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第3話 私は、死んでいないのである

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 さて、私の個人情報をいともたやすく述べたトリックがようやく判明したので先に記しておく。そういった機関があるわけでもないし、そういった特殊能力を持っているわけでもない。この手記を読み返してみて思い出したのである。自己紹介をしていたのだ。あ、と驚いたのは私だけだろうか。あまりに間抜けすぎて顔から火が出そうだけれど、ぐっと堪えてなんとか耐える。そして気持ちを切り替える。
 観察兼研究日誌ではあるが、恋愛小説の片鱗も未だ残っていると言えるだろう。女性「女性女性言うな!」……サキエさんの言った「いいこと」とは何なのであろうか。確認の為もう一度言っておくが、やましい気持ちなど微塵もない。とは言うものの、近い将来に訪れる争いのことを考えるに、そういったこともやむなしと半ば諦めの心境であることも確かである。自身の魅力を存分に使い、相手が気を許した所で寝首を刈る。ありえぬことではない。その“いいこと”をすることにより、人間の生命力を奪うのではないだろうか。寿命などといったものを。
「えぇ、ちょっと、妄想働きすぎ! いいことって言えばそういう発想しか出ないんだ。まあ若いから仕方ないか」
 サキエさんは呆れたような顔で私を見た。違う! 断じて違う。緊張の中での緩和つまり二時間サスペンスなどに見受けられる入浴のシーンのようなものでありそれを入れることによって視聴者まあこれは手記なので読者であるがその読者が飽きずに読み進められることを狙っての――

 軽い音が二度鳴った。
 頭を叩かれたのである。一度だけでなく二度も。掌で。世界広しと言えど、幽霊に叩かれたのは私が人類史上初ではないだろうか。呪われたり驚かされたり殺されたりはあるかもしれないが、叩かれる。驚くなかれ、ちゃんと痛みもあったのである。その証拠に、まだ頭がひりひりと痛む。「ねえ」透けることも触ることも思うがまま。「ねえってば」正直、今の私には幽霊に勝つ方法が見出だせない。「ねえって!」だがまだ結論を出すには早い。まだ観察を続けよう。
「こらぁ!」
「はいなんでしょう」
 気付くと私はパソコンを閉じ、サキエさんの前に正座していた。立ち上がり私を見下ろすサキエさんからは、ひしひしと怒りが感じられた。
「幽霊と恋愛すると言ったりエロいこと考えたり幽霊に勝つとか言ったり、あたしゃあ別にあんたを取って食ったりなんかしないわよ」
 あ、なんだかおばさん臭い口調になったのである。……叩かれた。
「……サキエさんはちなみに何歳ですか?」
「レディに年齢を聞くのかい」
 もう一度拳をかざされ、私は頭を抱えて俯いた。なに、格好悪いことではない。相手は正体のわからない幽霊なのである。しかし、幽霊とはいえ、やはり女性に年齢を聞くのはタブーなのか。硬派な私である。さすがの私にも、女心というのは秋の空に例えられるような不安定なもの、わかるはずがない。
「まあいっか。幽霊は歳を取らないしね。享年二十七歳。だから永遠に二十七のままってわけ」
 何だか嬉しそう。よくわからない。
「死ぬまでここに住んでたのよ。まあボッロボロのアパートだけど、二階の壁際だし、静かで景色もいいしね」
 言いながら窓を開けた。夏の匂いがするひんやりとした風が、少し汗ばむ全身を包んだ。
「二階なのに103っておかしいわよね」
 常に口を開いている。
「ほらあれ、あそこで私死んだのよ」
 窓から乗りだし、外を指差した。落ちたら死ぬぞ、と言おうとしてやめた。サキエさんの隣に立ち、指差す方を見る。桜さんである。といっても人間ではない。アパートの庭に立つ一本の桜の木である。私がここに住みだした頃にはもう自分自身の人生を終えようとしている老朽化した木。頑張る者に愛着が湧く私である。毎日それを眺めては、内心応援していた。来年の春まで頑張れ、花が咲いたら一緒に酒を呑もう、と。桜さん。在り来りな名前だと馬鹿にするのはやめていただきたい。在り来りな名前だからこそ、愛着が湧くのである。しかし、サキエさんはこともあろうに私の友人の元で死を選んでいたのである。寛大な心を持つ桜さんである。それを許し、死にゆくサキエさんを暖かく見守ったのであろう。やがて来る自分の死を重ねながら。
「あとよく酔っ払って、木に吐いてたわ」
 その発言に怒りを覚えぬほど私は腐った男ではない。「ちょっとサキエさん」と言いながら隣にいるはずのサキエさんを見た。いない。だからあれほど身を乗り出したら危険だと言ったのに!
 焦ったせいだろうか、下を見た瞬間、私の手は手摺から外れ、大きく外へ滑り出した。徐々に近づく地面。走馬灯のように思い出す様々な思い出。良いことも悪いことも沢山あった。部屋に幽霊が現れた日のこと、幽霊は女性だったこと、あとは……その……部屋に幽霊が現れた日のこと。死ぬことに後悔はないと言えば嘘になる。しかし天国にいるはずの祖父や祖母、そして他の人たちに、「女性を助けようとして死んだんだ」と胸を張って言うことができる。やはり恰好良い人間には恰好良い死に方があるのであろう。私は流れに身を任せるまま、ゆっくりと目を閉じた。

 結論から言おうか。読者諸兄、安心していい。私は死んではいない。もし死んでいたとすればこの手記の続きが読めるわけがない。もっとも、サキエさんのようになれば話は別だが。
 私は今文字通り宙に浮いている。サキエさんの体と重なり合うようにして、かれこれもう十数分は経っているだろうか。通行人がいないのが幸いである。もしもこんな所を目撃されたとなれば、教祖に祭り上げられ大量殺人を犯すか超能力者としてテレビに出演し多額の金を得るかの二つしかない。それはそれでいいのかもしれない。
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