さようなら、外脛骨

れつだん先生

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リハビリ編

第12話 リハビリ4 2021年8月5日

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 朝、寝ぼけた状態で採血とPCR検査を受ける。以前受けた時と違いとても痛い。鼻の奥のまたその奥までぐりぐりとされる。イケメンがやってきて「2週間後にギプスを巻き直す」とのこと。理由を訊くと「足の経過を見たり、ギプスを小さくしたり、歩きやすいように裏にゴムをつけたりするみたいですよ」と。
 だらだらとしているとイケメンが担当看護師を連れてやってきた。
「ギプスの端に保護入ってないんだけど大丈夫なの?」
「痛くなかったら大丈夫ですよ」
「そうなんだ。整形来て一ヶ月だからよくわかんなくてさ」
 ははは、うふふ、と談笑しながら去っていった。
 昼前に担当看護師がやって来て「そろそろシャワー浴びたいですよね?」と訊くのでそりゃもちろんですよ、手術の日から浴びてませんからと返すと「担当医に聞いてきます」と去っていったので待っているとハムスターが体を拭くためのタオルを持ってきたのでタオルで拭いて着替えると担当看護師がやって来て「15時にシャワーの予約しました」と。
 廊下でトレーナーとお爺さんが歩く練習をしながら談笑している。お爺さんの親戚に芸能人がいるようでそれをトレーナーに伝えたいが名前が出てこない様子。
「ほら、あの、あれ、あのー、南、南、南……」
「南かおり?」
「かおりじゃなくて、あのー、あれだ、南果歩!」
「……南果歩って誰ですか?」
「えっ、あなた南果歩知らないの?」
 そこにおばさんの声が交じる。
「南果歩ってあれじゃないの、ね。あの人。有名な」
「そうそう、あれ、あの、辻なんとかと結婚したじゃない」
「辻……辻、辻仁成」
「……辻仁成って誰ですか?」
「ん? あれ? 辻仁成って誰だっけ?」
「なんかの賞を取った人じゃないの」
「それそれ。それと別れて今はあの人と結婚したって。あの海外でも有名な人、あの人」
「あれね。髪の毛が薄い人ね。有名な人ね。みんな知ってる有名な人ね」
 情報が少なすぎて聞いていてさっぱりわからない。会話を聞きながらスマホで南果歩と検索すると知っている顔ではあるがどこで見たのかはわからない。元夫の髪の毛が薄い人は渡辺謙だが渡辺謙も詳しくは知らない。辻仁成は芥川賞受賞作家で中山美穂の元夫であること以外は知らないし読んだこともない。トレーナーは南果歩も辻仁成も渡辺謙も全員わからないようで愛想笑いに徹している。お爺さんとおばさんは古い芸能人の話で盛り上がっている。トレーナーが「テレビは野球しか見なくて。芸能人わからないんですよね」と言うとその話題は終了した。
 僕も19で実家を出てから一度もテレビを買ったことがないので芸能人の話題は対応のしようがないのでとても困る。若い芸能人がわからないのはまだ年齢のせいと言い訳できるだろう。邦画もドラマもヴァラエティもYouTubeもスポーツも観ないため全体的にわからない。音楽とラジオは聴くがそれも一般常識レヴェルだろう。好きなものだけ追っていればそれで十分だと思う。

 ぼんやり話を聞きながら読書していると、貴重品ボックスの鍵が腕にもサイドテーブルにもないことに気づき看護師を呼ぶ。なくした場合弁償と入院ガイドに載っていたのを思い出す。イケメンが洗濯物から鍵を見つけてくれたので安心。と同時に申し訳ない。
 連日連夜の高橋優による病室での電話を看護師経由で注意してもらう。妻子持ちのいい歳した男が電話はデイルームでという一文も守れないことに怒りではなく驚愕する。高橋優は腕を骨折しているので歩くのは問題ないはずだが、まあ所詮その程度のものなのだろう。
 昼食後にリハビリ。実家は楽でよかったという当たり障りのない話からコーヒーの話に。タリーズに行きたいが車椅子で買えるのだろうかと訊くと「袋に入れて貰えるはずですよ」とのこと。トレーナーはカフェインが受け付けないのでコーヒーも紅茶も飲めないという。「友人と話す時ってスタバとかタリーズ、ドトールが多いじゃないですか。でも私カフェインが無理なのでオレンジとかしか飲めないんですよね。だからコーヒーと紅茶以外のメニューは詳しいですよ」と笑う。ハムスターが「やれやれ、あんたたちはいいわね楽しそうで。こっちは仕事ですからね」という顔で見ていた。
 リハビリ後にシャワー。イケメンにギプスを透明の袋で覆って貰う。ついでに着替えの服やシャワー用具をシャワールームに持っていって貰う。シャワールームは大と小で別れており、大は3帖ほどの広さで小は1帖以下。どちらも丈夫そうな椅子が置かれている。もちろん浴槽はない。着替えるスペースも1帖で洗面台と椅子とバスマットを積んだラックのみ。椅子に座り湯が入らないように左足を上げて手すりに置きシャワーを出す。実に9日ぶりのシャワーは感無量。生きていてよかったと思う。家にいた時では味わえない感動だ。なにごとも我慢することで感動が増す。シャワー時間は30分。湯を浴びたまま感動で呆然としている暇はない。入院用の安い小さなボディーソープとリンスインシャンプーは控えめに言ってゴミだがないよりはましだと言い聞かせ全身を洗い流す。顔は洗顔フォームで流し伸びたままの髭も剃る。顔を上に向けると壁掛け時計があり残り時間を確認できる。ボディーソープを潤滑剤にしオナニーも済ませる。こちらは2週間ぶり。想像だけで済ますのは何年ぶりだろうか。
 残り時間が10分になったため出てバスマットで全身を拭く。衛生的にどうかと思うが、バスタオルとハンドタオルはプラス200円もするため我慢せざるを得ない。足元を見たぼったくりだが文句を言える立場にない。顔にオールインワンのジェルを塗り全身には皮膚科で貰っている保湿剤を塗りアトピー部分にステロイドを塗る。当たり前の話だろうが、シャワーを浴びず濡れタオルだけで過ごすとアトピーが酷くなる。淀んでいた全身がすっきりしてにやにや笑いが止まらない。大声を上げて走り回りたい衝動に駆られるがじっと耐える。看護師を呼んで荷物をベッドに持っていってもらう。「シャワーっていいですねえ!」と言いたかったがじっと耐える。
 日課となっている夕食後の松葉杖での廊下2周の際、右の外脛骨も痛みが走るようになる。PCR検査の結果は陰性であった。
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