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12.恋人同士

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 眠りに落ちながらも俺の手を掴んで離さないフェリクスを断腸の思いで引き剥がす。起こさないように指の一本ずつをそっと開いていく。「う……ん」と呻きながら悲し気に眉根を寄せる表情が見えて、何だかとても悪いことをしている気分になる。
 だが、そろそろフェリクスに何か物を食べさせてやらないと。

 服を身に纏っていないフェリクスは思っていたよりずっと痩せていて、今すぐ物を食べさせないと倒れてしまうのではないかという気がしてくる。

 戸棚の中はフェリクスが言っていた通り何もなかった。食料すら買う金も無かったのか。先日ミハイルが持ってきたホットサンドにやたら執心していたように見えたのも飢えのせいだったのかもしれない。

 昨日知ったフェリクスは、これまで抱いていた印象と何もかもが違った。当然だ。屋敷にいた頃のフェリクスは、周りの大人に無理矢理被せられた仮面を身に着けていたのだから。
 仮面を剥ぎ取った本当のフェリクスは、健気だった。騎士団の仕事に一生懸命打ち込むところも、俺だけをひたすらに求めてくれたことも。

 いたいけで可哀想。ミハイルがフェリクスを評した言葉を実感する。

 この部屋にフェリクスを置いて行くことに心配は募るが、もう日は高く昇っている時間だから夜に比べたら安全だろう。
 俺自身孤児だった時があったから、飢えの辛さは痛いほどよく分かる。
 フェリクスに旨いものを腹いっぱい食べさせてやりたかった。全速力で市場まで買い物に行って戻ってくればいい。


   ***

 次に現実世界に浮上したのは、シドによって後ろから抱きかかえられるように上半身が持ち上げられた時だ。体が重たくて力が全く入らなくて、シドの胸に頭を預けて支えてもらうことでようやく体を起こすことができた。

 唇が重なって水が喉の奥に流し込まれた気がする。随分喉が渇いていたみたいだ。夢中になって与えられる水を飲み下し、もっともっととねだった。何度目かの水を吸った後、それに代わるように唇に木のスプーンが押し当てられる。先程までの温かくて柔らかい感触とは全然違うそれに、首を緩く振る。嫌だと。僕はまだ柔らかい唇に触れていたい。

「少しでいいから食べてくれ」

 シドの弱り切った声が聞こえて、仕方なく口を開ける。ほんのりと温かくて柔らかいものが開いた口の隙間から押し込まれる。食欲をそそられるチーズと卵の香りが鼻から抜ける。大好きなチーズオムレツの味。急にお腹が減っていたことを思い出してもぐもぐと必死で咀嚼する。

「美味いか?」

 問われて、無言でこくっと頷いた。とろとろでやさしい味のそれは屋敷で食べたものよりもずっと美味しかった。「そうか」ってほっとしたような、それでいて嬉しそうな声が耳に落ちてくる。「鳥に餌付けしてるみたいだな」ってくすくす笑う声も。

「今日が休みで良かった」

 休み。そうか、それならもっとシドといられる。三口目を飲み込んだところで、甘えるようにシドに抱き着いた。やさしく抱き返される。拒絶されないことが嬉しくてたまらない。
 体はもうとっくに限界を訴えているけれど、あの熱がもう一度欲しい。心の奥底でシドになら体を壊されてもいいとすら願っているのかも。

 水に揺蕩うみたいに意識はずっとゆらゆらとしていた。

 シドを受け入れることを覚えた体は、何の抵抗もなく彼を受け入れる。
 体をやさしく揺すられる合間に胸の先をふにふにと弄られ続け、次第にそこだけで達してしまいそうなほどの気持ちよさを拾い上げ始める。「あ」と「ん」しか発声できなくなった口は、意味のない呻き声をひたすら上げ続けていた。

 そんな調子で寝ては起きてを繰り返し、シドと重なっていた。


 ようやく僕の意識がハッキリしたのは夜になってからだった。昨夜から丸一日が経過したことになる。

 一人でベッドに腰かけられるぐらい僕の意識がハッキリしたのを見ると、シドは新たにチーズオムレツを焼いて持ってきてくれた。
 意識がハッキリした今は、夢うつつの中で食べたオムレツが夢では無かったことを知っている。だけど疑問もある。現在、僕の家には食べられるものは卵の一つすら無かったはずだ。そのことを問いかけると買い出しに行ってきたという答えが返って来た。僕がうとうと眠っている間だろう。

「その……とても申し訳ないんだけど、今は手持ちが無くて。後で食材の代金は払う」

 お金が全くないと伝えるのはとても恥ずかしい。しかしシドは呆れ返るわけでもなく、痛ましそうな顔をした。

「俺がやりたくてやったことだから気にするな。それよりたくさん食ってくれ。腹減ってるんじゃないのか」

「うん。さっきはあまり食べられなくて、ごめん」

「いいよ。あの時も後で食べるって言ってたんだぜ。大好物だって。だからどうしてももう一度温かいのを食べさせてやりたかった」

「あ……う、そうなのか」

 意識を朦朧とさせながらもそんなことを口走っていたとは、少し恥ずかしい。でもシドはとても嬉しそうだ。口に運んだオムレツは、熱々だった。先程は意識がぼんやりしていたから火傷しないように温くしてくれていたのだろう。

「美味しい! シドは料理が上手なんだな」

「ああ。お前がホットサンドを旨そうに食うのを見て、あれよりも絶対に旨いもん食わせてやろうと思っていた」

 少し拗ねた物言い。初めて知るシドの色んな顔が面白くてくすっと微笑む。

「あのホットサンドも美味しかったけれど、僕はシドが作ってくれたものの方がずっと好きだ」

 そんな僕をベッド脇からちらっと見下ろしてシドは困ったように頭を掻いた。

「そんな可愛い顔するな。また襲いたくなる」

 食べているオムレツが喉に突っかかりそうになる。僕の体は普段使わない筋肉を使ったせいかどこもかしこもギシギシと痛みを訴えている。だけどシドがそう望むのなら、と考えたところで頭をコツンと軽く小突かれる。

「冗談だ。さすがにこれ以上は何もしない。明日に障るからな」

「明日……。シドはまだ僕の訓練に付き合ってくれるの?」

 不安げな瞳でシドを見上げる。僕が黒狼騎士団に残ること、今もまだ反対されているのではないかと気が気でなかった。

「俺が黒狼騎士団を出ていけと言ったのは、お前にあれ以上辛い思いをして欲しくなかったからだ。邪魔だとかそういう意味じゃない」

 シド、そんな風に考えてくれていたのか。
 僕の足元に跪いたシドは、そのまま僕の両手を握りしめて来た。

「だけど、その考えは頑張っているお前の思いを否定することに他ならなくて、傲慢だったと思う。すまなかった。今度は俺から言わせてくれ。フェリクス、お前の訓練を手伝わせて欲しい。二人で一緒に騎士団に残ろう」

「シド……」

 胸がじん、と熱くなる。シドに分かってもらえたことが、認めてもらえたということがとても嬉しい。彼の背中を追うことを許してもらえた。これからもシドの傍で頑張り続けてもいいのだ。

「ありがとう。僕、頑張るよ。正式な騎士団員になれるように努力する。絶対になってみせる」

「ああ」

 シドはやさしく笑って、僕の頭を撫でてくれた。


 僕が眠っている間に一旦騎士団の宿舎へ戻ったらしきシドは着替えなどの荷物を取ってから戻って来た。
 どうしても僕を一人きりでボロボロの家に置いておきたくないそうだ。そして僕もまた男二人組に囲まれた恐怖は残っていたから、シドの心遣いはありがたかった。

 その日は、どちらかが寝返りを打つだけで落っこちてしまいそうな狭いベッドで二人くっ付いて眠った。

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