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第一の事件

第8話 これが、最初の依頼である

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 幽霊成仏屋兼幽霊探偵屋を発足して数分が過ぎた。部屋の真ん中で腕を組み正座をし、私のセンサーに霊的なものが反応するのを待っていた。しかし待てど暮らせど何も起こらない。サキエさんは浮かぶという特技を如何にも発揮し、電球を取り替えている。それが終わり、紐を引き明かりを付けようとするサキエさんを制止する。明かりに怯え、来るはずだった霊的反応が消える可能性もないこともないではないか。
「でも私、昼も夜も関係無く出てるけど」
 確かにそれにも一理ある。幽霊の言うことなど、と端から否定しないところに、私の心の広さであったり懐の深さが、読者諸兄にも垣間見られるはずである。
「墓地とか行ったほうがよくない?」
「みすみすサキエさん、あなたを危険に晒すわけにはいきません」
「自分が怖いだけでしょ」
 そうではない。幽霊同士の衝突にどれほどの危険性があるやもわからぬ状態で、いきなりそういった場所に飛び込むのは得策ではないと言うことだ。
「環って意外にお・く・びょ・う」
 頬をつんつんと叩くサキエさんを無視する。臆病ではない。「びびってるぅ」違う。頭を使うことが重要なのだ。「みなさーん! ここにビビりがいますよぉ!」ああもう!
「わかりましたよ! 行けばいいんでしょう行けば!」

 たかが外に出るための準備がこれほどまでに憂鬱だったことなど、生まれて初めてと言っても過言ではない。財布をポケットに捩込み、懐中電灯を持ち、いざという時のために携帯やカロリーメイトを鞄に入れる。水も必要か。ペットボトルに水道水を流し、同じく鞄に入れた。
 行きたくない。しかし、このままサキエさんに馬鹿にされるのも釈に触る。それにこっちには幽霊が味かたについているのだ。そう考えれば何も心配することはない。
「まだ準備してるの?」「もう終わります!」
 見落としているものはないか、再度チェックをする。折り畳み傘も一応持って行っておこう。ちり紙とハンカチもだ。後は……いざという時のために書き置きを残しておこう。墓地に行ってきます 環、と。
「先行ってるよ!」「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」

 まるで地獄への通り道かのように薄気味悪い廊下を歩き、庭へ出て桜さんに最後になるやもしれぬ挨拶を交わし、誰もいない道へと一歩を踏み出した。車がようやく二台通れるかといった狭い道。少し生温い風が、夏の到来を予感させる。日は完全に落ちている。夜空に散らばる星と、その真ん中に輝く月だけが私たちを照らしていた。持ってきていた腕時計を見る。七時半。まだ大丈夫だ。周りに立ち並ぶ民家の窓からまだ明かりが零れている。まだ、大丈夫。
「確かこっちだったはず」
 サキエさんに任すのは少し心もとないが、ここに越してきたばかりで地理に疎い私よりはましであろう。「こっちだっけ」などとぶつぶつ独り言を並べ先に進むサキエさんを追い掛けながら腕時計を見た。七時三十五分。まだ大丈夫だ。
「あ、懐かしい。この家の犬、よく酔っ払って虐めてたっけ」
 徐々に民家が少なくなってきたが、お構いなしに先に進んでゆく。
「ここの煙草屋で毎日買ってたんだよね」
 それを聞いて私は、鞄の底に眠る吸いかけの煙草を思い出した。
「環は吸わないの?」
「……禁煙中です」
「今持ってる?」
 私は鞄をあさり、素直に煙草とライターを差し出した。それを取り上げ、口にくわえ火を付けようとしたが……なかなか付かない。
「そっかー、息ができないから付きにくいのか。環付けてよ」
 そう言い、くわえていた煙草を私に差し出した。それは、つまり、その……?
 考え手駒ねいていると、それをみたサキエさんがにやりと笑った。この笑いはよくない笑いである。
「照れてんの? 間接キスだもんねぇ」
 違います、禁煙失敗になるのが嫌なだけです。
「まあまあ、仕方ないよ。こんな魅力的な女性と間接キスできるんだもん、照れないわけがない」
 私は無言ですばやく煙草を奪い取り、口にくわえ火をつけた。口腔に刺激的な懐かしい煙の味が充満する。それを空気と一緒に肺に流し込み、一気に放出する。体の力が抜けるのを感じた。
 未来には煙草などもはやないかもしれぬので一応説明をしておく。知っている者は読み飛ばせばいい。乾燥させた煙草の葉を詰めたものがその名の通り、煙草である。フィルターの付いている方向をくわえ――ない物もある――葉が剥き出しになったかたに火をつけ、その煙りを嗜む。中毒だ体に害だと反対運動が盛んであるが、それ以上に得るものがあることを知らない人間が言っているだけだ。私のような煙草の似合う渋い男からそれを取り上げることほど無意味なことはない。
「禁煙中でしょ、早くよこしなさい」奪い取られた。サキエさんの晴れた表情が、一瞬にして曇りに変わった。
「味がしない」
 笑い声が漏れそうになるのを両手で必死に堪えた。
「残念ですね! それより先を急ぎましょう」
「ビールも無理なのかな」と沈み呟くサキエさんをよそに、私はスキップしたくなる衝動を堪えながら墓地へと向かった。時計は八時を指している。

 想像していたそれと大幅に違うことがわかり、私は墓場の入口で足を止めた。未だ体に纏わり付く生温い風をはねのけるように一歩だけ足を前に出した。月明かりに照らされる木々と、不気味に立ち並ぶ墓、墓、墓。年月が経ち朽ち果てた墓、まだ真新しい墓、お供えが供えてある墓。私の中から危険だという言葉が聞こえる。ぴりぴりと痛む全身に苦痛を浮かべ、額から汗が流れた。足が勝手に震えだすのを止めようと何度も叩くが、その行為には何の意味もない。
 そんな私をよそに、サキエさんはすいと中へ入っていった。
「ちょ、ちょっと待って下さいよサキエさん!」
「雰囲気あるわねぇ。私の墓もあるのかな」
 私を無視しそれぞれの墓を見ながら進むサキエさんに、まるでスポットライトのように月の光が降り注ぎ、透けて地面に落ちる。それをぼんやり眺めている私に、もはや恐怖心などは無かった。サキエさんの姿に吸い寄せられるように、墓場の中を歩いてゆく。
「よお」
 私でもサキエさんでもない男の声が聞こえた。こんな時間に墓参りだろうか。いや、そんなことは有り得ない。幽霊だという短絡的な発想は誰にでもできる。しかし、幽霊より人間のほうが怖いのである。凶悪犯罪が世間を騒がせる昨今、いつどこでそれに巻き込まれるかはわからない。私の足が思い出したかのように震えだした。相手を確認するため、意を決し声のする方向に振り向いた。サキエさんと男が手を上げあい挨拶をしている。若い今風の男である。髪の毛を茶色に染め、じゃらじゃらとした恰好をしている。一つ違うと言えば片腕がないことだろうか。そこで私は理解した。これは幽霊である、と。そして私にはそういう力がある、と。
「あんたも幽霊かい。この辺で死んだのか?」
「いや、この近くのアパートで。それよりあなた腕どうしたの」
「墓場の前で事故ってな。片腕はその時どっかいった」
 けらけらと笑う男に、悲しみの感情は微塵にも感じられない。私を無視しいい雰囲気になりそうな二人の間に無理矢理割り込んだ。
「私の名前は牧瀬環、大学生をしています!」
 ぽかんと私を見る男と笑うサキエさん、そして焦る私。
「こいつにも俺が見えてんの?」と私を指差す男を睨んだ。
「こいつとは何ですか。私には名前があるのです!」
「うん、見えてる。まあ放っておいていいわよ、バカだから」
「へぇ、初めてだわ、俺が見えるなんて」
 所々引っ掛かるものはあるが今はそれ所ではない。私をまた無視し話し出す二人の会話にまた無理矢理割り込んだ。
「あーあー、サキエさん、もう遅いし帰りましょうか」
「あんた地縛霊なのに自由に動けるんだ?」
「今日知ったのよ。どこまでかはわからないけどね」
「ふうん。あ、俺の名前は津田康介。コウでいいよ」
 握手を求める男……津田にサキエさんも応える。
「私は秋山咲枝。サキエでいいわ」
「久々に話し相手ができたわ。ちょくちょく遊びに来てよ」
「次はこいつがいない時に」と私を指差し、二人で笑い合っている。何も面白くない。私は暇つぶしのために煙草に火をつけた。生温い風はいつのまにか乾いた涼しい風に変わっていた。汗ばんだ全身を乾かしてくれる。煙りと一緒に風を吸い込み、一気に吐き出した。あっ、禁煙失敗だ。
「他に幽霊はいないの? 墓場なのに」
「大体みんな成仏したね。俺は多分腕を見つけるまでまだ行けないはず。サキエは?」
 サキエ……と? 呼び捨てに? 親密な関係を築きあった私ならまだしも、会って数分しか経っていない津田が呼び捨てにするのはおかしいではないか。
「私は住んでたアパートで殺されてね。犯人見つけるまでは無理ね。この子が一緒に探してくれるみたい」
 津田は「へぇ」と言いながら、まるで今初めて存在を知ったかのような目で私を見た。私は一瞬たじろんだが、負けはしない。それを見返すように胸を張った。
「面白そうだな。俺にも協力させてよ」
 はぁ?
「俺はサキエの犯人を捜す、サキエは俺の腕を探す」
 腕なんてどうせ事故現場に落ちているのではないか? それにいつ事故に合ったのかはわからないが、あったとしても今更骨になっているだろう。探した所で……
「いいわよ。ね、幽霊成仏屋さん」というサキエさんの笑顔には勝てない。勝てる者がいるなら名乗りでたまえ。
 何それ、と聞く津田に説明する気力もない私は、立っているのも疲れてきたので地面に座り込んだ。代わりにサキエさんが説明する。津田とサキエさんが笑った。
「成る程な! 幽霊と人間の争いのために一躍買ったわけだ、この環先生は」
「ね、バカでしょ。まあいい暇つぶしになるからこっちはいいんだけどね」
 こっちはよくない。
「あ、そうそう。俺も自由になれないかな? 会いたい奴がいるんだよ」
 津田の話を簡単に纏めるとこうである。深夜バイクで友人の自宅に急ぐ途中で事故を起こした。だから最後にその友人に会っておきたいというのだ。私にはそんな義理はないものの、私には拒否権もないのである。サキエさんの一言で決まった。
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