上 下
4 / 4

(4)

しおりを挟む
 翌朝。
 聞き慣れぬアラームの音で目を覚ました私は、いつの間にか素っ裸のまま眠っていたことに気づく。
 寝ぼけまなこをこすりつつ眼鏡をかけて、とりあえず部屋の暖房を効かせる。寒すぎてとても布団から出られない。
「まったく、だらしがないな」
 早朝から起床して窓のカーテンを開けた神林部長は、生乾きのワイシャツにアイロンをかけてしわを伸ばしていた。
 ハンガーにかけてあった背広を羽織って袖を通すと、鏡も見ずに自分でネクタイを結ぶ。
「もう行っちゃうんですか?」
「まさか君の家から会社へ出勤するわけにもいかないからな。ひとまず車を動かせるかどうか確かめてこないと」
 窓から外を眺めてみると、うっすらと道路に雪が残っていた。どうせなら、もっと積もってくれればよかったのに。
 私は、起き抜けにキッチンのコンロをつけてお湯を沸かす。
 マグカップでスープの粉末を溶かし、ふーふーと冷ましてからスプーンですする。トーストはまだ焼けていなかった。
「朝食に付き合えなくてすまない。この埋め合わせは必ずするから」
 神林部長が玄関を開けて出かける間際、まだ歯磨きをしていなかった私は、ほっぺを差し出してチューをせがむ。
「ネクタイをほどいてください」
「なんで?」
「こういうの、一度やってみたかったんです。まるで夫婦みたいでしょう?」
 一旦ネクタイをほどいて結び方を教えてもらい、ろくに練習もせずにさっそく試してみる。
 結局うまく結べなかったが、神林部長は上出来だと頭をなでて褒めてくれた。
「そろそろ時間だし、本当にもう行かないと」
 ゴミ出し中のご近所さんに恥ずかしい場面を目撃された部長は、すれ違いざまに会釈するなりそそくさと立ち去っていく
 玄関先から手を振って見送ったあと、私も大急ぎでシャワーを浴びる。洗濯を干している暇などなかった。
 ぱっぱと髪の毛をとかして仕事着に着替え、スマホをチェックしつつ化粧を済ませる。
「あっ」
 バスに駆け込んでつり革につかまり、二日酔いの頭をもたげたところで、ふと大事な忘れ物を思い出す。
 そういえば私、まだ一言たりとも神林部長から好きだとか愛しているとか言われた覚えがない。

「おはよう」
 神林部長はその日、小一時間ほど遅刻して会社にやってきた。
 一旦自宅に戻って着替えてきたらしく、相変わらず一分の隙もない完璧なスーツ姿だった。
 鞄を提げて車の鍵をもてあそびつつ、先を譲ってエレベーターから降りてくる。
「おはようございます」
 奇遇にもたまたま廊下ですれ違った私は、書類を抱えつつそれとなく目配せを交わす。
「部長、ネクタイが曲がってますよ?」
「いいんだ。気にしないでくれ」
 いつものように荷物を置いてデスクについた神林部長は、観葉植物の葉っぱを鬱陶しげに払いのける。
 窓のシャッターから漏れた日差しを眩しがる様子を見て、私は心の中でくすくすと笑った。
 普段と変わらぬ日常なのに、今までとは何もかも違うように感じる。
「ゆうべはお楽しみだったようですね」
「えっ?」
 ポケットの中からこっそりスマホを持ち出し、部長宛てにはた迷惑なメッセージを送りつけたあと。
 さあ今日も張り切って仕事をするぞ、とパソコンへ向かってキーボードを叩き始めた時だった。
「早く消したほうがいいですよ、先輩。SNSで炎上するかもしれません」
 何やら慌てた様子できょろきょろと周囲を見回した後輩の山崎君が、誰にも気づかれぬように立ち上がって教えてくれる。
 まさかと思って自分のスマホを見つめた私は、悲鳴を上げそうになってとっさに口をふさぐ。
 こうして神林部長と私の関係は、ほどなくして世間に知れ渡ることになるのだった。

(END)
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

鬼上官と、深夜のオフィス

99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」 間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。 けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……? 「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」 鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。 ※性的な事柄をモチーフとしていますが その描写は薄いです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

ある夜の出来事

雪本 風香
恋愛
先輩と後輩の変わった性癖(旧タイトル『マッチングした人は会社の後輩?』)の後日談です。 前作をお読みになっていなくてもお楽しみいただけるようになっています。 サクッとお読みください。 ムーンライトノベルズ様にも投稿しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

処理中です...