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3章 フローラさんの病
お父様の過去の過ち
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話を聞き終えた私は、頭に血を登らせたままある部屋の前にいた。
「ヒメカ様、本当にやるんですか?」
「当たり前でしょッ!」
心配そうな顔をしたシグルドをひと睨みして、私は扉を乱暴にたたいた。ガンッガンッガンッとうるさい音が廊下に響く。兵士の方々が私の方を見ているのは分かっているが、それでも私は手も口も休めない。
「お父様! お父様! 居らっしゃるんですか? 話があるんですけど!」
そう、ここは国王様ことお父様の部屋。
さっきの話を聞いて、一言言ってやらないとすまないと思った私は、シグルドに案内を頼んでここへとやってきた。
「お父様! おと……」
カチャッとドアノブがまわって、小さな隙間ができた。
「騒々しい」
低い声が降ってきた。一段と不機嫌な表情をしたお父様が、隙間から顔を覗かせていた。
私の顔を一瞥した後、ドアを閉めようとするお父様。そうはさせまいと私は隙間に片足をねじ込んだ。そう、まるで悪質訪問販売員のように。
「はしたないぞ」
「お・は・な・し・が、あ・る・ん・で・す!」
互いにじっとみつめ……いや、睨み合う。それが数十秒続いた。
「ふぅ……。入りなさい」
折れたのはお父様の方だった。
「あ、シグルドはここにいて良いよ」
シグルドにそう言い残して、私は一人でお父様の部屋に入った。
部屋には、紙の山ができている机と、コーヒーが入ったカップと灰皿が乗っているテーブル、私の部屋のものと同じクローゼット、そしてきれいに整えられたベッドがあった。特に飾り気のないシンプルな部屋だ。
「で、話とはなんだ?」
お父様はテーブルの近くの椅子に腰を下ろした。私も向かいの椅子に座る。
「お母様のことです」
「ほう」
お父様は軽く目を閉じて、口元に笑みを浮かべた。難しい顔をしているお父様からは想像しがたい、柔らかい笑みだった。
「意外だな。てっきり婚約を取りやめてほしいと言いだすのかと思っていたよ」
それもありますけど、と心の中で呟いて、
「なんでお母様を裏切ったんですか?」
とだけ言った。
ピクリ、とお父様の身体がかすかに動く。ゆっくりと目を開き、こちらを見ている。
「……聞いたのか」
「聞かれちゃまずいことだとは思ってるんですね」
あまりにもイヤミったらしい口調に、自分でも驚いた。けれど、このセリフに限って後悔はない。
「なんで、お母様が大変な時にそんな……う、浮気なんか!」
「すまないことをしたと思ってる」
「すまない、ってそれだけですか? お母様のことが大切じゃないんですか? お母様は貴方の子供をみごもっていたんですよ!」
「……」
お父様は眉間にしわを寄せるだけで、何の弁解もしなかった。
さっきは話を聞いて感情が昂っていたから気がつかなかったけれど、お父様にとってどうでもよかったのはフローラさんだけじゃない。私……『ヒメカ』のこともどうでもよかったのだ。指折り数えて誕生を心待ちにしていたなら、浮気なんてする気にもならないはずだ。
――私は望まれていない子どもだったんだ。
シグルドの言っていた「聞かせたくない」の意味がようやくわかったと同時に、胸が鈍く痛んだ。その痛みは身体を駆けのぼり、涙となってこぼれ落ちた。
そんな私の様子を見たお父様は、驚いたように目を丸くした。
「お父様は、私のことも、お母様のことも……どうでもいいと思っているんですか?」
「そんなわけないだろうっ!」
咆哮のような大声に、身体がビクリと震え、驚きのあまり涙が引っ込んだ。
「馬鹿なことを言うんじゃない。私にとってフローラもおまえも、かけがえのない大切な存在だ」
「じゃあ……どうして……?」
眉間に寄せていたしわを一層深くし、涙が乾ききっていない私の顔を眺めた。きっと酷く不安そうな顔をしていると思う。
「本当はおまえには聞かせたくない、情けない話なんだが……」
そう言うと、お父様は苦笑いを浮かべながら静かに話しだした。
「私はフローラのおおらかさにだいぶ甘えていたみたいでな、彼女だったら浮気くらい簡単に許してくれると思っていたんだ」
「なっ!」
一体何を言いだすのだ。どんなに性格の良いお人好しだったとしても、自分の夫の浮気をそうそう許せるわけがない。
「まぁ、聞きなさい」
立ち上がり、抗議の声を上げようとする私を軽く制す。私は仕方なく座りなおした。
「彼女が妊娠中だったため……私も、あれだったのだよ」
「あれって何ですか?」
「大人の事情だ。――とにかく、浮気したことに対してはなんの弁解をするつもりもない。けれど、フローラを愛してるということも、揺るがない事実だ。皮肉なことに、フローラから拒絶されて初めて気づいたよ、どれほど彼女を頼っているか。すでに彼女は私の一部だったんだ。だからこそ、フローラの気持ちに気付かなかったんだ」
どこか遠くを見つめて話すお父様は、穏やかな表情をしていた。
大人の事情とやらは分からないけど、お父様がフローラさんを大切にしてるということは分かる。
「お母様には会いたいとは……?」
「もちろん、思っている。けれど、会えない。ヒメカも知っているだろうが……フローラは私と会うとおかしくなるから。……こういうのを自業自得というんだろう」
私はさっきのフローラさんの様子を思い出し、気が滅入った。名前を出しただけでアレだ。本人を見たらどうなるかなんて……想像したくもない。
それを分かっているであろうお父様は、たださみしそうに笑っていた。
「ヒメカ様、本当にやるんですか?」
「当たり前でしょッ!」
心配そうな顔をしたシグルドをひと睨みして、私は扉を乱暴にたたいた。ガンッガンッガンッとうるさい音が廊下に響く。兵士の方々が私の方を見ているのは分かっているが、それでも私は手も口も休めない。
「お父様! お父様! 居らっしゃるんですか? 話があるんですけど!」
そう、ここは国王様ことお父様の部屋。
さっきの話を聞いて、一言言ってやらないとすまないと思った私は、シグルドに案内を頼んでここへとやってきた。
「お父様! おと……」
カチャッとドアノブがまわって、小さな隙間ができた。
「騒々しい」
低い声が降ってきた。一段と不機嫌な表情をしたお父様が、隙間から顔を覗かせていた。
私の顔を一瞥した後、ドアを閉めようとするお父様。そうはさせまいと私は隙間に片足をねじ込んだ。そう、まるで悪質訪問販売員のように。
「はしたないぞ」
「お・は・な・し・が、あ・る・ん・で・す!」
互いにじっとみつめ……いや、睨み合う。それが数十秒続いた。
「ふぅ……。入りなさい」
折れたのはお父様の方だった。
「あ、シグルドはここにいて良いよ」
シグルドにそう言い残して、私は一人でお父様の部屋に入った。
部屋には、紙の山ができている机と、コーヒーが入ったカップと灰皿が乗っているテーブル、私の部屋のものと同じクローゼット、そしてきれいに整えられたベッドがあった。特に飾り気のないシンプルな部屋だ。
「で、話とはなんだ?」
お父様はテーブルの近くの椅子に腰を下ろした。私も向かいの椅子に座る。
「お母様のことです」
「ほう」
お父様は軽く目を閉じて、口元に笑みを浮かべた。難しい顔をしているお父様からは想像しがたい、柔らかい笑みだった。
「意外だな。てっきり婚約を取りやめてほしいと言いだすのかと思っていたよ」
それもありますけど、と心の中で呟いて、
「なんでお母様を裏切ったんですか?」
とだけ言った。
ピクリ、とお父様の身体がかすかに動く。ゆっくりと目を開き、こちらを見ている。
「……聞いたのか」
「聞かれちゃまずいことだとは思ってるんですね」
あまりにもイヤミったらしい口調に、自分でも驚いた。けれど、このセリフに限って後悔はない。
「なんで、お母様が大変な時にそんな……う、浮気なんか!」
「すまないことをしたと思ってる」
「すまない、ってそれだけですか? お母様のことが大切じゃないんですか? お母様は貴方の子供をみごもっていたんですよ!」
「……」
お父様は眉間にしわを寄せるだけで、何の弁解もしなかった。
さっきは話を聞いて感情が昂っていたから気がつかなかったけれど、お父様にとってどうでもよかったのはフローラさんだけじゃない。私……『ヒメカ』のこともどうでもよかったのだ。指折り数えて誕生を心待ちにしていたなら、浮気なんてする気にもならないはずだ。
――私は望まれていない子どもだったんだ。
シグルドの言っていた「聞かせたくない」の意味がようやくわかったと同時に、胸が鈍く痛んだ。その痛みは身体を駆けのぼり、涙となってこぼれ落ちた。
そんな私の様子を見たお父様は、驚いたように目を丸くした。
「お父様は、私のことも、お母様のことも……どうでもいいと思っているんですか?」
「そんなわけないだろうっ!」
咆哮のような大声に、身体がビクリと震え、驚きのあまり涙が引っ込んだ。
「馬鹿なことを言うんじゃない。私にとってフローラもおまえも、かけがえのない大切な存在だ」
「じゃあ……どうして……?」
眉間に寄せていたしわを一層深くし、涙が乾ききっていない私の顔を眺めた。きっと酷く不安そうな顔をしていると思う。
「本当はおまえには聞かせたくない、情けない話なんだが……」
そう言うと、お父様は苦笑いを浮かべながら静かに話しだした。
「私はフローラのおおらかさにだいぶ甘えていたみたいでな、彼女だったら浮気くらい簡単に許してくれると思っていたんだ」
「なっ!」
一体何を言いだすのだ。どんなに性格の良いお人好しだったとしても、自分の夫の浮気をそうそう許せるわけがない。
「まぁ、聞きなさい」
立ち上がり、抗議の声を上げようとする私を軽く制す。私は仕方なく座りなおした。
「彼女が妊娠中だったため……私も、あれだったのだよ」
「あれって何ですか?」
「大人の事情だ。――とにかく、浮気したことに対してはなんの弁解をするつもりもない。けれど、フローラを愛してるということも、揺るがない事実だ。皮肉なことに、フローラから拒絶されて初めて気づいたよ、どれほど彼女を頼っているか。すでに彼女は私の一部だったんだ。だからこそ、フローラの気持ちに気付かなかったんだ」
どこか遠くを見つめて話すお父様は、穏やかな表情をしていた。
大人の事情とやらは分からないけど、お父様がフローラさんを大切にしてるということは分かる。
「お母様には会いたいとは……?」
「もちろん、思っている。けれど、会えない。ヒメカも知っているだろうが……フローラは私と会うとおかしくなるから。……こういうのを自業自得というんだろう」
私はさっきのフローラさんの様子を思い出し、気が滅入った。名前を出しただけでアレだ。本人を見たらどうなるかなんて……想像したくもない。
それを分かっているであろうお父様は、たださみしそうに笑っていた。
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