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8.少しだけ近づく心

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 僕とシドはあれからも毎日訓練を続けている。
 この日も訓練を終えて、片付けを始めた。いつもと違ったのは何故かシドも片づけに参加し始めたということだ。

「僕がやっておくから」

「二人でやった方が早いだろ」

 一人で大丈夫だと伝えたが、シドは掃除道具を手に取ってさっさと掃除を始めてしまう。

 どうしてだろう。
 訓練を共にするようになってからというもの、シドの態度からは時折これまで感じたことのない温かさのようなものが感じられる。

 僕に一切関わりたくないと固く拒絶されていた以前からは考えられないような変化だ。その変化は、嬉しくてそして切なくもある。もしかしたらシドと友達になれるんじゃないかっていうほのかな期待を抱いてしまいそうになるからだ。未だに諦めの悪い自分にうんざりしてしまう。そんなの無理だと分かっているのに。

 シドに背を向けた形になって黙々と掃除をする。
 このところ訓練に明け暮れていたせいか、人の視線に敏感になっていた僕は背中に視線を感じた。こちらに害を与えるものかそうでないかというものまである程度分かるようになってきた。この視線は後者だ。シドからじっと見られている気配を感じる。睨まれているわけではないけど、どうしてそんなにじっと見てくるのか理由が分からない。緊張で手に持っている箒をギュッと握りしめる。

 思い切って振り返ってみた。
 だけど、その時にはすでにシドはこちらから視線を逸らしていた。僕の勘違いだったのだろうか。自意識過剰だったかもしれない。恥ずかしくなって俯いてまた黙々と掃除を再開させた。



 掃除を終えたのは夕飯の時間を少し過ぎた頃だった。

 今日は早めに訓練が終わった。この時間なら僕の後を付けてくる二人組とも遭遇しないはずだ。ほっとする。あれから帰宅するルートを変えたり、遅くなった日は訓練所に泊まり込んだりして二人組と遭遇しないようにやり過ごしていた。

 帰宅しようとしたところで、ミハイルが訓練所にふらっと現れた。手に紙袋を持って。

「あれ、もうすぐ帰るところだった? ホットサンドを差し入れに買って来たよ」

 そう言って、手にした紙袋をシドと僕それぞれに渡してくれた。
 ホットサンドとは? 聞き慣れぬ名前に首を捻りながら紙袋を開けると、ふわっと香ばしい良い匂いが漂ってきた。

 見た目はパンに具材が挟んであるサンドイッチだ。パンの部分に焼き目が付いていてほかほかしているから、ホットサンドなのか。
 温めたサンドイッチなんて初めて見る。屋敷では熱いものは体に良くないという考えだったから、これまで冷えたものばかり食べて来た。騎士団で出る食事も時間を短縮して食べられるものが基本だったので、温かいものなどほとんど出たことがない。
 手の中でほかほかの湯気をたてるそれは、たまらなく食欲を刺激して美味しそうに見えた。

「いくらだろうか」

 手持ちのお金は足りるだろうかと考えながらミハイルに尋ねるが、ミハイルは笑って首を横に振る。

「差し入れだって言ったでしょ。遠慮しないで食べて」

「本当にいただいてしまって、いいのか……?」

 そう問いながらも、目は手の中のホットサンドに釘付けだ。食べてみたい。お腹は限界まで空腹を訴えていてきゅるきゅると鳴る。二人に聞こえていないようなのが幸いだ。

「もちろん、チーズが熱いから火傷しないようにね」

「分かった」

 その場に腰を下ろし、袋の中からサンドイッチを取り出してはむっと一口齧りつく。中のチーズがとろけて糸を引く。目が丸くなる。チーズがこんなに伸びるなんて知らなかった! どこまでも伸びるチーズとその熱さに焦りながらはふはふと何とか口の中に収める。

 美味しいと思わず口から出そうになるが、口に食べ物が入った状態でしゃべるのはマナー違反だからもぐもぐと十分咀嚼した上で飲み込む。それから

「美味しい」

 とミハイルに伝えた。ミハイルは嬉しそうににこっと笑った。

「そう、良かった! 僕も一緒に食べて行こうっと。シドは?」

「俺もここで食ってく」

 ドカッと音を立ててシドが床に座り込む。ちょうど僕の正面だ。三人で座ってホットサンドを食べる。何だか友人同士で食事をしているみたいだ。こういうの憧れていたんだ。胸がじんわりと温かくなる。

 それにホットサンドが本当に美味しい。具材はハムと卵を潰したものにチーズ。熱々のとろとろ。こんなの初めて食べる。シド達と共に食べるということもあって、より一層美味しく感じられるのかもしれない。

「このホットサンドというものはどこで売っているんだ?」

 今はお金が無いので難しいけれど、給金が出たら絶対に買いに行こうと決意する。この時間までお店が開いているなら仕事帰りでも買えるかもしれない。

「二番通り沿いに店はあるんだけど、フェリクス二番通りへの道は分かる?」

 二番通りか。それなら知っているのでこくりと頷く。二番通りは食料品など売っているお店が多くて非常に活気のある通りだ。主に果物を手に入れるために行っているが、ホットサンドのお店があるのは知らなかったな。

「あそこは馬車では通れないだろ。行くなら歩きだぞ」

 シドの言葉に一瞬きょとんとする。それからすぐに気付く。シドは僕が未だ屋敷に住んでいて、そこから馬車で通ってくると思い込んでいるのだと。

「ああ……うん、それは問題ない」

「それならもう今日の訓練は終わりだろう? 帰りがけにお店まで案内してあげるよ。そんなに気に入ってくれ
た?」

 僕はお腹が空きすぎていて、またしても口にホットサンドを頬張っていたので喋れず、代わりに無言でこくこくと頷いて見せた。

 かなり量があったはずのホットサンドだったが、時間を掛けながらも全て食べきる。久しぶりに満腹感を味わい、生き返ったという気持ちすら感じる夕飯だった。親切にしてくれるミハイルには感謝しかない。



 俺も行くというシドも一緒に連れ立って三人で二番通りへ向かった。
 騎士団の門を出る際に「迎えの馬車は?」とシドに問われた時には冷や冷やした。焦りながら今日は迎えを頼んでいないのだと誤魔化す。シドは何だかスッキリとしない表情をしているけれど、まさか本当のことを言う訳にもいかない。
 家を追い出されて、現在はボロボロの家に住んでいるなんて恥ずかしくてとても言えないし、シドだってこんな話を聞かされても困るだろう。

 シドとミハイルは友人同士ということもあって、楽しそうに話しながら道を歩いていく。僕はそれを羨ましいと思い、眩し気に見つめながら後ろをついて行く。ミハイルは親切だから、時折振り返って僕にもついて行けるような話題を振ってくれる。僕は緊張しながらも言葉を返す。意外なことにシドは僕の話に嫌な顔をするどころか、むしろ興味深そうに耳を傾けてくれていて、シドと会話をしているという事実に終始ドキドキとしてしまった。

 今日は本当に良い日だ。もうこの思い出だけでこれから先も頑張ろうと思えるぐらい、幸せだ。


「ここがホットサンドのお店だよ。ここで食べるか、持ち帰り用に包んでもらえばいい。流石にこの時間になるともう閉店してしまうみたいだけど」

 ミハイルに案内されたお店はカフェだった。外観を見ただけでもお洒落で、人気のありそうなお店なのだと分かる。なるほど、持ち帰り用か……そういう形の買い方があるなんて知らなかった。それなら料理の出来ない僕でも夕飯を調達することができそうだ。次に来るときはそうやって頼んでみよう。

 お金さえあれば、全てはそれに尽きるのだけど。
 給金をもらえる日が待ち遠しい。だが、今日しっかりとした夕飯にありつけたことで、しばらくは空腹にも耐えられそうな気がする。


「あれ、シドにミハイルじゃん。……って、え、何でフェリクスもいるの?」

 背後からかかった弾んだ声は、僕が振り返ると同時に不機嫌なものに変わる。
 声の主はラルだ。彼もどうやら買い物に来ていたらしい。
 ラルが僕を嫌っているというのは態度から言って明らかだし、実のところ僕も少しだけ彼が苦手だ。彼に非難の目を向けられる度に居たたまれなくてどうしたらいいのか分からなくなるのだ。
 困って立ち尽くす僕に代わりミハイルが説明してくれる。

「さっきまで二人は訓練をしていたんだよ。僕はたまたま二人のところに顔を出して、それからフェリクスにホットサンドの店を案内していたところ」

「へー、じゃあもう用事は終わったんだ?」

 ラルは自分から尋ねておきながらも、全く興味がなさそうだった。それよりもすい、とごく自然にシドとミハイル二人の腕に自身の腕を絡める。

「だったら久しぶりに飲みに行こうぜ! シドってば最近付き合い悪いから今日こそ付き合ってくれよ」

「これからか?」

「確かにそれもいいかもね。フェリクスもおいで」

 仲の良さそうな彼らの姿に羨ましさを覚えていた僕は突然ミハイルに話を振られてびくっと肩を竦める。まさかそんな風に誘ってもらえるとは夢にも思わず驚いたのだ。そろっと隣にいたシドの表情を伺う。

「そうしろよ」

 さらに驚くことに、シドは嫌な顔一つせずそうすることが当然だとばかりに頷いたのだ。僕がいても迷惑ではないのだろうか。
 そんな風に言ってもらえたことがすごく嬉しい。

 だけど僕は首を横に振った。彼らの楽しい空気を僕が混ざることで台無しにしてしまうわけにはいかないし、手持ちのお金も無い。様々な理由から断った。

 僕が断ったことでラルは見るからにほっとした顔をした。
 うん、これで良かったみたいだ。

「僕はそろそろ家に戻る。案内してくれて助かった」

 ここまで案内してくれたシドとミハイルにお礼を言って、家に帰るために背を向けた。
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