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第二の事件

第12話 理由は、言わないのである

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「言っている意味がよくわかりませんが」と言うのが精一杯だった。口の中は渇ききり、その反面、額からは気持ちの悪い汗が流れ落ち続きた。
「どうもぉ。サキエです。よろしくね」
「荒木涼です、こちらこそよろしくお願いします」
 二人は軽く握手を交わし、すぐ打ち解けたようで、大学のことや自分のことなどを話し、たまに笑い声を出している。
「荒木さん、見えるんですか?」
「昔から。たまにね」
 私は「誰にも言わないで下さい」とだけ告げ、サキエさんの手を無理矢理取り道路に出た。
「ちょ、ちょ、ちょちょちょっと!」
 サキエさんが怒りの表情で私の手を振り回した。
「まずいです、まずいです、帰りましょう!」
「いい人じゃない、大丈夫よ。それよかあんたサークル活動なんかしてたんだ」
「そんなことはどうでもいいのです」
 などと言い合いをしている私たちの元に、息を切らせた荒木が走り寄って来た。来なくてよいものを……わざわざ……。
「ねえ荒木君、サークルってどんなの?」
 私にとって荒木は疫病神でしかないのであるが、サキエさんにとってはいい情報源なのであろう。私の情報を引き出す時が一番楽しそうに見える。私は煙草に火を付けた。今更もうどうこうするつもりはない。好きにしてくれ。それが今の私の心境である。尤も、大学には行くにしてもサークルにもう一度入るなどということにはならないため安心したまえ。
 部屋やアパートの近所でサキエさんと馬鹿をやっていた頃が単純に楽しかった。それがずっと続けばよいと思っていた。人間関係の煩わしさも無く、新しい世界が広がるばかりであった。
 ここに来るまでは。
「サークルですか? まあ、基本的には文芸ですが、みんな好きにやってます。まあこっちとしても文芸に通じる物ならなんでもいいかなと」
「へぇ、文芸かぁ。だから文章が読みやすいんだ」
 聞き返す荒木に「なんでもないの」と言い、私の隣に座った。
「いい人じゃない。ちゃんと喋りなさいよ」
 結構です。
「何があったの?」
 話すつもりはありません。
「まあまあサキエさん、無理矢理はよくないですよ」
 そういう発言をすることも鼻に付く。本人は気付いていないようだが、こういうキャラクターは異性には好かれるだろうが同性には嫌われ兼ねない。現に私は嫌っている。しかし私は皆に嫌われている。どちらがよいのかは私にはわからないが、荒木のほうが楽しい華のキャンパスライフを送ることができるというだけはわかる。
「……でね、他の幽霊にも出会ってね――」
「へえ、やはり成仏するんですね――」
 私がなぜサークルから抜けたのか、読者諸兄には隠さずに言っておこうと思う。しかしどうか、切にお願いするが、サキエさんには内緒にしていただきたい。本当に詰まらない理由なのである。私が悪いということは、私自身よくわかっている。どうか切にお願いするが、私を攻めないでいただきたい。
「……で、犯人捜しってわけでさ――」
「……成る程。見つかるといいですが――」
 理由は二つある。どちらも……そう……こじれるとなかなか元に戻らない、男女関係のものである。私を好いてくれる女性がいた。こんな私にも物好きがいるものである。仮にAとしよう。Aは私に猛アタックを試みた。しかし私はこういう性格である。押されると引いてしまう。かといって引かれても押すわけではないのだが。それによりAのプライドには傷が付き、サークル内だけでなく大学内に私の様々な誹謗中傷の類がまかれに撒かれた。そしてAはサークルの中でめきめきと力を付けていった。反面、私はあまり行かなくなっていた。Aに対する様々な仕打ち、と言ってもほとんど捏造なのだが、それを聞いた同じサークルの女性Bが私に問い詰めた。BはAの友人でもあり、私がひそかに思いを寄せていた女性だった。それがAの押しに答えられないでいた理由だった。私は必死に否定したのだが、Aの自殺騒動により私の冤罪はそこで本当のものになった。
 どうやらAは他人のものはすぐに欲しくなる性格の持ち主だったようで、自殺騒動も狂言だったことは後に判明した。しかし私はその頃完全に引きこもっていたので知りもしなかった。
 尤も、Aを責めることは永遠に叶わないのだが……。
 そしてもう一つは簡単。荒木は部長なのだが、その騒動により仲を育んだ荒木とBが男女の関係になり、私の心は完全に崩壊した。私の誹謗中傷を信じなかった荒木に色々相談をしていたのだが、その時は単純に裏切られたと思ってしまったのである。
 どうだろう。下らないなどとは言わないでいただきたい。

「で、理由は?」
 教えません。
「私は……環を心配してるだけなのに……」
 しゃがみ込み顔を両手で覆い泣き声を発するサキエさんと、その周りをあたふたとまわる二人の男。端から見ればなんのことかわからないだろう。
「す、すみません。しかし、人には言いたくないこともあるじゃ」余計に泣いてしまった。
「まあまあサキエさん、まき君にも色々あるん」余計に……。
「わかりました、言います、言えばいいんでしょ!」
 サキエさんは、「最初からそう言えばいいのよ」と怒りに満ちた言葉を発され、顔を覆っていた手をどけられた。涙など無かった。よからぬことを考えてそうな目が、怖かった。

「大学生になってまでイジメなんて下らないことするんだねぇ」
 呆れた表情で私の頭に掌を乗せるサキエさん。サキエさんにもこういった優しさはあるのである。その優しさに甘えることにする。
「でも、その女性は大学辞めましたよ」
 私とサキエさんが驚きの表情で荒木を見た。荒木は少し苦笑いを浮かべ、手持ち無沙汰になったのか髪の毛を触っている。
「環のことが原因で?」
「まあ、そんな所です。美弥、いや脇田さんもまきくんに謝りたいって言ってたよ」
「彼氏なんだから美弥でいいでしょ」
 脇田美弥がBである。あの仕打ちは、単なる謝罪などでは片付けられない。しかし今更思い出したくもない。
「とりあえず部室に来なよ。新しい人も何人か増えたし」
 ここで私が断った所で、サキエさんが同意してくれるわけもなく、私は「すぐ帰りますよ」とだけ言い、荒木の後をついていった。
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