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6.私と幼馴染と大好きな人
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「ねぇ、ちょっと。……おかしくない?」
「何が?」
くつろぎまくっている目の前の男をジト目で見るが、相手は全く意に解さなかった。
鴨川さんの起こした惚れ薬混入事件の後、私達はあまり時間をおかずに解散した。話す必要のある内容もなかったし、雑談をする空気でもなかった。
皆と別れた私は、親から買い物を頼まれてスーパーに寄ってから帰って来たんだけど……どうしてか、咲弥が私の部屋でくつろいでいた。
半ズボンにTシャツといったラフな私服でベッドに横になっている咲弥を見ると、ここがどこだか疑いたくなる。
ここ、私の部屋だよね?うん。そうだ、私の部屋だ。
一瞬部屋を見回してしまった。でも違和感があるのは咲弥だけ。
「なんで部屋の主を差し置いて横になってるの!?」
「差し置いてって……お前今帰ってきたばっかだろ」
私の姿を見て、咲弥は体を起こしベッドに座る格好となった。
「私が居ないのに咲弥が部屋にいるなんておかしいでしょ!?」
「しょーがないだろ、麻美のお袋さんに、もうすぐ帰るはずだから部屋で待っててって、言われたんだから」
あぁ、母よ。あなたの娘は女子高校生で、その幼馴染は男子高校生。さすがに女子高校生の部屋に男子高校生を一人で居させるのはどうかと思う。
「はぁ……」
無頓着っぷりを発揮してくれた母に不満はある。が、それよりも。
「何の用なわけ?」
「……」
「咲弥?」
咲弥のまとう雰囲気が変わる。無意識に背筋が伸びた。
「なんで……あの女は、俺に惚れ薬を盛ったんだろうな?」
「は……?」
「だって、おかしいだろ」
「そ、そそそそ、そんなの、あんたを私に……ほほ惚れさせたかったか、からでしょ……っ!」
「……」
上手く舌が回らなかった。咲弥がなんとも言えない冷めた目で私を見てる。
だって緊張するんだもん!
いくら咲弥とはいえ私を好きになるとか……言葉にするのだって恥ずかしい。
その時ふと、あの時のことが思い出された。
――僕のこと好き?
リフレインする真田くんの声に、鼓動が高く跳ねた。
よくまぁ、真田くんは面と向かって言えものだ。
「……それがおかしいんだよ」
咲弥の言葉で現実に引き戻される。
「な、なによ! 仕方ないでしょ、言い慣れないから噛んじゃっただけ」
「いや、麻美のおかしな話し方のほうじゃねーよ」
まだ少し噛み気味になっていた私の言葉を遮って淡々と話を続ける。
「俺があの女の立場だったら……薬は真田に飲ませるぞ」
「え……」
そうだ。
惚れ薬が手元にあったなら、それを使う相手は好きな相手になるはず。
でも……実際には鴨川さんは咲弥を私に惚れさせる為に使った。
「確かに……おかしい、かも」
真田くんを好きな私が邪魔だったとしても、真田くんの気持ちが鴨川さんに向いてしまえば私にはもうどうしようもない。
どうしようも……。
気づいてしまった。私は、真田くんが鴨川さんを好きでないことだけが、支えなんだ。
それに気づいてしまえば、もう本心を無視出来ない。
私は、真田くんが鴨川さんを好きになるのが怖い。そんなことになったら、体ごと心が砕け散ってしまいそうな気がする。
……怖い。
惚れ薬の効果だと言い聞かせても、それでもなお収まらない。
恐怖に包まれる中、一つの仮定がハッと閃いた。
「もしかして」
私の声に反応して、斜め下を向いて思案していた咲弥が顔を上げる。
「鴨川さんも同じ……」
鴨川さんも私と同じように、怖かった? それで、私の気持ちも察することができた……とか。
「鴨川さんは私に気を使ったんじゃないかな? 真田くんが鴨川さんを好きになって、私が諦めざるをえなくなるより、咲弥が私をすすす好きになって私が動きづらくなる方が、私は傷つかないから……」
咲弥の眉がグクッと寄った。
「それ、本気で言ってんの?」
言葉と一緒に溜め息も吐き出され、呆れていることがうかがい知れる。
「だって……そうとしか考えられないし……」
「あの女がそんなお優しい人間には見えないけどな。……つーかさ、俺がもし麻美を好きになったら、お前は真田を諦めるのか……?」
「へ……?」
顔の筋肉が固まってしまった。なにその冗談、っていう軽口さえ出てこない。
咲弥の瞳は真剣そのもので、冗談として流せるようなものじゃなかった。
ゴクリと唾を飲んで、喉をほぐす。
「お……おおっぴらに好きだって言えないだけだよ。諦めない、諦めないよ。だって、諦められるわけないもん」
「それが惚れ薬の効果でもか?」
振り絞って言った言葉に、咲弥は低い声で反応した。
「だ、だってそれは咲弥も同じでしょ? 私のことをす、好きになったとしても、それは惚れ薬の効果なわけなんだしさ」
部屋の空気が重かった。次に咲弥が何を言うのか全く予想出来なくて、鼓動が早まっていく。
無言で立ち上がった咲弥は私の肩に手を置いた。緊張で体に力が入る。
「じゃあ、もし……」
低くなった声で、咲弥は続きを囁いた。
「――惚れ薬に関係なくお前のことが好きだって言ったら?」
「え……?」
一瞬勘違いをしそうになった。
咲弥が私を好きだと言ったように思う。それも惚れ薬と関係なく。
でも、そんなこと――。
高まっていた緊張はほぐれ、ゆったりと息を吐く。
「それが惚れ薬の効果でしょうが!」
――ありえない。
咲弥がおかしな雰囲気を纏っているのは惚れ薬のせいだ。それが分かった途端、スッと体が軽くなる。
伸ばした手で咲弥の頭を軽く叩くと、
「何すんだ! 人が真剣に話してるってのに!」
「バカが考え込むとロクなことにならない」
「バカは認めるが、今それ関係ないからな! ……俺は本当に」
「あー、はいはい。惚れ薬惚れ薬」
「バカはお前だ! 俺はもっと前か……ら……?」
咲弥の勢いは電池が切れるみたいに急激に落ちていき、やがて止まった。
「咲弥?」
「……そういうこと……か」
ハッとした、そしてどこか呆然とした面持ちで呟いた。
私は首を傾けることで疑問を示すけれど、咲弥はそれを無視して、口の中に言葉を溜めたまま吐き出すことはなかった。
翌日の放課後、私は真田くんと向かい合って座っていた。ここのことろ恒例となった四人での集会のはずなんだけど……。
「鴨川さん、遅いね」
「そっちも。伊坂、どうしたの?」
咲弥と鴨川さんの姿はない。
「さぁ? 来ないとは言ってなかったんだけど……」
本当にどうしちゃったんだろう?
教室には居たし、態度も……うーん、変わったところはなかったと思うんだけどな。
「もしかして、昨日の今日だし来たくなくなったのかと思ったけど……茂木さんに何も言わずにってことはなさそうだから、何か理由があるんだろうね」
しみじみと、自分の言葉に違和感を持ってなさそうに言った真田くん。
「……あのさ、真田くん」
前々から思っていたことを、私は意を決して口に出す。
「私と咲弥は別に、すっごく仲が良いってわけじゃないからね。……ただの幼馴染ってだけ」
なぜか真田くんは私と咲弥が付き合ってることにしたがる。時々感じるその言い回しに気付かないはずがない。
真田くんは表情がないことが多く、あまり感情を表にださない。だというのに、今この瞬間、真田くんは非常に申し訳なさそうな、罪悪感に溢れた顔をしていた。
「……ごめんね」
「いや、謝るほどのことでもないけどさ」
あまりに痛々しい表情で、見ていられなくなった。何か、私が悪いことをしている気分にさせられる。
「だって……そういう風に思うのだって、僕の惚れ薬のせいだから」
「はぁ?」
あまりに見当はずれな返しだった。
「それって惚れ薬がなければ、私は咲弥が好きだって言いたいの?」
「……」
彼は無言を貫いた。けど目だけは肯定を示している。
その瞬間、泣きたくなるような、叫びたくなるような、強烈な情けなさが私に襲いかかってきた。
咲弥を好きなんてありえない。それは惚れ薬を飲む以前の自分の感情を思い出して、はっきりそう言い切れる。断じて惚れ薬のせいなんかではない。
けど、それより何より、自分の気持ちが完全に嘘として真田くんに伝わっている事がなによりも辛い。
「っ! 待って、茂木さん! な、なんで泣くの?」
慌てた様子で伸ばされた真田くんの腕。でもそれを受け入れられず、つい強い力ではねのけてしまう。
「意味も分からないくせに、優しくしないでよ!」
ヒステリックな自分の声が理科室に広がった。
驚いた顔の真田くんが目に入るけど、もう止まらない。
「わ、た、し、は! 真田くんが、好きなんだよ!」
「それが惚れ薬の効果だから」
ほとんど叫んでるみたいな私とは違い、落ち着いた調子のままの真田くん。
私ばかり熱くなって……広がる温度差にもっと憤ってしまう。
「知らない! 惚れ薬なんて、知らないよ! だってこんなに好きなんだよ! 惚れ薬なんて関係ないよ!」
訪れた沈黙。
肩で息をする私が見た真田くんは――見たことのない昏い目をしていた。
「……そんなこと、軽々しく言っていいのかな?」
熱かった体が、冷房の掛かった部屋で氷水を浴びせられたみたいに一気に冷え込む。荒かった息は落ち着きを取り戻し、涙は止まった。
「その言葉を信じて、僕が茂木さんに何かしたら……困るのは薬の効果が切れた後の茂木さんだよ」
「そ、そんなことない! 私は……っ!」
「困るかどうかを判断するのは、今の君じゃない。……薬の効果だって分かってるけど、余計なことを言って煽るのは止めてくれないか?」
「だって! だって真田くんは何も分かってないから……私だって薬の効果だって分かってからは気持ちを押さえてたよ。でも、惚れ薬がなければ咲弥を好きだったなんて言われたら黙ってられないよ」
精一杯自分の気持ちをぶつける。これが私の本心なんだ。
けれど――。
「でもそれが事実だ」
全然、全く、私の気持ちの1%も伝わってない。
もう、どう伝えていいか分からない。気持ちが大きくなりすぎて、言葉では包みきれなくなっていた。
「……隠しているのか、それとも無意識なのか」
真田くんが無機質な声で言った。私は耳を傾ける。
「茂木さんはいつも伊坂と楽しそうにしてた。惚れ薬で僕に惚れていても、それは一切変わらなかった。……思い知らされたよ。惚れ薬なんかで人の心は動かないって」
淡々と出てくる言葉とは裏腹に、真田くんの顔はなんだかさみし気に見えた。だから……なんだか期待してしまう。
「今から、ずるいこと言うね。………………僕、茂木さんが好きかもしれない」
とても静かだった。理科室の中からも外からも音が消えてしまったみたいだ。だいぶ夢みたいで、でも薬品の匂いがはっきりと現実だと示していた。
泣きそう、と思った時には涙が溢れていた。
「わ、私も……っ!」
ヒクつく喉から絞り出した声は、裏返っていた。
「私も、真田くんが好き!」
「それが聞けて良かった」
私は心からそう言って、真田くんも良かったって言った。なのになぜか、真田くんの顔が曇る。……どうして?
私が感じた疑問は、直後の言葉で語られる。
「いい思い出になったよ。これでもう茂木さんが元に戻っても、今の言葉を思い出して前に進める気がする」
何も通じていない。
そして気付いてしまった。私達の間にできている大きな溝を埋めるには、惚れ薬を解毒するしかない。けれど解毒してしまえば……私の気持ちは消えてしまうかもしれない。
惚れ薬の効果がない状態の私の気持ち。真田くんがずっと気にしていたものだ。
惚れ薬なんか関係ないと口では言いつつも、私は惚れ薬の効果が切れるのを――真田くんへの気持ちを失うことを恐れていた。
なんてことだろう。私はバカだ。
いくら咲弥を好きだと勘違いされたからって、今ある感情だけで突っ走って、変わってしまうかもしれない気持ちを無責任に押し付けてしまうなんて。
話がかみ合わないのは、全部私のせいじゃないか。
自分の愚かさに愕然とし羞恥心がこみ上げてきたその時、ふいに廊下が騒がしくなる。
「いいから、早く来い!」
「痛い! 引っ張らないで下さい! こんなにまでされなくても行きますから!」
「嘘つけ! さっき逃げただろうがっ!」
言い争う男女の声には聞き覚えがあった。
咲弥と鴨川さん……?
「……来たみたいだね」
真田くんがドアに視線をやってそう言ったと同時に、ガラガラと割と乱暴にドアが開けられた。
「ほら着いたぞ! 観念しやがれっ!」
咲弥は突き飛ばすように鴨川さんを理科室内に押しやると、自らも後に続く。
二人はいつもの位置に座った。
「どうしたの? 二人揃って遅れるなんて」
私がそう訊くと、咲弥はニヤッと口角を上げた。
「確認してたんだよ。俺の推理が正しいかどうかをよ。……さぁ、白状してもらおうか」
まるで探偵にでもなったかのように、自信をたっぷり含ませた声でそう言った。……でも、あんたもう答え合わせしてきたんだよね?そんな探偵はいないよ。
鴨川さんは俯いたままで、何も話し出さない。それに痺れを切らした咲弥が、ダンッと机を叩いた。
「いい加減にしろ! たとえお前が話さなくても、俺は真相を知ってんだぞ!? 遅かれ早かれバレることなんだよ!」
「……わたし、悪くないです」
ポツリと零したその一言をきっかけにして、堰を切ったように気持ちを口から溢れさせる。
「わたし、悪い事なんかしてないですよ! 好きな人にアプローチして何が悪いんですか!? 自分が出来ないことをわたしがしてるからって妬まないで下さい!」
身を乗り出して咲弥に怒鳴り返す鴨川さんは、見たことない位の怒りを顔に浮かべていた。つり上がった目には憎しみさえ感じられる。
「……自分から話す気はないってことだな? いいだろう、俺から話してやるよ――お前の計画的狂言をな」
鴨川さんに怯んだ様子もなく、自分が呆れていることを伝えたそうな瞳をして咲弥は静かに口を開いた。
「鴨川の目的は、真田に惚れ薬を作ってもらうことじゃなかったんだ。鴨川は、真田と付き合うことが目的だった。そうだな?」
鴨川さんは縦にも横にも首を振らない。鴨川さんの返答を諦め、咲弥は話を続ける。
「鴨川は、真田と付き合いたくて、真田に惚れ薬を作らせることを思いついた」
「え!?」
思わず声を上げていた。
「普通、好きな相手に作らせる……?」
惚れ薬ってそういうもの? いやいや、薬の効果で好きにさせられてるって分かったら気まずいと思うんだけど。
「伊坂、僕は惚れ薬を飲んでいないよ。飲んだのは彼女自身だ」
「それも鴨川が言い出したことだろ? お前言ってたよな、惚れ薬の効果が出た場合は付き合うって約束をしたと」
驚き、瞠目した真田くんはそのまま視線を鴨川さんへと移した。その視線から逃げるように、鴨川さんは顔を背けた。
「つまり…………なるほど、そいうことか……」
今耳にした内容を飲み込むように、呆然と呟きを落とした真田くん。
「真田も分かったみたいだな。ま、鴨川が俺じゃなく真田に薬を盛っていたら、もっと早く気付けただろうけどな」
「……そうだね。でも、僕に薬を盛っても意味がない。それどころか感づかれる恐れがある。僕が鴨川さんの立場でも伊坂に薬を盛るのが適切と考えるだろう」
「なになに? 話についていけてないんだけど」
二人ばかりが真相へたどり着き、私だけおいてけぼりを喰っていた。「つまりね」と真田くんが言う。
「伊坂なら、惚れ薬で茂木さんを好きになったと錯覚してくれると思ったわけだ。プラシーボ効果を期待したんだろう」
「真田くん……それってどういう」
「わたし、悪くないです」
鴨川さんが消え入るような声でそう言った。それは小さい声ながら、不思議と尊重されるべき響きを持っていたように思う。耳を傾けるあまり、言葉を途中で放り出してしまった。
「わたしは……嘘なんて……吐いてないです。薬を飲んで……薬の効果ではないですけど、……それでも聖先輩が好きで付き合ってるんです。おかしくないです。……わたしは悪い事なんかしてないです」
「え、鴨川さん……今なんて」
「わたしは、ただ聖先輩が好きなだけです! わたしは何も……悪くない」
私の声は鴨川さんの耳には届かなかったようだ。同じ言葉を繰り返し続ける鴨川さんを無視して、気になる点に思考を移す。
――薬の効果ではなく、真田くんを好き?
真田くんも、鴨川さんが嘘を吐いていたと言っていた。
もしかして、それって……。
「惚れ薬で好きになったっていうのは嘘で、本当は惚れ薬を飲む前から真田くんを好きだったってこと……?」
鴨川さんの呪文のような弁解が止まる。キッと強い意志を持った視線が、私に牙をむいた。
「あんたのせいよ! あんたが変なタイミングで出てくるから全部台無しじゃない! どうしてくれるわけ!?」
鴨川さんは態度を一変させた。怒りを持って詰め寄られ、たじろいでしまう。
「もう少しで聖先輩と正式に付き合えたのに!」
「ん? 君の惚れ薬の効果が切れるまでって話でしょ」
「薬の効果じゃないですもん! ずっと好きです! 一生、一緒です!」
狂気を感じた。たぶんもう、鴨川さんはまともじゃない。
鴨川さんは縋るように真田くんの腕を掴んだ。
「……茂木さん」
鴨川さんの腕を丁寧に引きはがして立ち上がった真田くんは、机を迂回して私の方へとやってきた。
「今、僕が何を考えているか分かる?」
「は? え?」
そう言った真田くんは驚くほど、穏やかな表情だった。鴨川さんに騙されていたことを知った直後とは到底思えないほど、優しい目をしている。
「喜んでる……?」
考えるよりも先に、言葉が出ていた。真田くんは微笑みを深める。
「当たり。だって、鴨川さんが惚れ薬の効果を偽装していたっていうのなら……茂木さんが僕を好きなのも、惚れ薬じゃないってことになるでしょ」
「……そ、それって」
「聖先輩!」
大声に驚いて鴨川さんを振り返ると、彼女はすごい形相でこっちを睨みつけていた。けど、不思議と怖くはない。たぶんそれは……真田くんの気持ちに期待しているからだ。まだ真田くんから決定的な答えは貰ってない。でも、ほとんどそれに近いものを受け取っている。その安心感が、恐怖を打ち消していた。
「その女を選ぶんですか?」
「うん」
「わたしと付き合ってるのに?」
「薬の効果がある間と言ったはずだ。あの薬に、人を恋に落とす効果はなかった。僕が君と付き合う義理はない」
「こんなに好きなのに?」
ぐずぐずと泣き声を混ぜながら、必死で言い募る鴨川さんの姿に、胸がチクリと痛む。しかしそれと同時に勝者の快感があるのもまた事実だった。
「――義務や責任で人を縛り付けて付き合おうとする人間を愛せるかどうか、それを想像する力すらないの?」
鋭い、刃物のような言葉だった。声自体に強い感情は聞き取れない。けれど、その言葉は確実に鴨川さんに止めを差していた。
横にいた咲弥も思わず「うわっ」と小声で漏らすほどには、人に深く食い込む言葉だった。
鴨川さんは乱暴に自らの涙を拭い、小走りで理科室の扉へと向かう。出ていく時に「大っきらい!」と絞り出すように言って、そのまま去っていった。
「お前、怒らせると怖いんだな」
咲弥はホッと息を吐きながら言うと、真田くんはコテンと首を傾げた。
「怒る? 別に僕は怒ってないけど?」
「素であれだったら、なお怖いわ! 間違ってはいなかったが、好きな奴にあんな風に言われたら傷つくだろ。……恨まれんじゃねーの?」
最後の部分をからかうような口調で言う咲弥に、真田くんは真面目に頷きを返す。
「だろうね。そのつもりだから」
「あ?」
「だって、あのままだと鴨川さんの恨みが茂木さんに行くかもしれないでしょ。……彼女を守るのは彼氏として当然のことだと思うけど?」
咲弥の口が「あ」の形を保ったまま固まった。私もまったく同じ。
「どうしたの、二人とも?」
「か、かかかかか、彼女って……」
「え? なってくれるよね、両想いなんだから」
彼女。両想い。バラバラの単語が頭の中で飛び交い、状況を理解する。あぁ、そっか。私はこの人に選ばれたんだ。
温かく、安心して涙がでそうな、柔らかな感情。これを幸せって呼ぶのかもしれない。
「茂木さんの気持ちが薬のせいじゃないって分かった今、僕が諦める理由はない。互いに思い合っている二人が付き合わないなんておかしな話でしょ、ね?」
「は、はい!」
「良かった。じゃあ晴れて今日から僕らは恋人同士だ。……悪いね、伊坂」
「っ!? な、なんで俺に謝るんだよ!」
「ん? だって君も茂木さんのこと好きでしょ?」
当然のように言った真田くん。そっか、真田くんはそっちも勘違いしてたんだ。ということは真田くんに、私と咲弥は両想いと思われていたのか。
「す、好きじゃねーよ! そんな暴力鬼女!」
「なんですって?」
言い捨てて逃げ出した咲弥。
それを追うため立ち上がったんだけど……走りだす前に腕を掴まれてしまった。
振り返ったら、思っていたよりも真田くんの顔が近くにあり、心臓が跳ねた。
「いいよ、追わなくて。僕の愛だけで君を満たしたいから……伊坂は邪魔だ」
そのまま唇が重なる。直前に物騒なことを言ったとは思えないほど、それは柔らかくて甘かった。
「何が?」
くつろぎまくっている目の前の男をジト目で見るが、相手は全く意に解さなかった。
鴨川さんの起こした惚れ薬混入事件の後、私達はあまり時間をおかずに解散した。話す必要のある内容もなかったし、雑談をする空気でもなかった。
皆と別れた私は、親から買い物を頼まれてスーパーに寄ってから帰って来たんだけど……どうしてか、咲弥が私の部屋でくつろいでいた。
半ズボンにTシャツといったラフな私服でベッドに横になっている咲弥を見ると、ここがどこだか疑いたくなる。
ここ、私の部屋だよね?うん。そうだ、私の部屋だ。
一瞬部屋を見回してしまった。でも違和感があるのは咲弥だけ。
「なんで部屋の主を差し置いて横になってるの!?」
「差し置いてって……お前今帰ってきたばっかだろ」
私の姿を見て、咲弥は体を起こしベッドに座る格好となった。
「私が居ないのに咲弥が部屋にいるなんておかしいでしょ!?」
「しょーがないだろ、麻美のお袋さんに、もうすぐ帰るはずだから部屋で待っててって、言われたんだから」
あぁ、母よ。あなたの娘は女子高校生で、その幼馴染は男子高校生。さすがに女子高校生の部屋に男子高校生を一人で居させるのはどうかと思う。
「はぁ……」
無頓着っぷりを発揮してくれた母に不満はある。が、それよりも。
「何の用なわけ?」
「……」
「咲弥?」
咲弥のまとう雰囲気が変わる。無意識に背筋が伸びた。
「なんで……あの女は、俺に惚れ薬を盛ったんだろうな?」
「は……?」
「だって、おかしいだろ」
「そ、そそそそ、そんなの、あんたを私に……ほほ惚れさせたかったか、からでしょ……っ!」
「……」
上手く舌が回らなかった。咲弥がなんとも言えない冷めた目で私を見てる。
だって緊張するんだもん!
いくら咲弥とはいえ私を好きになるとか……言葉にするのだって恥ずかしい。
その時ふと、あの時のことが思い出された。
――僕のこと好き?
リフレインする真田くんの声に、鼓動が高く跳ねた。
よくまぁ、真田くんは面と向かって言えものだ。
「……それがおかしいんだよ」
咲弥の言葉で現実に引き戻される。
「な、なによ! 仕方ないでしょ、言い慣れないから噛んじゃっただけ」
「いや、麻美のおかしな話し方のほうじゃねーよ」
まだ少し噛み気味になっていた私の言葉を遮って淡々と話を続ける。
「俺があの女の立場だったら……薬は真田に飲ませるぞ」
「え……」
そうだ。
惚れ薬が手元にあったなら、それを使う相手は好きな相手になるはず。
でも……実際には鴨川さんは咲弥を私に惚れさせる為に使った。
「確かに……おかしい、かも」
真田くんを好きな私が邪魔だったとしても、真田くんの気持ちが鴨川さんに向いてしまえば私にはもうどうしようもない。
どうしようも……。
気づいてしまった。私は、真田くんが鴨川さんを好きでないことだけが、支えなんだ。
それに気づいてしまえば、もう本心を無視出来ない。
私は、真田くんが鴨川さんを好きになるのが怖い。そんなことになったら、体ごと心が砕け散ってしまいそうな気がする。
……怖い。
惚れ薬の効果だと言い聞かせても、それでもなお収まらない。
恐怖に包まれる中、一つの仮定がハッと閃いた。
「もしかして」
私の声に反応して、斜め下を向いて思案していた咲弥が顔を上げる。
「鴨川さんも同じ……」
鴨川さんも私と同じように、怖かった? それで、私の気持ちも察することができた……とか。
「鴨川さんは私に気を使ったんじゃないかな? 真田くんが鴨川さんを好きになって、私が諦めざるをえなくなるより、咲弥が私をすすす好きになって私が動きづらくなる方が、私は傷つかないから……」
咲弥の眉がグクッと寄った。
「それ、本気で言ってんの?」
言葉と一緒に溜め息も吐き出され、呆れていることがうかがい知れる。
「だって……そうとしか考えられないし……」
「あの女がそんなお優しい人間には見えないけどな。……つーかさ、俺がもし麻美を好きになったら、お前は真田を諦めるのか……?」
「へ……?」
顔の筋肉が固まってしまった。なにその冗談、っていう軽口さえ出てこない。
咲弥の瞳は真剣そのもので、冗談として流せるようなものじゃなかった。
ゴクリと唾を飲んで、喉をほぐす。
「お……おおっぴらに好きだって言えないだけだよ。諦めない、諦めないよ。だって、諦められるわけないもん」
「それが惚れ薬の効果でもか?」
振り絞って言った言葉に、咲弥は低い声で反応した。
「だ、だってそれは咲弥も同じでしょ? 私のことをす、好きになったとしても、それは惚れ薬の効果なわけなんだしさ」
部屋の空気が重かった。次に咲弥が何を言うのか全く予想出来なくて、鼓動が早まっていく。
無言で立ち上がった咲弥は私の肩に手を置いた。緊張で体に力が入る。
「じゃあ、もし……」
低くなった声で、咲弥は続きを囁いた。
「――惚れ薬に関係なくお前のことが好きだって言ったら?」
「え……?」
一瞬勘違いをしそうになった。
咲弥が私を好きだと言ったように思う。それも惚れ薬と関係なく。
でも、そんなこと――。
高まっていた緊張はほぐれ、ゆったりと息を吐く。
「それが惚れ薬の効果でしょうが!」
――ありえない。
咲弥がおかしな雰囲気を纏っているのは惚れ薬のせいだ。それが分かった途端、スッと体が軽くなる。
伸ばした手で咲弥の頭を軽く叩くと、
「何すんだ! 人が真剣に話してるってのに!」
「バカが考え込むとロクなことにならない」
「バカは認めるが、今それ関係ないからな! ……俺は本当に」
「あー、はいはい。惚れ薬惚れ薬」
「バカはお前だ! 俺はもっと前か……ら……?」
咲弥の勢いは電池が切れるみたいに急激に落ちていき、やがて止まった。
「咲弥?」
「……そういうこと……か」
ハッとした、そしてどこか呆然とした面持ちで呟いた。
私は首を傾けることで疑問を示すけれど、咲弥はそれを無視して、口の中に言葉を溜めたまま吐き出すことはなかった。
翌日の放課後、私は真田くんと向かい合って座っていた。ここのことろ恒例となった四人での集会のはずなんだけど……。
「鴨川さん、遅いね」
「そっちも。伊坂、どうしたの?」
咲弥と鴨川さんの姿はない。
「さぁ? 来ないとは言ってなかったんだけど……」
本当にどうしちゃったんだろう?
教室には居たし、態度も……うーん、変わったところはなかったと思うんだけどな。
「もしかして、昨日の今日だし来たくなくなったのかと思ったけど……茂木さんに何も言わずにってことはなさそうだから、何か理由があるんだろうね」
しみじみと、自分の言葉に違和感を持ってなさそうに言った真田くん。
「……あのさ、真田くん」
前々から思っていたことを、私は意を決して口に出す。
「私と咲弥は別に、すっごく仲が良いってわけじゃないからね。……ただの幼馴染ってだけ」
なぜか真田くんは私と咲弥が付き合ってることにしたがる。時々感じるその言い回しに気付かないはずがない。
真田くんは表情がないことが多く、あまり感情を表にださない。だというのに、今この瞬間、真田くんは非常に申し訳なさそうな、罪悪感に溢れた顔をしていた。
「……ごめんね」
「いや、謝るほどのことでもないけどさ」
あまりに痛々しい表情で、見ていられなくなった。何か、私が悪いことをしている気分にさせられる。
「だって……そういう風に思うのだって、僕の惚れ薬のせいだから」
「はぁ?」
あまりに見当はずれな返しだった。
「それって惚れ薬がなければ、私は咲弥が好きだって言いたいの?」
「……」
彼は無言を貫いた。けど目だけは肯定を示している。
その瞬間、泣きたくなるような、叫びたくなるような、強烈な情けなさが私に襲いかかってきた。
咲弥を好きなんてありえない。それは惚れ薬を飲む以前の自分の感情を思い出して、はっきりそう言い切れる。断じて惚れ薬のせいなんかではない。
けど、それより何より、自分の気持ちが完全に嘘として真田くんに伝わっている事がなによりも辛い。
「っ! 待って、茂木さん! な、なんで泣くの?」
慌てた様子で伸ばされた真田くんの腕。でもそれを受け入れられず、つい強い力ではねのけてしまう。
「意味も分からないくせに、優しくしないでよ!」
ヒステリックな自分の声が理科室に広がった。
驚いた顔の真田くんが目に入るけど、もう止まらない。
「わ、た、し、は! 真田くんが、好きなんだよ!」
「それが惚れ薬の効果だから」
ほとんど叫んでるみたいな私とは違い、落ち着いた調子のままの真田くん。
私ばかり熱くなって……広がる温度差にもっと憤ってしまう。
「知らない! 惚れ薬なんて、知らないよ! だってこんなに好きなんだよ! 惚れ薬なんて関係ないよ!」
訪れた沈黙。
肩で息をする私が見た真田くんは――見たことのない昏い目をしていた。
「……そんなこと、軽々しく言っていいのかな?」
熱かった体が、冷房の掛かった部屋で氷水を浴びせられたみたいに一気に冷え込む。荒かった息は落ち着きを取り戻し、涙は止まった。
「その言葉を信じて、僕が茂木さんに何かしたら……困るのは薬の効果が切れた後の茂木さんだよ」
「そ、そんなことない! 私は……っ!」
「困るかどうかを判断するのは、今の君じゃない。……薬の効果だって分かってるけど、余計なことを言って煽るのは止めてくれないか?」
「だって! だって真田くんは何も分かってないから……私だって薬の効果だって分かってからは気持ちを押さえてたよ。でも、惚れ薬がなければ咲弥を好きだったなんて言われたら黙ってられないよ」
精一杯自分の気持ちをぶつける。これが私の本心なんだ。
けれど――。
「でもそれが事実だ」
全然、全く、私の気持ちの1%も伝わってない。
もう、どう伝えていいか分からない。気持ちが大きくなりすぎて、言葉では包みきれなくなっていた。
「……隠しているのか、それとも無意識なのか」
真田くんが無機質な声で言った。私は耳を傾ける。
「茂木さんはいつも伊坂と楽しそうにしてた。惚れ薬で僕に惚れていても、それは一切変わらなかった。……思い知らされたよ。惚れ薬なんかで人の心は動かないって」
淡々と出てくる言葉とは裏腹に、真田くんの顔はなんだかさみし気に見えた。だから……なんだか期待してしまう。
「今から、ずるいこと言うね。………………僕、茂木さんが好きかもしれない」
とても静かだった。理科室の中からも外からも音が消えてしまったみたいだ。だいぶ夢みたいで、でも薬品の匂いがはっきりと現実だと示していた。
泣きそう、と思った時には涙が溢れていた。
「わ、私も……っ!」
ヒクつく喉から絞り出した声は、裏返っていた。
「私も、真田くんが好き!」
「それが聞けて良かった」
私は心からそう言って、真田くんも良かったって言った。なのになぜか、真田くんの顔が曇る。……どうして?
私が感じた疑問は、直後の言葉で語られる。
「いい思い出になったよ。これでもう茂木さんが元に戻っても、今の言葉を思い出して前に進める気がする」
何も通じていない。
そして気付いてしまった。私達の間にできている大きな溝を埋めるには、惚れ薬を解毒するしかない。けれど解毒してしまえば……私の気持ちは消えてしまうかもしれない。
惚れ薬の効果がない状態の私の気持ち。真田くんがずっと気にしていたものだ。
惚れ薬なんか関係ないと口では言いつつも、私は惚れ薬の効果が切れるのを――真田くんへの気持ちを失うことを恐れていた。
なんてことだろう。私はバカだ。
いくら咲弥を好きだと勘違いされたからって、今ある感情だけで突っ走って、変わってしまうかもしれない気持ちを無責任に押し付けてしまうなんて。
話がかみ合わないのは、全部私のせいじゃないか。
自分の愚かさに愕然とし羞恥心がこみ上げてきたその時、ふいに廊下が騒がしくなる。
「いいから、早く来い!」
「痛い! 引っ張らないで下さい! こんなにまでされなくても行きますから!」
「嘘つけ! さっき逃げただろうがっ!」
言い争う男女の声には聞き覚えがあった。
咲弥と鴨川さん……?
「……来たみたいだね」
真田くんがドアに視線をやってそう言ったと同時に、ガラガラと割と乱暴にドアが開けられた。
「ほら着いたぞ! 観念しやがれっ!」
咲弥は突き飛ばすように鴨川さんを理科室内に押しやると、自らも後に続く。
二人はいつもの位置に座った。
「どうしたの? 二人揃って遅れるなんて」
私がそう訊くと、咲弥はニヤッと口角を上げた。
「確認してたんだよ。俺の推理が正しいかどうかをよ。……さぁ、白状してもらおうか」
まるで探偵にでもなったかのように、自信をたっぷり含ませた声でそう言った。……でも、あんたもう答え合わせしてきたんだよね?そんな探偵はいないよ。
鴨川さんは俯いたままで、何も話し出さない。それに痺れを切らした咲弥が、ダンッと机を叩いた。
「いい加減にしろ! たとえお前が話さなくても、俺は真相を知ってんだぞ!? 遅かれ早かれバレることなんだよ!」
「……わたし、悪くないです」
ポツリと零したその一言をきっかけにして、堰を切ったように気持ちを口から溢れさせる。
「わたし、悪い事なんかしてないですよ! 好きな人にアプローチして何が悪いんですか!? 自分が出来ないことをわたしがしてるからって妬まないで下さい!」
身を乗り出して咲弥に怒鳴り返す鴨川さんは、見たことない位の怒りを顔に浮かべていた。つり上がった目には憎しみさえ感じられる。
「……自分から話す気はないってことだな? いいだろう、俺から話してやるよ――お前の計画的狂言をな」
鴨川さんに怯んだ様子もなく、自分が呆れていることを伝えたそうな瞳をして咲弥は静かに口を開いた。
「鴨川の目的は、真田に惚れ薬を作ってもらうことじゃなかったんだ。鴨川は、真田と付き合うことが目的だった。そうだな?」
鴨川さんは縦にも横にも首を振らない。鴨川さんの返答を諦め、咲弥は話を続ける。
「鴨川は、真田と付き合いたくて、真田に惚れ薬を作らせることを思いついた」
「え!?」
思わず声を上げていた。
「普通、好きな相手に作らせる……?」
惚れ薬ってそういうもの? いやいや、薬の効果で好きにさせられてるって分かったら気まずいと思うんだけど。
「伊坂、僕は惚れ薬を飲んでいないよ。飲んだのは彼女自身だ」
「それも鴨川が言い出したことだろ? お前言ってたよな、惚れ薬の効果が出た場合は付き合うって約束をしたと」
驚き、瞠目した真田くんはそのまま視線を鴨川さんへと移した。その視線から逃げるように、鴨川さんは顔を背けた。
「つまり…………なるほど、そいうことか……」
今耳にした内容を飲み込むように、呆然と呟きを落とした真田くん。
「真田も分かったみたいだな。ま、鴨川が俺じゃなく真田に薬を盛っていたら、もっと早く気付けただろうけどな」
「……そうだね。でも、僕に薬を盛っても意味がない。それどころか感づかれる恐れがある。僕が鴨川さんの立場でも伊坂に薬を盛るのが適切と考えるだろう」
「なになに? 話についていけてないんだけど」
二人ばかりが真相へたどり着き、私だけおいてけぼりを喰っていた。「つまりね」と真田くんが言う。
「伊坂なら、惚れ薬で茂木さんを好きになったと錯覚してくれると思ったわけだ。プラシーボ効果を期待したんだろう」
「真田くん……それってどういう」
「わたし、悪くないです」
鴨川さんが消え入るような声でそう言った。それは小さい声ながら、不思議と尊重されるべき響きを持っていたように思う。耳を傾けるあまり、言葉を途中で放り出してしまった。
「わたしは……嘘なんて……吐いてないです。薬を飲んで……薬の効果ではないですけど、……それでも聖先輩が好きで付き合ってるんです。おかしくないです。……わたしは悪い事なんかしてないです」
「え、鴨川さん……今なんて」
「わたしは、ただ聖先輩が好きなだけです! わたしは何も……悪くない」
私の声は鴨川さんの耳には届かなかったようだ。同じ言葉を繰り返し続ける鴨川さんを無視して、気になる点に思考を移す。
――薬の効果ではなく、真田くんを好き?
真田くんも、鴨川さんが嘘を吐いていたと言っていた。
もしかして、それって……。
「惚れ薬で好きになったっていうのは嘘で、本当は惚れ薬を飲む前から真田くんを好きだったってこと……?」
鴨川さんの呪文のような弁解が止まる。キッと強い意志を持った視線が、私に牙をむいた。
「あんたのせいよ! あんたが変なタイミングで出てくるから全部台無しじゃない! どうしてくれるわけ!?」
鴨川さんは態度を一変させた。怒りを持って詰め寄られ、たじろいでしまう。
「もう少しで聖先輩と正式に付き合えたのに!」
「ん? 君の惚れ薬の効果が切れるまでって話でしょ」
「薬の効果じゃないですもん! ずっと好きです! 一生、一緒です!」
狂気を感じた。たぶんもう、鴨川さんはまともじゃない。
鴨川さんは縋るように真田くんの腕を掴んだ。
「……茂木さん」
鴨川さんの腕を丁寧に引きはがして立ち上がった真田くんは、机を迂回して私の方へとやってきた。
「今、僕が何を考えているか分かる?」
「は? え?」
そう言った真田くんは驚くほど、穏やかな表情だった。鴨川さんに騙されていたことを知った直後とは到底思えないほど、優しい目をしている。
「喜んでる……?」
考えるよりも先に、言葉が出ていた。真田くんは微笑みを深める。
「当たり。だって、鴨川さんが惚れ薬の効果を偽装していたっていうのなら……茂木さんが僕を好きなのも、惚れ薬じゃないってことになるでしょ」
「……そ、それって」
「聖先輩!」
大声に驚いて鴨川さんを振り返ると、彼女はすごい形相でこっちを睨みつけていた。けど、不思議と怖くはない。たぶんそれは……真田くんの気持ちに期待しているからだ。まだ真田くんから決定的な答えは貰ってない。でも、ほとんどそれに近いものを受け取っている。その安心感が、恐怖を打ち消していた。
「その女を選ぶんですか?」
「うん」
「わたしと付き合ってるのに?」
「薬の効果がある間と言ったはずだ。あの薬に、人を恋に落とす効果はなかった。僕が君と付き合う義理はない」
「こんなに好きなのに?」
ぐずぐずと泣き声を混ぜながら、必死で言い募る鴨川さんの姿に、胸がチクリと痛む。しかしそれと同時に勝者の快感があるのもまた事実だった。
「――義務や責任で人を縛り付けて付き合おうとする人間を愛せるかどうか、それを想像する力すらないの?」
鋭い、刃物のような言葉だった。声自体に強い感情は聞き取れない。けれど、その言葉は確実に鴨川さんに止めを差していた。
横にいた咲弥も思わず「うわっ」と小声で漏らすほどには、人に深く食い込む言葉だった。
鴨川さんは乱暴に自らの涙を拭い、小走りで理科室の扉へと向かう。出ていく時に「大っきらい!」と絞り出すように言って、そのまま去っていった。
「お前、怒らせると怖いんだな」
咲弥はホッと息を吐きながら言うと、真田くんはコテンと首を傾げた。
「怒る? 別に僕は怒ってないけど?」
「素であれだったら、なお怖いわ! 間違ってはいなかったが、好きな奴にあんな風に言われたら傷つくだろ。……恨まれんじゃねーの?」
最後の部分をからかうような口調で言う咲弥に、真田くんは真面目に頷きを返す。
「だろうね。そのつもりだから」
「あ?」
「だって、あのままだと鴨川さんの恨みが茂木さんに行くかもしれないでしょ。……彼女を守るのは彼氏として当然のことだと思うけど?」
咲弥の口が「あ」の形を保ったまま固まった。私もまったく同じ。
「どうしたの、二人とも?」
「か、かかかかか、彼女って……」
「え? なってくれるよね、両想いなんだから」
彼女。両想い。バラバラの単語が頭の中で飛び交い、状況を理解する。あぁ、そっか。私はこの人に選ばれたんだ。
温かく、安心して涙がでそうな、柔らかな感情。これを幸せって呼ぶのかもしれない。
「茂木さんの気持ちが薬のせいじゃないって分かった今、僕が諦める理由はない。互いに思い合っている二人が付き合わないなんておかしな話でしょ、ね?」
「は、はい!」
「良かった。じゃあ晴れて今日から僕らは恋人同士だ。……悪いね、伊坂」
「っ!? な、なんで俺に謝るんだよ!」
「ん? だって君も茂木さんのこと好きでしょ?」
当然のように言った真田くん。そっか、真田くんはそっちも勘違いしてたんだ。ということは真田くんに、私と咲弥は両想いと思われていたのか。
「す、好きじゃねーよ! そんな暴力鬼女!」
「なんですって?」
言い捨てて逃げ出した咲弥。
それを追うため立ち上がったんだけど……走りだす前に腕を掴まれてしまった。
振り返ったら、思っていたよりも真田くんの顔が近くにあり、心臓が跳ねた。
「いいよ、追わなくて。僕の愛だけで君を満たしたいから……伊坂は邪魔だ」
そのまま唇が重なる。直前に物騒なことを言ったとは思えないほど、それは柔らかくて甘かった。
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