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番外編

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♡♡♡

 タクシーを使い、自腹で綾瀬川邸宅に向かった。瀟洒な建物を囲うような大きな門の前で車から降りると、そこに佇む女子高生と目が合う。

「もしかして、うちになにか御用ですか?」

 世間で有名な私立女子高の制服を着たそのコは、不思議そうな顔で俺を見上げた。日本人らしからぬ面持ちを目の当たりにして、綾瀬川と関係のある家族じゃないかと推測する。おかげで話がしやすい。

「昨日我が社の社員を、綾瀬川澄司さんがこちらに連れ帰っていると思うのですが」

 あえて松尾の名前を言わずに訊ねたら、女子高生は静かに頷いた。

「兄が連れてきた女性でしょうか。お見舞いにいらしたとか?」

 女子高生が綾瀬川と兄妹ということがわかり、神の助けとばかりに肩を掴んで揺さぶってしまった。

「お見舞いじゃなくて助けに来たんです。早くしないと松尾が危ない。君のお兄さんが過ちを犯してしまう前に、早くとめないと!」

「落ち着いてください! 兄が変な人間なのは知ってます。性格が歪みまくっていますので」

「そうなんです、歪んでいるからその! すみません、言いすぎました……」

 言いかけてハッとし、慌てて手を退けて頭を下げた。いくら兄とはいえ、他人に罵倒されたら面白くないだろう。

「大丈夫です。うちの兄は見かけだけはいいので、皆さんそろってコロッと騙されちゃうんです。お客様は騙されなかった、珍しい方なんですね。どうぞお入りください」

 門を開けながら丁寧に中に招き入れられたが、ちんたらしている時間はない。

「あの、急いでいまして。どこにいるかご存知でしょうか?」

「はい。屋敷の奥にある、ゲストルームにいらっしゃいます。とりあえず、鍵を持って向かったほうがよろしいですね。あの兄は、そういうところが徹底していますから」

 靴のまま屋敷に入っていく妹さんの後ろを歩いたのだが、松尾の状況がさっぱりわからないため、気が急いてしょうがない。

「ここで少しお待ちください。鍵をお持ちします」

「はい、お願いします……」

 下がっていないのに、メガネのフレームを何度も上げる俺を見て、妹さんは「急いで持ってきますね」とひとこと添えて部屋に入って行った。

(空気が読めるコで助かる。出来の悪い綾瀬川を傍で見ていたから、気遣いのできる妹になったのかもしれないな)

「お待たせしました。こちらです!」

 小走りで屋敷を走る彼女のあとを追いかけること30秒ほどで、立派な扉の前に到着した。妹さんはノックをせずにいきなりドアノブを握りしめて、静かに左右に動かす。

「やっぱり鍵がかけられています。音を立てないように解錠して扉を開きますので、そのまま中にお入りください」

 言いながらしゃがんで、そろりそろりと鍵を慎重に差し込む。ゆっくり鍵が動くのを息を殺して眺めていると、小さな音が解錠したのを俺たちに知らせた。

 妹さんは俺の顔を見ながら頷き、勢いよく扉を開ける。目に飛び込んできたのは、松尾に跨って胸元に顔を埋める綾瀬川の姿だった。

 それを目の当たりにした瞬間、俺の中にあるなにかが音をたてて切れた。

「綾瀬川あぁあ!」

 怒鳴った声に驚いた綾瀬川は、上半身を慌てて起こしながら俺の姿を見、唖然とした表情をありありと浮かべた。

「なんで佐々木さんがここに――」

 怒りにまかせに走り出し、迷うことなく綾瀬川の顔面に目がけて拳を振り上げる。今まで喧嘩なんて一度もしたことがない。誰かを殴って傷つけるくらいなら、殴られたほうがいいと思って生きてきた。

 だがそんな考えが吹き飛んでしまった現実が俺を突き動かして、迷うことなく綾瀬川に拳を放つ。しかしそれは寸前のところで受け止められてしまい、呆気なく動きを封じられてしまった。

「僕にそういうの無駄だから」

「松尾から降りろ!」

「乗り心地がいいんで、離れたくないんですけどね」

「俺の松尾から、降りろと言ってる!」

 めげずに反対の拳を放ったが、これも止められてしまう。手の甲に綾瀬川の指先がめり込み、かなりの痛みを伴ったが、そんなことでこの両方の拳を引くわけにはいかない。

「佐々木さん、無駄なことはやめてください」

「今すぐ松尾から降りてくれ、頼むから!」

 かわいそうに片腕を手錠に繋がれたままベッドに固定され、泣きじゃくった顔を隠すように涙を拭う姿を、早くなんとかしたかった。

「綾瀬川、好きな女を泣かせて、なにが楽しいんだおまえは!」

 押しても駄目なら引いてみなを実践すべく、ふっと力を一気に抜き、綾瀬川の体勢を崩した。上半身が傾きかけたのを見極めてさらに引っ張り、倒れてくる頭に目がけて頭突きを食らわせてやる。

「痛いぃっ!」

 石頭の俺に頭突きをされた綾瀬川は、泣きそうな顔をしながら額を押さえ、無様にベッドから転がり落ちた。

 素早くジャケットを脱ぎ、松尾の体にかけてから、扉の前で佇む妹さんに声をかける。

「悪いが、松尾の服を探してくれないか?」

「わかりました。お兄ちゃん、手錠の鍵はどこなの?」

 室内をキョロキョロした妹さんが、備え付けのクローゼットに近づきながら問いかけた。痛む額を押さえて床にしゃがみ込む綾瀬川は、答えようとはしない。

(――コイツ、松尾を手放したくないから、口を割らないつもりだな)

 舌打ちをしながら綾瀬川に近づき、胸ぐらを掴もうとしたら、俺の手の動きを察して叩き落とされた。下から俺を睨みあげる綾瀬川の瞳は憎悪に満ち溢れていて、それに負けじと俺もヤツを睨む。

「鍵、見つけました。そこの机の引き出しから――」

 松尾の服をクローゼットから出してくれた妹さんが、傍にあった机の引き出しを開けて探し当ててくれたらしい。その声に反応しようとした途端に。

「笑美さんを解放されてたまるか!」

 唸るような声を出した綾瀬川がふらつきながら立ち上がり、妹さんに突進しようとしたので、素早く背後に回り込んで羽交い締めをして動きを封じる。

「早く松尾の手錠を外してやってくれ!」

「はなせ! 僕にこんなことをしていいと思ってるのか?」

 自分よりも大柄な綾瀬川を羽交い締めにするには、結構大変だったが、松尾を助けるまでは全力で食い止める。

「綾瀬川、誰かに無理やり拘束される気持ちを思い知れ。すごく嫌なことだろう?」

「こうして僕を後ろから拘束するなんて、笑美さんにやる練習台にしてるんじゃないんですか?」

「松尾にこんなこと、するわけがないだろ」

 なにを言ってるんだと呆れながら綾瀬川の横顔を窺うと、見るからに嫌なしたり顔で振り返る。

「笑美さんの肌は白いから、赤い紐で縛りあげたらきっと綺麗だと思いますよ」

「そんなこと、絶対にしない!」

「しかもかなり感度がいいから、なにをするにも楽しくて仕方ないんです。さっきだって僕のこの指で笑美さんの大事なトコロを弄ったら、蜜のように溢れさせて、中指を飲み込んでいったんですよ」

「やめろ……」

「笑美さんのナカはあたたかくて、締まりもよくて最こ」

「やめろと言ってるだろ!」

 綾瀬川と言い争いをしてると、いつの間にか妹さんが手錠を持ったまま、俺の傍に近づいた。

「すみません。お兄ちゃんに手錠をしたいので、腕を背中に回してもらえますか?」

「えっ? あ、はい……」

 妹さんが告げたことがどうにも信じられなくて、まじまじと見つめてしまった。松尾と同じくらいの体型の妹さんの瞳から、強いなにかを感じとれたので、羽交い締めしている綾瀬川の腕を手錠がしやすいように背中に回し、体で押さえつける。

「やめろ! はなせって!」

「はなすわけないだろ。おとなしくしてろ」

「杏奈、僕がおまえになにをした? なにもしていない兄に、することじゃないだろ!」

 ジタバタ体を動かして抵抗する綾瀬川に、妹さんがやっと両手に手錠を嵌めた。金属音が耳に届いた瞬間に目の前で体の力を抜き、ショックを受けた面持ちでその場に膝をつく。

 抵抗できないことがわかったので、急いで松尾の傍に駆け寄った。

「松尾、歩けるか?」

 着替えを終えて立ち上がる松尾を目にして、安堵感がため息になって出てしまった。滲み出る汗をそのままに、メガネがズリ下がった状態だったが、松尾から目を離したくなくて、じっと見下ろす。

「大丈夫です。佐々木先輩、助けてくれてありがとうございました」

「笑美さん、行っちゃ嫌だ!」

 目と目が合った途端に、綾瀬川が叫んで立ち上がろうとした。

 手を出されないように松尾の前に立ち塞がると、妹さんが綾瀬川の長い足をタイミングよく引っかけて、床に押し倒す。妹さんの大胆な行動力に、松尾とふたりで見入ってしまった。

「お兄ちゃんいい加減にしなよ。どんなに頑張っても手に入らないものが、この世にはたくさんあるの。たとえさっきの続きをしたとしても、あの人の心は手に入らないんだよ」

「手に入らないのなら、入る方法を考えればいいだけのことなんだって!」

 綾瀬川は体をくねらせて床を這いつくばりながら、頭をあげようとした瞬間に、妹さんの足が容赦なく顔の側面を踏みつけて動きを止めた。

「兄のことは任せてください。本当に申し訳ございませんでした」

 実の兄を足蹴にしたまま、深く頭を下げる妹さんに見送られて、俺と松尾は綾瀬川の実家を出たのだった。
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