恋愛裁判―Love Trial―

相沢蒼依

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裁判記録:君も有罪(ギルティ)

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(安田課長、今までお世話になりました。ありがとうございます。)

 そんなメッセージを見終えるなり、スマホと入れ違いにポケットから煙草を手にし、手早く火を点けた。

「やれやれ。昨日の疲れが、残っているんだろうか……」

 喫煙室に設置されている椅子に座ったまま、タバコを咥えながら肩を上下させてみる。いつもなら美味く感じられるタバコが、その気配すらないなんて、相当重症かもしれない。

 吸い始めて間がなかったが、あまりの不味さに口からタバコを外した瞬間、喫煙室の扉が音を立てて勢いよく開いた。

「安田課長発見! こんなところにいらっしゃるとは」

「タバコを吸わないお前が、こんな場所に来るなんて珍しいな」

 手にした煙草を灰皿に押し付け火を消したら、にこやかな顔して傍に歩み寄り、立ったまま胸ポケットから、見慣れないメーカーの煙草とライターを取り出した笹木。

「財布の中身に余裕があるときと、精神的に落ち着きたいときだけ吸ってるんですよ」

 言いながら煙草を咥え、実に美味そうに吸い始める。

「昨日は、いろいろありがとうございました。今までの苦労が実って、感無量です」

 笹木の存在に気をとられたせいで、消しそびれた煙草が燻り煙をあげた。それをふたたび灰皿にぎゅっと押し付けて、きちんと火を消す。

「いやぁ、痺れましたよ。びりびりっと。あの終身刑を言い放ってくれたときの安田課長の顔は、ものすごく格好よく見えました」

「あのときはお前、大号泣していたじゃないか」

 嘘がヘタクソだなと思いながら指摘してやると、首を横に振って、ひょいと肩を竦めた。

「見てましたもん、横目でしっかりと」

「それだけ器用なことができるのなら、香坂ひとり落すなんて、造作のないことだろう」

「落すことができるなら、1年以上も片想いしてないですって。だから安田課長に、こうやって頭を下げたんです」

(コイツに頭を下げられた記憶なんて、ひとつも思い出せないのだが――)

「さすがは下田先輩が、熱を入れるだけのことがある人だなって、めちゃくちゃ感心しました。安田課長の千里眼は、本当にすごいですね。作戦開始からわずか3日で、香坂先輩が引っかかるなんて」

「下田のことなんて知らん。香坂が引っかかったのも、たまたまだろう」

「たまたまなんて、謙遜しなくていいです。それに下田先輩から安田課長がすごいこと、いろいろと聞いてるんですよ。同性が好きなんて話、他の人にはできませんからね」

(コイツ、どこまで知っているのか……)

 口をつぐんで腕を組んだら、笹木は嬉しそうな顔して、聞いてもいないことをぺらぺら喋り出す。

「下田先輩に香坂先輩が好きだってバレたときは、肝を冷やしたんですけど、俺は安田課長が好きなんだぜって、ぶっちゃけられたときは、すごく驚きました。落したい相手だからこそ、なかなか手が出せないよなって、お互い盛り上ったりもしましたね」

「……くだらない」

 鼻であしらいながら、呟いてやる。タバコ片手に饒舌に語る笹木は、見ていて滑稽な存在だ。

「安田課長にはくだないことかもしれませんが、俺たちは本気なんです。だから下田先輩、安田課長と一緒に出張に行けて、喜んでましたよ。変な替え歌を作っちゃうくらい」

「それこそ、くだらない話だな」

「確かに。隣の席で替え歌をエンドレスで歌ってくれるものだから、困り果ててしまったくらいですよ。しかも出張先でふたり、何かあったんでしょ?」

「あってたまるか、男同士なのに」

「だけど出張後、おふたりの距離は明らかに縮まっていましたよ」

「……下田の仕事のできなさに、発破をかけただけだ。その期待に応えてくれた結果を普通に褒めていた様子が、そういうふうに見えただけなんじゃないのか?」

「意味深に微笑み合っている様子は、どこから見ても、恋人同士みたいでしたけどね」
 
 ふーっと紫煙を吐き出し、煙草を灰皿に押し付ける姿を、ぼんやりと眺めた。否定すればするだけ、肯定しているようにも見えるか。

 そう考え黙っていたら、唐突に自分の耳を指差してくる。

「あとね俺、聞いてるんです。下田先輩が転落死したときに、音をふたつほど」

「音?」

「はい。安田課長、言ってたじゃないですか。下田先輩がもたれたフェンスと一緒に、落ちていったって。一緒に落ちたハズなのに、随分と間があったような――」

「…………」

「あの日、仕事の区切りが悪くてお昼に差し掛かっていたから、部署に一人でいたんです。静かな部署にいたからこそ、ハッキリと音が聞こえたんですけど」

(――笹木のヤツ、この私を脅す気なんだろうか……)

 香坂を落したいと言ったときに、さりげなく下田の転落事件に触れられ、何か知っているのかもしれないという邪推から、今回は手を貸してやった。それが確信に変わった今、自分の身を守るべく、笹木に手をかけなければならないのかと考え始めたときだった。

「聞いた音だけじゃ、証明になりませんよね。その音を録音して、証拠を残したワケじゃないですし。それに安田課長は、俺の恋のキューピッド様なんですから」

「はっ、キューピッドっていう年でもないだろ」

「いえいえ。ただちょーっとだけ、イジワルしたかったんですよ。大事な下田先輩の最期を看取った安田課長に、ね」

 どこか挑戦的な笹木を座ったまま見上げると、怜悧な眼差しで見下される。

 底の見えない何かに、今すぐにでも手を下したいところだが――香坂以上に機転の利くコイツが、何かを隠し持っている恐れもある。それを暗に示すために、音のことを漏らしたのかもしれない。

「それじゃあ安田課長、お世話になりました。恋人仮契約は、無事に解消ってことで」

(――こんな厄介な男に落された香坂が、えらく不憫だな)

「はいはい、お疲れ様。どうかお幸せに。香坂を煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」

 香坂の不幸を考えたが、一瞬でそれが消え失せた。他人の不幸は蜜の味というけれど、何も感じたりはしない。所詮は他人事、関係ないのだ。自分が安泰であれば、それでいい。

「言われなくても、近いうちに戴きますって。案外、下世話なんですね」

 瞳を細めながら口元に嫌な笑みを浮かべて、颯爽と出て行った。

「やれやれ、下世話と言われてしまったよカゲナリ。お前の後輩は、面倒くさいヤツが多くて困るね、まったく」

 よっこいしょっと声をかけて立ち上がり、うーんと伸びをする。やっと面倒なことから解放され、独り身の自由をこれでもかと味わうべきなんだろうが――。

「笹木のヤツが尻尾を出すかどうか、それを見極めてから、この先のことを考えるとしよう」

 ヤツの動向を追いかけるべく、喫煙室をあとにした。
 
 自分を……心の中にいる愛する人を守るために、私は罪を犯す――かもしれない。

【了】
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