソファに座る奥さまにのまれる。居る人物が違うだけで、これほど部屋は変わるのかという程、別の部屋のように、いつもより居心地がよそよそしい空気になった。
 手紙とはいえ、結婚のご報告をし許していただけたあとの対面が、こんな事になってしまったことがアリメアには申し訳なくて……顔を俯いたままあげられない。アリメアは立ったまま、鞄の持ち手をぎゅっとにぎりしめる。

「それで、貴女はこれから。どうするおつもり?」
「……すみません」
「私に謝らなくてもいいのよ。これはあなたたちの問題。この家のメイドもやめるというのなら、他の家への紹介状を書きますが」
「そ、そんなご迷惑をおかけするわけには……」

 自分の息子をたぶらかしたと罵られても仕方が無いのに。
 あくまでも奥さまの態度は、長年勤めてくれた使用人の退職に対する、それだった。
 美しいその表情からは……凛とした声からは、何もうかがえない。

「オルティスなら迷惑とも思わないでしょう。それにしても、あの子がよく許したものね」

 「あの子」と言われてアリメアはびくっとする。
 旦那さまが帰って来る前に、早くここを離れなくては……それを思い出した。そんなそわそわした態度にエイダさまはまた気付く。アリメアの行動が、その息子の意志を無視したものだと。

「……もしかして、逃げるつもりなの?」

 逃げる。
 そう言われてしまえば自分の行動が、とても卑怯な事に感じてしまう。旦那さまの事を考えて、自分は応しくないと改めて気付いて離れようと思った。けれど、それは本当にいいことなのだろうか。でも。

「逃げるなんて、あの子の何がそんなに不満なの? 確かに、とても癖のある子だとは……思うけれど」
「……そんな、旦那さまに不満なんて……ありません!! ある訳無いです」
 精一杯アリメアがそういうと、エイダさまは少し驚いた顔をする。
「では何故?」
「旦那さまが、とても素敵な女性と……歩いている所を見たんです」
「あの子が、浮気をしたとでも?」
「い、いいえっ!! まさかそんなことは考えておりません……」

 先ほどの光景をアリメアは思い出す。
 公園のカフェテラスで、旦那さまはとても美しく、身分のありそうなお嬢様をエスコートしていた。

「そうではなくて……」

 二人の姿は周りの視線を釘づけにするほど目立っていた。
 それほど絵になる二人。
 二人の間になにかあると感じ取った訳ではない、それは旦那さまの表情を見ていればわかるし、日々過ごしていた旦那さまを信じてる。それでも旦那さまが女性と腕を組んで、エスコートしている姿は衝撃的だった。
 屋敷で開くパーティーなどは、どんくさいアリメアは裏方であって。会場での旦那さま達ご家族の様子は、会場を手伝った他のメイドからは、それとなく話だけは聞いていた。けれど、聞くと見るとでは大違いだった。
 アリメアといる時とは違った、凛々しくスマートなエスコート。
 しかも、旦那さまにエスコートされているお嬢様はというと、これが淑女たる完璧な見本。

 そんな完璧を見て、アリメアはやっぱり無理だと思った。
 頑張ろうと思った心が、みるみる萎れてへこんでしまう。
 上流の身のこなしや、旦那さまの隣に立っても見劣りしない振る舞いなんて、身につけるのはアリメアには無理だ。

 ――――夜会を見学して、淑女たる態度を勉強する?

 その思いつきは所詮、子供の浅知恵に思えた。
 一朝一夕で学べるものではない程の振る舞い。
 いくら否定しようとも、旦那さまはあの世界の住人で。

 そして旦那さまの求婚を受けたのは、自分の思い上がりだという現実を突き付けられた。


「旦那さまの隣には、あのお方のような素敵な淑女がお似合い……と、思います」


 それは、今持っているこの鞄一個しか価値のない自分が、とてもみすぼらしくて……。
 しかし、奥さまはこの言葉を聞いて、心底わからないといいたげに、ため息をついた。

「あの子と貴女の結婚を、私達が許したのは何故だと思いますか、アリメア?」
「……わかりません」

 それはアリメアも不思議だった。
 てっきり反対されると思ったのに。

 奥さまはアリメアを、値踏みするような視線で見た。
 でもそれには、あの貴族の青年のように悪意はなく、まるで雇主の面接のように冷静に物事を判断するような瞳で、アリメアは自然と背筋が伸びる。

「貴女の財産は、その鞄一個ね」
「はい」
「その鞄の中に、あの子が欲しがりそうな物はあるかしら?」
「いいえ、ありません、奥さま」
「つまりはそういうことよ……あの子は貴女が欲しいのよ。なによりも」
「!!」

 アリメアはその言葉に真っ赤になる。
 それは恥ずかしさの所為なのか、泣きそうだからかなのか、感情が上手く表現できない。そんなアリメアに畳み掛けるように奥さまは話す。

「あの子が騎士の仕事の他に、家の仕事を手伝ってるのは知ってますね?」
「……はい」
「あれは……あの子なりの、私達家族への誠意と決意の表明なのよ」
「決意……ですか?」
「貴女を選んでも、損をさせないというね」

 ――ご実家の仕事を手伝うことに、そんな意味があるなんて、何も知らなかった。

 アリメアの感情が出やすい顔にその驚きが出ていたようで、エイダさまは当たり前のように読む。

「あの子はどうやら……貴女を甘やかし過ぎているようね」

 それほど、愛されているという事。

「あの子にばかり努力をさせて、貴女は何もせず逃げるの?」

 嫌味ではなく、純粋な問いかけ。
 ここまで聞いてしまうと――逃げる事は卑怯な事でしかない。

 旦那さまは努力してくださっていたのだ、他の誰でもないアリメアの為だけに。
 そして二人の未来の為に。
 それなのに、自分は何をしていたのだろう。
 旦那さまの優しさに甘えすぎて……勝手に何もできないと落ち込んで。
 何もしないで、勝手に高い壁ばかり見てしまって、諦めて、逃げ出す事を選択して。

 アリメアは何も言い返せなかった。
 どれだけの無言の時間が流れただろうか、その沈黙を破ったのは硬質なノックの音。奥さま付きの秘書の神経質そうな声が響いた。

「奥様。そろそろお時間です。これ以上はザネルラ卿とのお約束のお時間に」
「そう、仕方がないわね」

 何の未練もないように、奥さまはソファを立つ。
 これで、この話は終わり、そう思ったアリメアにエイダさまは言った。

「貴女の人生、貴女がお決めなさい。あの子とやはり別れるというのなら、貴女は長年よく使えてくれました。それ相応の手続きをさせてもらいますよ」
「奥さま……私、逃げないで考えます」

 その答えで十分だと。満足げに、奥さまはうなずいてくれる。
 そして部屋から出る前に、一言。

「個人的には……。
 次に会える時には、お義母様と呼んでほしいのだけれど」

 そう言われて、お見送りをするつもりだったアリメアは固まった。
 文面ではなく直に伝わる……初めて自分が旦那さまの傍に居てもいいという、祝福。
 その一言はアリメアの事を認めてくれている。
 アリメアが旦那さまの妻になってもいいと言ってくれている。


 アリメアは出ていく筈の恰好そのままに自分の部屋に篭って、じっくりと考えることにした。

 考えて、考えて。
 いつの間にか、窓の外が暗くなっているのも気がつかず考えて。
 玄関が荒々しく開かれたのも、気がつかず考えて。

 さらにしばらく経ってから、足音も荒く。アリメアの部屋のドアがノックもされずに開かれる。
 それで、やっと我に返る。



 名前を呼ばれてのろのろと顔を上げると、そこには少し厳しい顔をした旦那さまのお顔があった。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Bright Dawn

泉野ジュール
恋愛
吹きつける雪の中、ネル・マクファーレンは馬車に揺られ、悲しみに沈んでいた。 4年前に視力を失って以来、どんな男性も彼女と結婚しようとは思わなくなったのだ。そして今、性悪の従兄・ロチェスターに引き取られ、無理な結婚をするようほのめかされている。もう二度と、ネルの世界に光が差すことはないのだと諦めかけていた……突然現れた『彼』に、助けられるまで。 【『Lord of My Heart 〜呪われ伯爵は可愛い幼妻を素直に愛せない〜』のスピンオフです。小説家になろうにも掲載しています】

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

皇帝陛下は身ごもった寵姫を再愛する

真木
恋愛
燐砂宮が雪景色に覆われる頃、佳南は紫貴帝の御子を身ごもった。子の未来に不安を抱く佳南だったが、皇帝の溺愛は日に日に増して……。※「燐砂宮の秘めごと」のエピローグですが、単体でも読めます。

出生の秘密は墓場まで

しゃーりん
恋愛
20歳で公爵になったエスメラルダには13歳離れた弟ザフィーロがいる。 だが実はザフィーロはエスメラルダが産んだ子。この事実を知っている者は墓場まで口を噤むことになっている。 ザフィーロに跡を継がせるつもりだったが、特殊な性癖があるのではないかという恐れから、もう一人子供を産むためにエスメラルダは25歳で結婚する。 3年後、出産したばかりのエスメラルダに自分の出生についてザフィーロが確認するというお話です。

【完結】婚約者とのお茶の時に交換条件。「 飲んでみて?」

BBやっこ
恋愛
婚約者との交流といえば、お茶の時間。客間であっていたけど「飽きた」という言葉で、しょうがなくテラスにいる。毒物にできる植物もあるのに危機感がないのか、護衛を信用しているのかわからない婚約者。 王位継承権を持つ、一応王子だ。継承一位でもなければこの平和な国で、王になる事もない。はっきり言って微妙。その男とお茶の時間は妙な沈黙が続く。そして事件は起きた。 「起こしたの間違いでしょう?お嬢様。」

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

処理中です...