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第十話「少女の異変」
しおりを挟むその日の夜、俺はいつものように雑魚寝の準備を済ませ、ベッドの隣の床の上で横になっていた。
ちなみに、俺のベッドには例の妖精族の少女が寝かせられている。
そして、そのベッド横の床には俺の作った簡易的な寝床がある。
「なんで俺、自分の部屋で毎日雑魚寝してんだろ」
とは言え、少女と同じベッドで仲良く同衾というわけにもいかない。
そんな場面をマリンに目撃されようものなら、せっかくなんとか回避できた幼女趣味のレッテルを、自ら取り戻しに行くようなものである。
愚行中の愚行だ。
「まったく。俺の気も知らないでよく寝るな。そのベッドのご主人様は俺なんだからな?わかってるか?」
そんな俺の恨み言も、ベッドでスヤスヤと眠る少女に伝わるわけもなく、俺はぼんやりと少女の寝顔を眺めていた。
当初はマリンの部屋でこの少女を寝かせるつもりだったが、この少女が思いのほか高レベルだった事が分かり、万が一の事態を考慮して俺の部屋で寝かせる事にした。
目覚めた時にどんなアクシデントが発生するかわからないからだ。
少女は魔物ではないにしても、魔物の気配を持っている以上、警戒は必要だ。
そう、魔物の気配が……
「って、えええ!?」
俺は飛び起き、慌てて少女を見た。
「おいおい、うそだろ?」
俺は、今更になって少女に重大な異変が起きている事に気が付いた。
「魔物の気配が……ない!?」
そう、これまで少女から感じていた魔物の気配が、いつの間にか綺麗さっぱりとなくなっていたのだ。
「なんだ、これはどういう……」
この少女がうちに来た最初の頃は、常に感じられる魔物の気配に多少のやりにくさというか、違和感があった。
それが、いつからだろうか、気づけば無くなっていた。
なぜ少女から魔物の気配が消えたのか。
その理由は分からない。
理屈もわからない。
何が起ころうとしているのかもわからない。
だが、少女は今も眠り続けている。
もう、嫌な予感しかしない。
「こりゃ、目覚めの時にもう一波乱あるパターンだろうな…」
まだ目覚めないのは、目覚められない理由がある。
逆にいえば、目覚める時には「何か」がある。
そういう事だろう。
まだ終わっていない。
いや、まだ始まっていないのだ。
「しかし、魔物の気配が消えてしまえば、いよいよ人間の子供にしか見えないぞ。もう、いっそのこと人間って事でいいんじゃないのか?」
妖精族だと知られれば大騒ぎになるのは間違いないんだし、普通の人間にしか見えないのならもう、そういうことにしておいたほうがいいと思う。
今回はたまたまマリンの『識別眼』があったから、俺たちはこの少女が妖精族だとわかっただけで、普通ならただの人間にしか見えないはずだ。
なら、俺たちが言わなければ誰にもわからないはずだ。
そもそも、魔物の気配も消えた以上、この子が妖精族だとか言っても誰にも信じてもらえないだろう。
俺なら信じない。
万が一、妖精族だとバレたとしても、知らなかなかったで通るだろう。
うん、それでいい。
いや、それがいい。
「うむ。お前は今日から人間だ。だからもう、何事もなくさっさと目覚めてくれ。そして俺の寝床を返してくれ。それで万事解決だ。ほんと頼む」
俺は少女にそう言いながら、お願いするように優しく頭を撫でてやった。
◇
翌朝。
俺は珍しくとても気持ちのいい朝を迎えていた。
マリンに起こされる訳でもなく、自分から目を覚まして起きるなんて、どれくらいぶりだろう。
とても寝覚めの良い朝だ。
雑魚寝のせいか、相変わらず身体はバキバキだが、何故だか今日はとても心地よく、どこか温もりを感じられた。
そう、温もりを。
「……ん?」
何故か俺の胸元に、一人の少女がいた。
もちろんマリンではない。あの、妖精族の少女だ。
「…………ええ??」
少女は、床の簡易寝床で体を横にして眠っていた俺の胸元に潜り込み、俺の胸に顔を埋めるようにして気持ち良さそうに眠っていた。
結果的に、一見すれば俺に抱きしめられるようにも見える形だ。
「えっと、お前、なんでこんな所にいるんだ?」
「…………うにゅぅ」
問いかけるも、望んだ返答は帰ってこない。
ただ一言、寝言のような声だけを返し、俺の腕の中で丸くなった。
出会ってから初めて聞く少女の幼い声に、俺は驚きを隠せないでいた。
「どうなってるんだよこれ……」
昨日の晩からわけのわからない事態の連続だ。
もしかして、何かのドッキリかな?
そんな現実逃避も、自分の目の前に突きつけられた現実を見て、一瞬で霧散してしまう。
しかし、本当にどう言う事だ?
長い眠りを経て、とうとう目覚めたと言うことだろうか?
いや、状況としてはまだ寝てるようだが。
しかし、これが〈昏倒〉ではなく、ただの〈睡眠〉であることは『識別眼』を使うまでもなく明らかだ。
まず、昨日までにはなかった『表情』がある。
俺の胸元に埋めるその顔には、とても幸せそうで、とても気持ち良さそうな表情があった。
昨日までのまるで無機質だった寝顔とは全くの別物だ。
そんな少女の表情を見て、俺は微笑ましく思いつつも、大きな不安を抱いていた。
「こんな所をマリンが目撃したら卒倒するだろうな。そしてその後、俺は正座で罪を問われるんだ」
少女に起こっている何かよりも、俺にはそちらの方が直近の問題だ。
あぁ、めんどくせえ。
今日、俺がたまたま早起きをしていなければ、間違いなくクソ面倒くさい事になっていたはずだ。
少なくとも、ロリコン強姦魔のレッテルは免れないだろう。
そんな未来を忌避する俺は、ゆっくりと胸元から少女を引き離そうとした。
が、少女は俺にしがみつき、どんなに引き剥がそうとしても離れなかった。
その後も何度か体を引き離そうと試みたが、少女は俺の服をぎゅっと掴んで離さない。
俺は、少女にしがみつかれたまま起き上がることも出来ず、幼い少女を胸の中に置いたまま、今後の作戦を練る事にした。
マリンがこの部屋にやって来るのは、もう時間の問題だ。
それまでにこの子をどうにかしなくてはならない。
もし、弁明の機会が与えられたとしても、誤解を解くまでにかなりの時間を要するだろう。
最悪、解けない可能性すらある。
ああ、なんて恐ろしい。
もちろん、いくら少女の力が強いとはいえ、所詮は子供。
その気になれば無理矢理引き剝がす事は造作無い。
たが、それで変に怪我をされたり、大泣きでもされたら、それはそれでマリンに何を言われるかわかったもんじゃない。
どうせ俺が少女の寝込みを襲ったんだとかひどい勘違いをしてくれそうだ。
あれ、思った以上に詰んでないか?
「これはまいった……」
とにかく、このまま少女が俺の服を離してくれることはなさそうなので、他の方法を考えるとしよう。
この子が俺の服を離してくれないのなら、いっそ、俺がこの服を脱いでしまえば良いのではないか。
おお、俺、天才か。
これは名案。
そして手順も簡単だ。
まず、俺が少女に気付かれないように上手いこと服から抜け出す。
そして、抜け殻となった俺の服を握りしめたたままの少女を、上半身裸の俺がゆっくりとベッドへ戻して寝かせ……ん?
……あれ。
その場面にマリンが来たらヤバくね?
この瞬間の一場面だけを切り取れば、かなりよろしくない状況だ。
どう見ても犯罪者だ。完璧に変態の犯罪者だ。
さすがにこれは弁明しても無理だろう。
問答無用でギルティだ。
そして恐らく、そんな最悪の瞬間に、奴は来るのだ。
奴は。そう、マリンは来るのだ。
絶対にだ。
あいつはそういう奴だ。
うむ。この作戦は却下だな。
天才的にナイスなアイデアだったが、万が一のリスクが高すぎる。
というか、マリンさえいなければいちいちこんな事で悩む必要もないんだが……。
「くそお、マリンの奴め、ほんとめんどくせえ……」
「ほお。誰がめんどくさいって?」
ほら、出たよ。
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