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#26 当主命令
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「ただいま帰りました。」
足入れをして一か月が過ぎようという頃、私は公爵家に一時帰宅をすることになりました。
世界情勢が悪化したことで、急きょ帝国海軍の軍事訓練が前倒しで行われる運びとなり、麗さまがしばらく家を留守にするからです。
本当は麗さまの帰りを五色家でお待ちしたかったのですが、私の想いは八重子に軽くあしらわれたのです。
『主人が居ないときまで家の番をする必要はありません。結婚したら帰りたくても帰れなくなるのだから。
それに、そろそろホームシックになるころです』と。
私は一日だけ帰ったていですぐに五色家にトンボかえりするつもりでしたが、案のじょう、エントランスホールに足を踏みいれただけで帰りたくない気持ちが芽生えてしまい、滞在期間の延長を考えはじめる始末でした。
私は弱い女なのです。
※
「お待ちしていましたよ、みつきさま。
すぐにお迎えできなくて申し訳ありません。」
紘次郎は足入れ前にケンカをして以来の再会だったのですが、いつもと変わらぬ柔和な笑顔をたずさえて私の部屋に入ってきました。
「ただいま紘次郎。あなたもお元気そうで何よりです。」
部屋に茶葉と急須を持参して訪れてくれた紘次郎は、いつもの書生の格好ではありませんでした。
仕立ての良いスーツに七三分けの紘次郎は、どこかよそ行きの顔をしています。
「お父さまは相変わらず忙しいのかしら?
今日くらいは拝顔できることを楽しみにしていたのに。」
紘次郎は微笑みながらお茶を淹れてくれました。
「きっと、私がみつきさまに会うまで気をつかってくれたのだと思います。」
お父さまが紘次郎に気をつかう?
立ち昇る玉露の豊かな香りに包まれながら、私は形容しがたい違和感を覚えました。
「五色家はいかがですか?」
「女中の八重子が厳しくて心が折れそうになるけれど、麗さまが甘やかしてくれるから頑張れるわ。
色々あるけれど、麗さまとなら信頼できる夫婦になれると思うの。」
「でも、男性アレルギイは?」
「少しずつだけど、良くなっているの。スゴイでしょ。
麗さまが少しずつ慣らしてくれるからだと思うわ。」
ピクリと紘次郎の眉が動いて、湯飲みを傾ける動きが止まりました。
「慣らす、とは?」
「二人でいる時に手をつないだりしてくださるの。
もう長い間手をつないでも、震えたりじんましんが出ることはないわ。」
手首を縛られて口づけをしたことは内緒です。
「そう・・・ですか。」
あご先に拳をあてた紘次郎がむずかしい顔をしてソファに座る私を見つめました。
(いけない。また私、惚けた顔をしてしまったのかしら?)
そういえば、ようこに麗さまの話をするときはいやらしい顔になっているとクギを刺されたことがありました。
「みつきさまには事後報告になってしまいましたが、お話があります。」
「話ってなあに?」
改まって向かい側のソファに腰掛けた紘次郎は、恐ろしいことを口にしました。
「あなたのお父上である松之助さまの銀行が破綻してしまいました。」
「エエッ⁉」
「でもご安心を。実は、私が顧問になっている会社が日銀から特別融資を受けることができるので、事業の再編のための話し合いの最中なのです。」
「はたん? さいへん? ゆうしって・・・なんのこと?」
私は頭が真っ白になってしまいました。
「簡単に申しますね。
事業に失敗した松之助さまが当主の座を退かれて、私を綾小路家の新たな当主に任命されたのです。」
「こ、紘次郎が家を継いだということ?」
「みつきさまはご存知なかったでしょう。
私は跡取りのいない綾小路家の後見人として、幼少時より公爵家で育てられていたのです。」
「そんなこと・・・お父さまから聞いていないし、とうてい信じられない。」
ひたいを押さえてうつむく私は、息を吸うのも辛くなり思わず吐き気がこみ上げます。
紘次郎はそんな私にこう言いました。
「綾小路家の当主として、みつきさまに命令します。
五色麗との婚約は破棄して、私と夫婦になりましょう。」
足入れをして一か月が過ぎようという頃、私は公爵家に一時帰宅をすることになりました。
世界情勢が悪化したことで、急きょ帝国海軍の軍事訓練が前倒しで行われる運びとなり、麗さまがしばらく家を留守にするからです。
本当は麗さまの帰りを五色家でお待ちしたかったのですが、私の想いは八重子に軽くあしらわれたのです。
『主人が居ないときまで家の番をする必要はありません。結婚したら帰りたくても帰れなくなるのだから。
それに、そろそろホームシックになるころです』と。
私は一日だけ帰ったていですぐに五色家にトンボかえりするつもりでしたが、案のじょう、エントランスホールに足を踏みいれただけで帰りたくない気持ちが芽生えてしまい、滞在期間の延長を考えはじめる始末でした。
私は弱い女なのです。
※
「お待ちしていましたよ、みつきさま。
すぐにお迎えできなくて申し訳ありません。」
紘次郎は足入れ前にケンカをして以来の再会だったのですが、いつもと変わらぬ柔和な笑顔をたずさえて私の部屋に入ってきました。
「ただいま紘次郎。あなたもお元気そうで何よりです。」
部屋に茶葉と急須を持参して訪れてくれた紘次郎は、いつもの書生の格好ではありませんでした。
仕立ての良いスーツに七三分けの紘次郎は、どこかよそ行きの顔をしています。
「お父さまは相変わらず忙しいのかしら?
今日くらいは拝顔できることを楽しみにしていたのに。」
紘次郎は微笑みながらお茶を淹れてくれました。
「きっと、私がみつきさまに会うまで気をつかってくれたのだと思います。」
お父さまが紘次郎に気をつかう?
立ち昇る玉露の豊かな香りに包まれながら、私は形容しがたい違和感を覚えました。
「五色家はいかがですか?」
「女中の八重子が厳しくて心が折れそうになるけれど、麗さまが甘やかしてくれるから頑張れるわ。
色々あるけれど、麗さまとなら信頼できる夫婦になれると思うの。」
「でも、男性アレルギイは?」
「少しずつだけど、良くなっているの。スゴイでしょ。
麗さまが少しずつ慣らしてくれるからだと思うわ。」
ピクリと紘次郎の眉が動いて、湯飲みを傾ける動きが止まりました。
「慣らす、とは?」
「二人でいる時に手をつないだりしてくださるの。
もう長い間手をつないでも、震えたりじんましんが出ることはないわ。」
手首を縛られて口づけをしたことは内緒です。
「そう・・・ですか。」
あご先に拳をあてた紘次郎がむずかしい顔をしてソファに座る私を見つめました。
(いけない。また私、惚けた顔をしてしまったのかしら?)
そういえば、ようこに麗さまの話をするときはいやらしい顔になっているとクギを刺されたことがありました。
「みつきさまには事後報告になってしまいましたが、お話があります。」
「話ってなあに?」
改まって向かい側のソファに腰掛けた紘次郎は、恐ろしいことを口にしました。
「あなたのお父上である松之助さまの銀行が破綻してしまいました。」
「エエッ⁉」
「でもご安心を。実は、私が顧問になっている会社が日銀から特別融資を受けることができるので、事業の再編のための話し合いの最中なのです。」
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「こ、紘次郎が家を継いだということ?」
「みつきさまはご存知なかったでしょう。
私は跡取りのいない綾小路家の後見人として、幼少時より公爵家で育てられていたのです。」
「そんなこと・・・お父さまから聞いていないし、とうてい信じられない。」
ひたいを押さえてうつむく私は、息を吸うのも辛くなり思わず吐き気がこみ上げます。
紘次郎はそんな私にこう言いました。
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