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空の彼方

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「つまり、私は近々死ぬことになっているのよ」と目の前に座る彼女は言った。ショートカットでオレンジ色のセーターを着て、両耳にはピアスがひとつずつぶら下がっている。椅子の背もたれにコートをかけ、カウンターには氷が溶け薄くなったモヒートが置かれている。僕はゆっくりと一度だけ呼吸し、カウンターに置かれたグラスビールを煽った。僕はどこだろうとまずビールを頼む。それがバーだろうが居酒屋だろうが、関係なくだ。彼女の頭がゆっくり動く度にピアスがぐらぐらと揺れる。薄くなったモヒートを一口だけ飲んで続けた。
「それが明日なのか半年後なのか、はたまた一年後なのかはわからないけれど、確実に死はやってくる。私が望む望まないかは関係なく」
 小ぢんまりとしたバーには僕たち以外の客はいない。店内は静かで、ビートルズのルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンドが流れていた。バーテンは空になったグラスを下げ、僕がもう一度ビールを頼むとすぐに出してくれた。
「よくわからないな」と僕は言った。
「あなたがわかろうがわかるまいがそれは関係ない」と彼女は冷たく言った。僕は少し頭にきたが、じっと我慢し、グラスビールを一口煽った。そしてカウンターに置かれたハイライト・メンソールを一本手に取り、口にくわえて火をつけた。ラム酒フレーバーが口腔に広がった。それを見てか、彼女もポケットからセブンスター・ボックスを一本手に取り火をつけた。二つの煙が交じり合って天井に消えていった。
「つまり――」言いかけてまた煙を吸った。「つまり、君は君自身がどうすることもできずに死ぬっていうのかい?」
 彼女は皮肉な笑みを浮かべ、煙草の灰を灰皿に落とした。
「そう、どうすることもできない」
「それは、自殺なの? それとも事故?」
「それは……多分、自殺じゃないかな」
 お互いに煙草を灰皿に押し付けて消し、ビールとモヒートを呑んだ。
「なぜ自殺ってわかるの?」と僕は訊いた。
「それは、なんとなくよ」と彼女は答えた。
「世の中はなんとなくで溢れている」と僕は続けた。「たとえば僕がいつもビールを頼んでいるのもなんとなくだ。そこに明確な理由は無い」
「私が次はジントニックを頼もうとしているのも、なんとなくね」
 そう言い終えて彼女はその言葉通りにバーテンにジントニックを頼んだ。出されるなりそれをゆっくりと一口飲んで、また煙草に火をつけた。見ている僕も煙草を吸いたくなったけれど、ハイライト・メンソールよりセブンスターが吸いたい気分だったので、彼女に「一本貰える?」と訊くと、彼女は「もちろん」と言い、セブンスターを一本くれた。
「今度のデートではセブンスターも持っておくことにするよ」と僕が言うと、彼女はジントニックを持ち上げ、向かって傾けた。僕もビールを傾けた。
 それから暫くして僕たちはバーを後にした。彼女に僕の家に来ないかと言ったけれど、彼女は「ごめんなさい、そういう気分にならないの」と言い断られた。

 アパートに帰り、コートを壁にかけ、ユニットバスでシャワーを浴びた。五畳しかないアパートには、小説や漫画、CDで溢れている。部屋の一番奥にはデスクトップパソコンと液晶テレビが置いてある。体が熱いので裸のままでスマートフォンを手に取り、彼女に「今日は会えてよかった。おやすみ」とメールを送った。彼女もすぐに「こちらこそ、おやすみ」と返してきた。
 おそらくだけど、僕たちの間におかしな点は一つもないだろう。何度もデートを重ね、何度も体を重ねてきた。喧嘩は一度もしたことがないし――今後絶対にしないという確証は無いけれど――意見の相違もなかった。しかし今日、まるで染みのように浮かび上がってきた問題が一つあった。彼女がいつか死ぬということだ。確かに人間は誰しもいつかは死ぬ。彼女が近々死ぬかどうかはわからない。僕たちは揃って来年で三十歳になるので、そういう意味ではいつ死んでもおかしくはない。突然の事故や病気など。しかしそこでもおかしな染みが一つ浮かび上がる。彼女はいつか必ず自殺をするのだ。事故でも病気でもなく、自殺だ――。
 そんな僕も何度も自殺を試みたことがある。けれどもどれも失敗に終わった。僕は六年ほど精神病を患っている。始まりは些細なものだった。ここでいちいち述べないが、なかなかに大変なものだった。病名は医者によって代わった。そして四回入院したのだ。それでも基本的なところは全然治らない。彼女も精神病で――病名や経緯はまったく知らない――精神病を患っている人が通うリハビリ施設、デイケアに行っていた。そこで知り合ったのだ。それからもう三年が経つ。そして今では薬を飲まなければ眠ることさえ――いや、飲んでも駄目だが――ままならない。本当はやってはいけないんだけれど、冷蔵庫の中からロング缶のビールを取り出し、それで数種類の薬を流し込んだ。そしてそのままビールをも飲み干した。その後また彼女の自殺について考えていた。眠気はそのせいかまったくやってこない。何度死について考えても、答えが出ることはない。それは彼女の死に関してもそうだし、自分自身の死についてもそうだった。
 僕は考えるのをやめ、つけっ放しにしていたデスクトップパソコンでビートルズのウェイトを流した。やっぱりこういう眠れない夜は、いや、それ以外でも、いつの時でもビートルズは僕の生活にしっくり来る。しかしビートルズに出会ったのはそんなに昔ではない。そりゃあ確かに有名な曲――例えばレットイットビーだったりヘイジュードだったり、ヘルプだったり――は知っているけれど、死んだ友人から遺品としてビートルズの全アルバムを譲り受けるまで、ちゃんと聞いたことが無かった。十代の頃はオアシスばかり聞いていた。今でも聞くけれど、やっぱりホワットエヴァーは最高の名作だと思う。
 じっと座って聞いているのも疲れたので、横になって続きを聞く。その内に眠くなって寝てしまった。こういう意図しない眠気には抗えないのだ。

 それは鮮明な夢だった。始まりは薄暗いもやがかかったもので、徐々に視界はクリアになっていった。僕は裸でベッドに横になり――僕の部屋にはベッドが無いので、彼女の部屋だろうか。全体像は掴めない――彼女もベッドに横になっていた。隣に目を移すと、彼女も裸だった。彼女は僕の右腕に頭を乗せ、煙草を吸いながら片方の手は僕の胸に置かれている。そこに会話らしいものは無い。ただじっと時間だけが無駄に過ぎて行く。やがて僕も煙草を手にし、ポケットからライターを取り出して火をつけ、煙を一口吸い込んだ。夢の中でこれは夢なんだと理解できる。それは結構よく聞くだけれど、僕にとっては初めての経験だった。そうか、ここは夢の中の世界なんだ。だから何をしてもいいのだ。
 そう思うと心が幾分かすっきりとした。彼女の髪の毛に手を触れ、指で梳いた。彼女は灰皿に煙草をもみ消し、僕の手を払いのけベッドから立ち上がった。どこに行くんだい? と声を出そうとしたけれど、声が一切出ない。喉からは息だけが漏れる。
 彼女はカーテンを開け、ベランダへと出た。僕の心の中に何かが流れた。良くないことが起こりそうな気がするのは何故だろうか。そしてそれは現実のものとなった。要約からだが自由になり――それでも依然声は出ないのだが――立ち上がってベランダへと出、彼女の腕を掴もうとした瞬間、彼女はベランダから飛び降りた。地面とぶつかる大きな音が聞けた。

 そしてそこで目が覚めた。

 僕は彼女を助けることができなかった。たとえそれが夢の中であっても、彼女は自殺してしまった。

 寝汗が凄いので、僕は起き抜けにユニットバスで軽くシャワーを浴び、汗を流した。シャワーを浴びながら、もうすぐで年が変わる、今年はいい年だっただろうか、そして来年はいい年になるのだろうか、というようなことを考えていた。シャワーを浴び終えると、部屋に戻り、裸のまま冷蔵庫を開け冷えた缶ビールを取り出し、グラスへ注いで半分近くを一気に呷った。トランクスとシャツとスウェットを着、デスクトップパソコンの前に座り、ハイライト・メンソールを一服した。それでも尚、あの夢を忘れることはできない。事実は事実だ。終わったことなのでどうすることもできない。しかし、脳裏には後悔という念がへばりついている。
 しかし僕はふと思った。今日の夜に寝ると、また同じ夢を見るのではないだろうか? そしてそこで彼女を助けると現実の彼女も助かるのではないだろうか? 何の根拠も無いし、夢と現実が繋がっているわけもない。しかし、試してみようと思った。彼女の自殺を止めるには、こんな夢物語じみた事しかできないのだ。彼女を精神科なり心療内科なりに連れて行って、「この人、自殺しそうなんです」と言ったら解決されるのだろうか? 信用できなかった。僕は薬を何十錠も飲んでいるが、改善されることは無かった。だから、彼女だって正当なやり方で治そうとしても、治らないのではないだろうか? だったら、僕のすることは一つだ。夢の世界で彼女を助ける。
 しかし、それには二つ問題があった。一つは、毎回僕の夢が彼女を助けようとするものとは限らないのではないだろうか、ということ。二つは、僕は入眠障害なので、寝ろと言われてすぐに寝られるような健康的な体ではない。だから今また寝て彼女を助けようとすることはできない。寝るのは夜になってから、薬を飲んでからだ。
 今日は特に何をするという事も無いので、僕は溜まっていた小説を読み進めた。休憩に一服し、ビートルズを聴く。それから買ったはよいが殆ど触っていないピンク色のエレキ・ベースを軽く弾いた。しかし全然弾けない。まあいいかと自分を慰め、エレキ・ベースを壁に立てかけた。五畳の一Kは本棚で寝るスペースもあまり無いほどに狭いし、小さなゴキブリも大量に出てくるし、収納スペースは皆無だし、友人と酒盛りをするとすぐにうるさいとクレームがくるような良いところも何も無いアパートだけれど、何年も住んでいるので愛着はあった。それにこの近辺や駅周辺なども、何年も住んでいるので愛着がある。引越しをしようとは思わなかった。
 それから暫く本を読み耽っていると、彼女からメールが届いた。「暇なら夜いつものバーに行かない?」とあった。僕は「こっちはいつでも暇だよ。何時待ち合わせ?」と返信した。「それは良かった。じゃあ六時に駅の中央改札前で」「OK」そこでメールは終わった。
 それまで何をしようか。アイフォンで時刻を確認すとまだ朝の十時だった。少しおなかが空いていたので、台所に立ちフライパンでパンを焼き――僕はオーブントースターを持っていないのだ――マーガリンを塗ってそれを食べた。空腹感は紛らわす事ができた。少し寒いのでエアコンをつけてカーペットに横になった。そうだ、今日彼女に会ったら今朝見た夢の話でもしてみようか。どんな反応をするだろうか。驚くか、それともただの夢だと笑い飛ばすか。後者だろうな、と思いながらも、少しばかり期待している。

「――という夢を見てね」と僕はグラス・ビールを傾けながら言った。彼女はソルティー・ドッグをゆっくり飲んでいる。場所はいつものバーだ。十二月の待つにもかかわらず、客は多い。今頃は忘年会シーズンになるので、こういう小さなバーは使われない気もするのだが。
「夢ね」と彼女はソルティー・ドッグを飲み干し、グラスに残った塩を舐めながら言った。僕は煙草に火をつけながら「夢にしては出来過ぎていると思わない?」と聞いた。
「私があんな話をしたから頭の仲でイメージがこびりついたんじゃない?」
「あるいはそうかもしれないね」
 彼女も煙草――彼女の煙草はクールだった――に火をつけ煙を吐き出してから「あるいは」と言った。
「僕はちょっと仮説を考えた」
「言ってみて。あ、ソルティー・ドッグおかわりね」
 バーテンは「はい」と言った。
「夢の中で君を助けたら、現実の君も助かるのではないかと思って」
 彼女はカウンターに置かれたソルティー・ドッグを一口だけ呷り微笑んだ。
「私が自殺することは、もう決まっているのに?」
「だから仮説なんだよ」
 僕は少し恥ずかしくなり、少しぬるくなったグラス・ビールを飲み干した。
「頑張ってね」
 バーの壁にかかっている時計で時刻を確認すると、夜の八時だった。まだ全然酔ってはいない。客足も途絶えてはいない。僕はまたグラス・ビールを頼み、カウンターに置かれるなりそれを手に取り一気に飲み干した。やはりビールは旨い。自分で言うのもなんだが、僕は結構酒が強い。何杯でもいける。彼女はゆっくりとソルティー・ドッグを飲んでいる。話題も無くなってきたので、とりあえず煙草に火をつけた。
「入院したほうがいいんじゃないの?」と僕は煙を吐き出しながら言った。
「いまさら入院したところで。今まで何回も入院したのよ」と彼女は吐き捨てた。
 僕は四回入院したとは前に述べた通りだが、その中でも四回目の入院は閉鎖病棟で四ヶ月という長いものだった。彼女の場合は何度かはわからないが、一ヶ月から二ヶ月ほどの短いものだった。入院しても何かが変わる事なんて何も無かった。寝付けないのは相変わらずだし、希死念慮は消えないし、社会復帰もできない。悪くなることはあっても、良くなることは無かった。ただ時間だけが無駄に消費された。金だって、と思った瞬間、僕の治療費は無料だったということを思い出した。所謂生活保護を受給している。もう五年ぐらいになるだろうか。働きたいことも無くはないのだが、病状が安定しないため、抜け出せずにいる。働こうとした事はあったが、何度も失敗している。親は遠くに住んでいるので数年に一度会うか会わないか。彼女は実家暮らしだ。
「死んだほうがましよ」と彼女はソルティー・ドッグを飲み干し言った。
「君が死んだら僕が悲しむ」とバーテンにモスコミュールを頼み、僕は言った。
 皿に盛られたナッツを摘んで口に入れ、モスコミュールを呑んだ。彼女は彼女はチェイサーを頼み、それを半分ほど飲み干す頃には僕は既にモスコミュールを飲み干していた。彼女が立ち上がったのを合図に、僕はポケットから財布を取り出しバーテンに金を払った。「私も出すよ」と言ったが僕は断った。女性と二人で飲みに来て、その金を女性に払わせるのなんて僕の美学に反する。
 僕たちはバーを後にし、そして別れた。

 冷えた体を温めるべく、熱いシャワーを浴びた。本当は湯に浸かりたいのだが、ユニットバスなのでそれは叶わない。浴び終わると裸で部屋に入り、トランクスだけ履いてドライヤーで髪の毛を乾かす。長くは無いのですぐに乾いた。パソコンの電源を入れ、適当に音楽を漁る。ジョン・レノンがカバーしたスタンド・バイ・ミーをかけた。それを聞きながら煙草を一服する。アイフォンが一度だけ鳴った。パソコンの時計で確認するともう十一時だった。アイフォンを開くと、彼女からのメールだった。それを開く。
「今日はご馳走様。ところで、私が死んだら葬式に来てくれる?」とあった。僕の心が静かに騒ぎ出した。深呼吸をする。
「もちろん。でも出来れば死んで欲しくはないけどね」と返した。その後は返信が無かったので、時間潰しに外へ出てみることにした。十一時を超え、一月に入ろうとする寒空の中コートを羽織り、アイフォンにイヤホンを差込み、音楽――当然ビートルズだ――を聴きながらドアを開け、階段を降りた。僕のアパートは二階建てで、部屋は二階の二○三号室だ。夜中とあって人気は全く無い。体を突き刺すような寒さの中、狭い路地を歩き続けコンビニへと入った。軽快な入店音が鳴り、店員の「いらっしゃいませ」という声を聞き、煙草とホットの缶珈琲を買い、外へ出るなり煙草に火をつけ缶珈琲のプルタブを開けた。白い吐息とも煙草の煙ともつかない白いもやが夜空に舞う。吸い終えるとその吸殻を排水溝の隙間に入れ、部屋へと戻った。

 夢の中で夢だと理解する。そして、パターンは違えど展開は同じだ。彼女は何らかの方法で自殺し、僕はそれを止める事が出来ない。毎日毎日寝る度にその夢を見るので、徐々に心が病んでいくのを感じる。精神衛生上には良くない夢だと思う。何故僕はこんなにも苦しめられなければならないのだろうか。目が覚めると、やはり全身は気持ちの悪い汗でびっしょりとなっていて、ユニットバスでその気持ちの悪い汗を流し飛ばす。最後に真冬にも関わらず冷水シャワーを浴びて出る。体を拭いてトランクスを履き、スウェット上下を着込み部屋へと戻り、冷蔵庫から缶ビールを取り出しそれを一気に飲み干した。それから煙草を一服し、パソコンを立ち上げて音楽を聴いた。またもやビートルズのウェイト。この曲は、僕の目の前で飛び降り自殺した友人が好きでよくカラオケでも歌っていた曲だ。その曲を聴き、気持ちを落ち着かせた。それからビーチ・ボーイズのアルバムであるペットサウンズを一曲目から流した。ビーチ・ボーイズは普段からあまり聴かないけれど、何故かその時は聞きたくなったのだ。アルバムが終わりに近づく時には、気持ちと精神は完全に落ち着いていた。時刻は夜中の三時。彼女にメールを送ろうと思ったが、時間が時間なので止めておいた。
 僕は寝つきが凄く悪い。医者が言うには入眠障害を患っているそうだ。しかし、一度寝てしまえば朝まで――時には昼近くまで――寝てしまうのだが、今日は夢のせいでもあってか、こんな時間に起きてしまった。冷蔵庫から二本目の缶ビールを手に取る。
 缶ビールを飲みながら考える。この毎晩見る夢は一体何なのだろう。また見るという予想は当たった。ふと思う。彼女を助けるまで見続けるのではないだろうか? それとも、予知夢なのだろうか? 彼女が死ぬことを予知しているのだろうか? 予知だとすれば、僕は彼女を助けられずに終わるということは、彼女は僕が何をしても死んでしまうのだろうか。となると百パーセント彼女は自殺してしまう。……考えても考えても答えが出ることは無かった。僕はまた冷蔵庫からビールを取り出した。もう残りは無かった。さっき行ったコンビニで買っておけば良かった。
 飲み干した所で、今日は精神科の診察日だという事を思い出したが、良く考えると年末なので今回は休みだった。次の診察は来週なので、その時にこの夢の事を主治医に相談してみよう。やはり、目の前で友人がマンションの屋上から飛び降り自殺をしたのが深層心理に働いて、そして尚且つ彼女が「いつか自殺する」と言った事も働いて、こういった夢を見せるのだろうか。いくら頭を捻っても答えは出ない。だから僕は考える事を止めた。
 他の事でも考えよう。彼女との出会いでも思い出すか、
 彼女は僕の行っていたデイケア――精神病患者が集まりコミュニケーションをとったり病気に対しての勉強などをし、病気を少しでも良くしていこうという施設だ――で知り合った。そこは年齢制限があり、十五歳から三十歳までの精神疾患を患った男女が集まっていた。そして在籍できる期間は二年間と決められている。上京して友人があまりいなかった僕は沢山同世代の男女友達が出来た。彼女もその一人だった。
 どういう展開で仲良くなったんだろう、と考えてすぐに答えが出た。
 デイケアの野外活動プログラムだった。そこで殆ど話をしたことの無かった彼女に声を掛けたのが始まりだった。出会ってから三ヶ月といった所か。そして連絡先も交換した。といってもいきなり二人で会って遊んだりはしなかった。四、五人で飲み会やカラオケ企画を開き、そこで徐々に仲良くなっていった。そして今に至る。
 そんな時、アイフォンが鳴った。電話だ。こんな時間に誰だろうと見ると、彼女だった。何かあったんだろうか、僕は慌てて出た。
「もしもし!」と僕。
「ちょっと!」と彼女は叫んだ。どうやら何かあったようで、慌てている。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないよ! あなたが私の夢に出てきたのよ!」
「え? どういう事?」
「あなたが言ってた事と同じ。夢の中であなたがアパートのベランダから飛び降りようとして、慌てて助けようとしたんだけど、落ちちゃった」慌て続けているのか、早口で一気に捲くし立てた。
「そうか、僕は死んだのか」煙草に火を付けながら言った。
「呑気ね」と彼女は冷静に答えた。
「だって君が言ったじゃないか、それは所詮夢だと」
「夢にしては出来すぎていると思わない?」
「僕が言った時は全然気にもしなかったくせに」という僕の言葉を無視し、「心理カウンセラーでも行かない?」と彼女は急に弱気になった。
「自殺すると名言したのは君だぞ」
「まあ、死ぬのはいいんだけど、夢で見るって気持ち悪いじゃん」
「夢の話だ。夢の中で助ければ僕たちは助かる」
「別に私は死ぬのが嫌ってわけじゃないんだけど」
「それは僕もさ。死にたいよ」君のいない世界なんて生きていてもつまらない、という言葉を飲み込んだ。
 そりゃあ僕も精神病の端くれ、希死念慮は結構強くあるし、彼女が本当に自殺なんてすれば後追い自殺なんかもしかねない。
 それから暫く他愛の無い会話を続け、明日――といっても時刻上は今日なのだが――の朝に彼女が僕の部屋に遊びに来る事になった。だから少し荒れている部屋を掃除し、準備を整えた。

 ピンポン――と鳴る。うとうとしていた僕は、アイフォンで朝の十時だということを確認する。彼女だ。慌てて玄関を開ける。
「ビール持ってきたよ」と彼女はダウンコートを着込み、右手には六本入りの缶ビールをぶら下げている。
「おはよう。寒いでしょ、入って入って」
 彼女は缶ビールが六本入った袋を床に置き、ダウンコートを壁に掛けた。それからカーペットに座り、二人してビールを飲んだ。彼女は飲みながら「ビールもこれで飲み納めね」と言った。表情は澄んでいる。すっきりとしている。多分僕もそうなんだろう。確認する術は無いが。ビールを一口飲んだ。
 三本ずつ飲み、飲み終えた頃にはほろ酔いになっていた。
「ここから歩いて数分だよ」と僕は缶を袋に捨てながら言った。
「じゃあそろそろ行こうか」と彼女は立ち上がり言った。

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