盗賊と領主の娘

倉くらの

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第7章 無謀なお嬢様

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 頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 レイピアはテントに戻ると、毛布を頭から被った。思いっきり叫んで、泣きたいような気分だった。
 だが、泣くのはもっと悔しかった。

 心のどこかでもしかしたらスキルは約束を守ってくれるのかもしれない…なんて考えていた自分があまりにも馬鹿みたいで。そのことで涙を流す自分はもっと馬鹿みたいだったから。
 必死に涙をこらえて、枕に顔をうずめた。

 なぜ信じようなどと思ってしまったのか。

 相手は母の形見でもあるピンクダイヤを奪った憎らしい盗賊だというのに。約束を守ってくれるつもりなど最初からありはしなかったのに。

 くやしい…! くやしい!!

 スキルの顔なんて見たくもない。心に芽生えたのは裏切りに対する怒りだった。
 親切にしてくれたリグの顔もソアラの顔すら今は見たくなかったし、信じられなかった。怒りは次第に憎悪に変わっていく…なのにどうして自分はこんなにも傷ついているのだろうか。

 心臓がちくちくと痛んでたまらなかった。
 そうして何時間も枕に顔をうずめたまま過ごした。昼の時間が過ぎたが、昼食を取りに行く気にはならなかった。

「レイピアさん? 入りますよ」

 ためらいがちに声が掛けられ、テントの幕が開いた。
 レイピアはビクッと身をすくませるが、すぐに顔を上げて片手に昼食の盆を載せたリグを睨みつけた。それまで見たこともなかった、ナイフのような鋭い視線にリグは何事かと戸惑う。

「あ、あの…? どうしたんです」

「出てって」

 何者も寄せ付けない冷ややかな声でレイピアは呟いた。
 戸惑うリグになおも冷たく吐き捨てるように言い放つ。

「出てってと言っているでしょう!」

 昨日までのレイピアから想像もつかないような荒れた様子にリグは声を失い、立ち尽くすことしかできなかった。
 出て行く様子がないリグに痺れを切らせたレイピアは、ベッドから抜け出し彼を突き飛ばしてテントから出て行った。
 後には突き飛ばされて、呆然とした顔で尻もちをついているリグの姿だけが残った。

「レ…レイピア…さん?」


***


 テントから出るとすぐに、前にレイピアに嫌がらせをしてきたブレンとシャンナリーに出会った。
 ブレンの名前はリグに聞いたことがあるので知っていた。
 また何か嫌がらせをしに来る気だったのだろうか。
 レイピアは2人に射るような視線を向けた。殺気を孕んだ氷のような視線。しかしすぐにくっと侮蔑するように口元を歪めた。

「また何か仕掛ける気? あなた達って、つまらないことしかできないのね」

「なんだと!?」

 この言葉に怒りをあらわにしたのはブレンだった。

「だってそうじゃない。水をかけたり、脅しをかけたり。どれもこれもつまらない嫌がらせばっかり。正々堂々勝負できないの?」

 レイピアはくすっとブレンに向けて笑い飛ばした。
 思いっきり馬鹿にした仕草で――事実、馬鹿にしているのだ。
 姑息で卑怯でどうしようもないくらい野蛮な連中!

「まあ、無理でしょうけど。金魚のフンみたいにスキルにくっついている弱虫さんにはね」

「てめえ!」

 ぐい、とブレンは怒りに任せてレイピアの胸ぐらを掴み上げる。
 しかし彼の気迫は、今の怒りに心を染めている彼女には伝わらなかった。表情を変えることもない。たとえ彼がナイフを取り出して彼女の白い喉元に突きつけたとしても結果は同じだろう。

「あら、本当のことを言われて怒ったの?」

 ふふん、と鼻をならす。

「あなた達は大勢で私1人を攻撃するのね。それってちっともフェアじゃない。卑怯者のやることだわ。恥ずかしくないの?」

 嘲りをやめようとしないレイピアにブレンは本気で殴ろうと思ったようだ。
 右手を思いっきり振り上げたところでシャンナリーがそれを止めた。いくら何でもそこまではやり過ぎだと思ったのだろうか。ブレンはチッと舌打ちすると、握りしめていた拳をしぶしぶ下ろす。

「そこまで言うならあんたと正々堂々勝負してやるよ!」

 怒りに髪を掻きむしった後、ブレンは背を向けて獣舎の方へと歩き出した。冷ややかにそれを眺めつつも、レイピアは後に従った。



 獣舎の前にはレイピアとブレン、シャンナリー。そして険悪な空気を感じ取って、何事かと興味を持った見物の団員達が詰めかけた。お互いに何が始まるのかと顔を見合わせる。その中にスキルやリグの姿はなかった。

「何をする気なの?」

 ライオンの檻の前でブレンが立ち止まった。
 レイピアは両腕を組んだまま、ちらりとライオンを見るとガラスのような琥珀色の瞳と目が合った。王者の名にふさわしいしなやかな体躯と立派なタテガミ。こんなにも近くで見たのはリグに案内されたときを含めてたったの2回だった。
 大勢で檻の前に詰め掛けているためそのライオンは気がたっているのか、しきりに尻尾を揺らしてうろうろしている。見ようによっては獲物を待ち構えている姿にも見えるかもしれない。
 ブレンはくっと口元を歪めて笑うとライオンの檻をゆっくりと指した。

「俺とお前で勝負をしよう。この檻の中に10秒間手を突っ込んでいられたら勝ちだ」

 団員達の間にざわめきが生まれる。
 ブレンは何を言っているんだ!? と口々に言い出した。
 しかしレイピアは戸惑う様子を見せることなく淡々とした口調で質問をする。

「勝ったらどうするの?」

「お互いに言うことを聞く。俺が勝ったらあんたには出て行ってもらおう」

「じゃあ、私が勝ったら今後一切邪魔をしないで欲しいわ」

 言いながらレイピアは皮肉げに口元を歪めた。

「でももし私が勝ったとしても、姑息で卑怯者の盗賊のあなたがそんな約束を守るわけないわよね。果たして私がその勝負をやる意味があるのかしらね?」

 ブレンはカッとなった。
 姑息で卑怯者の盗賊だと!? 約束を守るわけがないだと!?

「約束は守る! ただしお前が勝った場合のみだ。もっともお嬢様にこんな勝負をする勇気があるとは思えないがね」

 へっと小馬鹿にした笑いを浮かべる。
 それはあまりにも馬鹿らしい勝負だった。ブレンですら本気で言ったわけではなく脅しのつもりで言っただけだ。レイピアが怖気づいて出来ないと、今度こそ逃げ帰ると思って。
 レイピアだって普段の冷静な時の彼女ならこんな勝負を受けるはずがなかった。自分の腕を食いちぎられる危険があるというに。

 けれど―――。

「いいわ、受けてたちましょう」

 怒りと憎しみで冷静な判断力を失っていたレイピアは受けてたつことにした。
 動物の檻には近づかないでくださいね、と言ったリグの言葉さえもはや頭の隅から消え去っていた。
 なんだか全てがどうでもいい気がしてきた。

 心の中がぐちゃぐちゃで、もうどうだっていい。

 ただ、今は目の前にいるブレンに一矢報いてやりたかった。唖然とさせてやりたかった。
 馬鹿にして。お嬢様だから怖がって逃げ帰るとでも思っているの?
 そんな弱い人間に見られているのか。舐められたものだ。

 再び、団員達の間にざわめきが起こった。

「やめなさい!」

「馬鹿なことはやめるんだ!!」

 団員達の中からそんな言葉が次々に出る。今まで空気のようにレイピアを扱っていた彼らからの初めてのコンタクトである。
 レイピアは何の感情もこもらない目で彼らを一瞥するが、すぐに視線を外した。まるで彼らを景色に溶け込んでしまった静物のようにしか見ていないようだ。
 そして檻の前に近づく。

「一緒に手を入れるの? それともどちらか1人?」

「どちらか1人だ。まずはどっちからやる? 俺はどちらでもいいぜ」

 挑むような視線を受けてレイピアはすっと前に出た。

「私からやるわ」

「本気か? ビビってるんならやめといた方がいいぜ」

「やめる? 冗談じゃないわ」

 ごくり、とブレンは息を飲み込んだ。
 レイピアは深呼吸をして、震える足を何とか静めた。
 決意は決まった。

「こんなのでひるんでいたら冒険者なんてやってらんないのよ!!」

 鉄格子の隙間に手を突っ込んだ。途端に団員達の間から悲鳴があがる。
 レイピアは震える声でカウントを取り始めた。

「1…2……」

 時間がひどく長いように感じられた。

 それまでうろうろと檻の中を歩いていたライオンは、いきなりの侵入者に驚き、怒りをあらわにした。
 4秒を数えたころで急に咆哮を上げ、レイピアの腕に食らいついた。

 最初、レイピアは何が起こったのかわからずに短い悲鳴をあげるだけだった。けれど檻に引っ張られる感覚と団員達の凍りつくような悲鳴に自分が噛み付かれたのだと理解した。
 それでも、檻に引きずり込まれないようにその場に踏ん張って、かすれた声でカウントを取る。

「5…6…7……」

 怖い。

 このまま腕をちぎられるかもしれない。
 恐怖のために、どっと冷たい汗が吹きだして、急に目の前が暗くなって耳鳴りがし始めた。ガクガクと足が震える。

 もうだめだ……

 そう思ったとき。

「何をしている!?」

「離せ、ライ!!!」

 さまざまな悲鳴が入り乱れる広場に、ひときわ大きい怒鳴り声が2つ響き渡った。
 レイピアの耳にはぼんやりとしていてハッキリと聞こえなかったが、その声は前者がスキルで後者がリグのものだとおぼろげながら理解できた。

 飼育係であるリグの命令に従ったライという名のライオンは、すぐにパッとレイピアの腕を離し、申し訳なさそうな顔をした。
 レイピアは恐怖のために崩れ落ちるようにして地面に倒れこんだ。ガクガクと体全体が震える。右の腕は恐くて見られない。痛みとぬるぬるとした感触から血で染まっていることは確かだ。
 冷たい汗が額から流れ落ちる。

「あ、あとちょっとだったのに…」

 レイピアは青ざめた顔で勝負の邪魔をしたリグを睨みつけた。彼の顔はレイピアの顔と同じくらいに青ざめている。

「あとちょっとだったのにどうして邪魔するのよっ!」

 側に来たリグを怒りにまかせて何度も殴りつけた。右手で殴ったために、リグの服は血で染まる。

「何で…っ、何で邪魔するのよ!!」

 しかしその腕はスキルによって簡単に掴まれてしまった。

「何す……っ」

 抗議の声を上げようとしたレイピアだったが、言葉は最後まで続かなかった。
 乾いた音が辺りに響く。左頬に走る痛み。
 レイピアはスキルに平手打ちされたことを知った。
 キッとスキルを睨むために顔を上げて、困惑した。スキルは怒りとも悲しみとも取れない表情をしていたから……。

「な、なによ…卑怯者のくせ…に‥」

 どうしてそんな表情をするのか。
 なおも抗議をしようと声を出そうとするが、限界だった。
 レイピアは肩で大きく息をしはじめる。そして耳鳴りと共に目の前が暗くなり、だんだんと意識が遠のいていった。




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