16 / 16
裁判記録:君も有罪(ギルティ)
しおりを挟む
***
(安田課長、今までお世話になりました。ありがとうございます。)
そんなメッセージを見終えるなり、スマホと入れ違いにポケットから煙草を手にし、手早く火を点けた。
「やれやれ。昨日の疲れが、残っているんだろうか……」
喫煙室に設置されている椅子に座ったまま、タバコを咥えながら肩を上下させてみる。いつもなら美味く感じられるタバコが、その気配すらないなんて、相当重症かもしれない。
吸い始めて間がなかったが、あまりの不味さに口からタバコを外した瞬間、喫煙室の扉が音を立てて勢いよく開いた。
「安田課長発見! こんなところにいらっしゃるとは」
「タバコを吸わないお前が、こんな場所に来るなんて珍しいな」
手にした煙草を灰皿に押し付け火を消したら、にこやかな顔して傍に歩み寄り、立ったまま胸ポケットから、見慣れないメーカーの煙草とライターを取り出した笹木。
「財布の中身に余裕があるときと、精神的に落ち着きたいときだけ吸ってるんですよ」
言いながら煙草を咥え、実に美味そうに吸い始める。
「昨日は、いろいろありがとうございました。今までの苦労が実って、感無量です」
笹木の存在に気をとられたせいで、消しそびれた煙草が燻り煙をあげた。それをふたたび灰皿にぎゅっと押し付けて、きちんと火を消す。
「いやぁ、痺れましたよ。びりびりっと。あの終身刑を言い放ってくれたときの安田課長の顔は、ものすごく格好よく見えました」
「あのときはお前、大号泣していたじゃないか」
嘘がヘタクソだなと思いながら指摘してやると、首を横に振って、ひょいと肩を竦めた。
「見てましたもん、横目でしっかりと」
「それだけ器用なことができるのなら、香坂ひとり落すなんて、造作のないことだろう」
「落すことができるなら、1年以上も片想いしてないですって。だから安田課長に、こうやって頭を下げたんです」
(コイツに頭を下げられた記憶なんて、ひとつも思い出せないのだが――)
「さすがは下田先輩が、熱を入れるだけのことがある人だなって、めちゃくちゃ感心しました。安田課長の千里眼は、本当にすごいですね。作戦開始からわずか3日で、香坂先輩が引っかかるなんて」
「下田のことなんて知らん。香坂が引っかかったのも、たまたまだろう」
「たまたまなんて、謙遜しなくていいです。それに下田先輩から安田課長がすごいこと、いろいろと聞いてるんですよ。同性が好きなんて話、他の人にはできませんからね」
(コイツ、どこまで知っているのか……)
口をつぐんで腕を組んだら、笹木は嬉しそうな顔して、聞いてもいないことをぺらぺら喋り出す。
「下田先輩に香坂先輩が好きだってバレたときは、肝を冷やしたんですけど、俺は安田課長が好きなんだぜって、ぶっちゃけられたときは、すごく驚きました。落したい相手だからこそ、なかなか手が出せないよなって、お互い盛り上ったりもしましたね」
「……くだらない」
鼻であしらいながら、呟いてやる。タバコ片手に饒舌に語る笹木は、見ていて滑稽な存在だ。
「安田課長にはくだないことかもしれませんが、俺たちは本気なんです。だから下田先輩、安田課長と一緒に出張に行けて、喜んでましたよ。変な替え歌を作っちゃうくらい」
「それこそ、くだらない話だな」
「確かに。隣の席で替え歌をエンドレスで歌ってくれるものだから、困り果ててしまったくらいですよ。しかも出張先でふたり、何かあったんでしょ?」
「あってたまるか、男同士なのに」
「だけど出張後、おふたりの距離は明らかに縮まっていましたよ」
「……下田の仕事のできなさに、発破をかけただけだ。その期待に応えてくれた結果を普通に褒めていた様子が、そういうふうに見えただけなんじゃないのか?」
「意味深に微笑み合っている様子は、どこから見ても、恋人同士みたいでしたけどね」
ふーっと紫煙を吐き出し、煙草を灰皿に押し付ける姿を、ぼんやりと眺めた。否定すればするだけ、肯定しているようにも見えるか。
そう考え黙っていたら、唐突に自分の耳を指差してくる。
「あとね俺、聞いてるんです。下田先輩が転落死したときに、音をふたつほど」
「音?」
「はい。安田課長、言ってたじゃないですか。下田先輩がもたれたフェンスと一緒に、落ちていったって。一緒に落ちたハズなのに、随分と間があったような――」
「…………」
「あの日、仕事の区切りが悪くてお昼に差し掛かっていたから、部署に一人でいたんです。静かな部署にいたからこそ、ハッキリと音が聞こえたんですけど」
(――笹木のヤツ、この私を脅す気なんだろうか……)
香坂を落したいと言ったときに、さりげなく下田の転落事件に触れられ、何か知っているのかもしれないという邪推から、今回は手を貸してやった。それが確信に変わった今、自分の身を守るべく、笹木に手をかけなければならないのかと考え始めたときだった。
「聞いた音だけじゃ、証明になりませんよね。その音を録音して、証拠を残したワケじゃないですし。それに安田課長は、俺の恋のキューピッド様なんですから」
「はっ、キューピッドっていう年でもないだろ」
「いえいえ。ただちょーっとだけ、イジワルしたかったんですよ。大事な下田先輩の最期を看取った安田課長に、ね」
どこか挑戦的な笹木を座ったまま見上げると、怜悧な眼差しで見下される。
底の見えない何かに、今すぐにでも手を下したいところだが――香坂以上に機転の利くコイツが、何かを隠し持っている恐れもある。それを暗に示すために、音のことを漏らしたのかもしれない。
「それじゃあ安田課長、お世話になりました。恋人仮契約は、無事に解消ってことで」
(――こんな厄介な男に落された香坂が、えらく不憫だな)
「はいはい、お疲れ様。どうかお幸せに。香坂を煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」
香坂の不幸を考えたが、一瞬でそれが消え失せた。他人の不幸は蜜の味というけれど、何も感じたりはしない。所詮は他人事、関係ないのだ。自分が安泰であれば、それでいい。
「言われなくても、近いうちに戴きますって。案外、下世話なんですね」
瞳を細めながら口元に嫌な笑みを浮かべて、颯爽と出て行った。
「やれやれ、下世話と言われてしまったよカゲナリ。お前の後輩は、面倒くさいヤツが多くて困るね、まったく」
よっこいしょっと声をかけて立ち上がり、うーんと伸びをする。やっと面倒なことから解放され、独り身の自由をこれでもかと味わうべきなんだろうが――。
「笹木のヤツが尻尾を出すかどうか、それを見極めてから、この先のことを考えるとしよう」
ヤツの動向を追いかけるべく、喫煙室をあとにした。
自分を……心の中にいる愛する人を守るために、私は罪を犯す――かもしれない。
【了】
(安田課長、今までお世話になりました。ありがとうございます。)
そんなメッセージを見終えるなり、スマホと入れ違いにポケットから煙草を手にし、手早く火を点けた。
「やれやれ。昨日の疲れが、残っているんだろうか……」
喫煙室に設置されている椅子に座ったまま、タバコを咥えながら肩を上下させてみる。いつもなら美味く感じられるタバコが、その気配すらないなんて、相当重症かもしれない。
吸い始めて間がなかったが、あまりの不味さに口からタバコを外した瞬間、喫煙室の扉が音を立てて勢いよく開いた。
「安田課長発見! こんなところにいらっしゃるとは」
「タバコを吸わないお前が、こんな場所に来るなんて珍しいな」
手にした煙草を灰皿に押し付け火を消したら、にこやかな顔して傍に歩み寄り、立ったまま胸ポケットから、見慣れないメーカーの煙草とライターを取り出した笹木。
「財布の中身に余裕があるときと、精神的に落ち着きたいときだけ吸ってるんですよ」
言いながら煙草を咥え、実に美味そうに吸い始める。
「昨日は、いろいろありがとうございました。今までの苦労が実って、感無量です」
笹木の存在に気をとられたせいで、消しそびれた煙草が燻り煙をあげた。それをふたたび灰皿にぎゅっと押し付けて、きちんと火を消す。
「いやぁ、痺れましたよ。びりびりっと。あの終身刑を言い放ってくれたときの安田課長の顔は、ものすごく格好よく見えました」
「あのときはお前、大号泣していたじゃないか」
嘘がヘタクソだなと思いながら指摘してやると、首を横に振って、ひょいと肩を竦めた。
「見てましたもん、横目でしっかりと」
「それだけ器用なことができるのなら、香坂ひとり落すなんて、造作のないことだろう」
「落すことができるなら、1年以上も片想いしてないですって。だから安田課長に、こうやって頭を下げたんです」
(コイツに頭を下げられた記憶なんて、ひとつも思い出せないのだが――)
「さすがは下田先輩が、熱を入れるだけのことがある人だなって、めちゃくちゃ感心しました。安田課長の千里眼は、本当にすごいですね。作戦開始からわずか3日で、香坂先輩が引っかかるなんて」
「下田のことなんて知らん。香坂が引っかかったのも、たまたまだろう」
「たまたまなんて、謙遜しなくていいです。それに下田先輩から安田課長がすごいこと、いろいろと聞いてるんですよ。同性が好きなんて話、他の人にはできませんからね」
(コイツ、どこまで知っているのか……)
口をつぐんで腕を組んだら、笹木は嬉しそうな顔して、聞いてもいないことをぺらぺら喋り出す。
「下田先輩に香坂先輩が好きだってバレたときは、肝を冷やしたんですけど、俺は安田課長が好きなんだぜって、ぶっちゃけられたときは、すごく驚きました。落したい相手だからこそ、なかなか手が出せないよなって、お互い盛り上ったりもしましたね」
「……くだらない」
鼻であしらいながら、呟いてやる。タバコ片手に饒舌に語る笹木は、見ていて滑稽な存在だ。
「安田課長にはくだないことかもしれませんが、俺たちは本気なんです。だから下田先輩、安田課長と一緒に出張に行けて、喜んでましたよ。変な替え歌を作っちゃうくらい」
「それこそ、くだらない話だな」
「確かに。隣の席で替え歌をエンドレスで歌ってくれるものだから、困り果ててしまったくらいですよ。しかも出張先でふたり、何かあったんでしょ?」
「あってたまるか、男同士なのに」
「だけど出張後、おふたりの距離は明らかに縮まっていましたよ」
「……下田の仕事のできなさに、発破をかけただけだ。その期待に応えてくれた結果を普通に褒めていた様子が、そういうふうに見えただけなんじゃないのか?」
「意味深に微笑み合っている様子は、どこから見ても、恋人同士みたいでしたけどね」
ふーっと紫煙を吐き出し、煙草を灰皿に押し付ける姿を、ぼんやりと眺めた。否定すればするだけ、肯定しているようにも見えるか。
そう考え黙っていたら、唐突に自分の耳を指差してくる。
「あとね俺、聞いてるんです。下田先輩が転落死したときに、音をふたつほど」
「音?」
「はい。安田課長、言ってたじゃないですか。下田先輩がもたれたフェンスと一緒に、落ちていったって。一緒に落ちたハズなのに、随分と間があったような――」
「…………」
「あの日、仕事の区切りが悪くてお昼に差し掛かっていたから、部署に一人でいたんです。静かな部署にいたからこそ、ハッキリと音が聞こえたんですけど」
(――笹木のヤツ、この私を脅す気なんだろうか……)
香坂を落したいと言ったときに、さりげなく下田の転落事件に触れられ、何か知っているのかもしれないという邪推から、今回は手を貸してやった。それが確信に変わった今、自分の身を守るべく、笹木に手をかけなければならないのかと考え始めたときだった。
「聞いた音だけじゃ、証明になりませんよね。その音を録音して、証拠を残したワケじゃないですし。それに安田課長は、俺の恋のキューピッド様なんですから」
「はっ、キューピッドっていう年でもないだろ」
「いえいえ。ただちょーっとだけ、イジワルしたかったんですよ。大事な下田先輩の最期を看取った安田課長に、ね」
どこか挑戦的な笹木を座ったまま見上げると、怜悧な眼差しで見下される。
底の見えない何かに、今すぐにでも手を下したいところだが――香坂以上に機転の利くコイツが、何かを隠し持っている恐れもある。それを暗に示すために、音のことを漏らしたのかもしれない。
「それじゃあ安田課長、お世話になりました。恋人仮契約は、無事に解消ってことで」
(――こんな厄介な男に落された香坂が、えらく不憫だな)
「はいはい、お疲れ様。どうかお幸せに。香坂を煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」
香坂の不幸を考えたが、一瞬でそれが消え失せた。他人の不幸は蜜の味というけれど、何も感じたりはしない。所詮は他人事、関係ないのだ。自分が安泰であれば、それでいい。
「言われなくても、近いうちに戴きますって。案外、下世話なんですね」
瞳を細めながら口元に嫌な笑みを浮かべて、颯爽と出て行った。
「やれやれ、下世話と言われてしまったよカゲナリ。お前の後輩は、面倒くさいヤツが多くて困るね、まったく」
よっこいしょっと声をかけて立ち上がり、うーんと伸びをする。やっと面倒なことから解放され、独り身の自由をこれでもかと味わうべきなんだろうが――。
「笹木のヤツが尻尾を出すかどうか、それを見極めてから、この先のことを考えるとしよう」
ヤツの動向を追いかけるべく、喫煙室をあとにした。
自分を……心の中にいる愛する人を守るために、私は罪を犯す――かもしれない。
【了】
0
お気に入りに追加
7
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
クソザコ乳首くんの出張アクメ
掌
BL
おさわりOK♡の家事代行サービスで働くようになった、ベロキス大好きむっつりヤンキー系ツン男子のクソザコ乳首くんが、出張先のどすけべおぢさんの家で乳首穴開き体操着でセクハラ責めされ、とことんクソザコアクメさせられる話。他腋嗅ぎ、マイクロビキニなど。フィクションとしてライトにお楽しみください。
ネタの一部はお友達からご提供いただきました。ありがとうございました!
pixiv/ムーンライトノベルズにも同作品を投稿しています。
なにかありましたら(web拍手)
http://bit.ly/38kXFb0
Twitter垢・拍手返信はこちらから
https://twitter.com/show1write
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる