盗賊と領主の娘

倉くらの

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第13章 ゲームの行方

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 スキルのテントを後にすると雨は滝のように、とまではいかないけれどだいぶ降り注いでいて地面に浅い水溜りを作っていた。その容赦ない雨はレイピアの体温をゆっくりと奪っていく。
 深くため息をついて空を見上げた。

 最後に1度スキルのテントを振り返ると、覚悟を決めたように背を向けて歩き出した。地面の水を跳ね上げながら進む。
 時間は早朝。団員達が起きだしてくる気配はまだ無い。

 今ならば誰にも見咎められずにここから――サーカス団から抜け出すことができる。

 自分の行動に後悔はしていないけれど、やはり胸の奥底に後ろめたさがある。誰にも見つからずに済むのならその方が良かった。
 やさしくしてくれたシアにも、ソアラにも、リグにも挨拶を告げられないことは申し訳ないけれど。いつか落ち着いたら手紙を書いたっていい。

「……レイピアさん?」

 レイピアの思いもむなしく、誰にも見つからずに出て行くことはかなわなかった。その背後から掛かった声にギクリと身を強張らせた。青ざめた顔で振り返るとそこにはヤカンを片手にして立っているリグの姿があった。

「リグ……」

 おそらくコーヒーを入れるために井戸へ向かう途中だったのだろう。そのタイミングの悪さにレイピアは頭を振らずにはいられない気分だった。

「こんな朝早くに何をしているんですか?」

 不思議そうに首を傾げるリグだったが、次の瞬間にはアッと息を呑んだ。彼の視線の先にはピンクダイヤモンドを握っているレイピアの手があった。
 リグの表情に気付き、慌ててスカートのポケットにしまい込む。だが、リグには全てわかってしまったようだった。
 なぜレイピアがダイヤを持っているのかも。どうやってそれを取り戻したのかも。

「あの……少しお話をしませんか? コーヒーを入れますから」

 視線をずらし、顔を俯かせて黙り込んでしまったレイピアにリグはいつもと変わらぬ穏やかな声で話しかけた。



「軽蔑したでしょう?」

 椅子に座り、顔を俯かせたレイピアは掠れた声で、その言葉だけしぼり出した。頭にはリグが渡したタオルがかけられている。

「……え?」

「正攻法で取れなかったんだもの。仕方ないじゃない、こうするしかなかったんだから」

 体を使って、ダイヤを取り返した。そう語っているのだ。だが、その言葉の内容とは裏腹にタオルの隙間から見える表情は今にも泣き出してしまいそうで。ひどく見ていて痛々しい。

「あなたはそんな女性じゃありませんよ。そんな風に自分を貶めてはいけません」

 リグはゆっくり首を左右に振った。途端にレイピアはムッと唇を歪め、険しい顔つきになる。

「あなたに何がわかるの」

「わかりますよ。レイピアさんはいつも一生懸命でがんばっていました。そんなことをする女性じゃありません。私は知っています」

「どうして、そんな……っ!」

「私は人を見る目だけは確かなんですよ」

 そう言ったリグの表情は穏やかなもので、レイピアは言葉を詰まらせたようだった。


「若君のことを本気で愛しているんですね。だからあなたはそんなにも追い詰められてしまった。そうでしょう?」

 レイピアは数秒の沈黙の後、無言で頷いた。
 愛している、と。

「私の思いはこれから先どんどん膨らんでいく。でも、スキルは違う。彼の思いと私の思いは違うの……。いつか彼の気持ちは変わっていくんじゃないかって、そんなことばかり考えて不安になって……。そんなことになったら、きっと耐えられない」

 ああ、やはり。
 レイピアがここ最近表情を暗くして思いつめていたのはそのことが原因だったのだ。
 過去の恋愛のことで深く傷ついていたレイピアは、新たな恋に踏み出すことを恐れて悩んでいたのだ。

 だが、レイピアはそう言うけれどリグには本当にそうだろうか? と思う。
 スキルはたぶんレイピアが考えている以上に彼女のことを深く愛しているのではないだろうか。少なくともリグにはあんなにも1人の女性に熱くなっているスキルを見たことがない。

 お互い相手を深く思い合っているはずなのに、どこかですれ違ってしまっている。

 今ここで「若君は本気であなたのことを愛しているんです」と言ってしまいたかった。けれどそれでは結局何の解決にもならないと思うのだ。
 たとえそれを言ったところでレイピアは納得しないだろう。彼女はスキルの言葉と態度からハッキリと「愛されている」という事実が知りたいのだ。

「……そろそろ行くわ」

 そこで話を打ち切るとコーヒーカップをテーブルに置いて、立ち上がった。そのレイピアに声を掛ける。

「本当に、行ってしまうつもりですか?」

 引き止めるために。
 今ならまだ間に合う。目を覚ましたスキルとレイピア、2人が話し合う時間を持ちさえすれば、すれ違っている心が寄り添いあうことは充分可能なのだ。
 このままではどちらも不幸になってしまう。

「もうここに用は……ないもの」

 だが、レイピアにはここに留まる気持ちはないようだった。

「本当にそれでいいのですか? シアには会っていかないのですか? ソアラ様にも」

 シアもソアラもレイピアのことが大好きだという雰囲気が伝わってくる。このまま彼女が去ったと知ればひどくがっかりするだろう。
 情に訴えかけたその言葉に、レイピアは一瞬心が揺れ動いたようだったが顔を俯かせたまま、何度も首を横に振った。

「会わないわ。2人にはごめんなさい、って伝えておいて。いつか手紙を書くわ」

 会えば決心が揺らいでしまうと考えたのだろう、頑ななその決意は変わることがなかった。彼女の心をこれ以上動かせないことを悟ると深くため息をつき、リグはとうとう引きとめることを諦めた。

「……わかりました」

「リグ、あなたが最初、親切にしてくれたから私は頑張れたのよ」

 団員達に冷たくされていても頑張れたの。……ありがとう。
 そう言って、笑った。その笑顔は以前1度だけ見た心から笑っていた時の晴れ晴れしいものではなく、愁いを帯びているものだった。
 こんな悲しいありがとうがあるだろうかと、胸を詰まらせる。

「私こそ……あなたがいた1ヵ月はとても楽しかったですよ」

 レイピアにはいつもハラハラさせられていたし、心が休まることがなかったけれど本当に楽しかった。彼女とスキルがやり合う姿を見ているのは少し楽しかったのだ。最近では、レイピアが本当にサーカス団の一員になったのだと思ってしまうほどだった。そうなったらいいなとも思っていた。

 あっという間の1ヵ月だった。
 楽しい時には終わりが来るのが早いというのは本当だ。

「……お元気で」

「さようなら、リグ。……元気で」

 レイピアが手を差し出した。リグは半ば涙のせいでぼやけてしまった視界でそれを捉えると、手を伸ばし握手を交わした。
 やがてするりとレイピアの手が離れていく。



 その日、サーカス団から領主の娘が姿を消した。




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