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第二章 旦那さま視点【完】

そしてその時開かれたのは

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 色々あって長年の片思いが成就した旦那様は、今少し不思議に思っていることがあった。
 それはアリメアに会うために、彼女の部屋に行った時。

 ドアをノックして、彼女の承諾を得て部屋に入る。
 すると、彼女ははっとした顔をして、菫色の目をまあるくする。とたんに頬を真っ赤にして、そして目をそらして嬉しそうに胸に手を当てる。

 何かを反芻するように。

 一度目は、自分に会えたことが嬉しいのかと思って、嬉しく思っていたが。それが何度か続くと、どうやらそれだけではない事が伝わった。
 勿論、彼女は自分に会えて嬉しがっているのは前提の上だ。

 でも目をそらして胸に手を当てている時は、何か別の事に考えを支配されているようで。
 そしてその後から、やっと自分を見ているような気がした。

 何を考えているのでしょうか、ね。

 その一連の動作に、しかし予想がつかない。
 考えるのは無駄だと悟って、直接彼女に聞いてみた。

「アリメア、どうしたのです?」
「えっ!? ……あああのっ、なんでもないんですっ!!」

 何がそんなに恥ずかしいことがあるのか、さらに真っ赤になって動揺している。
 彼女の白い肌は、どれだけ朱に染まるのだろうか。
 見てみたい気もするが、今はそんな場合では無いことだと話を切り上げる。

「本当に? ならいいのですがね」
「はいっ、その……何か御用ですか?」

 彼女はメイドだった頃の癖が中々抜けない。
 自分が呼ぶと、必ずこう聞いてくる。

「用がなければ、会いにきてはいけませんか?」
「そ、そういう訳では……」

 自分としては率直な意見と、そして少しの恋人同士の甘い戯言じょうだんのつもりで言ったとしても、アリメアは言葉通りに、素直に受け取る。
 彼女のそんなことはないです! と必死の顔は見ていて心地よかったが。少し意地悪が過ぎたかと、反省し、彼女の心の重荷を軽くしようと口を開きかけた時。

「お会いできるのは、わ、私も嬉しいです……」

 消え入るような言葉と、「いかないで」とでもいうかのように、服の袖を遠慮がちに握り締められれば、些細なことでも愛しい人の愛情表現に目が眩むのは、自分だって例外ではない。
 そちらの方に気を取られて、彼女の不思議を聞くのは、今回は諦めることにした。

 あの様子を見ると、それは彼女にどうやら不快なことではないらしい。後ろ向きな行動なら少し注意が必要だが、プラス思考なら問題もあるはずもない。
 彼女も、いつか話してくれるだろう、そう結論付けた。







 今日は執事のオルティスが家に来る日、ですね。

 そう思い、騎士団の仕事は何時もよりも早く切り上げて自宅へと戻る。
 オルティスの用事は家業の事だ。
 幼い頃から、対人関係で揉める自分の性格を鑑みて、それが一番重要な家業が継げないと言うことは、長兄の有無に限らず分かりきっていた。だからといって、自分の得意分野で家業の手助けをする事はやぶさかではなく、出来る範囲で手伝っている。
 通常の隊務中ならば時間の融通も利く程に、騎士団での地位は順当に出世していた。
 しかし、出世すればする程。時間の間隙を狙ったように、実家からの仕事は膨大になっていくような気がするのは、考えすぎでは無い。それは処理した件数の量でも明らかだ。
 だからこそ、アリメアに求婚できたのではあるが。

 書斎で書類に目を通していると、硬質なノックの連続音で我に返る。
 柱時計を一瞬見ると、何時ものように定刻。
 オルティスの投資の結果報告を聞き、予想通りの水準を保っていることに満足する。その中には友人のテセウスの領地の農場の件もあった。
 テセウスの領地が、潤うような産業はないかという計画に巻き込まれただけのものだったが、どうやら軌道に乗ったらしい。テセウス本人からも報告は受けていたが、彼の報告は正確に欠けるので、主観の交わらない、信用出来る数字で見る方がスッキリする。むしろ領主ほんにんよりも、詳しいかもしれない。
 その本人は、お礼だと言って馬鹿の一つ覚えの様に、農場の生産品をもってくる。
 こちらにとっても実益が出てるというのに、お礼を持って来られるのは不思議なことだが、テセウスにとっては大事なことだからと譲らない。

 感謝の気持ちを、無碍にすることはできないので、受け取ってはいるが。

 報告書の結果に、投資が無駄にならなくて何よりだと考えて、報告後の書類に指示を書き加えていく。後は新しい投資話になりそうな噂話を、玉石混合だろうともオルティス経由で両親に伝えるだけだ。その殆どはすでに把握されているだろうが、念には念を入れて。
 書類を次々に処理する自分の姿を見ながら、ポツリと独り言のようにオルティスが尋ねる。

「そういえば、アリメアはどうですか? 坊ちゃん」
「……相変わらずですよ」
「ならばよろしいのです」

 たったそれだけの台詞だが、自分が書類に向かっている間に、彼が声をかけるのは珍しい。

 しかも、仕事中に、私的な事を。

 普段なら書類から目を離さずに会話は出来るが、手を止めて彼を見る。オルティスは嬉しそうでもあり、寂しそうな表情で微笑んでいた。あまり態度には出さないが、アリメアの死んだ母親に頼まれてからは、彼は彼女の上司であり父親代わりという面も持っていた。
 母親が居なくなった屋敷の中でも、アリメアが上手くやっていけたのは、オルティスのさりげない庇護があったというのも大きい。
 オルティスがアリメアをこの自分の屋敷の専属メイドに推した時に、彼の承諾をとったも同然と思っていたが。

 何らかの気まずい感傷漂う空気を破ったのは、ノックの音だった。

 アリメアのノックの音は独特で、普通に比べて遅く、すぐに誰が叩いていると分かる。


 三回連続の後、刹那、間が空いて一回。

「失礼いたします」

 他人が居ると、アリメアは完璧にメイドに戻る。
 ワゴンでお茶をもって来たアリメアを見て、旦那様には彼女の不思議が解けた気がした。







「アリメア」
「はい」

 オルティスが帰った後。
 アリメアに頼んで自室にお茶を運んでもらって、自分の胸に浮かんだ推測が、確信へと変わる。

「分かりましたよ」
「?」
 お茶の準備をしながら、不思議そうな顔をするアリメアに向かってにこやかにこういった。
「貴女は、ノックの数を気にしていたのですね」
「!!」
 明らかに動揺したようで、アリメアの手が止まる。
 かなりの時間がたってから、彼女はこちらを伺うように自分を見た。

「……子供っぽい、ですよね」

 先ほどの、アリメアがしたノックの音は三回。
 オルティスが来ていた時は、躊躇って、四回。

 ノックの数は、立場の違い。
 四回は公的で、三回は家族や恋人などのごく親しい間柄だ。
 今、現在自分がアリメアの部屋を訪れるときの数は三回。

「でも、気がついたら凄く嬉しかったんです、旦那様の……その大事な人になれたみたいで」
「なれたみたい、ではなく。なっているんですけどね」
「あっ、そ、そうなんですけど……今だに信じられなくて、夢じゃないかって。でも」

 実感できて嬉しかったんです、と消え入りそうな声で囁いて、アリメアははにかむ。

 彼女の思考と、自分の思考は全く違う。

 オルティス相手だと、ただの連絡手段で気にも留めなかったノックの回数。
 アリメア相手だと、ノックへ対する考えもこうも違うものになるのか。

 驚かされると共に、些細なことでも彼女は大事にしていて……それを教えられて、特別になっていく自分の思考に驚いた。
 そんなことよりも、もっと夢ではないという確かな実感を、彼女に与えたい。しかし形に囚われない、名より実を取る自分には、彼女の手を取るほかに思いつかない。

「アリメア、夢ではないですよ」

 ただ、愚直にも繰り返すだけだ。
 自分の心の扉をノックして入ってきたのは彼女だけなのだから。
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