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番外編~斎藤ちゃんのひとりごと~

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 綾瀬川に拉致られたまっつーの無事を抱きしめて、直接確かめることができた日。いつものようにお客様のお茶出しを頼まれたので、手をつけていた仕事を中途半端に放り投げて、しかたなく給湯室で用意した。

(今回は濃いめのお茶とは言われなかったし、仕事相手は最近取引が増えた、ご新規の企業なのかな)

 そんなことを考えながら、応接室の扉をノックして中に入る。目に留まったのは、思いっきり顔の知ってる人物だった。しかし戸惑っている場合ではない。今の私の仕事は、お客様にお茶出しすることなのだから。

「し、失礼いたします……」

 苛立つ感情をぐぐっと押し殺し、綾瀬川と一緒に来ているお客様にお茶をお出してから、綾瀬川の前にも同じように置き、千田課長と同期の加藤くんの前にも丁寧にお茶を出した。

 あとはお盆を抱えて、素早く退室するだけ――私の仕事は終わったんだから、さっさと出て行けばいいのに、足が思うように動かない。頭の中に泣き顔のまっつーが浮かんでしまい、正しい行動を見事に阻止する。

「斎藤、どうした? なにか用があるのか?」

 いつまで経ってもそこにいる私を不審に思った千田課長が、顔をあげて話しかけてくれた。

「用があるのは、千田課長じゃありません。そこにいる綾瀬川にです」

 ビシッと綾瀬川に指をさしてから、応接セットのテーブルの上に持っていたお盆を静かに置き、ゆっくり歩いて、ソファに座っている彼の横に立つ。

「斎藤、取引先のお客様を呼び捨てにするなんて、大変失礼だぞ」

 千田課長に注意されたけど、今はそれどころじゃない。

 私から駄々漏れする殺気を感じたんだろう。座っていた綾瀬川が立ち上がって、私を見下ろした。左目を覆う眼帯は、佐々木先輩がやった名残なのだろうか。

(まっつーを助けるために、佐々木先輩ってば全力で戦ったんだなぁ。しかもこうして男に見下ろされるのは久しぶりだわ。いつも同じ目線か、私より下だったもんね)

「初対面の貴女が、僕に用ってなんですか?」

 顔面偏差値最強男と称した、絶世の美形に見下ろされているというのに、全然ときめくことなく苛立ちを示すように、いつもより低い声で答える。

「私、松尾笑美の友人なんです。昨日アンタがまっつーにやらかしたことが、どうしても許せないんだわ。歯を食いしばりなさい!」

 怒鳴り散らしながら大きく右手を振りかぶって、平手打ちすると見せかける。綾瀬川の頬に向けた右手の軌道をそのままに、途中で肘を上にちょっとだけあげつつ拳を作り、正拳突きをぶちかましてやった。

(個人的な恨みで、こうしてイケメンにストレートをお見舞いすることがあるとは、夢にも思ってなかったわ。空手の県大会で優勝しちゃうような女なんで、まったく男が寄りつかなかったおかげで、トラブル皆無だったしなぁ。まっつー、仇はとったからね!)

 正拳突きをぶちかまされた綾瀬川は、私の宣言どおり、歯を食いしばっていたこともあり、よろけることなく頬で拳を受けていた。イケメンはどんなときもイケメン様みたいで、痛みで顔を歪ませている様相も格好いいのが余計に腹が立つ!

「斎藤っ、なにやってるんだおまえは!」

 千田課長の慌てふためく声が、応接室に虚しく響いた。綾瀬川と一緒に来ているお客様と加藤くんは絶句したまま、私たちの様子を窺っているのを、横目で確認する。

 この状況に誰も反撃してくる感じがなかったので、大きなため息を吐きながら殺気を消し去り、口を開いた。

「千田課長も同罪なんですよ、そのことわかってます?」

 綾瀬川の顔から拳を静かに外し、両手の関節を鳴らしながら千田課長に近づいた。すると「ひっ!」なんていう情けない声を出して、ソファの隅っこに逃げるように体を縮こませる。

「わかっているのかと、聞いているんですけど?」

「わかわかわかっ!」

「佐々木先輩と付き合ってるのを知ってるくせに、綾瀬川を焚きつけた結果、強制わいせつという犯罪に結びついたんですからね!」

「七光り、おまえそんなことしたのかよ!?」

 聞いてるだけで、カチンとくるような言い方だった。千田課長からお客様に視線を飛ばす。ただ見ただけなのに、お客様の顔色がざっと青ざめたのがわかった。

「貴方、綾瀬川のなんですか?」

「なんですかって、先輩だけど……」

「はぁあ? 先輩がどうして綾瀬川のことを、『七光り』呼ばわりするんですか?」

 問いかけながら座ってる先輩様に近づき、スーツの襟を両手で掴んで逃げないようにホールドした。傍から見たら金をせびる、反社会的勢力に見えるかもしれない。

「ひ~っ、みみみみんながそう呼んでいるので、俺も同じように呼んでる感じですぅ」

「そんなんだから綾瀬川がつけあがって、今回のようなことをするんだよ。先輩のくせに、そんなこともわからないの?」

 スーツを掴んだ両手を使って揺さぶると、先輩様は涙目になりながら万歳して喚く。

「ずびまぜぇん! もうじまぜんっ! 殴らないでぐだざい~」

(なんだコイツ、弱すぎでしょ。まだ綾瀬川のほうが骨があるじゃないの……)

「綾瀬川っ!」

 先輩様を掴んだ状態のまま、隣にいる綾瀬川に話しかけた。

「なんでしょうか?」

「もう二度とまっつーに近づかないで。これ以上あのコを泣かせるようなことをしたら、その顔が見れなくなるくらいにボコボコにする。ついでに金〇潰して去勢してやるから!」

 高圧的な私のセリフを聞いたというのに、綾瀬川は嫌な笑みを頬に滲ませたる。

「すみませんが、さっきはやられてあげたんです。弱い貴女のパンチを、わざと受けてさしあげたんですよ」

 綾瀬川が私の腕を捻りあげて先輩様から外すなり、応接セットから遠ざけるように、体を押し出されてしまった。まるで広いところでやり合うことを誘導した彼の誘いに、このまま逃げるわけにはいかない。

 履いていたパンプスを脱ぎ捨てて、ファイティングポーズをとった。

「いい加減にしろ、斎藤。やめるんだ!」

 それまでだんまりを決め込んでいた同期の加藤が、私たちの間に割って入り、握りしめる拳を降ろすように手をやる。

「なにすんのよ、このまま綾瀬川を見逃せっていうの?」

「見逃す見逃さないじゃない。おまえは間違ってる。暴力で解決するような問題じゃないだろ」

「でも……っ!」

 私よりも背の低い加藤が、目力を込めて睨み返した。それは普段穏やかな加藤の顔からは窺うことができない表情で、言いかけたセリフを慌てて飲み込む。

「松尾がこのこと知ったら、悲しむことになるんじゃないのか?」

 しかも痛いところを突かれて、ぐうの音も出ない。

「綾瀬川さん、大変申し訳ございませんでした。斎藤も反省しているので、許してやってくれませんか?」

 言いながら私の頭を無理やり下げさせつつ、加藤も頭を深く下げた。

(こんなヤツに、頭なんて下げなくたっていいのに。加藤ってば、なにやってんのよ……)

「加藤さん、頭をあげてください。僕はこのことについて、騒ぐ権利はありません。殴られるようなことをした自分が悪いんですから」

「そういうわけにはいきません。うちの斎藤が綾瀬川様に、ここで暴力を振るったのは事実。上に報告したのちに、厳正な処分をくだします」

 しゅんとした口調で返事をした綾瀬川の言葉を聞いた途端に、千田課長が偉そうに豪語した。加藤に下げられていた頭を強引に上げて、怒りの矛先を上司に向ける。

「上に報告、上等じゃないの。いいよ、言っても。でもね事情を聞かれたときに、千田課長がこれまでしてきたことも、あらいざらいぶちまけるから、覚悟して報告したら!」

「ぷっ、怖っ……」

 綾瀬川の呟きを耳にしながら、会議室を出た私。その後、上からの呼び出しはなく、綾瀬川がまっつーに手を出さなかったおかげで、佐々木先輩と仲睦まじい姿を見ることができた。

 しかしながら平穏な私の日常は、いきなり崩れてしまったのである。
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